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No.17 - 科学史技術史研究所

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No.17 - 科学史技術史研究所
かし、次々と明らかにされた状況は、思考停止に陥
りそうなほど、恐ろしい現実を突き付けてきた。29
日未明の NHK ニュースは、福島第1原発の敷地内土
壌からプルトニウムが検出されたことを報じた。福
島第1原発の3号機は MOX 燃料を燃やすプルサー
マル運転をしていたので、プルトニウムについては
ずっと気になっていた。この点について、講演会で
も質問は出たが、確かな情報はだれも持ち合わせて
いなかった。
27 日に東電は、第1原発の敷地内5カ所で土壌
を採取し、日本原子力研究開発機構と日本分析セン
ターの2カ所に分析依頼したことを明らかにした。
そして東電は 28 日 23:45 の記者会見で、5か所の
調査地点中2か所からプルトニウムが検出された
が、その濃度は通常の環境土壌中に含まれるレベル
であり、人体には問題ないと報告した。東電のプレ
スリリースには、「検出されたプルトニウムの濃度
は過去の大気圏内核実験において国内で観測され
たフォールアウトと同様のレベルである。しかし、
グラウンド付近及び固体廃棄物貯蔵庫前地点にお
いて検出された Pu-238 は Pu239、240 に対する放射
能比がそれぞれ 2.0、0.94 であり、過去の大気圏内
核実験の影響として示されている放射能比 0.026
を超えていることから、今回の事故に由来する可能
性が考えられる」とあった。この日、これを受けて
科 学 史 技 術 史 通 信
特定非営利活動法人
科学史技術史研究所
田中・山崎・飯田・菊池・道家文庫
No.17
2011.4.20
165-0027 東京都中野区野方 1 丁目29番 1―B101
Website URL: http://ihst.jp/
e-mail: [email protected]
加賀⾦澤藩で、⽂政嘉永年間使⽤した測量器械(⾦澤藩⼠遠藤⾼環が
⽤いたとされる。九州⼤学総合研究館所蔵
)
原発事故で何を語るのか
-松井英介氏の講演会「原発事故の影
響はどうなるか?」に参加して
高橋智子(山梨大学
[email protected])
3月 11 日の東日本大震災から2週間が過ぎた 26
日に開催された松井英介氏(岐阜環境医学研究所所
長・医師)の講演会は、130 名が詰めかけるほどの
盛況だった。講演会は宮川彰氏(首都大学東京教授)
の「環境問題からの提言」、日野川静枝氏(拓殖大
学教授・科学史技術史研究所研究員)の「原爆と原
子力発電の関連(天然ウランの核分裂連鎖反応とプ
ルトニウム生成)」の話の後、松井氏の講演「福島
原発事故による放射線被曝-内部被爆による健康
影響を中心に-」となった。
筆者は講義で「放射線と現代」を担当しているこ
ともあり、震災と福島原発事故について、この間に
流れた重い時間のなかで気になったことと、松井氏
の講演に触発されたことなどを書かせてもらうこ
とにした。
恐ろしい現実
福島第一原発の事故について、事故の全体像が見
えない第一報を聞いた時には、これで「原子力ルネ
サンス」も再考されるに違いない、などと今から考
えると、不謹慎とも思える思いが頭をよぎった。し
NHK 解説員が強調したことは、プルトニウムの放射
線は紙一枚で遮ることができること、過去の核実験
で世界中にばらまかれてきたので、環境中のどこに
でも存在すること、今回の事故では重い元素である
プルトニウムが拡散することはなく、注意しなけれ
ばならないのは現場の作業員である、ということだ
った。
政府はこのところ「専門家による正確な情報の発
信」の重要性を強調しているので、こうした NHK 解
説員の説明にも、「専門家による正確な情報」から
逸脱しないような見解が反映されているのかも知
れない。
しかし想定される専門家集団のトップとも考え
られる原子力安全委員会の班目春樹委員長は、28
日夜の記者会見で、福島第1原発のトレンチでみつ
かった高放射線量の汚染水への対応について聞か
れ、「どのような形ですみやかに実施できるかにつ
いて、安全委ではそれだけの知識を持ち合わせてい
ない。まずは事業者(東京電力)が解決策を示すと
1
ともに、原子力安全・保安院にしっかりと指導をし
て い た だ き た い 」 と 述 べ た と い う ( 毎 日 JP,
2011.3.29, 0:07)。
内部被曝をどう見るのか
ところで、専門家の話を聞きたい、そんな思いで
講演会に参加した人は多かったと思う。私自身、
「内
部被曝による健康影響を中心に」という副題に惹か
れ、専門家の話を聞きたくて講演会への参加を決め
た。
3月 19 日に牛乳、ホウレンソウから食品衛生法
の暫定基準値を超える放射線が検出されたことが
発表されて以降、マスコミも「専門家」も口を揃え
て、「基準値は低く設定されている」「CT スキャン
の検査線量の数千分の1と少ない」「毎日食べても
人体にすぐに影響を与える心配はない」とする解説
の大合唱を繰り返し始めた。むろん内部被曝と外部
被曝を区別せずに CT スキャンと比較するのも問題
だが、確率的な内部被曝を持ち出したとき、社会は
それをどう受け止めるのか、また閾値のない問題を
そもそもどう語るべきなのか、昔から悩んできたこ
ともあり松井氏の講演に関心をもった。
松井英介氏の内部被曝の話は分かりやすく、医学
的な知見に裏付けられていた。厚さ 0.1mm の紙一枚
で止まってしまうα線ではあるが、大きさ 8μm の
赤血球や 20μm の細胞にとって、飛程距離 40μm の
α線は十分に高密度線源になり得ることなど、内部
被曝の恐ろしさを改めて確認させるものだった。ま
た外部被曝に基づく現在の ICPR の基準値は、放射
線量を全身で平均化しているために、細胞レベルで
考える必要のある内部被曝に当てはめると過小評
価になってしまう、との指摘は新鮮だった。しかし
内部被曝に関する知見は、臨床データの個人差が大
きく、がん発生率の十分なリスク評価をできる段階
にはないこと、それでも黒い雨による原爆被災者や
劣化ウラン弾にさらされたバスラの子供たちの犠
牲の上に、臨床データは積み重ねられていることな
どが語られた。
こうした専門家による「正しい情報」は、社会の
なかでどのような意味を持つだろうか。質疑も終わ
り近くになって、保育士をしているという若い女性
が、「今の状況はつまりは安全なのか安全ではない
のか、安全でないのならどうすれば良いのか教えて
ほしい」と、叫びとも感じられる悲痛な調子で質問
された声が今も耳に残っている。また年配の男性は、
2
「それでもマスコミから毎日流れる専門家の意見
はすごく具体的で、ホウレンソウを1日△㎏食べて
も大丈夫、牛乳を毎日□ℓ飲んでも大丈夫、という
声に国民は毎日晒されているんですよ。こうした専
門家の意見にタイムリーに反論するという訳には
いかないのですか」、と無理とわかっていても発言
せずにはいられない様子だった。
内部被曝のメカニズムがわかったとしても、また
評価基準の問題点を指摘されても、一市民の私たち
にとってそれは、安全か危険かの判断基準にはなら
ない。一人称でリスクを考えるなら、「できるだけ
浴びないように注意しよう」と決めれば済むが、第
三者に問われたときには、やはり困ってしまう。避
難区域は半径 20km 圏内で本当に安全なのか、5km
のところに居残ったら癌になってしまうのか、どち
らの質問にもイエス・ノーでは答えられない。松井
氏も、神奈川に住む娘さんに、みんなで来るのが難
しいのなら、小学生の孫だけでも岐阜に避難させる
ように説得するが、娘はいろいろと言い訳をして孫
を寄越さない、と難しい問題であることを語った。
また「自分は研究者なので残ったが、家族は避難
させた」という参加者もいた。つまりここでは、自
分の行動を決めるために、「正しい情報」が欲しい
のであって、必ずしも安全か危険かを聞きたい訳で
はないのである。受動的ではなく、能動的に行動す
るためには、専門家の「正しい」納得できる情報が
不可欠ともいえる。しかし放射線被曝のようにそも
そも確率的な問題の場合、その科学的内容だけで行
動を決めるのは難しい気もする。例えば、隣の家が
火事だと言われればすぐに逃げるが、隣人がいつか
は火をつけるような人物に思えたとしても、引っ越
しをするかどうかはそう簡単には決められない。つ
まり確率的な問題の場合には、その確率(リスク)
をどう考えるのかという価値判断によって、選択さ
れる行動は異なるのであり、リスクそのものよりも
そこでの判断基準の方が重要になる。その意味で、
松井氏の行動規範とも感じられた「徒労を尽くせ」
と題した資料スライドに書かれた、子ども最優先、
予 防 原 則 、 社 会 的 連 帯 、 Think globally, act
locally、
「徒労を尽くせ」の5項目、そして「原発
なんか必要のない社会にしましょうよ」という明確
なメッセージは、参加者の心を捕え、会場には何と
も不思議な一体感がもたらされたように感じられ
た。
原発の事故対応は内部被曝を無視しているか
松井氏が強調し、当科学史技術史研究所のホーム
ページで紹介された沢田昭二氏も指摘するように、
原発からの放射性物質の放出を CT スキャンの放射
線量と比較するのはナンセンスに違いない。また国
際放射線防護委員会(ICRP)の安全基準は内部被曝
問題を考慮していない、といわれても仕方ないのか
もしれない。
しかし原発の事故対応で内部被曝の問題が考慮
されていないのか、といえばそうでもない。原子力
災害対策特別措置法に基づいて「原子力緊急事態宣
言」が行われてからの政府の指示は、基本的に原子
力安全委員会の「原子力施設等の防災対策につい
て」に定められた「緊急事態応急対策」のマニュア
ルに従って出されてきたと見ることができる。そし
てこの中では少なくとも外部被爆と内部被曝はほ
ぼ同等に扱われている。外部被曝は「主に原子力施
設から直接放出される中性子線及びガンマ線並び
に放射性プルームからのガンマ線によって生じる」
もの、内部被曝は「吸入、経口摂取等によって体内
に取り込んだ放射性物質が生体の各所に沈着し、体
内組織(甲状腺、肺、骨、胃腸等)が放射線を受け
る場合の被ばくであり、主に電離効果の高いアルフ
ァ線及びベータ線によって生じる」ものとされ、緊
急時の防護対策についてのそれぞれの基準は、「外
部全身線量」と「小児甲状腺の等価線量」などを評
価することよって決定されている。例えば、緊急事
態の判断基準は敷地境界付近の放射線量(線量率)
が1地点で 10 分以上 500μSv/h 以上を検出するか、
あるいは2地点以上で 500μSv/h 以上を検出する
場合であり、屋内退避の指標は外部被爆で 10~
50mSv、内部被曝で 100~500mSv とするなど、具体
的な数値が提示されている。飲食物や牛乳・乳製品
摂取制限に関する指標もこの「原子力施設等の防災
対策について」で提示されたもので、ヨウ素-131
は 300Bq/kg 以上、放射性セシウムは 200Bq/kg 以上
のほか、ウランは 20Bq/kg 以上、プルトニウム及び
超ウラン元素のアルファ核種(プルトニウム、アメ
リシウム、キュリウム)は 1Bq/kg 以上と決められて
いる。食品衛生法における暫定規制値も同じ値であ
る。また実際にこうした数値を得るための放射線や
放射能測定については、「環境放射線モニタリング
指針」
(原子力安全委員会、平成 20 年 3 月)、
「緊急
時における食品の放射能測定マニュアル」(厚生労
働省医薬局食品保健部監視安全課、平成 14 年 3 月)
が存在し、これらの中には放射能汚染値から人体へ
の影響を示す実効線量値への換算係数表も含まれ
る。
基準値をどう考えるのか
こうした政府文書を読み漁っても明確には判ら
ないことがある。それはこうした基準値はどのよう
な危険(リスク)をもった値として想定されている
のかである。それはともかくも、これまで、具体的
な数値の存在さえ一般にはあまり知られないまま、
安全かどうかだけが問われ、事故が起こるたびに
「微量なので環境/人体には影響がない」と安全宣
言がされてきた。ところが今回は、放射線基準の○
×倍という大量の放射性物質の検出が発表される
と同時に「安全です」というコメントが繰り返され
ている。こうした現状は、基準値そのものの存在意
味を失わせる最悪の状況に思えたが、実際に基準値
そのものが変わる可能性が出てきている。
