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報告:第3回ブラジル研修旅行 - 「ラテンアメリカ・キリスト教」ネット

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報告:第3回ブラジル研修旅行 - 「ラテンアメリカ・キリスト教」ネット
ぽーぼ
民
衆
Povo
「ラテンアメリカ・キリスト教」ネット 会報
No. 14
2013 年12月14日
報告:第3回ブラジル研修旅行・・・小井沼眞樹子
初めてのブラジル研修の旅・・・・・高橋一
ブラジルとの交流活動の報告
P1
P2
発行人: 大倉一郎
連絡先: ラ・キ・ネット事務局
〒250-0117 神奈川県南足柄市
塚原4919-141
電話/FAX:0465-73-0531
http://www.latinamerica-ch.net/
郵便振替:00240-5-80379
第 7 回ラキネット・聖書研修会報告・・・・・高柳富夫
P5
ラキネット・新年ミニ集会のお知らせ・・・・編集部
P8
2009―2011 年・・小井沼眞樹子・・・・2
報告:第3回ブラジル研修旅行
小井沼眞樹子
「ラテンアメリカ・キリスト教」ネット
会報
No. 5
2008年11月?日
2013年10月3日~29日、ラキネット主催に
よる第3回ブラジル研修旅行を実施しました。09年
に実施して以来、実に4年ぶりでした。その間に日本
は3・11東日本大震災に見舞われ、社会状況は激変
しました。
今回、ブラジル研修に来られた高橋一さんは、この
春、定年より少し早く、酪農学園大学(北海道江別市)
の教員を退職し、前はチャプレンも兼務していた方で
す。震災直後から学生と教職員によるボランティアグ
ループを組織し、2年間、岩手県大船渡市で支援活動
を実施されたそうです。そこで、いくつかの訪問先で、
その体験を踏まえた講演をしていただき、顔と顔を合
わせた日伯交流が実現。また、北東部(ノルデスチ)
旅行にはパラナの佐々木治夫神父が合流され、大変楽
しく有意義な3人旅となりました。
以下に旅路の内容を紹介します。
① サンンパウロ:3-6日、15 日
セーの大聖堂、東洋人街、移民史料館など見学。
サンパウロ福音教会の礼拝、愛餐会に参加。
講演会実施。デイサービス・シャロームに参加。
② パラナ州サンジェロニモ・ダ・セーラ:7-10 日
佐々木治夫神父のウマニタス協会診療所、アルコー
ル・麻薬依存症更生施設、老人ホームなどを訪問。
農業技術学校は焼失し、仮施設で実施。広大な田園
地帯を車で走り、農地改革成功例の農場や MST の新
設コーヒー工場を訪問。
③ イグアスの滝、ミッション遺跡観光:11-14 日
④ ペルナンブコ州レシーフェ/オリンダ:16-20 日
28-29 日 オリンダのセー教会。ドン・エルデル
カ・マラ資料館。アルト地区家庭訪問。アルト・
ダ・ボンダーデ教会の教会学校で佐々木神父の活動
紹介
DVD を見る。礼拝に参加。29 日の祈祷会にて講演。
⑤ バイーア州サルバドール 21-27 日
ペロウリーニョ広場、ボンフィン教会など観光。サ
ン・アントニオ教会附設のイエズス会の家に宿泊。
黙想、懇談の時。5 回のミサに参加。カトリック学
園で 2 回の講演会。バイーアの文化(民族舞踊、カ
ポエイラなど)に触れる。
ペロウリーニョ広場にて。奥はホザリオ・ドス・プレートス教会。
左から高橋一さん、佐々木治夫神父、小井沼眞樹子宣教師
旅を終えて
今回の特別の恵みは、佐々木神父様がノルデスチ訪
問に同行してくださったことです。40年ぶりとのこ
と。基礎共同体について、何人かのひとから話を聞く
機会を得て「知りたいとかねがね思っていたことにつ
いて、すべて話が聞けました」と喜ばれました。
