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地場産業産地の構造変化に関する地理学的研究 ―瀬戸内地域を中心

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地場産業産地の構造変化に関する地理学的研究 ―瀬戸内地域を中心
学 位 論 文
地場産業産地の構造変化に関する地理学的研究
―瀬戸内地域を中心として―
平成25年3月
塚 本
僚 平
岡山大学大学院
社会文化科学研究科
目次
第1章 はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
第1節 問題の所在と本研究の目的
第2節 地場産業の定義とその類型
第3節 瀬戸内工業地域と当該地域における地場産業の位置
第2章 地場産業研究の成果と課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 21
第1節 地場産業研究の展開と特徴
第2節 従来的手法による近年の地場産業研究
第3節 新しい視角からの地場産業研究
第4節 本研究における視座と方法
第3章 香川県東かがわ市における手袋製造業・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 42
第1節 地域概観
第2節 東かがわ手袋産地の概要
第3節 東かがわ手袋産地における生産・流通構造の変化とその背景
第4節 企業行動の個性化と産地の変化
第5節 小括
第4章 愛媛県今治市におけるタオル製造業・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 68
第1節 地域概観
第2節 わが国におけるタオル製造業の展開
第3節 今治タオル産地の歴史的展開と近年における産地縮小
第4節 ブランドの構築とその他の戦略の関係性
第5節 変化する産地の生産・流通構造と産地維持要因
第6節 小括
-i-
第5章 香川県丸亀市におけるうちわ製造業・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 96
第1節 地域概観
第2節 丸亀うちわ産地の概要
第3節 産地構造の変化とその背景
第4節 小括
第6章 おわりに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・120
第1節 本研究の概要
第2節 本研究の成果と今後の課題
文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・129
- ii -
図目次
図1-1 調査対象地域・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4
図3-1 調査対象地域概略地図・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・42
図3-2 手袋製品の全国出荷額の推移とその内訳・・・・・・・・・・・・・・・・・44
図3-3 各種手袋製品の府県別出荷額割合・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・46
図3-4 高度経済成長期以前の生産・流通構造・・・・・・・・・・・・・・・・・・48
図3-5 生産・流通構造の変遷・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・49
図3-6 東かがわ手袋産地の事業所数・販売金額(製品別・内外需別)の推移・・・・50
図3-7 手袋製品および関連分野製品の分化系統・・・・・・・・・・・・・・・・・51
図3-8 東かがわ市周辺における手袋製造事業所の立地状況・・・・・・・・・・・・55
図3-9 A・C・E 社による海外工場および営業所等の設置状況・・・・・・・・・・・57
図4-1 調査対象地域概略地図・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・68
図4-2 全国的なタオル関連製品の製造品出荷額の推移・・・・・・・・・・・・・・69
図4-3 全国的なタオル関連製品の単価の推移・・・・・・・・・・・・・・・・・・70
図4-4 今治タオル産地における企業数・従業者数の推移・・・・・・・・・・・・・72
図4-5 今治タオル産地における生産量・生産額の推移・・・・・・・・・・・・・・73
図4-6 国内市場における輸入製品の浸透率の推移・・・・・・・・・・・・・・・・74
図4-7 今治タオル産地における生産・流通構造の変化・・・・・・・・・・・・・・87
図4-8 今治タオル産地における諸要素の連関・・・・・・・・・・・・・・・・・・89
図5-1 調査対象地域概略地図・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・96
図5-2 2006 年時点のうちわ製造業事業所等の立地状況(所属組合別)
・・・・・・・99
図5-3 丸亀うちわ産地における販売総数量・事業所数の推移・・・・・・・・・・ 100
図5-4 丸亀うちわ産地における従業者数の推移・・・・・・・・・・・・・・・・ 100
図5-5 原料転換期における竹・ポリうちわの生産量の推移・・・・・・・・・・・ 103
図5-6 原料転換期における工程別の事業所数・従業者数の推移・・・・・・・・・ 104
図5-7 原料転換期における男女別従業者数・平均年齢の推移・・・・・・・・・・ 104
図5-8 原料転換期における1企業当りの従業者数・販売数量の推移・・・・・・・ 105
図5-9 丸亀うちわ産地における産地内構造の変化・・・・・・・・・・・・・・・ 110
図5-10
丸亀うちわ産地における製造パターンの変化・・・・・・・・・・・・・・ 114
図5-11 事例企業における生産構造の変化(京極団扇所属事業所 A 社)
・・・・・・・115
- iii -
表目次
表1-1 わが国の製造業に占める地場産業の割合・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2