作業員の緊急時被曝については、厚生労働省が、
放射線の被曝線量限度を 100 ミリシーベルトから
250 ミリシーベルトに引き上げる規則の特例を定め
たと 15 日に発表。経済産業省などの要請に基づく
もので、これにより1回あたり 15 分程度だった作
業時間が 30 分程度に増えたことが報じられた。1
週間後の 22 日には、内閣府の食品安全委員会は「政
府が設定した出荷規制の暫定基準値が科学的な合
理性があるかどうかなどの評価作業を始めた」こと
が、25 日の夜には ICRP が、現在の日本の放射線基
準値の引き上げを 21 日には政府に勧告していたこ
とが報じられた。ICRP はこともあろうに緊急時に
おける一般人の年間被ばく限度を 100~20mSv の範
囲に引き上げ、地域住民が住み続けられるように通
常の線量限度を 20~1mSv の範囲で設定するよう勧
告したという。さらに 29 日に関係自治体は食品の
暫定基準値について「非常に厳しすぎる基準」だと
して見直しを求めた。こうした動きを受けて同日
15:00 に食品安全委員会が開催され、食品の摂取制
限指標の妥当性が検討された。検討結果は「放射性
物質に関する緊急とりまとめ」で公表され、現在の
介入水準(防護対策指標)であるヨウ素 131 は甲状
3
の「核保有国と核実験」、
「気象研による Sr90、Cs137
月間降下量の推移」、「土壌中の Pu239,240 濃度」、
「全国の日常食中の Sr90、Cs137 平均濃度」、
「全国
降下物中の Sr90、Cs137 平均濃度」や「原子力発電
所からの放射能放出量と作業員の被爆」は「負の遺
産」であり、「日本の自然放射線レベル」に積み重
なることになる。
腺等価線量で年間 50mSv(実効線量で 2mSv)、放射
性セシウムは実効線量で年間 5mSv は、
「食品由来の
放射線暴露を防ぐ上でかなり安全側に立ったもの
である」としており、今後の引き上げ可能性を保証
しているのである。
危機的な現実を前に、最後の砦としてよりどころ
となるはずの「基準値」が、逆に「安全側」に取り
込まれて改変されていく今の状況は、「基準値」が
実は科学的・合理的なものではなく、技術選択のた
めの「ガマン量」であることを明らかにしているよ
「負の遺産」としての「環境放射能」の蓄積はでき
る限り避けるべきものであり、今回の福島原発の事
故で放出された量をこれと比較して同レベルなの
で安全などと、まるでそれが自然環境であるかのよ
うに言うのは詭弁にすぎない。
地球の誕生を起源とする自然放射能(天然放射性
物質)や宇宙線とその誘導放射能の存在は、地球の
歴史年代を経て今日あるもので、地球上の生物多様
性もそうした放射能環境が関わってきたと考えら
れている。人類もそうした環境で生まれ、歴史を重
ねてきたという意味で、自然放射能は「安全」と判
断されてきた。「環境放射能」は自然放射能とは全
く違い、20 世紀の核技術の登場によって作られた
人工元素による人為的なものである。例えば自然界
のヨウ素やセシウムの存在比はどちらも非放射性
のヨウ素 127、セシウム 133 が 100%になっている。
うに見える。
原子力発電に限らず、医療や工業分野での放射線
環境放射能と自然放射線は区別されるべき
利用が日常的になり、人工放射性物質が生活空間に
福島第1原発の事故による放射性物質の放出量
普通に存在するようになり始めているが、このまま
が安全であることを言うために、これまでは少なく
「環境放射能」が上昇すると、日常的な被曝線量を
とも積極的に語られることはなかったはずの、環境
押し上げ、肝心な医療被曝を受けられなくなるので
放射能や自然放射線の存在が引き合いに出されて
はないか、そんな心配さえしてしまう。
いる。土壌中における Pu の検出では、環境土壌レ
事故を収拾するための体制はつくられるのか
ベルと同等として批判の矛先を封じた。確かに今や
福島原発からの放射性物質の放出問題では、4 月
環境中には Pu、放射性ヨウ素やセシウム、ストロ
2 日には米海兵隊の放射能専門部隊 140 人が来日し、
ンチウムという、それまで地球上には存在しなかっ
陸上自衛隊と共同の検討に着手している。その昔、
た放射性物質が存在し、「環境放射能」と呼ばれる
日本でスリーマイル島やチェルノブイリのような
までに量が増えている。しかしこれらの放射性物質
事故が起きたらどうなるかで、関係者も含めて逃げ
は、原爆実験のフォールアウトや原子力発電所の事
てしまうのでは、などと冗談話をしたことがある。
故によって放出されたあくまで人為的な「負の遺
当時はあまり真剣に考えることもなかったが、今の
産」としての放射能であり、地球を起源とする自然
状況を見ると原子力発電所そのものが、核攻撃の戦
放射性物質や宇宙線によって生成される誘導放射
略をもつ軍事体制の中でしか、
「安全」
「経済的」に
性物質などの自然放射能とは区別されるべきもの
は維持できないのではないかと思えてきた。そもそ
である。
も戦争を放棄し、平和憲法をもつ日本は核戦争への
現在、日本の放射能環境がどのようなものなのか、 準備も備えもしてこなかった。それはある意味で誇
授業用に作成したスライドで紹介しておきたい。図
るべきことだと思っていたが、JCO の臨界事故で放
4
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/1
10315/plc11031523070047-n1.htm
10. 産経ニュース「食品暫定基準は適正か 食品
安全委が評価作業に着手」(2011.3.22 13:53)
http://mainichi.jp/select/science/news/2
0110326k0000m040121000c.html
11. 毎日 JP「放射性物質:被ばく限度「引き上げ
を」 国際組織が勧告」(2011.3.25, 21:32)
http://mainichi.jp/select/science/news/2
0110326k0000m040121000c.html
12. アサヒコム「食品の放射線基準値「厳し過ぎ」
8知事が見直し要望」(2011.3.29, 0:18)
http://www.asahi.com/national/update/032
8/TKY201103280513.html
射線防護の救急車も車両も日本にはないことが大
きな問題になり、いまでは消防庁にも自衛隊にも特
別部隊がつくられ、緊急時の被曝制限は通常の2倍
のレベルで設定されるなど、防護体制が整備されて
きた。先に紹介したマニュアルも TMI、チェルノブ
イリ、もんじゅ、JCO と事故の度に見直しが行われ
てきたものだった。それでも、今回の事故を作業員
の安全を担保して収拾することはできない、それが
現実ではないだろうか。これまで技術にばかり目が
行き、必ずしも放射能汚染や防護の問題に注目して
はこなかったことを反省している。事故が起きるた
びに、なぜ事故が起きたのかは追ってきたが、その
結果の放射能汚染がどう収拾されてきたかは殆ど
調べてこなかった。核兵器の問題はもちろんだが、
原発労働者の被曝問題や JCO の事故での被曝者の
問題など、原子力技術が社会にもたらした影響を今
少し明確にしたいと考えている。
4月になり講義がはじまるが、今回の事件をどう
語るべきか、まだ悩んでいる。
(2011 年 4 月 2 日)
参照資料(順不同)
1. 厚生労働省「平成 23 年(2011 年)東北地方太
平洋沖地震関連情報(水道・食品関係)」
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520
0000162id.html
2. 東電プレスリリース「福島第一原子力発電所
土壌中の Pu 測定結果」
http://www.tepco.co.jp/cc/press/11032806
-j.html
3. 原子力安全委員会「原子力施設等の防災対策
について」(昭和 55 年 6 月、平成 20 年 10 月
に最終一部訂正)
http://www.nsc.go.jp/anzen/sonota/houkok
u/bousai200307.pdf
4. 原子力安全委員会「環境放射線モニタリング
指針」(平成 20 年 3 月)
http://www.nsc.go.jp/anzen/sonota/houkok
u/houkoku20080327.pdf
5. 厚生労働省医薬局食品保健部監視安全課「緊
急時における食品の放射能測定マニュアル」
(平成 14 年 3 月)
6. 食品安全委員会「放射性物質に関する緊急と
りまとめ」(2011 年 3 月)
http://www.fsc.go.jp/osirase/annai375.ht
ml
7. 毎日 JP「福島第1原発:汚染水対応 班目氏、
「知識持ち合わせず」」(2011.3.29, 0:07)
http://mainichi.jp/select/science/news/2
0110329k0000m040183000c.html
8. 毎日 JP「福島第1原発:土壌からプルトニウ
ム 建屋外にも汚染水」(2011.3.29, 1:18)
http://mainichi.jp/select/weathernews/20
110311/news/20110329k0000m040192000c.htm
l
9. 産経ニュース「作業員の被曝量引き上げ、福
島原発事故で厚労省」(2011.3.15 23:05)
アメリカの軍・産・学複合体の形成と
アルフレッド・L・ルーミスの役割
―これからの研究計画として―
日野川静枝
1.はじめに―なぜ、今、軍・産・学複合体形成史
研究に向うのか―
科学史・技術史から社会制度史へ
私はこれまで、巨大科学の特徴を明らかにしよう
として、その起源と位置づけられる1930年代の
サイクロトロン開発史を調べてきました。その過程
で、サイクロトロンの発明地アメリカでなされた第
2 次世界大戦中の原爆開発を、集団的作業によって
調べることもおこなってきました。こうした調査過
程において、アメリカ社会における科学や技術の在
り方が日本とは異なることに気づいてきました。
具体例をあげれば次のようなものがありました。
マサチューセッツ工科大学(MIT)の学長カー
ル・コンプトン文書を調べた時、彼とデュポン社社
長との交流が家族ぐるみのものであり、産・学の結
びつきの深さを実感させられました。さらに、ロッ
クフェラー財団の資料調査においては、それまで考
えていた財団のイメージを大きく転換せざるをえ
ませんでした。巨大財団であるロックフェラー財団
は、研究者の主体性を尊重してあくまでも援助に徹
するような慈善団体ではありません。彼らは独自の
研究政策をもち、潤沢な資金をもって、まさに研究
機関の人事にまで影響力を及ぼしながら、科学研究
を投資の対象としているような存在だったのです。
特に公衆衛生制度や教育・研究制度などにも、つま
り公共の政策にもその財源提供によって深く関与
することができたのです。ひるがえって日本にはこ
のような財団が、これまでに存在したことがあるで
5
『アメリカの
しょうか。
科学や技術の社会における在り方の違いを、これま
では科学自身、技術自身の変化の視点から調べてき
ました。つまり、科学研究の大規模化が社会におけ
る科学の在り方を変化させたと考えていました。し
かし今私は、科学や技術の社会における在り方を、
その社会制度の成り立ちに遡及して、その根源から
追求することが必要なのではないかと考えはじめ
ています。この社会制度史的な視点を加えることな
しに、20世紀アメリカにおける科学研究の大規模
化が、なぜ軍・産・学複合体形成の一因になるのか
を解明できないと考えています。またこの視点は、
科学・技術によって引き起こされる諸問題の原因を、
科学者や技術者という個人の思想と行動に帰着さ
せるのではなく、彼ら自身が属している研究機関を
含めた社会制度そのものの内包する矛盾として理
解させるに違いない、と確信しています。その結果、
軍・産・学複合体を必然的に生みだすような社会制
度のなかに生きていることを自覚することによ
って、科学者でもない・技術者でもない大多数のひ
とびとが、科学や技術を統御するさまざまな方法を
見出すだろうと期待しているのです。歴史の主体で
ある大多数のひとびとのこうした思想と行動なし
に、オバマ大統領の打ち出した人類史的ビジョン
「核なき世界」の実現はありえないと考えています。
2.アメリカ社会の特殊性―「研究促進体制」につ
いて―
紹介:オリヴィエ・ザンズ著『人間科学叢書41
アメリカの世紀―それはいかにして創られたか?