神父の友人ということで、有名な歴史的教会の拝観
料が無料に。奥の部屋まで行って18世紀の「長崎2
6聖人の礫刑図」に出会えて大感激。奴隷たちが建て
た教会(写真)では信徒組織「イルマンダージ」が今
でも主導権を持っていて、折しもミゲル神父の司式で、
ポーボと一緒に喜びあふれたミサに与りました。
残念だったのは、先方の都合が悪く、サンパウロで
シゲ神父と面談できなかったこと、ジョアン・ペソア
の訪問をキャンセルせざるを得ず、いつも訪問してき
た共同体のポーボに出会うことができなかったことで
す。
心もとないガイド役でしたが、旅の良き道連れの方
に終始支えられて、無事に終わり安堵しました。
1
はじめてのブラジル研修の旅
―知らされたことと学んだこと
高橋
一(日本キリスト教団無任所教師)
はじめに〜ブラジルとのかかわり
このたび、ラキネットと小井沼眞樹子宣教師の
全面的な協力をいただき、長年の念願であったブ
ラジル研修の旅を終えることができた。ここに感
謝をもってその研修の一端を記したい。なお、文
中では敬語表現はあえてできるだけ避けたことを
お断り申し上げたい。
そもそもブラジルと私との関わりは、今は亡き
小井沼國光さんとのただ一度の出会いがきっかけ
だった。私どもが日本キリスト教海外医療協力会
(JOCS)からのカンボジア・ワーカー派遣を終え
て(わずか二年間のワーカーであったが)、カン
ボジアから帰った1995年8月、「支える会」
の解散式が、国際基督教大学の構内の幼稚園で行
われた。そのとき、今思ってもどうしてそこにわ
ざわざおいでくださったのかわからないのだが、
國光さんがまったくの初対面のわたしに、「私も
これからブラジルへ宣教師として赴きます。そこ
に至るブラジルでの経験を書いたのがこの本で
す」と言われて、著書の『南回帰線の彼方にて』
をくださったのである。
このたび、10月6日(日)にサンパウロ福音
教会でメッセージを語る機会を与えていただき、
礼拝の場に臨んだ。そのとき不意に、ここで國光
さんが牧師として語っておられたのだとの思いに
うたれ、一瞬、感無量であった。
國光さんとはたった一度の出会いであり、言葉
を交わしたのも一度だけであったが、今年の春に
は、眞樹子さんが所用のため札幌に来られた際に、
我が家にもおいでくださった。またその頃は、大
倉一郎さんとも私は親しくなっていた。今回、い
っしょの旅にと何度もお誘いした高柳富夫さんは、
長い友である。それらの一連のつながりが実を結
んで、今回のブラジル研修が実現したと思ってい
る。その点で、関係のみなさまにまず深くお礼と
感謝を申し上げたい。
ブラジルのマナ〜高齢の日系移民への奉仕
実はブラジルに行く前に、アメリカとカナダに
二 間 ち り、 人の日本人の 師 友に会っ
2
た。一人 はアメリカの神学校で長く教えた方で、
二人 は、今、アメリカで NGO の 表をしている
、 人 は、カナダの大学で社会学を教えてき
た方であった。 人 は、アメリカ の東部で 主
夫 として農 業をしながら暮らして いるカン
ボジア時 の NGO の友人であった。 人とも、
国での移民文化の 成とその実 に関心を持って
いて、その点でも、ブラジルに行く前に、「移
民」という 念を我が のこととして えさせら
れた旅の始まりとなった。ブラジルに行く前に、
本来は参加すべきであったラキネットの
での
研修会に、
の
で札幌からの 行機がすべ
て
になり、参加できなかった。その点で、不
な
ではあったが、まずこの「移民文化」
の意 を現地で えさせられ た。
ブラジルのサンパウロ福音教会では、日系移民
の人たちとはじめてお話しすることができた。
サンパウロ福音教会にてサクマ牧師夫妻と信徒の方
わたしが特に感銘を受けたのは、これは眞樹子
さんがサンパウロ福音教会の宣教師時 に始めら
