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ムハンマド・ビン・サルマン副皇太子の 外交デビューと

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ムハンマド・ビン・サルマン副皇太子の 外交デビューと
中東情勢分析 ムハンマド・ビン・サルマン副皇太子の
外交デビューと王族内王族批判
東京大学大学院 総合文化研究科 特任准教授 辻上 奈美江
サウジアラビアでサルマンが国王に就任して8ヵ月が経った。イエメンのフーシーに対
する攻撃開始からは半年が経ったが,地上戦にもつれ込んだ戦争に終わりの兆しは見えな
い。フーシーを支援していると目されているイランが欧米との核合意に達することを懸念
したサウジは,アメリカとの距離を置き,フランス,ロシアなどとの関係強化を目論んだ。
フーシー攻撃と,仏露との関係強化という過去数ヵ月間のサウジにとってきわめて重要な
分野においてもっとも目立っていたのが,サルマンの息子の若いプリンス,ムハンマド・
ビン・サルマン国防相兼副皇太子であった。ムハンマド副皇太子は国防相としてイエメン
での戦争の指揮にあたるほか,仏露を訪問して,それぞれ巨額の投資や,武器の購入,原
発の建設など,サウジにとってきわめて重要な分野の協力の約束を取り付けた。
他方で,経済面では,原油価格の急落を背景にサウジは国債の発行や海外証券市場から
の資金の引き揚げを迫られた。しかし,国王の南仏でのバカンスには側近のほか仏在住の
サウジ人など約1,000人が集い,近くの海岸への立ち入りが禁止されて物議を醸した。さ
らに9月になると国民や巡礼客の安全が脅かされる出来事が相次ぐ。9月4日には,イエ
メンの武器庫に爆弾が着弾し,サウジ人10人を含む60人の連合軍兵士が命を落とした。9
月12日には,巡礼シーズンを直前に,メッカのグランドモスクの拡張工事を行っていたク
レーンが崩壊し107人が死亡し,238人が負傷する事故が起きた。また,同24日には,巡
礼者たちが折重なって717人が死亡する大惨事が起きた。この時期,
「初代国王の孫」と名
乗る人物から,王族批判の声明が提出されたのである。
本稿では,ムハンマド副皇太子の外交の場面での華々しい活躍とパフォーマンスの背後
で沸き起こる王族への不満とそのインパクトについて検討する。
収束の兆しが見えないイエメン
サウジが率いる連合軍が3月26日に開始した空爆「決意の嵐」作戦は,開始当時は短期
で決着をつける意気込みが感じられた。しかし,空爆は継続し,さらに地上部隊の派遣を
拡大させていくこととなった。
9月4日には,サウジ連合軍側にこれまでで最大の被害が及ぶことになった。フーシー
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が発射したとみられるロケット弾が,イエメ
ンのマアリブ県にあるサウジ連合軍の武器庫
に着弾し,サウジ連合軍の60人の兵士が死亡
した。サウジ国営通信は,45人の UAE 人,
10人のサウジ人,5人のバーレーン人が死亡
したと報じた。イエメン人も33人が死亡した
とされている。これを受けて連合軍は,9月
6日にはサナアに大規模な報復作戦を仕掛け
筆者紹介
2008年神戸大学大学院国際協力研究科博士後期課
程修了。博士(学術)。日本学術振興会特別研究員,
高知県立大学講師などを経て現職。
著書に『現代サウディアラビアのジェンダーと権
力』(福村出版,2011年),共著に『中東政治学』(有
斐閣,2012年)『中東イスラーム諸国民主化ハンドブ
ック』(明石書店,2011年)『グローバル政治理論』
(人文書院,2011年),共訳に『中東・北アフリカに
おけるジェンダー』(明石書店,2012年)『21世紀の
サウジアラビア』(明石書店,2012年)など。
専門は中東地域の比較ジェンダー論および地域研
究。
るなど,連合軍による攻撃はエスカレートし
ているとされる。
だが,欧米へのシリア・イラクからの難民問題に埋もれて,イエメン問題の深刻さは見
過ごされる傾向にある。出口が見えないこの戦争は,フーシーを支援するイランと,サウ
ジ連合軍との消耗戦となる可能性も否定できない。
ヒューマン・ライツ・ウォッチは少なくとも2,000人の一般市民が犠牲になったとして
サウジを批判していたが,10月3日,国連人権理事会でオランダが提出した,イエメンで
の調査団を派遣する決議案をサウジは阻止した。今後,人権的観点からサウジに対する批
判が高まることも予想される。
フーシー攻撃とフランスとの蜜月
サウジをはじめとする連合軍がフーシー攻撃を開始すると,GCC 諸国がフランスとの