―』(有賀貞・西崎文子共訳、刀水書房、2005
年)
私が断片的に垣間見ましたようなアメリカ社会
における科学や技術の在り方の特殊性は、どこから
生まれたのでしょうか。ここに1冊、とても参考に
なる書籍があります。オリヴィエ・ザンズ著『人間
科学叢書41 アメリカの世紀―それはいかにし
て創られたか?―』(有賀貞・西崎文子共訳、刀水
書 房 、 2 0 0 5 年 ; Olivier Zunz, Why the
American century, The University of Chicago
Press, Chicago 1998. )です。その内容を紹介し
ながら、ザンズの説を検討してみましょう。
以下に、ザンズのアメリカ現代史観を示す文章を
引用します。
「第2次世界大戦の終了までに、さまざまなエリ
ートの活動の結果として、アメリカは世界的な大
衆社会における覇権を握ることができる地位に
立った。新たな組織の技法と新たな社会秩序の原
理とをもって、彼らは彼ら自身の大衆社会を潜在
的な混乱から救出したと信じた。彼らの理念とプ
ログラム、その特質はアメリカ人の経験から引き
出されたものであるが、それらがこの本で扱うこ
とがらである。私の目的はいかにして『アメリカ
の世紀』(アメリカン・センチュリー)が形成さ
れたかを明らかにすることであって、いかにして
6
『アメリカの平和』(パクス・アメリカーナ)が
実行に移されたかを、商業的観点からであれ軍事
的観点からであれ、改めて語ることではない。私
はアメリカ人の目には彼らの世界への干渉を正
当化するイデオロギー的な構成物である『アメリ
カの世紀』を、それを実現するための行動である
『アメリカの平和』から画然と区別して考える。
しばしば混同されて用いられる『アメリカの世
紀』と『アメリカの平和』という2つの概念を区
別することにより、私は、いかにして前者がやが
て後者を支持することができたのかを示そうと
する。アメリカ人は、第2次世界大戦から復興し
ようとしている世界に『アメリカの世紀』を押し
付けようとする前に、その『アメリカの世紀』が
必要とするイデオロギーを実際に構築していた
のである。」(訳書,PP.5-6; 原書,P.xⅰ.)。
ザンズは、こうした「アメリカの世紀」の前提
条件として、大企業・研究指向大学や研究所・
政府機関・財団の間で新たに創り出された研究促
進のための「機関連環(institutional matrix)」
の形成に着目します(訳書,P.6; 原書,P.xⅰ.)。
ちなみに、訳本ではこの institutional matrix
に「研究促進体制」という言葉があてられていま
す。ザンズは、本書の「第1章 知識を生産する
者、仲介する者、使用する者」で、「研究促進体
制」について本格的に論じています。序章では、
次のように簡潔に述べられています。
「私の第1の課題は、大企業、政府、そして拡大
する高等教育部門が19世紀末から20世紀初
頭にかけて新しいアメリカを作り上げ、それを運
営するためにパートナーシップを形成した方法
を理解することである。大企業・研究指向大学や
研究所・政府機関・財団の間で新たに創り出され
た研究促進のための機関連環・・・が形成された
ことにより、知識の生産者、仲介者、および使用
者が初めて全面的に相互に影響を及ぼし、ともに
知識獲得のための一連の戦略を発展させた。彼ら
の間での提携関係は1920年代までにすでに
できあがっており、この世紀を通じてその力を増
大させたのである・・・。これらの機関の間の連
環形成による研究促進は『アメリカの世紀』の前
提条件である。なぜなら、それは単に資本蓄積の
ためにではなく、アメリカ人に国内での繁栄をも
たらし世界のなかでの存在を強めるための、知識
の再構成であったからである。この制度的な革新
こそが、第1次世界大戦中の大きな軍産複合体の
形成を、技術に基礎をおいた消費者経済の創造を、
そして膨大な消費の拡大を容易にしたのであ
る。」(訳書,P.6; 原書,PP.xⅰ-xⅱ.)。
それではさっそく、
「第1章 知識を生産する者、
仲介する者、使用する者」から、ザンズの着目す
る「研究促進体制」についてもう少し詳しく検討
することにしましょう。このような体制がいかに
して生まれ、どのような役割を果たしたと、ザン
ズは考えているのでしょうか。
彼は、その起源が1870年代にあるとして、次
のように述べています。
「アメリカ人が物質世界の知識を市場や軍事に
おける利点に変える、ますます洗練されていく
能力を獲得し、ヨーロッパ人の経済、科学、技
術における先進的地位に挑戦するようになっ
たとき、『アメリカの世紀』の基礎が築かれた
のである。1870年代から、アメリカ人はこ
の能力を高めるために、研究を促進する大きな
制度的基盤「研究促進体制」を作り始めた。富
裕な実業家からの巨額の寄付を受け、伝説的な
大学企業家によって運営されたジョンズ・ホプ
キンズ大学(1876年)やシカゴ大学(18
92年)のような野心的な研究指向の大学は、
この時期に形成された新しい機関のネットワ
ークのなかの、より目立った部分にすぎなかっ
た。そのネットワークには連邦政府および州政
府の財政援助をうけたランドグラント・カレッ
ジ(訳注―州が農業などの産業発展に資するカ
レッジを設立する際の財源として、連邦が州内
にある連邦の公有地を州に提供する制度によ
って設立されたカレッジ)や農業試験場、工学
専門の単科大学、大小さまざまな会社の研究所、
私立および公立の財団などが含まれていた。こ
の研究促進体制は、アメリカ人が新たな市場を
探求し2つの世界大戦のために国の資源を動
員したことにより、20世紀前半を通じて力を
強めた。知識の組織体としてのこの体制は、異
なった研究分野の研究者と研究機関とが緊密
に協力することを可能にしたのである。」
(訳書,
PP.16-17; 原書,P.4.)。
さらに、この「研究促進体制」の効果がいかに重
要なものであったかを、次のように述べています。
「このアメリカの体制(the American matrix)は
きわめて重要な利点を有していた。それは融通
性があり、産業家(industrialists)、管理者
(managers) 、 科 学 者 (scientists) 、 技 術 者
(engineers) 、 独 学 の 発 明 家 (self-taught
inventors) 、 そ の 他 の 企 業 家 (other
entrepreneurs) が さ ま ざ ま な 機 関
(institutions)を移動することを許すもので
あった。それらの人々はヨーロッパでは、われ
われがこれからみるように、ばらばらに分かれ
ており、相互に孤立していたのである。これら
の立場の異なる人々が交流する際には、摩擦対
立がないわけではなかったが、交流によってそ
れぞれが活力を得た。この体制のなかで活動す
ることにより、アメリカ人は科学を国民の日常
の経済生活に統合することができた。それによ
りまた彼らが家庭やその他の場所での生活の
質を改善するための資源と方法をもっている
という自信を彼らに与えた。成功に元気づけら
れて、アメリカ人はついには、このシステムを
他国の人々も見習うべきモデルとして世界に
売り込むようになるのである。」(訳書, P.17;
原書,P.4.)。
結局、ザンズは、アメリカの特殊性を次のように
7
まとめています。
「・・・19世紀にはドイツに留学した1万人以
上のアメリカ人学生がおり、そのなかの科学者た
ちはドイツの科学研究の文化に深い感銘を受け
たが、アメリカ人は科学と産業とのより流動的な
相互交流という彼ら自身の方式を編み出した。そ
れはやがて非常に効果的であることが判明する
のである。アメリカにおける科学と産業との協力
は、大学のなかにいる研究者とその外にいる研究
者とが機関(institutions) の垣根なしに交流す
る、自発的で、契約的で、しばしば予測できない
が、しかし強力な関係として、年月をかけて発展
したものである。アメリカ方式(the American
system)の特徴は、研究促進体制(the matrix)を
構成するどの1つの部門も他の諸部門との顕著
な交流なしに真に成功することができず、技術革
新者はこの体制のどの部門にいても体制を動か
す機動力になれることであった。その結果、アメ
リカ人は知識を生産する者(producers)、仲介す
る者(brokers)、使用する者(users)という3者の
提携のなかから、先例のない水準の創造的な活力
を 引 き 出 し た の で あ る 。」( 訳 書 ,P.20; 原
書,PP.6-7.)。
それではこの「研究促進体制」が、いかにして軍
部をも取り込むことになったのでしょうか。ザンズ
はまずエルマー・スペリー(Elmer Sperry)を例にし
て、その典型を示します。独学の発明家であるスペ
リーは、19世紀後半から末にかけて電気工学から
電気化学の研究へと進みながら、発電機の改良や自
動車の蓄電池の開発をおこなってきました。20世
紀初頭になるとスペリーは、飛行機や船舶の安定性
の問題に取り組み出して、1910年にはジャイロ
スコープ製造会社(the Sperry Gyroscope Company)
を組織します。この会社はやがて、第1次世界大戦
の際の軍事動員のための「頭脳工場(“brainmill”)」
となり、またスペリー自身も海軍諮問委員会(the
Naval Advisory Board)に加わるよう要請され、他
の産業研究の指導者たちとともにその委員会に加
わ り 、 最 初 の 産 業 - 軍 部 複 合 体 (the first
industrial-military complex)の構築者の1人と
なりました。ザンズは、「彼の新しい活動は不可避
的に軍部との協力へと彼を導くことになった」と述
べています(訳書,PP.31-32; 原書,PP.15-16.)。
ザンズは、第1次世界大戦が研究促進体制の強化
に与えた影響を、さらに2つ指摘しています。1つ
目は、全米研究評議会(NRC)を通じて財団が大
きな役割を担うようになる変化です。次のように述
べています。
「第1次世界大戦のための動員はさらに2つの
方途で研究促進体制を強化した。その第1は新たに
創 立 さ れ た 慈 善 事 業 の 財 団 (philanthropic
foundation)が科学的技術的事業に資金援助できる
方法を整えたことであった。戦時中、全米研究評議
会(the National Research Council)は諸会社に国
内各地の大学における基礎研究を助成するように
要請しただけでなく、財団にも働きかけた。これら
慈善団体は、政治や利潤追求とは関わりなく知的発
展の方向を形成したいという希望のもとに、高邁な
行き方をとっていたが、財団は助成したいと思うよ
うな水準の才能の持ち主と密接な関係をもってい