れたと聞くが、デイサービス・シャロームの集い
で、さまざまなレクリエーションと併せて、まこ
とに美 しく栄養的にも えられた日本食のフル
コース(!)を、日系の高齢者の方に提供してい
るプログラムであった。
聖書には食べものに関する記述が多いことや、
食べる行為そのものへの関心が強いことはよく知
られている。今や SUSHI などをはじめ、普遍的な
価値を持つことが認識され始めた日本食(和食)
への郷愁をこのような で実際に として提供し
続けていることは、移民として労苦を重ねてきた
高齢の方々への福音的奉仕に他ならないと感じた
ことであった。これはまさに、「ブラジルのマナ」
であった。この活動のために毎 献 されている
ボランティアの方々のご労苦に、尊敬の思いを禁
じ得なかった。
いることを知った。学生時 から、長年、アジア
学院とのかかわりを大事に感じてきた者の一人と
して、ブラジルと日本との接点の現場に ち会う
移民文化の可能性
ことが許された旅ともなったと思っている。
最近このプログラムに参加し始めたある日系移
特に佐々木神父には、「土地なし農民運動」の
民の方から、次のような話を聞いた。その方はブ
実りの一つとも言えるコーヒー栽培の豆を、自前
ラジルに広大な土地を所有する、いわゆる「成功」 で商業化するための巨大な、完成したばかりの工
した人の一人だとのことだが、
東日本大震災の後、 場に連れて行っていただいた。その工場が始働す
福島出 者として心を痛め、福島に赴いて、出
る現場に ち会ったとき、「涙が出そうになりま
町の町長さんにこう申し出たそうである。
した」と思わず神父が言われた言葉を今も忘れる
「みなさんは今も故郷に戻ろうと えているかも
ことができない。
しれない。ただ、必ずしもそれだけが選択肢では
ウマニタス慈善協会の倉庫には、佐々木神父が
ないと思う。故郷を捨てろとは言わない(日本人
日本から持ってきた書物やブラジルで用いた書籍
は故郷を捨てることはできないから)。が、第二
がたくさん箱に入って積まれていた。折しも、今、
の故郷を る気持ちで、ブラジルに移住して新た
このウマニタス慈善協会の事業を引き継いでくれ
に農業を始めようとする人はいないだろうか。喜
る団体を探す交渉のさなかということもあり、数
んでお手伝いしたい」。
日間、依頼されたその書籍整理に没頭し、何とか
しかし町長をはじめ、故郷の福島の人たちは、
果たすことができた。わたしにとっても、神父の
当時は放射能汚染による農 物の 評被害などを
信仰的軌跡を書物をとおして垣間みることのでき
心配していて、とてもそんな気持ちにはなれなか
る機会となって、このような仕事(?)を与えら
ったようで残念だと言っていた。
日本に帰ったら、 れたことをこちらこそ感謝している次第である。
この春まで農業系の大学に勤務していたわたしに、
そこには、わたしも読みふけりたい本がたくさ
できたら日本の若い人たちにこの提案を伝えてほ
んあった。神父が訳された本も何册かいただくこ
しいとも依頼された。
とができた。
わたしは、ここに「移民としての可能 」を今
なお追求しようとする姿勢を持つ人があることを
レシーフェ/オリンダでの宣教現場にて
感じ取ることができたと思っている。
小井沼宣教師が派遣され、奉仕するオリンダの
メソジスト教会では、この地域の信徒の方々の家
ウマニタス慈善協会の佐々木治夫神父との出会い
を訪ねる問安に同行させてもらった。
と行動と言葉
佐々木治夫神父とそのお働きについては、今ま
でもこのブラジル研修に参加してきた方がたくさ
ん書かれているので、あえて詳しく書くことは控
えたい。ただ、今回のブラジル研修では、後半の
レシーフェ/オリンダへの旅に始まり、サルバド
ールへの旅と、ウマニタス慈善協会での滞在に引
き続いての約二 間を、この佐々木神父も同行し