表1-2 瀬戸内工業地域と主要工業都市における製造品出荷額と主な業種構成(2005 年)
・・・13
表1-3 主要工業地帯と瀬戸内工業地域の規模および地場産業産地の数(2005 年)・・14
表3-1 府県別にみた手袋製品の製造品出荷額とその割合(2005 年)
・・・・・・・・45
表3-2 手袋製品の品目別単価・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・46
表3-3 東かがわ市・さぬき市の製造業に占める手袋製造業の割合(2008 年)・・・・47
表3-4 東かがわ手袋産地の企業による海外進出の状況(2008 年3月 31 日時点)
・・ 53
表3-5 事例企業の概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・56
表4-1 今治市の製造業に占めるタオル製造業の割合(2008 年)・・・・・・・・・・76
表4-2 「今治タオルプロジェクト」の概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・78
表4-3 産地に関する認知度の変化・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・79
表4-4 今治産地における主要なタオル製造業企業・・・・・・・・・・・・・・・・80
表4-5 事例企業の概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・80
表4-6 事例企業にみる各種の変化(1990 年と 2012 年の比較)
・・・・・・・・・・ 82
表5-1 府県別のうちわ・扇子の出荷額の推移・・・・・・・・・・・・・・・・・・97
表5-2 丸亀市の製造業に占めるうちわ製造業の割合(2005 年)・・・・・・・・・ 102
表5-3 経営形態別・所属組合別のうちわ製造事業所数(1974 年度)
・・・・・・・ 106
表5-4 経営形態別・所属組合別のうちわ製造事業所数(2005 年度)
・・・・・・・ 106
表5-5 製造工程別にみた従業者数(1974 年度)
・・・・・・・・・・・・・・・・ 107
表5-6 製造工程別にみた従業者数(2005 年度)
・・・・・・・・・・・・・・・・ 107
- iv -
第1章 はじめに
第1節 問題の所在と本研究の目的
地理学における地場産業研究の端緒は,1950 年代における在来工業研究 1)や伝統産業研
究 2)にある。その後,高度経済成長期を通じて国内の産業構造が大きく変化するなかで,地
場産業産地における各種の変化を捉えようとする動きが活発化し,多数の事例研究が蓄積
された。また,高度経済成長期後半から安定成長期にかけてのいわゆる「地方の時代」に
おいては,地場産業が地域経済に果たす役割が注目された。その結果,地理学者だけでな
く経済学者らを中心とした「地域主義」論者 3)による研究も盛んに展開され,地場産業研究
の蓄積はさらに厚みを増すこととなった。
しかし,1980 年代後半になると,高度経済成長期の民芸ブームによって活況を呈した伝
統的産地や,海外輸出によって産地を拡大させてきた輸出型産地を含む,大半の地場産業
産地が衰退傾向を示すようになった。そうした傾向は,地場産業と製造業全体の事業所数・
従業者数・生産額(製造品出荷額等)の近年における推移を示した表1-1からも読み取れ
る。1997 年と 2005 年の数値を比較すると,地場産業については事業所数が 44.4%減,従
業者数は 44.7%減,生産額は 50.5%減と,いずれも大幅な減少が看取される 4)。一方,製
造業全体では,事業所数が 23.5%減,従業者数は 18.4%減,製造品出荷額等は 8.7%減と,
地場産業に比べて減少幅は小さい。そのため,いずれの指標においても,製造業全体に占
める地場産業の割合が低下傾向にあることが確認できる。
このような地場産業の衰退・縮小傾向を生むこととなった要因として,円高による輸出
型産地の不振,消費者需要の変化,第三次産業の成長に伴う新規就業者の減少,安価な代
替品の登場や輸入品の増加などがこれまでの研究で指摘されてきた。また,近年では,国
内経済の低迷による内需の不振や,企業による資金調達の困難化といった点も衰退・縮小
要因として指摘されている。以上のような社会・経済的変化に伴う地場産業全体の不振と,
製造業全体に占める地場産業の地位低下は,地場産業の重要性低下という認識を生むこと
となった。そのため,地場産業全体の衰退傾向が強まったことと軌を一にして,地理学に
おける地場産業研究も下火になってゆき,研究数の減少が指摘されるようになった 5)。
しかしながら,同時期における日本国内の製造業は,円高の進行や海外製品の輸入増大,
グローバリゼーションの進展,新興国の急速な経済成長,バブル崩壊以降の長期にわたる
景気低迷といった様々な環境変化を受け,大幅な構造変化を遂げている(阿部・山﨑,2004)
。
-1-
表1-1 わが国の製造業に占める地場産業の割合
事業所数
従業者数
生産額(製造品出荷額等)
地場産業
製造業
割合 地場産業
製造業
割合 地場産業
製造業
割合
(事業所) (事業所) (%) (人)
(人)
(%) (億円) (億円) (%)
1997
74,881
612,830
12.2
690,287 10,473,141
6.6
136,977 3,265,157
4.2
1998
66,219
643,468
10.3
667,358
10,399,378
6.4
128,142
3,093,056
4.1
1999
64,047
596,863
10.7
669,811
9,904,473
6.8
117,050
2,945,015
4.0
2000
60,183
589,713
10.2
567,942
9,700,039
5.9
110,023
3,035,824
3.6
2001
53,805
550,199
9.8
510,672
9,349,026
5.5
100,046
2,892,771
3.5
2002
46,687
536,591
8.7