なかった。NRCは創設されるとすぐに、全国の広
範な分野に及ぶもろもろの研究機関と交流するこ
とができる中央委員会を立ちあげた。ようやく財団
はそれに依存して、科学者コミュニティと恒久的な
結び付きをもつようになった。著名な科学者たちが
最初の財団からの援助を引き付けたが、やがて研究
者たちが財団から得られた資金をもって研究所の
建設や大学院生の研究生活を支えるようになると、
財団からの助成の受益者の数は急速に増加した。財
団はこのようにして、かつてカーネギーを悩ませた
未発見の『比類なき人物』を探し求める面倒から解
放された。それと同時に財団の資金提供は次世代の
科学者たちを訓練することを助けた。」
(訳書,P.33;
原書, PP.16-17.)。
その2つ目は、同じくNRCを通じて科学者や投
資家(inventors)が軍とのつながりを強めたという
ことです。
「科学者と投資家とが軍部とのつながりを強め
たのも、NRCを通じてであった。第1次世界
大戦はそれゆえ軍部を、少なくとも一時的に、
研究促進体制の完全な構成者にする上での転
機となった。陸軍省が最初ライト兄弟との協力
を拒否したときに示したような消極的態度は
姿を消した。海軍はスペリーの発明を歓迎した。
海 軍 は ま た 、 そ の 組 織 構 造 (organizational
structure) と 資 金 的 資 源 (financial
resources)を無線通信におけるアメリカの優
位を獲得するために用いた。この分野では、商
業的ラジオの推進者たちは軍部の先導に追従
した。彼らのなかで、デイヴィッド・サーノフ
(David Sarnoff)はロシア移民であり、海軍が
まだほとんど唯一の無線の顧客だった時代に、
無線通信を手掛けた独学の発明家の1人であ
ったが、彼はアメリカのすべての家庭が1台の
無線受信機をもつことを夢見ていた。サーノフ
は1920年代には大企業社会の階段を上り
詰めることに成功した。彼はアメリカ・ラジオ
会社(the Radio Corporation of America)を、
援助を受けてきた海軍および諸会社から独立
させ、そしてついには科学(science)と実業
(business)と軍部(military)とを結び付ける
堂々たるラジオ帝国を作り上げた。戦争を戦い
抜くことと消費社会を拡張することとが同じ
科学的技術的事業(the same scientific and
technological venture)の部分となったとき、
そ れ は わ れ わ れ の 時 代 の 軍 産 複 合 体 (the
military-industrial complex) 形 成 の最終的
な準備となったのである。」(訳書,PP.34-33;
原書,P.17.)。
ザンズは、こうした「研究促進体制」のもとで活
動する人々についても検討しています。その結果、
8
しばしばいわれているアメリカ人の普遍的な特徴
として強調される「実際性」も、じつはこの「研究
促進体制」が生み出しているのだと、次のように強
調しています。
「実際性(practicality)がアメリカの国民性の産
物であると主張するより重要なことは、この新
しい体制(the new matrix)のなかで働くことが
研究者の生活に影響を及ぼし、アメリカと他の
国との真の違いを生み出したという事実なの
である。研究促進体制は一度形成されると、そ
のなかで相互に働きかける人々すべてに新た
な可能性を与えた。人事交流はより頻繁になり、
博士号取得者の数は増加し、情報伝達の経路は
より確実になり、製品はより多様化し、科学は
より洗練されたものになった。言い換えれば、
アメリカ人は実際的ということの意味を変容
させる知識の近代的制度を作り上げたのであ
る。」(訳書,P.36; 原書,P.19.)。
ザンズはさらに、こうしたアメリカの「研究促進
体制」がジョン・デューイ(1859-1952)などのプラ
グマティズムが適合する社会制度を提供した、と考
えています。同時に、「20世紀の科学の有力な部
分は、現象を説明するための法則のもっとも単純な
組み合わせを探求するという意味において、演繹的
にな」り、「新しい物理学はとくに、われわれの常
識的な経験の理解から科学を切り離し、数学の定理
化とともに早くから始まっていた傾向をさらに強
めることになった」と判断します。その結果、「ア
メリカ文明にとって研究促進体制がもつ意義につ
いて、他の誰よりも、よく理解していた」デューイ
は、「彼の真の目的、関連性の発見としての科学と
実世界の鏡としての科学との間にある昔からの混
乱に終止符をうつことに失敗し」、
「1930年代末
までには、彼は多くの陣営から攻撃されるようにな
っ た 」 と 述 べ て い ま す ( 訳 書 ,PP.40-41; 原
書,PP.21-23.)。
こうした思想史的側面を述べた後で、ザンズはこ
の「第1章 知識を生産する者、仲介する者、使用
する者」を、次のように結んでいます。
「ジョン・デューイが『われわれはどのように考
えるか』を1910年に著したとき、アメリカ
人は大量消費社会(massconsumption economy)
の形成に向かう道をすでに進んでいた。アメリ
カ人の研究促進体制の誕生についてはすでに
説明したが、この体制(their institutional
matrix of inquiry)は市場および軍事的必要か
らの圧力のもとでひたすら発展を続け、研究へ
の参加者の間での声高の戦いにほとんど妨げ
られることなく、新しい研究の枠組みを提供し
続けたのである。」(訳書,P.41; 原書,P.23.)。
私は今、この体制が誰の目にも明らかとなってい
る人類史的課題、すなわち地球環境問題と核兵器
問題とを生みだした元凶と考えています。それゆ
えにこそ、大量生産・大量消費の生活スタイルを
変え、核兵器のない世界を作るためには、この「研
者たちは、・・・自己実現を求めて努力する際に、
個人的充足の追求よりも相互の連帯を優先させる
集団的行動に軸足を置くようになった」と述べてい
ます。
興味深いことにザンズの考察は、戦後日本社会の
形成にも及びます。「第Ⅳ部 アメリカの原則の輸
出」の「第8章 個人主義と近代化―日本における
アメリカの実験」では、「この知識主導・市場指向
の、多元的なモデルの輪郭を設定した中流階級の主
流的アメリカ人たちは、・・・自分たちの原則を輸
出することによって繁栄を達成しようと試みた。そ
の後のできごとが示したように、彼らはこのような
計画を実行する際の困難を著しく過小評価した。私
はそれゆえ、戦後日本の再建の歴史をもって締めく
くることにする。なぜなら日本はアメリカの複製を
海外に作るための実験場というべきものになった
といいうるからである。・・・日本は、アメリカ人
が戦間期に自国において構築したモデルを自らど
のように理解していたかを知るために、私が見つけ
ることのできるもっとも純粋なケースだからであ
る。日本の事例をとりあげることにより、私は『ア
メリカの平和』の達成に際して、
『アメリカの世紀』
が再規定されていく、その方法をみようとするので
ある」と述べています。最終章は、「第9章
不確実性のもつ力」です。そこでは、「われわれの
理念(our ideas)の輸出を政治的に制限するものは
ほとんど存在しないが、新しいヨーロッパ、そして
アジア世界は、それらの理念を自らの目的追求のた
めに取り込みつつも、それらに挑戦している。そし
て、われわれアメリカ人も、これらの理念が何であ
るのか、そしてアメリカ式の解決方法が、世界全体
にとって妥当なものであると主張してよいのかと
いった問題に対し、真剣に考え直しつつある」と、
現 状 を 分 析 し て い ま す ( 訳 書 ,PP.246-247; 原
書,P.188.)。
究促進体制」の歴史的解明が不可欠と考えている
のです。以上、ザンズの着目する「研究促進体制」
について検討してきました。そして少なくとも今
の私は、1930年代のサイクロトロン開発史研
究や第2次世界大戦中の原爆開発史研究から、こ
のザンズの着目した「研究促進体制」をアメリカ
の特殊性とみなせるのではないかと考えていま
す。
最後に、
「序章 『新しい巨人』」
(訳書,PP.7-9; 原
書,PP.xⅱ-xⅲ.)から、第1章以降の本書の全体構
成を簡単に紹介しておきましょう。
「第Ⅰ部 『アメリカの世紀』の始まり」の「第
2章 社会的知性の道具の選定」、
「第3章 平均的
アメリカ人の創出」、ここで述べられていることは、
「社会科学者たちはこの研究促進体制のさまざま
の場所から社会工学と政策指向の研究を促進した。
社会的知性への新たなる信念を見いだして、彼らは
大衆社会を組織するための生のデータを提供する
行動研究の技法を開発し、そして統計学的手法を人
間について考える方法に利用した。・・・戦間期に
社会科学者によって行われた何百という調査や研
究から生まれた抽象的な『平均的』中流階級のアメ
リカ人・・・」についてです。
さらに、「第Ⅱ部 市場の社会契約」の「第4章
消費者の創出」、「第5章 階級の非急進化」では、
「中流階級は『アメリカの世紀』の看板となっ
た。・・・中流階級の拡大を国民的計画とすること
により、アメリカの政策策定者たちは、巨大市場へ
の大衆の全面的な参加を民主的な権利とみなした
だけでなく、そのような参加は19世紀的なブル
ー・カラーとホワイト・カラーという区別を曖昧に
するとともに、理論的に階級観念から急進的要素を
除去できるはずの市場モデルに、信慿性を与えるた
めの効果的な方法になると考えたのである」と。ザ
ンズは続けて、「このモデルはアメリカの指導の下
に、戦後世界の経済秩序のモデルとなった。その創
造を探究することにより、私は会社の経営者、労働
界の指導者、政府の官僚が、戦間期に社会契約に奉
仕するために市場を利用しようとした大量消費政
策に焦点を当てたいと思う」、と述べています。
「第Ⅲ部 攻撃されるアイデンティティ」の「第
6章 自発主義から多元主義へ」では、「幅広い中
流階級の形成を市場的解決策に委ねることには、痛
切に感じられた限界があった」として、その対応と
して「20世紀のアメリカ人は『多元主義』に、あ
らたな官僚組織をもつ大衆社会のための1つの解
決を、重大な弱点をもっているものではあったが、
見出したのである」と指摘しています。具体的には、
アメリカの教会の多様性に注目して、それらが「大
衆社会において独自の自己意識、特徴、政治的傾向
を維持できる共通の場となった方法を考察」してい
ます。
「第7章 拡大する政体」では、
「しかし教会
は、実業、教育、あるいは政治のための機関よりも、
差別を撤廃することに優れていたわけではない。結
局は、「アフリカ系アメリカ人、女性、そして労働
3.アルフレッド・リー・ルーミス(Alfred Lee