てくださることになり、わたしにとっては、小井
沼宣教師に加えて、二人の貴重なアドヴァイザー
が同行してくれる贅沢な旅となったことだけは記
しておきたい。
佐々木神父には、解放の神学の生きた現場とも
アルト・ダ・ボンダージ教会の祈祷会で
いえる「土地なし農民運動連盟」の、その後の働
この地域特有の、貧困からくる麻薬、アルコー
き手による成功例の農地を各所案内していただい
ル依存、感覚的享楽に逃避する人びとが多い中で、
た。また、そのリーダーの一人の甥は、現在、栃
問題をかかえた信徒に誠実に語りかけ、さまざま
木県西那須野のアジア学院で研修生として学んで
に配慮し奉仕している小井沼宣教師の姿勢に接し
3
て、何としても、任期をまっとうするまで、日本
の配慮で、二回にわたって、東日本大震災におけ
る支援活動の報告を語る授業を実現できたことで
ある。
にいるわたしどもが支えなければと思わされたこ
とであった。説教奉仕ももちろん重要だとは思う
が、一日本人牧師が、ポルトガル語を用いて、こ
の地域と人びとに仕えようとしているその姿勢そ
のものの中に、福音の香りを放つ大切な種が蒔か
れていると思ったことである。
に 日から 日、レシーフェの宣教師館(眞
樹子さんが住んでいるアパート、このたび佐々木
神父とわたしが数日間お世話になった)から、こ
の教会まで、時に激しく揺れるバスを途中で乗り
継いで、1時間以上かけて通っていると伺った。
その信仰と霊 の守りもさることながら、何より
もお一人での生活が続くなかで、その健康が支え
られ、守られることを祈らずにはおれなかった。
このブラジル研修の直前に、
小井沼宣教師から、
教皇フランシスコのブラジル訪問に伴うすばらし
い「ぶらじるレポート」が関係者に送付された。
このような宣教師の働きは、日本でブラジルの現
状を、ほとんど経済的側面に偏った仕方でしか知
る機会のないわれわれにとっては、大きな仕事だ
と言えると思う。実際、わたしは本人から許可を
いただいて、先に記したカナダの 師などにこれ
を送ったところ、その方がさらに40名以上の方
にこの「ぶらじるレポート」を送信し、反 を送
ってくれた。日本のあるキリスト教大学のチャプ
レンからも、ブラジルの青年たちの様子がわかる
このレポートは大変ありがたかったとの返信をす
ぐに受け取った。
この点で、小井沼眞樹子宣教師と共に歩む会の
役割と、ラキネットの課題は、なお大きなものが
あると感じた次第である。
サルバドールでの宿舎の教会堂と大西洋
この授業は、今回のブラジル研修の旅も終わり
に近い、10月25日(金)の午前中に行われた。
学校はコレジオ・アントニオ・ヴィエラ(Colegio
Antonio Viera)という、サルバドールではある程
度の富裕層の子弟が通っていると思われるカトリ
ック校である。
この学校は、小学校、中学校、さらに高校まで
あり、夜間のコースを含めると、全部で約500
0人(!)が在籍しているそうである。サルバド
ールの街中にあり、かなりの面積を有している。
日本でいえば、ちょうど東京の渋谷区の中心地に
ある青山学院といった雰囲気になるだろうか。
サルバドール滞在〜ブラジルの魂に触れる日々と
カトリック校での授業
サルバドールでは、眞樹子さんの友人ミゲル神
父のご好意で、イエズス会の教会に附設する、高
の大西洋を見渡す宿舎に泊めていただいた(写
真参照)。
ここでは実にゆったりとした時間を与えられた。
イエズス会のブラジル人神父たちとの交わりにつ
いては、後に報告する機会もあろうかと思う。か
つての黒人奴隷の悲しみと癒しの踊りに触れるな
ど、ブラジル人の魂に触れる数日間であった。 特
に言及しておきたいのは、サルバドールのイエズ
ス会系の高校で、そこで働いているレオネル神父
4
コレジオの学生たち
午前中、主に高校生にあたる年 の子どもたち