関係を重視していることが明らかにわかるようになった。5月上旬,フランスのオランド
大統領は GCC 首脳会議に出席するためにリヤドに招待された。GCC 首脳会議に非加盟
国の首脳が出席するのは初めてのことで,GCC からの強い関心と歓待を示すものである
と考えられた。オランド歓待の背景には,中東政策に失敗してきたアメリカへの失望があ
ると複数のメディアが報じた。実際に,この直後にオバマ大統領がキャンプデービッドに
GCC 首脳を招いた際には,サルマン国王やバーレーンのハマド首長らが出席をとりやめ
た。
フランスと GCC との急接近の理由は,アメリカへの失望と同時に,より実利的な目的
に即しているようにも思われる。そのひとつ目は,軍事分野におけるフランスの強みであ
る。6月末にはムハンマド副皇太子がパリを訪問し,10分野の合意書への署名を行うとと
もに,ファビウス外相とムハンマド副皇太子による初の「仏サウジ合同委員会」が開催さ
れた。フランスはサウジから,ヘリコプターや艦艇など120億ドル分の発注を取り付けた
ほか,国境警備隊用ヘリコプター23機(4億7,000万ドル相当)の発注を受けた。フラン
スとの強力な関係を築いているのはサウジのみではない。カタールも4月には,フランス
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からラファール戦闘機24機を63億ユーロで購入することを決めた。取引額では,カタール
はインド,エジプトに次ぐフランスの輸出先となっている。オランドがサウジとの二国間
首脳会議ではなく GCC 首脳会議に招待されたのは,フランスがサウジのみならず GCC
諸国にとって重要性を増していたからかもしれない。
関係強化のもうひとつの目的は,原子力である。サウジは今後20年以上かけて16の原子
炉を稼働させる計画である。急速な人口増加に伴う電力消費の急増で,サウジは原油輸入
国になるとの観測もある。国内の電力需要を賄うために,原発の設置が急がれており,最
初の原子炉は2022年に稼働を開始する見込みである。今年3月,韓国の朴大統領がサウジ
を訪問すると,サウジ国内にスマート原子炉を建設する方向で覚書が交わされた。1基の
建設に約10億ドルかかるとされているが,両国はこのスマート原子炉の商品化と第三国へ
の販促を合同で行うことに同意している。
6月末にムハンマド副皇太子がフランスとの間で締結した合意書にも,アレヴァ社によ
る次世代型の加圧水型原子炉,欧州加圧水型炉(EPR)2基の設置に関する実現可能性調
査,原子力安全性の確保と放射性廃棄物処理方法に関するサウジ人の訓練などが盛り込ま
れた。原子炉の設計・建設と,専門家の育成がパッケージ化されており,一回限りの取引
とはならないことも,フランスとの関係の重要性を認識させる材料になっているのかもし
れない。ちなみにフランスは,6月のパリ航空ショーに先駆けて,サウジアラビア航空か
ら80億ドル相当のエアバス旅客機の注文を取り付けたばかりだった。
ロシアへの接近
フランスとの関係強化が進むなか,サウジはロシアとの関係も模索し始めた。5月の米・
GCC 首脳会談へのサルマン国王の欠席でサウジのアメリカ離れが危ぶまれるなかで,6
月中旬にムハンマド副皇太子が,ジュベイル外相,ヌアイミー石油相らとロシアを公式訪
問した。プーチン大統領との会談では,シリア問題やイエメン問題について重点的に話し
合われたとされているが,それと同時に着目したいのが,エネルギー,宇宙開発,原子力,
投資分野における6件の合意書への署名である。
投資については,ロシアの直接投資基金と連携してサウジのソブリン・ファンドである
公共投資基金が100億ドル以下の資金を出資することが決定した。資金はロシアの農業プ
ロジェクトのほか,医薬品,流通,小売,不動産などの分野に投じられる予定であるとさ
れた。
サウジとロシアとの首脳レベルの交流は,2003年にアブドッラー皇太子(当時)がロシ
ア訪問によって幕を開け,2007年にはプーチンがサウジを訪問した。2013年8月には,
バンダル・ビン・スルタン総合情報局長官(当時)がロシアを訪問し,プーチン大統領と
会談したが,その際にも,暗礁に乗り上げたシリア問題についての交渉とともに,エネル
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ギー,投資,軍事面での協力の可能性が模索されたとされている。バンダル訪問時には,
プーチンはバンダルからの取引に応じようとしなかったと一部のメディアがリークしてい