Loomis, November 4, 1887-August 11, 1975)につ
いて
ザンズの指摘している「研究促進体制」という概
念は、「アメリカの世紀」の前提条件として、大企
業・研究指向大学や研究所・政府機関・財団の間で
新たに創り出された、さらには軍部をも含めた研究
促進のための機関連環(institutional matrix)と
規定されています。本書を初めて読んだときには、
私は目から鱗が落ちるような思いがしました。まさ
にこれが、アメリカ社会における科学や技術の在り
方を規定しているアメリカの特徴と、実感できたか
らです。現在は、アルフレッド・リー・ルーミスの
役割に注目しながら、1930年代末から第2次世
界大戦中のバークレーにおける「研究促進体制」が、
具体的にいかなる展開を見せるのかを明らかにし
ようとしています。それは、言い換えれば、バーク
レーのカリフォルニア大学の変貌そのものです。な
ぜなら、ルーミスこそ、その経歴からザンズのいう
「研究促進体制」のなかの種々のグループを結びつ
9
所で働きだす。Ellen Farnsworth と結婚する。Ellen はボストン社
交界の有名な家系の出身で、ルーミスのハーバード時代の級
友の妹。
1917年第一次世界大戦で、兵役に就く。メリーランドのアバディーン
試験場で砲口速度を測定できる最初の携帯用装置(アバディー
ルーミスの伝記的資料をあげてみましょう。
ン・クロノグラフ)を発明した。ここで、ジョンズ・ホプキ
(1). Jennet Conant, Tuxedo Park- A Wall Street
ンズ大学の物理学者 Robert W. Wood と出会う。ウッドの影響によ
Tycoon and the Secret Palace of Science That
って、発明や小道具類 (gadgetry)への長年続くルーミスの関心
Changed the Course of World War Ⅱ , Simon &
が、実験的かつ実際的な物理学の熱心な探求へと発展すること
になる。法律家をやめて、科学と発明をおこなえる財源づくりを目
Schuster Paperbacks, New York, 2003.
指す。
(2). Luis W. Alvarez, “ Alfred Lee Loomis
1920年イェールの同窓生である、ルーミスの妹(Julia)の結婚相
1887-1975 ” , National Academy of Sciences.
手とな
手となった富裕な Landon Ketchum Thorne をパートナーとして、投資
会社 T
Thorne, Loomis & Company をつくる。それまで Thorne は Bonbright
Biographical Memoir, Vol. 51(1980), pp. 308-341.
& Company で有望な公債・社債の販売員をしていた。彼らはその倒
National Academies Press, Washington D. C.
産寸前の Bonbright & Company を買収し、公益事業に特化した卓
http://books.nap.edu/books/0309028884/html/30
越する合衆国投資銀行をつくった。農村の電気インフラ整備に関係
8.html.
する、電気会社(electric companies)に融資することによって富を蓄
えた。ルーミスは、いくつかの銀行や電気公益事業(electric
(1)の著者ジネット・コナントは、1933年か
utilities)の重役にもなった。彼らは、合衆国の東海岸に展開してい
ら第2次世界大戦中のハーバード大学総長をつと
た多くの電気会社を合併させて、持株会社(the holding company)と
めたジェイムズ・ コナントの孫娘です。コナント
いう基本概念開発の先駆けとなった。ルーミスはさらに彼の財産
を、いまは違法であるインサイダー取引で殖やしていった。
の妻の弟である、彼女の大叔父にあたる化学者の
1929年の大恐慌を予測して、彼の投資のほとんどを現金に
William Richards は1930年代、タキシード・
換えていた。株価の大暴落が投機家のほとんどを破産
パークにあるルーミスの私設研究所に関係してい
に追い込んで、ウォール街が右往左往している間に、
ました。この大叔父の自殺(1940年)の原因を
彼は下落した株を購入して再投資し、さらに財産を殖
やすことに成功した。
解明することも、J.コナントの本書執筆の動機とな
1926年タキシード・パークで巨大なタワー・ハウスを購入して、豪華
っていたようですが、それ以上に興味深いルーミス
私設の物理学研究所をつくる。McKinley の副社長の孫、ルーミス
の伝記となっています。ちなみに、総長コナントの
の被後見人 Garret Hobart を研究所の管理者とした。Wood をはじ
め、1930年代初めには George Kistiakowsky、NASにルーミスの
妻は、ハーバード大学の化学の教授で、種々の元素
伝記を執筆した Luis W. Alvarez など多数の若手研究者がこのタワ
の原子量の精密測定をおこない、1913年には鉛
ー・ハウスのルーミスの研究所を訪問・滞在して研究している。研
の同位体を発見し翌年にノーベル化学賞を受賞し
究 テ ー マ は 、 spectrometry( 和 訳 ? ) 、 高 強 度 音 波 、
た Theodore William Richards(1868-1928)です。
electro-encephalography ( 和 訳 ? ) ,
精密な時間測定、
chronometry(和訳?)など。特にヨーロッパの科学者たちが合衆
著者の J.コナントは、こうした家系から、本書作
国訪問の機会をつくるよう、ルーミスは資金提供をおこなった。彼ら
成に未公開の個人的所有の資料も使用しています。
は、リムジンによる出迎えを受けてルーミスの研究所を訪問した。1
それゆえに、彼女の使用した資料の批判はなかなか
926年から1939年の間の宿泊者名簿には、国内の研究者だけで
なく、アインシュタイン、ハイゼンベルグ、ボーア、J. フランク、フェ
困難です。しかし私は、少なくともバークレーのバ
ルミなどの外国からの研究者の氏名も記されている。周りからの
ンクロフト図書館に所蔵され公開されているルー
「一風変わった道楽もの」というルーミスへの認識は変化し、ルーミ
ミス関係の資料について、彼女の引用方法が非常に
スの研究所で当時の最も専門の科学者たちが会合を持つようにな
正確であることを確認しています。
った。彼の持つ富、人脈、そして魅力が非常に説得的であった。ル
ーミスはMITの Corporation のメンバー(いつから?)でもあった。
(2)の執筆者であるアルヴァレズは、1936年
1930年代 ルーミスたちの関心は、マイクロ波(極超短波、波長1メート
以降バークレーのカリフォルニア大学放射線研究
ル以下の電波)を使用する無線検出装置にむかった。企業として
所に所属し、戦時中はMITにおけるレーダー開発
は、Sperry Gyroscope 社が航空機検出や計器着陸システムの開
発を進めていた。マイクロ波の発振管クライストロン開発は、スタン
とマンハッタン計画の原爆開発の双方にかかわり
フォード大学の W. Hansen と R. Varian, S. Varian の兄弟たちが
ました。ルーミスとは、親密な交流をもっていまし
推進していた。ルーミスたちは、Sperry Gyroscope 社やスタンフォ
た。この2種類の伝記とインターネットからの資料
ードの研究者たちと密接につながっていた。
(2009/11/19 検索,
1939年バークレーの184インチ・サイクロトロン開発の共同責任者とな
る。
http://en.wikipedia.org/wiki/Alfred_Lee_Loomis)
1940年代 誰よりもよく無線探知(radio detection)に通じ、交友関係から
によって、下記のようなルーミスの略年譜を作成し
も K. コンプトンやブッシュと親しかったルーミスは、国防研究委
ました。
員会のレーダー部門(部門D)の責任者となった K.コンプトンから、
特殊マイクロ波委員会(the special microwave committee)(D-1
課)の議長となるよう依頼された。MITの Edward Bowles、Bell 電
アルフレッド・Lee・ルーミス(1887-19
話会社の Ralph Bown、Sperry Gyroscope 社の Hugh Willis と、
75)の略年譜
1940年7月14日にタキシード・パークで最初の会合をもった。「最短
1887年11月4日、ニューヨーク市で生まれる。父(Dr. Henry Patterson
時間で、マイクロ波の最も効果的な軍事利用を得るために、研究、
Loomis)は、有名な内医。ルーミスの幼少時に父母が離婚し、父
発明、そして開発を組織しかつ調整するために。」(J. Conant,
はルーミスが大学生時代に死去した。ルーミスの母方のいとこ
P.169.)
が、第2次世界大戦においてアメリカの陸軍長官となるヘンリ
ー・L・スティムソン(1867-1950)。母の名は、Julia Stimson とい
う。
4.当面する具体的な課題
1905年イェール大学入学、数学と科学の学業に秀でていた。
1912年ハーバードのロースクールを優等で卒業する。イェールからハ
ーバードへと、スティムソンと同じコースを歩む。弁護士資格を
当面する調査テーマは、バークレーの184イン
取得後に、Winthrop & Stimson というスティムソンの法律事務
ける役割を果たせる重要人物、と考えられるからで
す。
10
チ・サイクロトロンの開発にかかわった、ルーミス
の役割を明らかにすることです。
184インチ・サイクロトロンの開発は、ロック
フェラー財団の科学研究政策の一環として、100
万ドルを越える財団の支出金を得て実施されよう
としたものです。これまでの調べによって、それが
ロックフェラー財団の威信をかけたプロジェクト
として、中間子の人工生成を可能とする加速器の実
現を目指していたことが明らかとなりました。この
調査過程で、ロックフェラー財団自然科学部長ワレ
ン・ウィーヴァーの日誌によって、ウィーヴァーと
親密な交流のあった人物としてルーミスの名前が
登場してきました。しかし、ルーミスなる人物がい
かなる人物かは気になりながらも未解明のまま放
置して、ロックフェラー財団側からの調査に終始し
てきました。
2009年春に、拙著に使用する写真資料の調査
でバークレーを訪ねた際に、J.コナントの著書を初
めて知りました。さらに2010年夏の調査では、
バークレーのバンクロフト図書館所蔵のローレン
ス文書から、ローレンスとルーミスとの密接な関係
を明らかにすることができました。また同時に、J.