に(添付の写真を見ると、ほとんどが白人系だと
いうことがわかると思う)、約1時間の授業とデ
ィスカッションを、英語で二回おこなった。わた
しがこの春まで奉職していた酪農学園大学の学
生・教職員とともに(後には青山学院大学も協働
し)震災支援活動に取り組んだチャイルド・フャ
ンド・ジャパンの、ジョン・カビラ氏の英語のナ
レーションが入ったプログラムをインターネット
でうまく引けたので、途中でそれも見せながらの
授業であった。
授業のあとは、生徒がたくさんわたしのまわり
に来てくれて、質問もあった。「ブラジルの政府
関係者のコラプション(汚職)をなくするにはど
うしたらいいと思うか」などと、わたしにも答え
られない質問をする男子生徒もいた。
写真の右に、
一番前で写っている 生徒は、アジア系の人だと
思うが、将来は貧しい人に仕える医者になりたい
と言っていた。別の、根っからブラジル人の一人
の 子生徒などは、いっしょに写真を撮ってくれ
という感じで戸惑うほどであった(笑)。
彼らは、眞樹子さんが活動されているオリンダ
や、サルバドールの黒人系の子弟に比べると、さ
まざまな意 ではるかに恵まれている。ここの生
徒はほとんどすべてが大学に進学するとのことだ
が、将来はブラジル社会のリーダーや、少なくと
もブラジル社会の中核を 成する層になる人たち
だと思われた。だからこそ彼らに、「でも、ほん
とうの社会のリーダーとはどんな人たちなのか。
震災支援のフィルムをとおして、それを えてほ
しい」と、あえて語った。
カナダで再会した 師が、“Be a caring person”
(他者をおもんばかる人であれ)という言葉をカ
ナダで教えられたと、以前語ってくれた。そのひ
そみに倣って言えば“To be a caring leader for
the underprivileged people in Brazil” (ブラジ
ルで、理不尽にしいたげられた人びとをおもんば
かるリーダーであること)は、彼らにこそ知って
ほしいと思わされたのである。どこまで通じたか
はわからないが・・・。いずれにせよ、このよう
な機会を用意してくださったことにたいしてもお
礼を申し上げたい。
最後に〜課題の確認と感謝
ラテンアメリカは、アフリカと同様、ブラジル
をはじめとして、やはり日本人には地理的にも心
理的にもまだまだ遠い国であり、地域である。そ
こに日本キリスト教団から、小井沼眞樹子宣教師
が派遣されている意義はきわめて大きなものがあ
ることを実感させられた。特に、カトリック教会
には、このたび南米出 の教皇がはじめて誕生し
た。その世界史的な意 を、日本のプロテスタン
トのキリスト者に伝える意 も、教団の宣教師に
は与えられていると思う。今後も日本人の一キリ
スト者として、眞樹子宣教師を支えていきたいと
思わされたことであった。
最後に、今回の研修の旅のために心を砕いて事
前の
にあたってくださった眞樹子さんに、何
よりも心からお礼を申し上げたい。また、サンパ
ウロ福音教会で出会った日系人のみなさま、特に
サンパウロ福音教会の 間サムエル牧師夫妻、野
副夫妻をはじめ、教会のみなさまに感謝申し上げ
たい。また、サルバドールで空港まで、長い道の
りをかけて出迎えに来てくださった石塚惠司牧師、
とりわけ、パラナ州での滞在に心を尽くしてくだ
さった佐々木治夫神父と、長崎純心聖母会のシス
ターのみなさま、イグアスではお仕事を超えて、
自宅での日系人の集いにお招きくださった旅行社
の斎藤さんにも感謝を申し上げたいと思う。背後
にあって、この研修を覚えてくださったラキネッ
トのみなさまと日本の師友・家族にも感謝したい
と思う。ほんとうにありがとうございました。
(了)
第7回ラ・キ・ネット聖書研修会報告
講師:高柳富夫(農村伝道神学校)
はじめに
今回の研修会は、9月16日(月)、17日(火)