519,631
8,783,805
5.9
96,141
2,716,415
3.5
2003
48,558
504,530
9.6
489,747
8,658,392
5.7
87,155
2,762,302
3.2
2004
40,169
491,020
8.2
405,714
8,565,954
4.7
74,517
2,867,784
2.6
2005
41,655
468,841
8.9
381,521
8,551,209
4.5
67,868
2,981,253
2.3
注:1998・2000・2003・2005 年における製造業の数値は,従業者4人以上の事業所に関する統計と従業
者3人以下の事業所に関する統計の数値を合計したものである。その他の年における製造業の数値は,
推計を含む全製造事業所に関する統計の数値を使用している。
また,生産額は,地場産業については「全国の産地」における「生産額」を,製造業については「工
業統計表」における「製造品出荷額等」の数値を使用している。
資料:「工業統計表(産業編)
」および「全国の産地―産地概況調査結果―」各年版より作成。
こうした環境変化による影響は,地場産業産地にも当然及んでおり,その影響は小さくな
いものと推察される。こうした点を踏まえると,近年における産地構造の変化を捕捉し,
その変化を引き起こした要因やメカニズムを分析することが今日の地場産業研究に求めら
れているといえる。
また,これまでの地場産業研究では山崎(1977)等にみられるように,産地をいくつか
の指標に基づいて分類し,類型別に分析するという手法が試みられてきた 6)。そのような分
類の代表的なものに,産地の歴史性・伝統性に基づいた「伝統型」と「現代型」という類
型区分がある 7)。研究者によって若干の相違はあるものの,前者は主に江戸時代以前に起源
をもつ産地を指し,今日,伝統的工芸品やそれに類する製品を産出しているものが該当す
る。一方,後者は,主に明治期以降に産地が形成されたものを指し,このなかには海外か
らの技術移転によって成立した産地も多く含まれる。
近年,
「伝統型」の産地では,上野・政策科学研究所編(2008)などで報告されているよ
うに,歴史性・伝統性と,それに基づく手工的生産によって製品の高付加価値化を図り,
産地の維持を図っているケースが多く見受けられる。特に,1974 年に制定された「伝統的
工芸品産業の振興に関する法律」に基づいて指定を受けた産地では,伝統的な原料・製法
によって多くの製品が産出されており,これらの産地では従来からの生産・流通構造を維
-2-
持し,それらを固定化することが産地の維持につながってきたといえる。
一方,
「現代型」の産地では,高度経済成長期に普及品を量産することで産地を拡大させ
たケースが多くみられた。しかし,そうした産地で生産される製品の多くは,基本的な製
法が確立・成熟しているために,生産コストの安い海外での生産が比較的容易である。そ
のため,近年では国際化・グローバル化に伴う海外製品との競争が激しさを増しており,
それにより多くの産地が打撃を被っている。また,普及品の日用消費財を主力製品として
きたこれらの産地では,先の「伝統型」産地のように歴史性や伝統性によって製品の高付
加価値化を図ることが難しい。そのため,近年では製品や生産・流通経路の大幅な革新や
転換によって,産地の維持を図っていることが予想される。
さらに,これと同様の現象が,一部の「伝統型」産地においても生じていると推察され
る。
「伝統型」産地のなかには,高度経済成長期に製品や製法を転換することによって,
「現
代型」の産地と同様に量産化を指向した産地(「伝統―転換型」産地)があるが,こうした
産地では,量産体制の拡大によって本来有していた伝統的かつ手工的な製法の産地内にお
ける重要性が薄れているケースが多い。そのため,これら「伝統―転換型」の産地におい
てもまた,歴史性や伝統性に基づいた製品の高付加価値化が難しくなっており,そのため
「現代型」産地と同様に大幅な変化が生じていることが予想されるのである。
さらに言えば,従来の地場産業研究では,陶磁器や織物などを産出する「伝統型」の地
場産業産地が主な研究対象とされる一方で,
「現代型」あるいは「伝統―転換型」の地場産
業産地を対象とした研究は非常に少なかった 8)。そのため,かねてよりこうした産地におけ
る変化や実態が十分に明らかにされているとは言い難い状況にあった。これらの点を踏ま
えると,これまで研究対象とされることが少なかったこれらの地場産業産地をとり上げ,
近年生じていると予想される大幅な構造変化を捉え,その実態を明らかにするための事例
研究を蓄積する必要性が高いといえる。
以上のような問題意識から,本研究では地場産業産地のなかでも特に,「現代型」と「伝
統―転換型」の産地に焦点を当てる。対象地域は,
「現代型」の産地として香川県の東かが
わ手袋産地と愛媛県の今治タオル産地を,
「伝統―転換型」の産地として,香川県の丸亀う
ちわ産地を選定した(図1-1)
。そして,日本の産業構造が大きく変化した高度経済成長期
から今日までの期間に,これらの産地において生じた変化を生産・流通構造を中心に捉え,
その要因を分析する。また,それとともに,現在の各産地の実態を明らかにし,産地内企
業の立地継続要因を検討することで,
「現代型」
・「伝統―転換型」地場産業の産地維持要因
を明らかにしたい。
以下では,まず本章第2節において地場産業の定義やその類型に関する議論を整理し,
-3-
図1-1 調査対象地域
第3節では事例産地が位置する瀬戸内地域の工業の特性を確認する。そして,第2章にお
いて従来の地場産業研究の成果を振り返るとともに,本研究の分析視角を明確化する。続
く第3章~第5章においては,東かがわ手袋産地(第3章),今治タオル産地(第4章),
丸亀うちわ産地(第5章)それぞれの対象地域における調査結果を第1章および第2章で
示した問題意識と分析視角に沿って整理し,検討する。これらの事例研究では,工業統計
表や役所・産地組合等による統計資料と,現地での組合や企業への聞き取り調査を相補的
に用いている。そして第6章では,上記の3事例の比較・検討を通じて得られた知見をま
とめたい。