る⑴。原油価格が100ドル台後半であった当時,サウジとの投資やエネルギー面での協力は
それほど魅力的でなかったかもしれない。だが,原油価格が急落し,さらにウクライナ問
題のために制裁を課されている今,サウジからの100億ドルの資金の投下は渡りに船であ
ったにちがいない。サウジにとっては,投資先を分散させる効果が期待されていた。
ただし,サウジ側の経済状況も悪化しつつある。2015年のサウジの GDP 成長率は2.8
パーセント,2016年には2.4パーセントへと下落するとIMFが予測している。サウジアラ
ビア通貨庁(SAMA)の月例報告書(2015年7月号)によれば,外貨準備高⑵は最も高か
った2014年8月から,2015年7月にかけて,7,459億ドルから6,688億ドルへと10パーセ
ント以上,下落した。サウジは8年ぶりに国債を発行し,9月後半になるとサウジアラビ
ア通貨庁は730億ドルの資金を世界の資産管理会社から引き揚げると発表した。
露サ関係のもうひとつの注目点は,韓国,フランスに続いて,ロシアとも原子力分野で
の協力を約束したことである。シリア問題でイランと協調するロシアと,サウジが原子力
分野での協力を取り付けたことは,これまでにサウジが韓国やフランスとの間で進めてき
た原子力分野での協力とは,政治的に異なる意味を持つ。軍事協力の可能性も示された。
ジュベイル外相は,将来的にロシアからミサイルを購入する可能性があると語ったと報じ
られた。
ラブロフ外相は,ムハンマド副皇太子がロシアを訪問した一週間後に,ドーハで同副皇
太子と再会し,さらに8月には,サルマン国王がロシアで開催される航空ショーに参列す
るとも報じられた。だが,サルマンの訪露は実現しなかった。ロシアを訪問せずにアメリ
カを訪れたサルマンについて,『エコノミスト』誌が,「ロシアを弄んだ」ものの,「結局,
頼りになるのはアメリカ」と論じているように,サルマンの訪米後,米サ関係は元の鞘に
落ち着きつつある。
9月の国連総会でも,シリア問題に関するロシアとサウジの立場の違いは鮮明化する。
プーチンは,「テロと直接,果敢に戦うシリア政府と軍に協力しないのは重大な誤りであ
る」と述べた。これに対して,ジュベイル外相は,かつて故アブドッラー国王がそう呼ん
だのと同様に,アサド政権を「殺人装置」であると非難し,シリア人の血が染み付いた手
を持つ者に新生シリアでの居場所はない,とアサド政権を強く非難した。
⑴ ALMONITOR は,レバノンのサフィール紙がリークした情報をもとに,バンダルによるプーチンへの
取引内容を掲載している。バンダルは,シリア問題で協力すれば,ソチ五輪の際,チェチェンの武装集
団に治安を脅かすようなことはさせないと持ちかけたが,プーチンは対テロの原理に反するとして要求
をのまなかったとされている。従来のサウジのロシアとの関係を考慮すれば,きわめて不用意な発言で
あり,信ぴょう性は低いと考えられる。
⑵ 金,SDR,IMF リザーブポシション,外貨,および外国証券への投資の合計額を用いた。
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米国との関係改善とシリア問題に関する立場の違いの鮮明化,景気の急激な冷え込みな
どを考慮すれば,ロシアに約束した「100億ドル以下」の資金のどれだけが実際に履行さ
れるかは不明である。だが,仏・露との新たな関係構築にムハンマド副皇太子が主要な役
割を果たしたことは,サウジ国内でも大きく報じられ,外交分野における華々しいデビュー
を飾ることができた。
国内:王族内部からの批判
国内では9月,初代国王の子孫と名乗る人物から,二度にわたって声明が公開された。
流通経路は,携帯端末を利用したメッセンジャー・サービス「ワッツアップ」である。近
年,サウジ人との連絡には欠かせないツールで,彼らは「ライン」のようなチャット機能
を楽しんだりするほか,イスラームに関する情報や写真,ジョークのネタなどを送受信し
てコミュニケーションと情報交換を楽しんでいる。誰もが持っている携帯端末で,メール
のような前置きなどなしに,ダイレクトに情報交換できる手軽さがウケている。
声明が出されたのは,メッカのグランドモスク拡張工事のためのクレーンが崩落し,多
くの死傷者が出た直後だった。実名を伏せたこれらの声明では,アブドッラー国王以降の
統治のあり方に疑問を投げかけるが,特にサルマン国王のリーダーシップに問題があると
して,サルマン国王,皇太子,副皇太子の交代を求めている。ひとつ目の声明では,第一
次・第二次・第三次サウード王朝の建国者⑶,サウード第二代国王,ファイサル国王(第三
代),ハーリド国王(第四代),ファハド国王(第五代),そしてナーイフ元皇太子を讃える