の二日間、「共に学ぶ『イザヤ書53章』」という
テーマで、明治学院大学のブラウン館を会場に行
われました。出席者は23名でした。
講師と議論する参加者
イザヤ書53章は「苦難の僕の歌」と言われて、
5
キリスト教会ではイエスの苦難を預言したものと
して、キリスト論的にかつ贖罪論的に読み継がれ
てきました。ここには他者の罪の赦しのために
わりとなって苦難の死を遂げたと思われる僕の
姿が謳われているとされてきました。つまり、
「苦
難の僕の歌」は、他者のための 苦、 罰、 贖
を謳ったものであると、
久しく読まれてきました。
そして、その読みが、イエスの 字架刑死の意
を方向づけてきたのです。しかし、果たして、そ
の読みは妥当であるのか、オータナティヴな読み
の可能 はないのかを問いつつ、テクストの読み
直しを試みるというのが、今回の聖書研修会で掲
げた主要なテーマでした。
しかし、そのテーマになぜ取り組むのかのほん
とうの狙いは、そもそもイエスの 字架刑死を贖
罪の死とすることはできるのか、贖罪信仰とは何
か、そのような 字架解釈の問題 は何か、イエ
スはなぜ殺されたのか、イエスの 字架刑死の意
は何か、その意 を捉え直すことはどのような
在り方、生き方を現 に生きる私たちに指し示す
のかを、共に学び、語り合い、 え直すことにあ
ったのだと言えます。
いまここで、限られた紙幅の中では、今回取り
組んだ「イザヤ書53章」の読み直しを 全に報
告することはできません。読み直しの 要をご報
告し、イエスの 字架刑死の意 を捉え直すこと
への序説的なものに止めざるを得ないことをお断
りします。
りの贖いとして、ヤハウェによって受け入れられ
るというものです。
しかし、無罪の者が罰として死を被ることによ
り、有罪の者が自由になるという えは、 約聖
書において常に繰り返し明らかにされる公平の原
理に反します。本人の罪に対する罰は本人が受け
るものであり、本人が罪を償わねばならないもの
です。この点は、第二イザヤ自 が 40 章 1—2 節
で民は
に罪を償ったと述べていることからも
明らかであり、第二イザヤ本人にも 贖という贖
罪思想はないことが かります。また、
「僕」の死
と復活が言われているとすれば、それは紀元前 6
世紀のユダヤ教にはまったく 質なものです。
このような批判に って、ワイブレイはこの注
解において、
「僕」の
わりとしての苦難と死と
復活への推定的言及には実体がないこと、そのよ
うな推定はここで用いられている宗教詩的言語に
対する誤解によるものであること、さらにはここ
にキリストの苦難と死と復活の予示を見ようとす
るキリスト教徒解釈者の錯覚があることを明らか
にしています。
1. イザヤ書53章の読み直し
研修風景
53 章の文学様式は、苦難からの救済に対する個
人の感謝の歌ですが、その感謝は苦難を受けた本
人ではなく、彼の友人たちが述べているのです。
それは、第二イザヤがバビロニアの牢獄から解放
されたことに対する感謝であり、その解放が捕囚
の民全体の解放の兆しと受け止められ、第二イザ
ヤ自 が預言によって約束して来た捕囚民の救済
が今まさに始まろうとしていることを謳っている
のです。
苦、 罰、 贖という読みを導き出す要因は、
新共同訳のような4節の「僕」が語り手たちの病
いや痛みを担ったという翻訳や、5 節の語り手の
背きや咎のために「僕」が打たれ苦しめられたと
いう読みであり、極めつけは 5 節最後の「彼の受
けた傷によって、わたしたちはいやされた」とい
う言葉です。
「苦難の僕」が誰であるのかをめぐっては、長
い議論の歴史があります。大きく ければ集団説
か個人説か、さらに個人説にも歴史的人物か将来
するメシアかといった議論が積み重ねられて来て
おり、未だに決着はついておりません。