第2節 地場産業の定義とその類型
(1)地場産業の定義
本項では,具体的内容に移る前段階として,これまでの地場産業研究を振り返りつつ,
-4-
地場産業の概念について整理したい。地場産業は,多数の中小零細企業によって形成され
る産業集団を指す言葉であるが,その定義は厳密に定められていない。これまで地理学や
経済学など様々な学問領域において,地場産業を対象とした研究が展開されてきたが,そ
こでは様々な定義が示されてきた。
地場産業の定義が具体的に示されるようになったのは,地場産業研究が盛んになり始め
た 1960 年代後半であった。例えば,その時期に上田(1969)は,地場産業を「産地産業あ
るいは地方産業とよばれる中小工業とほぼ同義語に解釈し」たうえで,地場産業には「伝
統を持つ産業として,地域的に産地を形成し,地元資本がその地域の豊富,低廉な労働力
を動員しつつ,特産品を生産している」という共通した特性が認められると指摘している
(p.273)
。
その後,1970~1980 年代初頭にかけて地場産業研究が活発化した際には,こうした定義
を基礎としつつ,当時の地場産業を取り巻く社会・経済的状況を踏まえた定義が多くの地
理学者や経済学者らによって示された。
地理学において示された定義の一つに,板倉(1978)によるものがある。板倉(1978)
は「中央金融資本の恩恵に浴さない中小零細工業群であ」り,かつ「主として日用消費財
を生産している」産業に注目したうえで,「近隣の消費者を対象とした比較的販売領域のせ
まい」近在必要工業とは別に,
「いくつかの特定の産地で全国的な需要に向けて生産を行っ
ているもの」を「地場産業と呼ぶことにする」と述べている(p.1)。これとほぼ同内容の
定義が竹内(1980)によっても示されていることから
9),当時の地理学界における地場産
業に対する認識は,おおよそ上記のようなものであったと理解される。
これに対し,同時期の経済学において示された地場産業の定義をみると,山崎(1977)
は①歴史性,②中小零細企業群による集積地域の形成,③社会的分業構造の形成,④特産
品の生産,⑤広域な市場の存在,という5つの一般的特性を満たすものを地場産業として
定義している(pp.6-9)
。山崎と同様,地域主義の見地から多数の地場産業に関する研究
成果を残している清成(1975・1978)も類似した定義を提示しており 10),当時の経済学者
の間では,上記のような特徴を有する産業が地場産業として理解されていたものと推察さ
れる。
双方の定義を比較すると,産地(集積地)の形成や,広域な市場を対象としつつ社会的
分業による生産活動が行われていることなど,共通した特徴が地場産業の特徴・要件とし
て指摘されていることが分かる。だたし,両者の間には2つほど大きな相違点が見受けら
れる。
まず一つは,経済学における概念規定においてのみ,産地・産業の歴史性・伝統性が要
-5-
件として挙げられている点である。歴史性や伝統性が地場産業の要件とされる理由は,地
場産業研究がかつての在来工業研究や伝統産業研究の延長線上に位置しているためである。
後述するように,かつて伝統産業や在来工業と呼ばれた産業は,欧米諸国から移殖された
近代工業との対比の中で産業特性が把握されていった。そのため,産地や産業の歴史性・
伝統性が注目されることとなったが,李(1991)は「発生は古くとも盛んになったのは比
較的新しい産地も少なくないし,さらに戦後の新興産地も存在する」(p.149)として,地
場産業の要件に歴史性・伝統性を含めることに疑義を呈している
11)。さらに言えば,これ
までの研究で積極的にとりあげられてこなかった明治期以降に新たに生まれた地場産業も,
今日では十分な歴史性・伝統性を有していると考えられる。こうした点を踏まえると,今
日,地場産業の要件として歴史性・伝統性を強く求めることは実態にそぐわないといえる。
もう一つの相違点は,地理学における概念規定においてのみ,資本の地場性が要件とし
て挙げられていることである。これは,地域性を重視する地理学の視点を反映したものと
いえ,地理学者によって同時期に示された他の概念規定にも,資本の地場性を要件として
いるものが確認される
12)。しかし後年,原料や労働力の域内調達が困難化するとともに,
地域外からの資本の借入,地域外企業の参入といった変化が生じてきたことで,この資本
の地場性を地場産業の要件とすることについても疑問が呈されるようになった。例えば,
川喜多(1990)は「地場産業とは,
「おおむね一定の狭い範囲の地域内にある産品の製造業
者が集積し,その盛衰が地域の経済にとってきわめて重大な影響をおよぼす」ものである」
と述べたうえで,「
「地場産業とはなにか」について,われわれは以下のような俗論は廃し
ておく」とし,
「域内資本」を要件に含めることや,産地の構成企業を「地元業者」に限定
すること,
「地場資源」を利用しているとすること等を地場産業の要件としないことを明言
している(pp.79-81)13)。
このように,1970~1980 年代の地理学と経済学における地場産業の定義には,産地・産
業の歴史性・伝統性と資本の地場性に関して相違点がみられたものの,中小零細企業群に
よる産地(集積)の形成や,それらの企業群による社会的分業,広域な市場を指向した特
産品的な消費財の生産といった特徴が共通して指摘されていた。
しかし,その後,地場産業を取り巻く社会・経済的環境が変化するなかで,上述した資
本の地場性など一部の要件は,徐々に実態にそぐわないものとなっていった。そのため,
地場産業研究が減少しはじめた 1980 年代後半以降にも,いくつかの定義が示されたが,そ
のなかには,板倉(1980)や山崎(1977)らによる概念規定に類似したもの 14)があった一
方で,新たな見解を含むものも多く提示された。先の川喜多(1990)による定義も,そう
した新たな見解を含んだものの一つであったといえる。
-6-
そのほかにも,下平尾(1996)は「地場産業は,住民の生活の必要から発生したもの,
および地域外に生産物を販売して収入を得る必要から展開したものであり,種々多様であ
るが,時代の変遷によって経済的に淘汰され,生き残った地域に根ざした産業である」(p.