一方で,アブドッラー元国王,スルタン元皇太子,そしてサルマン国王のことを中傷して
いる。
現体制を集中的に批判しているのが第二の声明である。同声明には,サルマン国王には
健康上の問題があり,そのために統治に関するすべてをムハンマド副皇太子に任せている
と指摘されている。また,国王らが巨額の資金を私物化しているとも訴えられた。
ムジュタヒド⑷ のハンドルネームで声明を出したこの王子は,2011年ごろからツイッ
ターで王族の腐敗を暴く内容を発信し,「サウジのジュリアン・アサンジ」とも呼ばれてき
た。2015年3月には,BBC がチャット機能を使って「ムジュタヒド」にインタビューを
しているが,彼が一体何者なのかについてはわかっていない。そうなると本当に王族メン
バーかどうかも確認することはできないのだが,彼の情報が王族の内部に精通した者にし
かわからないことが多いため,王族メンバーらしいということになっている。
ガーディアン紙は9月28日,この二つの声明を公表した王子と声明についての記事を掲
⑶ 第三次王朝とは現サウジアラビア王国のことで,建国者はアブドゥルアジーズ初代国王である。
⑷ 自分自身の解釈・判断によってイスラーム諸学について見解を示す資格を持つ学者のこと(小杉泰2000
「ムジュタヒド」大塚和夫ら編『岩波イスラーム辞典』岩波書店,p.966を参照した)
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載している。ガーディアンがどのように「ムジュタヒド」と連絡をとったかは不明である
が,同記事でも王子の名前は非公開であった。ガーディアンは彼を「ある高位の王子」と
表現している。王子はガーディアンに対して,国王の健康上の問題のためムハンマド副皇
太子が事実上の支配者となっていることを踏まえ,
「4,5人のおじたち」が,この声明に
ついて話し合うために近々会合の機会を持つことになっていると語っている。王子は「第
二世代の多くは非常に心配している」,また声明は部族長をはじめとする国民からも支持さ
れていると訴えた。
では,この声明は,どの程度支持されているのか,あるいは支持されうるのか。王族の
なかで名前を公表してこの声明を支持しているのは,サウード・ビン・サイフ・アル=ナ
セルのみと考えられる。サウード・ビン・サイフ・アル=ナセル王子は,第二代サウード
国王の孫にあたる人物で,1980年生まれとみられるが,これまでにも王族に批判的な意見
をツイッターで表明してきた。「ムジュタヒド」同様(あるいはサウード自身が「ムジュタ
ヒド」である可能性も完全には否定できないが),彼もまた,お騒がせ王子と呼ぶべき存在
である。
「ムジュタヒド」の発言どおりに近々に会合を行う予定の「第二世代4,5人」が影響力
のある人物であったとしても,彼らが1万人程度いるとされる王族たちを動員できるだろ
うか。サルマンが国王に就任して,王族内で分断や反発が生まれた可能性は否定すること
はできない。2015年2/3月号でもすでに指摘したことであるが,サルマンが国王就任後
に行った王族内人事では,従来なら想像できなかったような急激な順番抜かしが起こった。
ムハンマド・ビン・サルマンは,第三世代の多くのプリンスのみならず,政府の要職に着
いてきたサルマンの他の息子たちも追い抜いて副皇太子となった。王族のポスト争いには,
血筋が重要であることは間違いないが,年齢や実績,資質といった要素も,これまでの人
選では重視されてきた。だが,ムハンマド・ビン・サルマンについては,年齢と実績とが
完全に無視されたのである。皇太子や副皇太子のポストを得ることは,通常は次期,さら
にはその次に国王となることを意味する。多くの第三世代の王子が継承ラインから外れ,
落胆したのは明らかである。しかし他方で,王族たちは,血筋などに応じて,一定額の給
付金を得ているとされる。また,それ以外にも,ビジネスなどにおいて一般国民より有利
な条件を享受できることが多い。サウード家という出自は特権であり,サウード家による
支配はその特権構造を維持することによって支えられてきた。サルマンの国王就任によっ
て王族たちの特権が急速に剥がれ落ちたなどの事実がなければ,声明への反応は限定的な
ものにとどまるだろう。
一般の国民にとっては,この声明への反応はさらに難しいだろう。特権や影響力を有さ
ない一般の国民が王族批判を行えば,身に危険が及ぶ可能性もある。よほど肝を据えた活
動家でない限り,不用意に声明を歓迎したりはしない。日頃,筆者が頻繁にコンタクトを