コナントによる資料の引用方法の正確さも確認で
きました。
現在考えている今後の調査ポイントは以下のよ
うなものです。
(1).184インチ・サイクロトロン建設決定(1
940年春)から国防研究委員会設立(1940年
夏)前までの期間:
両者の交わした手紙(交信記録)は膨大であり、
これら手紙の内容から、184インチ・サイクロト
ロンの建設に当たっては、ルーミスはローレンスと
並んで建設の共同責任者とみなされていたと考え
られます。
a.1940年3月29日(金)、バークレーでの
184インチ・サイクロトロン検討の会合
この会合までに形成されていた、ロックフェラー
財団ワレン・ウィーヴァーとルーミスとの関係、M
ITとルーミスとの関係、またMITの K.コンプ
トン、V.ブッシュ、そしてハーバードのJ.コナン
トとルーミスとの関係などが解明されなければな
りません。後に原爆開発に関係する科学行政官たち
が一堂に会して、この日撮影された写真に写ってい
ます。
b.1940年5月21日(火)、ワシントンのカ
ーネギー研究所で、ブッシュの呼びかけによるウ
ラン235に関する兵器実現可能性の検討会議
資料によれば、この情報をローレンスはルーミス
から知らされています。ルーミスは、軍人の参加
もあるだろうと述べています。ここから、ブッシ
ュなどに繋がるルーミスの位置づけがローレンス
などと異なることが判明します。ブッシュの資料
から、この会議内容をまだ明らかにできていませ
ん。この会議の結果、カーネギー研究所は5月2
11
3日のカーネギー研究所執行委員会をへて、ウラ
ンの核分裂に関する国防研究プロジェクトに20,
000ドルの援助決定をします(J.コナント著
書、PP.162-163.)。
c.184インチ・サイクロトロン建設決定から、
実際の建設に向けての活動
資料によれば、ルーミスは、鋼・銅などの資材入
手先の企業を紹介すると同時に、交渉を仲介して
います。他に電力供給装置納入業者、建物建設業
者の紹介もしています。ただし、実際の契約に際
してルーミスの影響がどのように作用しているか
は、現在未解明です。ローレンスがルーミスを信
頼しきっている有様は、交されたふたりの手紙か
ら跡付けることができます。これらの交信によっ
て、ローレンスがルーミスの現状認識(開戦必死、
戦争準備の重要性)に強く影響されて、次第に軍
事研究の必要性・重要性を自覚してゆく過程が明
らかとなります。
(2).国防研究委員会設立準備・設立後の経過:
184インチ・サイクロトロン建設におけるルー
ミスの直接的役割は、資材供給業者との契約成立も
あって、次第に低下していきます。それはまた、ル
ーミスが国防研究委員会のマイクロ波委員会(責任
者 K.コンプトン)における小委員会の責任者とな
ったことによって、必然的に生じた現象でもありま
す。ルーミスは、週の3日間はワシントンに滞在し、
他の日はタキシード・パークにある私設の研究所で
研究開発を監督する生活となります。彼の担当は、
大出力の高周波発振管開発でした。これは、バーク
レーのローレンスのもとでサイクロトロン用の大
出力高周波発振管開発を担当していたD.H.スロ
ーンやマーシャルの研究とも密接に関連すること
となります。
a.バークレーにおける国防研究委員会との研究
契約の実体
国防研究委員会の設立後、ルーミスはローレンス
に、国防研究委員会のもとでスローンたちの研究を
遂行する責任者とならないかと話を持ちかけてい
ます。残念ながら、このルーミスの打診に対するロ
ーレンスの明確な回答を記す手紙は資料中に見当
たりません。この時期の資料の限界ともみなせます
が、重要な用件については電話使用によって交信し、
文書を残してない場合も見受けられます。それゆえ
に、この件についてもローレンスの電話回答があっ
たのかもしれません。ともあれ、国防研究委員会か
らの研究費を得ようとルーミスに働きかけるロー
レンスの手紙は、文書資料として存在しています。
はたして、バークレーのカリフォルニア大学におけ
る研究契約の実態は、どのようなものであったので
しょうか。この解明は、バークレーのカリフォルニ
ア大学の変貌を、すなわちこれまで科学の軍事化の
過程として考察してきた事象を、ザンズの着目する
「研究促進体制」の展開として具体的に明らかでき
るのではないかと期待しています。
はざま
5.おわりに―やりたいことと、やれることの 間
で―
「資本は科学を創造しない、しかし資本は科学を搾
取し、科学を生産過程に取り込む。同時にそれにと
もなって、生産に応用される科学としての科学の直
接的労働からの分離[が生じる]。」
【マルクス著『マルクス・ライブラリ2 186
1年-1863年草稿抄 機械についての断章』
(中峰照悦・伊藤龍太郎 訳、大月書店、198
0年、P.264.)】
なお本稿は、科学史技術史研究所 第1回研究会(2
010年12月12日)において報告された内容に基
づいております。
我が国における研究不正
(ミスコンダクト)等の概観
——新聞報道記事から(その 1)——
菊地
重秋
はじめに
研究不正は研究における真実の習慣に反する行
為で、研究の土台を損ない、研究と研究者に対する
信頼を失わせる。2006年は研究不正に関する新聞社
説が15本以上も出され、研究倫理に関心が高まった
年だった。日本学術会議は21世紀に入って研究不正
に関する取り組みを進めてきているし、最近は研究
倫理に関するテキスト等も増えている。
しかし我が国では、研究不正の調査を行う公的機
関が設立されている米国と比べて取り組みが遅れ
ており、どのような研究不正がいつどこで発生した
のか、殆ど調査されていない。この種の調査が米国
のように行われれば、研究不正の予防に貢献できる
はずである。そこで、手許にある新聞記事のうち、
1997 年 10 月から 2003 年末まで(約 500 記事)を
整理することによって、研究不正の概観を得ること
とする。これらの記事は、主として大学等および公
的研究機関に関するものである。結果は研究倫理や
不正予防を考えるさいの参考資料として供したい。
次の表は整理した結果であるが、詳細は拙稿(文
献1)をご覧いただくようにお願いし、以下では重
大な研究不正を中心に概観したい。
12
表:研究不正等の事例件数(1997-2003年)
研究不正等の種類
件数
%
捏造・偽造・盗用
12
6.0
その他の研究不正
16
8.0
アカハラ
13
6.5
セクハラ
54
27.1
不適切な実験管理
22
11.1
研究費不正
32
16.1
医師の名義貸し
7
3.5
無届け兼業など
6
3.0
法律・条例違反
16
8.0
医療ミスなど
10
5.0
その他
11
5.5
合計
199
100
重大な研究不正——捏造・偽造・盗用
重大な研究不正とされる捏造・偽造・盗用につい
ては、拙稿の「表2:重大な研究不正(捏造・偽造・
盗用)の事例」とその説明にまとめたが、概要は次
の通りである。但し、事例1と事例10は作表の都合
で分けているので正味12件である。
(1)事例1は、既に著名な研究実績のある神奈川
歯科大学・教授による実験データ捏造のケースであ
る。教授は取材に対し、自分の仕事をアピールする
ため、と語ったようであるが、それが動機だとすれ
ば、研究不正はマイナス効果しかないため、筆者に
は信じがたい。
(2)事例2と事例10は、東北旧石器文化研究所・
副理事長・F氏が石器などを捏造したケースである。
日本考古学協会の調査によれば、捏造は1972年頃か
ら始めた可能性がある、動機は名声獲得の可能性が
ある、ということである。
関連して、石器などの捏造行為は埋蔵文化財行政
に甚大な業務妨害を引き起こした、とF氏は偽計業
務妨害で告発されたが、証拠不十分で不起訴処分と
なった(事例10)。
(3)事例3は、聖嶽洞穴遺跡の発掘調査に関する
もので、日本考古学協会の調査で「捏造判定は困難
(学術的価値なし)」と結論されている。捏造疑惑
を週刊文春に書き立てられた名誉教授が抗議の自
殺をするという痛ましい局面もあった。名誉教授の
遺族は、文春を名誉毀損で訴え、地裁判決で勝利し
ている。
(4)事例4は、拓殖大学・T教授が論文を30頁以
上も盗用して自分の著作に繰り込んだので懲戒解
雇されたケースである。驚いたことに、解雇されて
間もなく、T教授は芝浦工業大学に准教授として採
用されている。
(5)事例5は、東京歯科大学のK助手とT教授の共
著論文が盗用だったというケースである。盗用論文
を掲載した雑誌を発行している日本医師会は、この
二人に対し、しばらく学会誌投稿など自粛してもら
う、ということ(処分?)になった。
ここでは、T教授が「書いたのは助手だが、きち
んと確認しなかった」と語っている点に注目したい。
この言葉通りだとすれば、研究指導(メンタリング)
が不十分だったことになる。しかし、論文は盗用で
あるから、実際は、研究作業なし・研究指導なしで、
教授は助手が書いた論文に共著者として名前を連
ねるだけの名誉著者になっていた可能性がある。
(6)事例6は、東京大学・Y教授がコラム連載で
盗用(参考文献などの指摘がない無断使用)したケ
ースであるが、Y教授は謝罪文を掲載し、連載は中
止された。
(7)事例7は、琉球大学・医学部の教授と助手の
共著論文が盗用をしていたというケースである(同
学部の調査委員会が調査中)。盗用とは別に、論文
テーマは助手の専門研究分野であり、教授の専門研
究分野とは異なるので、教授には名誉著者の不正の