3)としている。また,関(1998)は「第一に,人々の日常の生活圏といったレベルの空
間的な範囲(地域)の中で,特定製品生産に携わる生産者が集中的に立地(産地化)して
いること。第二に,それらが主として地場の中小企業によって担われていること。そして,
第三に,そうした特定製品,特定生産者集団が地域の重要な存在となり,地域の歴史,文
化に多大な影響を与えていること。
」
(pp.14-15)という3点を満たすものを地場産業として
定義している。このように,後年になって示された地場産業の定義には,その要件を比較
的緩やかに設定したものが多いが 15) ,それは社会・経済的な変化を経るなかで,地場産業
の実態が変化しはじめたことを反映したものと理解される。
なお,上記の内容に加え,地場産業の定義に関して以前から議論されている事柄として,
地場産業によって産出・供給される財の属性に関する問題がある。板倉(1980)ら多くの
地理学者はその財の属性を「消費財」としているが,一方で山崎(1977)などは,その属
性を「特産品」としている。この点について板倉(1980)は,地場産業を「日用消費財の
はしけ
広域生産として近在必要工業と区別されるものである」
(p.2)としたうえで,伸線や 艀 と
いった特殊製品の存在,織物のようにかつては最終消費財であったものの,需要の変化か
ら縫製業の素材として川上産業に属するようになったものの存在等を考慮し,その製品属
性を「
「大体において日用消費財」というていどの属性としておきたいと思う」
(p.3)とし
ている。
また,今日における地場産業の実態を踏まえると,そこで産出・供給される製品の属性
は板倉(1980)が言うように,
「大体において日用消費財」としておくことが妥当であろう。
なぜなら,今日では陶磁器業等で典型的にみられるように,依然として独自の製品(特産
品)を産出する産地がある一方,複数の産地で生産されているものを生産する産地や,海
外で生産される消費財と同様のものを生産する産地があり,地場産業製品の属性が必ずし
も特産品であるとはいえないからである。
加えて,清成(1980)は財の属性を消費財に限定する理由として,
「資本主義経済の再生
産軌道の確立とともに投資財工業」において「軽工業からの自立化が進む」ことを挙げて
いる(p.44)
。そして,
「消費財工業においても,大量生産工業化すれば…供給面で地域の制
約を打ち破って展開するタイプ」が生じることから,清成は「地域的独自性を有するタイ
プ」の消費財工業を特に地場産業と呼んでいる(p.44)。ただし,実際には「地場産業にお
いて投資財の生産が部分的に含まれるといった事態はしばしばみられる」ため,
「理念型と
-7-
して…地場産業を消費財産業に限定するほうが妥当であろう」と述べている(p.44)
。
以上,これまでの地場産業の定義に関する議論や,近年における地場産業の実態を考慮
すると,地場産業の定義を定めるにあたり,従前のものに比べやや緩やかにその要件を設
定する方が今日的状況に則しているといえる。そこで,本研究では地場産業を「中小零細
企業を中心とした多数の企業が特定地域に集中して立地し,地元資本や社会的分業をベー
スとした生産活動によって特産品あるいは消費財を産出し,それらを広く国内外の市場へ
と供給する産業」と定義したい。
(2)地場産業の類型
前項でみたように,地場産業という用語の定義を厳密に定めることは困難であるが,そ
れは地場産業という語が,それぞれに異なった特色を有する多数の産業を包含することに
起因している。そのため先述したように,従来の研究ではそうした産業群をいくつかの指
標に基づいて類型化したうえで,それぞれの産地・産業の構造を分析し,特性を把握する
という手法が採られてきた。
そうした研究の代表例である山崎(1977)では,①歴史,②市場,③立地,④生産形態,
⑤地域的分業の各点からみた類型が示されている。①は産地形成期に基づいた分類であり,
江戸時代以前に形成されたものが「伝統型地場産業」,明治時代以後に形成されたものが「現
代型地場産業」として類型化される。②では,各産地が指向する市場別に「輸出型地場産
業」と「内需型地場産業」が区別される。③は産地が位置する地域に基づいた分類であり,
そこでは「都市型地場産業」と「地方型地場産業」という分類がなされている。④は産地
内における工程間分業の有無を基準とするものであり,
「社会的分業型地場産業」と「工場
一貫生産型地場産業」という類型が示されている
16)。⑤は企画・開発,原料調達,生産,
販売といった各種の機能が産地内に揃っているか否かを基準としたもので,
「産地完結型地
場産業」と「非産地完結型地場産業」に区分される。
しかしながら,これらの類型区分は 1970 年代に示されたものであるため,今日の状況に
そぐわないものが少なくない。特に,②~⑤の類型については,社会・経済的な変化を経
た今日においては,以下のような理由から十分な妥当性や有用性を持ち得ないといえる。
②の類型のうち,
「輸出型地場産業」という分類は,高度経済成長期を中心とした時期に,
生産コストの安さを活かした欧米諸国への輸出によって,成長・拡大を達成した産地を指
すものである 17)。しかし,日本の経済成長に伴う労賃の高騰や 1985 年のプラザ合意以降の
円高によって,これらの産地の大半は輸出による成長が困難となり,以後,衰退・縮小あ
るいは内需指向への転換を強いられた。結果,今日では「輸出型地場産業」と呼べるほど
-8-
の輸出率を示す産地は非常に少なく
18),大半の地場産業産地が「内需型地場産業」となっ
ている。