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とっているサウジ人も,本件についてはできるだけ話題を避けているように見受けられた。
2015年4月号でも紹介したが,今年4月末から5月にかけて筆者がサウジアラビアで現
地調査を行った際には,
「戦時中」であることも相まって,総じて国民の愛国心は高まりを
見せ,サルマン国王やムハンマド副皇太子への支持も厚いと感じられた。「ムジュタヒド」
による声明では王族による腐敗と浪費が批判されたが,中枢の王族メンバーが国家の資産
に対して強い権限を有していることは,民主主義を標榜しているわけではないサウジアラ
ビアでは驚くべきことではないし,国民の間でもほぼ了承されている。同時に,サウード
家は,建国後80年余の間に,国民アイデンティティと愛国心を育成することにも一定の成
果を上げてきた。2011年の「アラブの春」の際には,デモや行進も行われたが,同時にサ
ウード家を支持する者たちの間ではこれらの抗議行動に対する反発も起きた。当時,現地
では「(政権が倒れた)エジプトのようになりたくない」といった声も聞かれた。サウード
家による支配に不満があったとしても,その不満が即座に王制打倒に向かうとは考えにく
い。何よりも,一般国民が反応することは利益にならないし,場合によっては身に危険が
及ぶ。
例外があるとすれば,活動家や一部の知識人,そしてシーア派住民である。1990年代に
イギリスに亡命し,MIRA(サウジアラビアにおけるイスラーム改革運動)を設立した反
体制活動家サアド・アル=ファキーフは,「ムジュタヒド」による声明を歓迎するビデオを
YouTube に投稿している。国内にも,サウジ政府の支配に不満を感じる知識人らが一定
数存在することも確かである。また東部州に居住するシーア派住民らは,2011年の「アラ
ブの春」の際に大規模な行進を行い,サウード家の支配を批判したこともあった。だが,
彼らはいずれもこれまで政権を転覆させるほどの規模に成長してこなかったし,国内では
少数派であり続けた。「ムジュタヒド」およびサウード・ビン・サイフ・アル=ナセルも,
王族内の少数派,あるいは「異端児」として受け止められている可能性が高い。
まとめ
本稿では,今年5月以降のサウジアラビアの対米・仏・露関係について振り返ると同時
に,ムハンマド副皇太子の華々しい外交デビューと,王族内で湧き上がった王族批判につ
いて紹介した。サルマン国王体制のサウジは,従来の親米路線に加えて,フランスやロシ
アとの関係強化を模索している。仏・露訪問では,投資や武器の購入,原発など重要な案
件が目白押しであったが,これらのすべてがムハンマド副皇太子に委ねられていたことは
注目に値する。ムハンマド副皇太子は石油・経済・財務を司る経済開発評議会の議長も務
めており,これらの業務を担う権限を有している。しかし,1万人程度いるとされるサウー
ド家のなかで,ほとんど経験のなかった彼が,アブドッラー国王の逝去により突然,国防
相兼王宮府長官を任された。そして4月末にムクリン皇太子がその座を退くと,今度は,
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副皇太子に任命された。副皇太子,国防相,経済開発評議会議長というそれぞれに重要な
ポストを任されたことになる。そして今回,仏露訪問を通じて,外交の舞台にも華々しく
デビューしたことを印象づけることができた。年齢や実績,資質を重んじてきたこれまで
のサウード家の人選方法が大きく入れ替わったのみならず,父親がたまたま国王になった
という「時の運」も味方した。別の見方をすれば,「ムジュタヒド」の声明を支持するサ
ウード・ビン・サイフ・アル=ナセルのように,祖父は国王という血筋でありながら,王
位継承ラインに乗る見込みはほとんどない人物が,今の王族内のポスト配分を面白く思わ
なかったとしても,驚くに値しない。
そのうえ,原油価格の下落で経済は逼迫され,にもかかわらず国王は南仏での豪勢なバ
カンスを楽しみ,その後には国家の重大行事である巡礼で多くの犠牲者が出た。血気盛ん
に始めたフーシー攻撃は今,ほとんど出口が見えない状況になっている。「ムジュタヒド」
による声明に表立った反応はしなかったとしても,密かに「ムジュタヒド」を応援する人
はいるかもしれない。しかし多くの一般国民にとっては,いつもの「お騒がせ王子」によ
る過激な発言として,ワッツアップの送受信の「ネタ」になった程度のことかもしれない。
*本稿の内容は執筆者の個人的見解であり,中東協力センターとしての見解でないことをお断りします。
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