可能性がある。
(8)事例8は、1974年の日本分析化学研究所の捏
造(測定データ)のケースである。この捏造は国会
で発覚し政治問題となったということであるが、同
研究所は倫理規程を定めたらしいので、今後、可能
ならば調査を進めたい。
(9)事例9は、慶応大学・法学部・K教授が他人
のドイツ語の論攷を翻訳して自分の論文と偽って
雑誌に掲載したという盗用のケースである。K教授
は、大学から処分される前に引責辞任する意向だと
いうが、その通りになったとすれば、懲戒解雇でな
くなるため退職金は得たものと思われる。
(10)事例11は、金沢大学・医学部・保健学科・
教授が論文データなどを盗用したケースで、停職1
ヶ月の懲戒処分となった。
(11)事例12は、昭和大学・医学部・A講師が(教
授に昇進する前に)架空症例や虚偽データを含む論
文を複数発表したことが問題となった事例である。
大学の調査委員会は、誤記など一部にミスはあるが、
架空症例は認められず、捏造はない、と結論してい
る。これに対して朝日新聞記者は、取材に対するA
氏の回答と矛盾する部分や調査不十分な点が多く
疑惑払拭に至らず、と書いている。
(12)事例13は、名古屋経済大学・短期大学部・
現代コミュニケーション学科・助教授(スウェーデ
ン人)が8本の論文で盗用し、9本目は未遂に終わっ
たというケースである。9本目のとき、紀要の編集
担当者が盗用に気づき、調査の結果、8論文での盗
用が判明した。助教授は(大学から懲戒処分を受け
る前に)依願退職している。
以上の事例12件では、重大な研究不正が発覚した
場合、不正行為者に対して懲戒解雇などの厳しい処
分が下される傾向があるように見える。厳しい処分
が予想されるため依願退職に逃れるケースも含め
ると、不正確認9件中5件(56%)で不正行為者が職
(地位)を失っている。研究における最も重要な倫
理規範は「真実の習慣」であると思われるが、これ
に直接的に反する研究不正は重大であり、寛大に扱
われることは少ないようである。
13
その他の研究不正等
その他の研究不正16件のうち目立つのが、被験者
(患者)に対して十分な説明がなく、また被験者の
同意(同意書)がなく、検体を研究などに使用した
という事例で、半分の8件が該当している(インフ
ォームド・コンセントに関わる事例)。同様に目立
つのは、医療研究関係の事例で、16件のうち13件ま
たは14件が該当している。
アカハラ事例 13 件のうち 6 件で被害者側が「研
究妨害」の被害を訴えている点が注目される。研究
妨害は、研究者間の信頼関係を損なう行為で、特に
被害者の研究意欲をそぐものであって、看過しがた
い。
アカハラ事例 13 件のうち裁判になった事例が 10
件もあった点も注目される。
例えば、アカハラ事例 2 は、自分が引き立ててい
た非常勤講師が複数の女子学生に対するセクハラ
行為で雇い止めになったことに腹を立てた清泉女
子大学・K 教授が、大学に被害を訴え出た女子学生
たちと、女子学生たちから相談を受けた H 講師(非
常勤)に対し、報復したというものである。被害者
H 講師が提訴して勝利した。
アカハラ事例 4 は、原告の琉球大学・医学部・M
助教授が論文に上司の教授を名誉著者として連記
することを拒んだのがきっかけで、教授が研究妨害
などアカハラ行為を行ったが、それを大学は知りな
がら放置した、というケースである。地裁判決は、
教授のアカハラを一部認定したが、裁判(判決)で、
教授が名誉著者にせよと要求したことが肯定され
たか不明である。
医師の名義貸し、医局への不明朗な寄付金、研究
費不正などの場合、社会問題にもなって、政府が対
策などに乗り出した。
まとめ
新聞記事では、不正行為者の名前が伏せられてい
ることが少なくない(機関側が匿名で発表)、不正
の動機が不明な場合が多い、論文「取り下げ」(撤
回)が行われたのか不明な場合がある、不正行為者
の最終的処分が不明な場合がある等々、不明なこと
が多く残念である(不満が残る)が、傾向や概観は
得られると考えたい。
ここで注目したい点は、「名誉著者」及び「イン
フォームド・コンセント」に関する意識が弱いこと
である。名誉著者はいけないという新しい考え方、
インフォームド・コンセントが必要であるという新
しい事態への対応・理解が遅れていると思われる。
これは、見方を変えると、そのようなことを従来は
平気で行っていたことを示唆する。従って、研究倫
理(その変化)を、個々の研究者は積極的に学ぶこ
とが必要である。同様に、大学や研究所などの機関
は、従来のように個人任せ・師弟関係任せにせず、
機関として意識的・定期的に、講習会・授業などを
通じて、研究倫理を推進する必要がある。
て 100%有り得ず、判断によっているどこかにとんで
もない人々が噛んでいるとしか思えません。」
文献等
(1)菊地重秋「我が国における研究不正等の概観――新
聞報道記事から(その1)」『埼玉学園大学紀要 人間学
部篇』第9号283-291(2009)(正誤の注記:表2の脚注の
「表1」は正しくは「表2」である;表3の脚注の「表2」「表
1」は正しくは順に「表3」「表2」である;表4の脚注の「表
3」「表1」は正しくは順に「表4」「表2」である。)
http://www.media.saigaku.ac.jp/bulletin/pdf/vol9/hu
man/25_kikuchi.pdf
(2)山崎茂明著『科学者の不正行為——捏造・偽造・盗用
——』丸善株式会社(2002)
(3)Nicholas H. Steneck 著、山崎茂明訳『ORI
<参考2>大震災・原発事故に関連して出版物が web 上で
無料公開されています。
岩波書店の『世界』』『科学』の一部の今回の大地震・原発事
故関連の論文が当面無料公開されています。(2011/03/28)
http://www.iwanami.co.jp/company/index_i.htmlにアクセスし
て、直接論文がみれます。(PDFファイルに直接リンクしてい
ます) 『世界』2011 年 1 月号の特集「原子力復興という危険
な夢」のうち、次の 3 論文
マイケル・シュナイダー/田窪雅文訳「原子力のたそがれ
──米・仏・独のエネルギー政策分析から浮か び上がる再
生可能エネルギーの優位性」
明石昇二郎「原発輸出──これだけのリスク」
葉上太郎「原発頼みは一炊の夢か──福島県双葉町が陥っ
た財政難」
『科学』の次の 2 論文
青山道夫・大原利眞・小村和久「動燃東海事故による放射性
セシウムの関東平野への広がり」(1999 年 1 月号)
石橋克彦「原発震災──破滅を避けるために」(1997 年 10 月
号)
研究倫
理入門——責任ある研究者になるために』丸善株式会社
(2005)
福島原発事故関連
<参考 1>3.18日本学術会議での元原子力委員会委員
長代理田中俊一氏、本研究所ホームページでの投稿にも
しばしばあったように、東電・保安院らの事故対処体制
に問題があることを指摘・・・・・当日の講演 ppt より・・
講談社からは
『日本の原子力施設全データ』
(北村行孝・三島勇著 講
談社ブルーバックス 2001 年刊)一部公開)も無料公開さ
れています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
化学同人社の下記の関連論文も無料公開されています。
ベーシック薬学教科書シリーズ 12『環境』
(8:放射線
の性質と生体への影響)
『新人研究者・技術者のための安全のてびき』
(4 章:
放射性物質とX線の安全な取り扱い方)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
また、丸善発行の医療と放射線等の関連書も無料公開され
ています
朝日web新書
http://astand.asahi.com/webshinsho/feature/20110316
00008.html
朝日新聞社『地下街に津波が来たら』
朝日新聞社『巨大地震に強い住まいに』
朝日新聞社『科学で減らせ、巨大地震の被害』
朝日新聞社『阪神大震災 五つの教訓』
朝日新聞社『中越地震が示した五つの課題』
朝日新聞社『放射線から身を守るには』
豊岡亮、曽田幹東、長富由希子、三浦英之『原発震災 中
越沖地震は柏崎刈羽原発を直撃した』
田村隆、中川透『原発銀座 育たぬ産業』
http://kasai-chappuis.la.coocan.jp/NuclearPowerPla
nt/ppt/TANAKAToshikazu20110318.ppt
[現在の状況は極めて深刻である。東電、原子力・安
全保安院だけでは解決が不可能である。国の全ての
知恵と能力を結集することが必要である。
各省、各政府機関、研究機関、民間、専門家の能
力が一元的に機能していない。政府は、あらゆる知恵
と能力を活用できる体制を早急に構築し、緊急事態
に対処すべき。
Mitigation 策については、保安院+東電が主導し
ているか、官邸が主導しているのか、ともかく安全委
員会は蚊帳の外のようですので、安全委員会に向けて
働きかけても効果が無いようです。先ほど S 教授から
電話があり、この点について似たような話になりまし
た。
ニュートン
http://www.newtonpress.co.jp/newton/radiation/pdf/N
ewton_radiation.pdf
【放射線】どんな種類がある? 人体への影響は?