R.N.ワイブレイは『イザヤ書40−66章』
(ニ
ューセンチュリー聖書注解 教団出版局)の中で、
従来の読みとは なる注解を提示しています。以
下はその 要です。
「僕」は預言者第二イザヤ本人であり、語り手
は「われわれ」が示すように第二イザヤではなく、
その仲間である捕囚民の中の一グループです。従
来の通説では、
「僕」は敵によって死に至らしめら
れたが、ヤハウェにより生命を回復されるのであ
り、その苦難と死は他者たちの罪のための
わ
6
しかし、
「彼の傷によって」とは 苦、 罰、
贖を意 するものではなく、
「僕」としての第二イ
ザヤが預言者としての義務を果たす中で、苦しみ
を受ける えをしていることを意 するのであり、
この「彼の傷」無しには、ヤハウェが 的を達成
するために用いる手段としての預言者第二イザヤ
の言葉は宣言されなかったのです。語り手はその
ことを認識して語っているということです。
ですから、
「僕」は自 の仲間である捕囚民と一
緒に苦しんだのであり、その苦しみは 苦ではな
く共苦であったことが強調される必要があります。
「僕」の苦難は、語り手たちの苦難と根本的には
同じ原因によるのであり、語り手たちは、自 た
ちの苦難における「僕」との同一 に気づいたこ
とを語っているのです。「僕」が彼らの代わりに
苦しんだことを示すようなものは何もありません。
2. 「苦難の僕の歌」とイエスの十字架刑死
これまでしばしば、イザヤ書 53 章の「苦難の
僕の歌」とイエスの 字架刑死=贖罪死という解
釈との一種因果的な密接な関係が広く認められて
きました。それは、
「正統主義的」 場に つ者に
限らず、 字架の贖罪理解を否定的に批判する者
にも共通して認められる理解です。最初期のイエ
スの弟子たちの中のある者たちは、イエスの 字
架刑死の意 を解釈するに際して、イザヤ書 53
章の「苦難の僕の歌」を手掛かりとし導き手とし
て、イエスの死は 罰、 苦、 贖としての、罪
のゆるしのための
わりの死であると理解し、
そこから歴史的・伝統的キリスト教における 字
架による贖罪という教義が成 して来たというわ
けです。
しかしながら、上記「イザヤ書53章の読み直
し」が成り つとすれば、はたして最初期キリス
ト教における 字架の贖罪理解とイザヤ書 53 章
の因果関係とも言うべき結びつきは自明のことで
あるのかが、再 されなければなりません。
事実、新約聖書全体の中に、イザヤ書 53 章の
明確な痕跡を見出すことはそれほど容易ではない
のです。その事実については、イザヤ書 53 章の
記念碑的研究書とも言われる中沢洽樹氏の『苦難
の僕』(1975 年山本書店)においても明らかにさ
れております。ただし、中沢氏の論点は「苦難の
僕」の贖罪死の意義が新約聖書全体においても未
だ 全に捉えられていないというものですが。最
初期キリスト教のすべてがイエスの 字架刑死を
贖罪死と解釈したわけではないのですから(例え
ば、いわゆる Q 資料にはその理解はない)、七
人訳の
をも含めて、イザヤ書 53 章と 字架
=贖罪との因果関係を精査しなければなりません。
イエスの 字架刑死をめぐる根本的な問いは、
イエスはなぜ 字架(実際には杭)につけられて
殺害(ネクローシス)されたのかということです。
それは、全人類の罪の贖いのためであったのでし
ょうか。イエスは神の独り子であった(ヨハネ 3:
16)としても、神はその最愛の独り子のいのちを
犠牲の献げ物、贖罪の献げ物としなければ、罪を
赦すことをしないというような存在なのでしょう
か。そのような神は、果たしてイエスが宣べ伝え
た神なのでしょうか。むしろイエスは、
わり
の犠牲を求める贖罪信仰を徹底的に否定克服する
道を歩んだがゆえに、そのような贖罪信仰を土
として成り つ神殿宗教支配体制とその体制の担