③の「都市型地場産業」と「地方型地場産業」という分類は,産地が存在する地理的な
位置に基づく分類であり,一見,今日においても妥当性があるように思われる。しかし,
この分類の根拠を山崎(1977)らは,地域による労賃の相違や知識・情報の偏りといった
ものに求めている。すなわち,
「都市型地場産業」は,知識・情報が集積している大都市に
おいて,高加工度・高付加価値の製品を産出する産地であるとされるのに対し,
「地方型地
場産業」は,低廉な単純労働力が豊富に存在する地方部において,低価格の普及品を産出
する産地であるとされる。
しかし,今日では低価格の普及品の生産は,海外に移転している場合がほとんどであり,
いずれの地場産業産地においても,知識や情報を活用したり,歴史性や伝統性を利用した
りすることで製品を価値づけ,他産地あるいは海外製品との差別化を図っている。また,
このことと関連して,今日では産地外企業との連携による新製品・新技術の開発なども進
展している。それ以外にも,通常,原料調達や販売の場面では,産地外の商社や問屋との
取引関係を有している場合がほとんどである。そのため,⑤の「産地完結型地場産業」と
「非産地完結型地場産業」という分類についても,今日では十分な妥当性を持ち得ないと
いえる。
④の地域的分業による分類に関しては,今日における各産地の実態を鑑みた際に,どの
ような基準によって「社会的分業型」と「工場一貫生産型」を分類するのかという難しさ
がある。実際の産地に目を向けると,主に 1980 年代以降,生産の効率化や技術・情報の漏
洩防止といった観点から,自社による一貫生産を指向する企業が増加傾向にある。ただし,
その一方で,それらの企業が依然として産地内の他企業との連関を失っていないケースも
散見されるのである。また,一部の企業が一貫生産化を進める一方で,その他の企業は従
来の社会的分業による生産を継続しているという場合も多い。そのため,④についてはそ
の明確な分類基準を明示することが難しく,類型区分としての有用性に欠けるという問題
点が指摘できる。
このように,1970 年代に示された類型の多くは,社会・経済的な変化を経るなかで,そ
の妥当性や有用性に疑問が生じているが,①歴史に基づいた類型(伝統型地場産業・現代
型地場産業)については,今日においても一定の妥当性・有用性を保持していると考えら
れる
19)。先述したように,この類型区分は産地形成の時期を江戸時代以前のもの(伝統型
地場産業)と,明治時代以降のもの(現代型地場産業)とに区分するものである。具体的
には,織物や陶磁器といった伝統的工芸品や,それに類する製品を産出しているものが伝
-9-
統型地場産業に該当し,工芸品以外の日用消費財を産出する産地―本研究でとりあげる手
袋やタオルなど,明治期を中心に海外からの技術移転によって成立したもの―が現代型地
場産業に相当する。
ただし,ここで留意すべき点は,多数の地場産業が産地形成以後,社会・経済的な変化
を経験するなかで,生産・流通構造をはじめとする産地や産業の形態・特徴を変化させて
きたという事実である。例えば,原料転換によってプラスチック製漆器の生産が拡大した
石川県の山中漆器産地や,時代の変遷とともに幾度も主力製品を転換させてきた新潟県燕
市の金属製品産地は,いずれも江戸時代に起源をもつ産地でありながら大幅な変貌を遂げ
た産地の典型例として知られている。そして,これらの産地では原料や主力製品の転換に
ともない,新しい生産形態―工程の機械化や省力化,生産性の向上といった特徴がみられ
る―が産地内で重要な位置を占めるようになるとともに,指向する市場も変化してきたこ
とが明らかになっている(山崎,1974・1977,関・福田,1998 など)。
こうした産地の変化について山崎(1977)は,
「伝統という意味を広く解釈」するとした
うえで,「現在産地で産出する製品が昔とだいぶ変わっていたとしても,産地の形成をみた
江戸時代ないしそれ以前からの伝統がいまだ根強く産地の根底に残っているものをここで
は伝統型地場産業とみなすことにする」
(p.26)としている。そして,より具体的には,
「製
品にいまだ伝統工芸技術の一端が活かされているとか,産地の様相がかなり近代的,現代
的になっているとしても,少数ではあるが伝統工芸品を製作している企業が残っている」
場合には,それを伝統型地場産業とみなすと述べている(p.26)
。
しかし,この山崎(1977)による見解では,伝統性が存続しているか否かという点のみ
が注目されており,伝統性がどの程度維持されているのか,つまり,産地全体を特徴づけ
る要素として伝統性がどれほど作用しているのかという点については,充分に顧慮されて
いるとは言い難い。なぜなら,上述の見解に基づいて産地を類型化した場合,伝統的な原
料や製法によって製品を産出し続けている産地と,上述の2産地のように原料や製品の転
換によって産地の構造に大幅な変化が生じた産地を同じ「伝統型」の類型に該当する産地
として,一括りに捉えることになってしまうからである。当然のことながら,このような
類型区分に基づいた分析では,適切に産地の実態を把握することが難しくなるであろう。
以上の点を踏まえると,合田ほか(1985)が指摘するように,
「製品・原料・製造技術に
伝統性を多く残す産地と,大きく転換した産地の相違が明瞭化している現実を考慮」し,
「
「伝統型」の内部を(a)
「伝統―存続型」と(b)
「伝統―転換型」に分けて認識する必要
があ」るといえ,
「これに(c)
「現代型」を加え」た3類型によって捉える方が,より現実
に即した手法であるといえる(p.44)。