保安院が Mitigation 策を主導しているのかも知
れないが、声を届けようにもパスが開いていない、も
ともと役には立だないと思われていた JNES はまった
く何もしていないらしいし、JAEA の専門家の声はど
こにも届いていないのではないかと言われました。
大月書店
http://www.otsukishoten.co.jp/news/n2147.html
水蒸気爆発を懸念して SF プールヘの放水を躊躇
っていたという報道がありましたが、水蒸気爆発なん
14
震災後の心のケアに役立つ本&
『世界はどうなっちゃうの?~こわいニュースにおびえたとき』
(心をケアする絵本5)の全文を、電子データにて無料公開し
ました。
<参考3>
元原子力安全委員らが、「原子力の平和利用を先頭だっ
て進めて来た者」として国民に陳謝
福島原発事故についての緊急建言
はじめに、原子力の平和利用を先頭だって進めて来た者
として、今回の事故を極めて遺憾に思うと同時に国民に深
く陳謝いたします。
私達は、事故の発生当初から速やかな事故の終息を願いつ
つ、事故の推移を固唾を呑んで見守ってきた。しかし、事
態は次々と悪化し、今日に至るも事故を終息させる見通し
が得られていない状況である。既に、各原子炉や使用済燃
料プールの燃料の多くは、破損あるいは溶融し、燃料内の
膨大な放射性物質は、圧力容器や格納容器内に拡散・分布
し、その一部は環境に放出され、現在も放出され続けてい
る。 特に懸念されることは、溶融炉心が時間とともに、
圧力容器を溶かし、格納容器に移り、さらに格納容器の放
射能の閉じ込め機能を破壊することや、圧力容器内で生成
された大量の水素ガスの火災・爆発による格納容器の破壊
などによる広範で深刻な放射能汚染の可能性を排除でき
ないことである。 こうした深刻な事態を回避するために
は、一刻も早く電源と冷却システムを回復させ、原子炉や
使用済燃料プールを継続して冷却する機能を回復させる
ことが唯一の方法である。現場は、このために必死の努力
を継続しているものと承知しているが、極めて高い放射線
量による過酷な環境が障害になって、復旧作業が遅れ、現
場作業者の被ばく線量の増加をもたらしている。 こうし
た中で、度重なる水素爆発、使用済燃料プールの水位低下、
相次ぐ火災、作業者の被ばく事故、極めて高い放射能を含
む冷却水の大量漏洩、放射能分析データの誤りなど、次々
と様々な障害が起り、本格的な冷却システムの回復の見通
しが立たない状況にある。 一方、環境に放出された放射
能は、現時点で一般住民の健康に影響が及ぶレベルではな
いとは云え、既に国民生活や社会活動に大きな不安と影響
を与えている。さらに、事故の終息については見通しがな
いとはいえ、住民避難に対する対策は極めて重要な課題で
あり、復帰も含めた放射線・放射能対策の検討も急ぐ必要
がある。
福島原発事故は極めて深刻な状況にある。更なる大量の
放射能放出があれば避難地域にとどまらず、さらに広範な
地域での生活が困難になることも予測され、一東京電力だ
けの事故でなく、既に国家的な事件というべき事態に直面
している。
当面なすべきことは、原子炉及び使用済核燃料プール内
の燃料の冷却状況を安定させ、内部に蓄積されている大量
の放射能を閉じ込めることであり、また、サイト内に漏出
した放射能塵や高レベルの放射能水が環境に放散するこ
とを極力抑えることである。これを達成することは極めて
困難な仕事であるが、これを達成できなければ事故の終息
は覚束ない。
さらに、原子炉内の核燃料、放射能の後始末は、極めて困
難で、かつ極めて長期の取組みとなることから、当面の危
機を乗り越えた後は、継続的な放射能の漏洩を防ぐための
密閉管理が必要となる。ただし、この場合でも、原子炉内
からは放射線分解によって水素ガスが出続けるので、万が
一にも水素爆発を起こさない手立てが必要である。
事態をこれ以上悪化させずに、当面の難局を乗り切り、
長期的に危機を増大させないためには、原子力安全委員会、
15
原子力安全・保安院、関係省庁に加えて、日本原子力研究
開発機構、放射線医学総合研究所、産業界、大学等を結集
し、我が国がもつ専門的英知と経験を組織的、機動的に活
用しつつ、総合的かつ戦略的に取組むことが必須である。
私達は、国を挙げた福島原発事故に対処する強力な体制を
緊急に構築することを強く政府に求めるものである。
平成23年3月31日
青木 芳朗 元原子力安全委員 石野 栞 東京大学名誉教授
木村 逸郎 京都大学名誉教授 齋藤 伸三 元原子力委員長
代理、元日本原子力学会会長 佐藤 一男 元原子力安全委
員長 柴田 徳思 学術会議連携会員、基礎医学委員会。総
合工学委員会合同 放射線の利用に伴う課題検討分科会委
員長 住田 健二 元原子力安全委員会委員長代理、元日本
原子力学会会長 関本 博 東京工業大学名誉教授 田中 俊
一 前原子力委員会委員長代理、元日本原子力学会会長 長
瀧 重信 元放射線影響研究所理事長 永宮 正治 学術会議
会員、日本物理学会会長 成合 英樹 元日本原子力学会会
長、前原子力安全基盤機構理事長 広瀬 崇子 前原子力委
員、学術会議連携会員 松浦祥次郎 元原子力安全委員長
松原 純子 元原子力安全委員会委員長代理 諸葛 宗男 東
京大学公共政策大学院特任教授
福島原発事故に係る主な課題
当面の最重要課題は、大量の放射能を環境にださない工
夫をしながら、原子炉と燃料プールの使用済燃料を連続冷
却すること(循環余熱除去システムの復帰)。
・ 必要なことは、電源を復帰させ、余熱除去システムを
稼動させることで、一刻も速やかにこれを達成すること。
・
作業を速やかに実施するためには、作業環境、作
業体制を整えること。 ― 作業場の放射線量をで
きるだけ下げること ― 重層的な作業体制をつく
って、24 時間体制で実施できるようにし、個人の
被ばく線量を抑制すると同時に、作業者が適切な
休養・栄養・睡眠をとって思わぬ災害やトラブル
を起こさないようにすること。高レベルの放射線
量下での作業は、
2-3 時間で交代できるようにす
べき。 ・ 前線の作戦本部はサイトまたはオフサ
イトセンター内において、サイト内の現場作業と
一体となって取組む(被ばくも苦労も分かち合う
こと)。
・
一個人に役割を集中させず、柔軟な役割分担も必
要(現場所長等の超過労に配慮)。 制約条件 ・ 炉
心や燃料プールの冷却を欠かすことができない。
しかし、冷却を継続していても溶融炉心は、徐々
に圧力容器壁を溶かし続けるので、時間的な制約
がある。
・
水素は発生しており、細心の注意が必要。
・
高レベルの放射性排水の処理は、極めて困難。多
くの放射線源が分散しており、適切な放射線管理
と遮蔽対策が必要。
・
・ 高レベル廃液は、移したところが放射線の発
生源となるので、遮蔽が必要。 絶対に維持すべき
ことは、圧力容器と格納容器の閉じ込め機能と、
使用済燃料プールの水位の維持 閉じ込め機能維
持
・
格納容器の圧力を下げるとか、水素爆発を除くた
めに排気すれば、格納容器内の放射能の一部が環
境に出る。生活環境に放出された放射能対策と避
難住民の復帰対策
・
広範に放出された放射能の詳細な測定と影響評価
― 空間線量(積算線量)、土壌汚染、飲料水汚染
の実態と評価 ― 核種・線量の汚染マップの作成
・
野菜等の風評被害対応 科学的で信頼できる評価
・
・
相当の広い範囲でセシウム137 等による汚染があ
り、レベルに応じた対策が必要。
・
避難住民の復帰シナリオの提示
・
必要に応じた健康診断 サイト内の放射能対策は、
短期課題、中・長期課題に分けて対応すべし。ま
ず、安全に安定化、その後大量の放射性廃棄物の
処分
・
当面は、放射能が環境に逸散するのを防ぐ手当て
が必要(密閉管理)
・
サイト内に広がっている・ 燃料が破損・溶融した
ため、格納容器内には莫大な放射能が溜まってい
ると推定されるが、その量は不明。
・
ドライベントのように、放射能を環境に排出せざ
るを得ない事態には、住民、自治体に衆知し、適
切な対応を要請すべし。 使用済燃料の破損防止
・
使用済燃料プールの水位が下がり、燃料が空気中
に晒され、除熱できなくなると燃料被覆管である
Zr合金の温度が上がり、Zr-水(水蒸気)反
応が起こり、被覆管が破損し、内部の放射能が環
境に放出される。
・ 既に、3号機と4号機の使用済燃料ではこうした事
態が一旦起ったようであるが、これ以上被覆管が破損し、
さらに大量の放射能が放出されるのを防ぐためには、燃
料を完全に水没させておくことが極めて重要である。
放射能対策 ― 汚染されている土壌等は、できるだけま
とめて放射能粉塵の飛散を防ぐ措置 ― サイト外への
飛散を防ぐことと、サイトでの作業者の被ばくを減らす
上で重要 ・ 大量の高レベル放射能排水の処理・処分
・ 使用済燃料の始末(長期)
・ 原子炉の始末(長期)
その他の情報・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(1)フランスの原子力企業Arevaは、専門家を派遣して
きましたが、
(CEOも来日)、そのArevaの今回の福島原発
事 故 の 解 説 が ダ ウ ン ・ ロ ー ド で き ま す 。
http://www.scribd.com/doc/51665683/Le-document-d-Areva-sur-F
ukushima 東電からは情報リリースが少ないとコメントが
ある。
(2)日本の原子力安全委員会が能力不足であり、保安院
が東電追随に終始している点での説明記事が、4月5日の
朝日新聞夕刊。天下り体制で安全委員会や保安院の仕事が
できるかという批判は前からあった。依然として産業に癒
着する学者の重用に終始しており、全体を客観的に議論す
る科学者は遠ざけられている。こうした体制では、実際に
進行している実態の判断をするうえで重要なデータは公
表されていない恐れがつよい。事実、情報の開示を求める
声は非常に強いものがある。また、放射線の人体および環
境影響に関するテレビなどでの解説には不適切もしくは
間違ったものが多く、遺憾の極みである。
有能な内外の科学者・技術者を集めて衆知を結集する(現
代科学および技術の最前線を組織する)方策を早くとるべ
きである。上記田中俊一氏主張も同様。
放射線量測定器を持たせないで作業させた東電には人命
尊重を強く求めなければならないが、こうした原発現場で
の労働実態に関連して、 かっての原発労働現場責任者の
遺稿も出回っている。『原発ジプシー』も
→http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html#page1
こうした実態を前にして、いかにすれば「東電の技術者で
あることに誇りがもてる」かが深刻に問われるであろう。
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研究所蔵書から
昭和初期の科学史ノート(その一)
吉田勝彦
新科学技術者集団
本書は、約40年前の196
9年4月23日 発行とある。
75頁の小冊子で、続巻が発
行されたかは不明。1966
年3月20日 付の「新科学技
術者集団会則」によれば、会
の目的は「人民の立場に立っ
て科学、技術を探求し創造す
る」
る権利を有し・・・・
「人民に奉仕する科学技術体系を探
求・創造する目的・意識のもとに、ここに集団化する・・・」
とある。かなり硬直的な表現である.必ず「会誌の発行」
を行うとあるが、本ノートは会誌ではなさそうである。
すべて、吉田勝彦氏の筆によるものである。
大矢真一氏の、田中実氏への紹介状によれば「理大の数
学科を出た吉田勝彦君の仕事です・・・・本人はひじょう
に熱心で一旦は地方の公立高校に就職しながら、それをや
めて再上京、私立の高校の時間講師をしながら勉強して
い」るとある。 内容目次は、次の通り。
はしがきで、「科学的精神」を問題にし、
序論にかえて 小倉「階級社会の算術」とプレハーノフ
「階級社会の芸術」、
小倉“階級社会の算術“とその反響
小倉“階級社会の算術”とヘッセン“ニュートン「プリ
ンシピア」の社会的経済的根底”
小倉金之助と戸坂潤の科学的精神の交流
あとがき
となっている。ただ、上記第2論文(小倉“階級社会の算
術”とヘッセン・・・)は、本文では、
「
『岐路に立つ自然
科学』とソ連の科学史」とある。どちらかの記述ミスであ
ろうか。ただ、ヘッセン論文は、ソ連邦の科学者および「科
学史家」が1932年ロンドンでの第2回国際科学史会議
に発表した論文集『岐路に立つ自然科学』に入っており、
同書は当時のソ連邦の思想的政治的傾向を体現している
ので、内容的には同一の方向を指向したものであろう。
ここでは、本書の内容には立ち入る余裕がないので、本
誌発行の時代についてのみ一言。
本書発行の1960年代末はいわゆる大学紛争の時代
であり、1960年代後半には高度成長経済の経済的社会
的矛盾が露呈、激しく社会を揺さぶった時代であった。こ
の時代には公害問題や日本技術のあり方、技術者の課題を
巡って技術論や科学論を思考する一つの高揚が起きたが、
本書もその一つであったと思われる。
翻って、今日、福島原発事故は、一個の原発技術が、一
個の私企業、私企業を土台にした財官癒着体制では、制御
できないことが白日となった。当該企業は、事故の実態把
握もできず、十分な測定装置さへもたず、ロボットもない、
水処理技術もない、非常用電源も不十分。それでいて「絶
対安全」を主張し、
「政」
「官」はそれを鵜呑み。原発の特
殊性のみならず、このような「巨大」技術は、現在、その
技術実態とともに社会的にどのように扱われるべきか、制
度論的にも問われている。新たな技術論・科学論の展開が
求められているとでもいえようか。
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