い手たちによって排除され殺害されて行ったので
はないでしょうか。
各グループの検討結果発表
私たちがイエスの 字架刑死を観て思いを致さ
なければならないことは、そこに自 の罪の贖い
を見出すのではなく、そこにまで至ったイエスの
生における言葉とふるまいをこそ、よくよく想い
起こさなければならないということではないでし
ょうか。そのイエスの言葉とふるまいが指し示し
ているのは、明らかに、神の無条件、無前提、無
差別、無制限の愛と赦しであるということです(マ
タイ 3:28, 5:4,45, 6:25-34, 18:22, 20:1-16, 21:31,
ルカ 6:21, 15:11-32, 17:21, 18:9-14 など参照)。そ
して、それこそが、イエスが言う「福音」という
ものではないでしょうか。
イエスの 字架刑死を贖罪の死として意 づけ
解釈をすることは、結果的に犠牲の死や殺害の意
義を認めて肯定することに繋がります。歴史的キ
リスト教が繰り返して来た暴力や迫害、抑圧や排
除の深い根っこのところに、この 字架=贖罪と
7
いう解釈があると思われてなりません(ルネ・ジ
ラール)。この問題を再 することは、私たちキリ
スト者が責任を負うキリスト教の暴力 や迫害
を克服して行くために、どうしても取り組み続け
て行かなければならない課題であると えており
ます。
ラキネット新年ミニ集会のご案内
主題:
『東アジアにおける和解と赦し』
講師:池尾
靖志さん
講師プロフィール
南京大虐殺記念館の中にある広場の壁には、「忘れるこ
とはできないが、赦すことはできる」と書かれています。
戦争による犠牲者たちは、戦争犯罪による被害を決して
忘れることはありません。しかし、戦争のもつ非人間的な
残虐 を認め、反省することによって、私たちは赦される
のです。
今、日中関係は最悪の関係にあると言われます。しか
し、その壁をつくりだしているのは、「国家による誇り」
を重んじるばかり、「人間としての誇り」を捨ててしまっ
た私たちなのではないでしょうか。
中国の大学生に講義すると、日本のメディアが煽り て
るような反日感情はなく、対話を求める真剣な姿を の当
たりにします。そこには、日本の大学生がもっているイメ
ージとは なる姿があります。
この集まりでは、2013 年 11 月に、中国・南京大学に
おける平和学講義の様子を手がかりに、「東アジアにお
ける和解と赦し」について、みんなで語らう場にしてい
きたいと思います。
1968 年、名古屋市生まれ。立命館大学
非常勤講師、明治学院大学キリスト教研究
所客員研究員、平和学・国際関係論専攻。
沖縄県での基地移設反対運動などの調査
を踏まえ、米軍基地を抱える自治体の平和
政策などを研究。日本基督教団仁川教会
員。
著書に『自治体の平和力』(岩波書店)、
編著に『平和学をつくる』(晃洋書房)、伊
波洋一氏・井原勝介氏との共著に『地域か
ら平和をきずく』(晃洋書房)、安斎育郎氏
との共編著に『日本から発信する平和学』
(法律文化社)など。
事前の参加申し込みの必要はありま
せん。当日、直接おいでください。
1)日時
2014 年 1 月 25 日(土) 13:30~16:00(開場 13:00)
2)場所
日本基督教団 なか伝道所
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(根岸線 石川町駅下車 徒歩 7 分)
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参加費:200 円
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<編集後記>
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