- 10 -
このうち,「伝統―存続型」に相当する産地は,伝統的工芸品産地をはじめとする,「工
芸品」や「民芸品」と呼ばれる製品を産出する産地である
20)。これらの多くは,高度経済
成長期以後,新製品や安価な代替品等の登場,あるいは生活様式の変化に伴う需要減少と
いった問題によって,衰退・縮小傾向を示してきた。ただし近年においては,先述したよ
うに,
「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」の指定を受けた産地を中心に,産地の歴史
性や伝統性,手工的生産等に拠りつつ製品を価値づけることで産地維持を図っているケー
スが多い。そして,これらの産地では,そうした歴史性や伝統性を保持するために,従来
からの生産・流通構造を維持し,それらを固定化する傾向があるといえる。
一方,
「伝統―転換型」に該当する産地の例として,合田ほか(1985)は先述した石川県
の山中漆器産地や,杞柳製行李からビニール製かばんの生産へと転換した兵庫県の豊岡か
ばん産地を挙げている 21)。また,
「現代型」に相当する産地としては,大阪の自転車産業や
横浜のスカーフ製造業,国内各地に点在するニット・メリヤス産地などを挙げることがで
きる。これらの産地の多くは,高度経済成長期に量産化を指向したことで一時は隆盛をみ
たものの,その後は円高や海外製品との競争によって衰退・縮小傾向を示すという共通し
た道筋を辿ってきた。しかしながら,普及品の日用消費財を主力製品としてきたこれらの
産地では,
「伝統―存続型」産地のように歴史性や伝統性によって製品の高付加価値化を図
ることは難しい。そのため,「現代型」および「伝統―転換型」の産地では近年,産地維持
のために製品の種類や特性,あるいは生産工程や流通経路に大幅な革新や転換が生じてい
ることが予想される。
そこで本研究では,高度経済成長期以後の社会・経済的な変動によって大幅な変化が生
じていると予想されるにもかかわらず,従来の地場産業研究において事例対象としてとり
あげられることが少なかった「現代型」と「伝統―転換型」の産地を研究対象とする。具
体的には,
「現代型」に該当する産地として香川県の東かがわ手袋産地と愛媛県の今治タオ
ル産地を,「伝統―転換型」に該当する産地として香川県の丸亀うちわ産地をとりあげる。
このうち,
「現代型」の2産地については,両産地とも明治期の技術移植によって興隆した
産地であり,高度経済成長期における量産化を契機に産地が拡大したこと,そして近年で
は生産の海外化をはじめとする産地の大幅な構造変化が生じていること等の共通点がみら
れることを踏まえ,事例対象として選定した。また,丸亀うちわ産地は「伝統型」の典型
である国の伝統的工芸品に指定(1997 年)された産地であるうえ,高度経済成長期におけ
る原料転換によって原料のみならず製法にも大幅な変化が生じており,近年では転換後の
業態が産地の大勢を占めている。そのため,
「伝統―転換型」に該当する事例として適当で
あると判断した。
- 11 -
第3節 瀬戸内工業地域と当該地域における地場産業の位置
本研究では,瀬戸内地域に位置する3つの地場産業産地をとりあげるが,当該地域には
このほかにも備前焼(岡山県)や熊野筆(広島県)など,全国的に有名な地場産業が多数
存在している 22)。全国的な地場産業の分布を分析した北村(2006)によると,中国・四国・
九州地方から構成される西南日本には,他地域に比べ地場産業の数が少ないとされている
が 23),よりミクロスケールでみた場合には,
「九州でも福岡から熊本・八代に至る地域には
高密度に分布し,特に博多から宇土に至る約 100 ㎞の間には 42 品目分布して,備前・岡山
から福山,府中に至る約 100 ㎞の間に 45 品目分布しているのと同等である」(p.61)と述
べられている。また,
「中海・宍道湖周辺と徳島平野でおのおの約 20 品目,広島湾周辺と
讃岐平野でおのおの 15 品目,地域的に集中している」
(北村,2006,p.61)ことも併せて
指摘されている。
こうしたことから,西南日本のなかでも特に瀬戸内地域の中国地方側において地場産業
の集中傾向が認められ,さらに広島湾周辺や讃岐平野(香川県)にも相対的に多くの地場
産業が存在していることが分かる。そのため,瀬戸内地域においては地場産業が域内製造
業や地域経済のなかで果たす役割も小さくないと考えられる。また,瀬戸内地域は多数の
地場産業が存在する地域であると同時に,重化学工業をはじめとした多様な工業が展開す
る国内有数の工業地域としても知られている。これらの点を考慮すると,社会・経済的な
環境変化の影響を受けやすいと推察される「現代型」・「伝統―転換型」の地場産業の変化
や実態を捉えることは,域内の製造業や地域経済の動向を分析する上でも重要な意義をも
つものと考えられる。そこで,本節では瀬戸内工業地域の現況を概観するとともに,当該
地域において地場産業が占める位置を確認する。
瀬戸内工業地域は,瀬戸内海沿岸に位置する岡山県・広島県・山口県の中国地方3県,
および香川県・愛媛県の四国地方2県の臨海部を中心とする工業が卓越した地域を指す。
広義には,兵庫県の播磨地域や大分県の別府湾周辺を含める場合もあるが,ここでは統計
上の制約等も踏まえ,上述した中国・四国地方5県を瀬戸内工業地域として扱う。
表1-2は,瀬戸内工業地域とそれを構成する主要な工業都市(製造品出荷額等を基準と
した場合の上位 10 都市)の主な指標についてまとめたものである。これによると,瀬戸内
工業地域における主要産業が輸送用機械器具製造業,化学工業,石油製品・石炭製品製造
業であることが分かる。このうち,輸送用機械器具製造業が占める割合の大きさは,広島
県府中町に本社を置き,山口県防府市などに工場をもつマツダや,岡山県倉敷市に工場を
置く三菱自動車を中心とした自動車産業,さらには広島県呉市や愛媛県今治市を中心とす
- 12 -
表1-2 瀬戸内工業地域と主要工業都市における製造品出荷額と主な業種構成(2005 年)
製造品出荷額等
実数;万円
(割合;%)
事業所数
従業者数
実数;事業所
実数;人
(割合;%) (割合;%)
主な業種構成(製造品出荷額等に基づく)
業種名
(構成割合;%)
1 倉敷市
394,399,035
(14.8)
1,012
(5.4)
38,517 ①石油・石炭
(6.3) (30.9)
②鉄鋼
(21.7)
③化学
(17.9)
2 広島市
191,533,224
(7.2)
1,521
(8.1)
50,885 ①輸送用機器
(8.4) (50.2)
②一般機器
(18.3)
③食料品
(9.6)
3 福山市
154,552,155
(5.8)
1,392
(7.4)
38,362 ①鉄鋼
(6.3) (45.4)
②電子
(15.1)
③一般機器
(7.6)
4 周南市
152,198,809
(5.7)
210
(1.1)
10,875 ①化学
(1.8) (50.8)
②石油・石炭
(31.0)
③鉄鋼
(10.1)
5 防府市
102,781,106
(3.8)
162
(0.9)
11,203 ①輸送用機器
(1.8) (79.1)
②化学
(5.8)
③ゴム
(4.0)
6 東広島市
99,871,222
(3.7)
477
(2.5)
20,820 ①情報通信機器
(3.4) (38.1)
②輸送用機器
(16.8)
③電子
(14.3)
7 呉市
92,784,435
(3.5)
582
(3.1)
19,423 ①鉄鋼
(3.2) (41.9)
②輸送用機器
(18.1)
③一般機器
(13.6)
8 岡山市
80,444,682
(3.0)
1,007
(5.3)
28,306 ①印刷
(4.7) (15.1)
②一般機器
(14.4)
③化学
(13.5)
9 今治市※
69,861,716
(2.6)
547
(2.9)
11,430 ①輸送用機器
(1.9) (19.4)
②電気機器
(8.1)
③衣服
(5.9)
67,757,896
(2.5)
306
(1.6)
10,936 ①非鉄金属
(1.8) (24.7)
②電子
(13.9)
③電気機器
(12.1)
①輸送用機器
②化学
③石油・石炭
(16.2)
(13.3)
(12.0)
10 西条市
瀬戸内工業地域
2,670,227,310
18,869
606,902
注:各都市の業種については,工業統計表に製造品出荷額等の数値が記載されているもののみを対象とし
ている。そのため,今治市については少数の企業により多額の製造品出荷額を示していると考えられ
る石油・石炭製造業や鉄鋼業,非鉄金属製造業の占める割合が示されていない。
資料:「工業統計表」より作成。
る造船業の存在に由来するものである。また,化学工業や石油製品・石炭製品製造業につ
いては,JX 日鉱日石エネルギーや三菱化学が岡山県倉敷市に,出光興産やトクヤマ,東ソ
ー,日本ゼオンといった企業が山口県周南市に工場を設置している影響が大きいと考えら
れる。
さらに,主要な工業都市における業種構成をみると,上述の3業種のほかに鉄鋼業や一
般機械器具製造業,電気機械器具製造業などが各都市の主要産業として重要な位置を占め
ていることが分かる。このように,瀬戸内工業地域では臨海部に立地する石油製品・石炭
製品製造業や化学工業,鉄鋼業といった重化学工業と,輸送用機械器具製造業や一般機械
器具製造業,電気機械器具製造業といった加工組立型産業が重要な位置を占めていること
が分かる。
続いて,上記のような特徴をもつ瀬戸内工業地域が全国に占める位置について,表1-3
を用いて確認する。表1-3は,わが国の主要な工業地帯である京浜・中京・阪神の三大工
業地帯
24)と瀬戸内工業地域に関して,主要な指標をまとめたものである。これを見ると,
- 13 -
表1-3 主要工業地帯と瀬戸内工業地域の規模および地場産業産地の数(2005 年)
事業所数(事業所)
工業地帯・地域と
それを構成する都府県
東京都
京浜工業地帯
神奈川県
岐阜県
21,296
382,831
32,666
(11.8)
大阪府
兵庫県
瀬戸内工業地域
11,370
809,313
(9.9)
426,482
23,125
36,231
(13.1)
8,087
36,991
(13.7)
25,454
11,537
200,864
内訳;産地
10,808,197
18
30,208,389
(10.2)
526,216
360,195
21
(4.3)
19,400,192
3
39,514,017
54,060,128
(18.3)
193,492
886,411
(10.9)
産地数
実数;百万円
実数;産地
(全国に占める 内訳;百万円 (全国に占める
割合;%)
割合;%)
816,755
1,211,111
(14.8)
5,019
三重県
阪神工業地帯
製造品出荷額等
内訳;人
愛知県
中京工業地帯
従業者数
実数;事業所
実数;人
(全国に占める 内訳;事業所 (全国に占める
割合;%)
割合;%)
28
45
(9.3)
5,088,016
11
9,458,095
29,779,701
(10.0)
6
16,301,874
20
34
(7.0)
13,477,827
14
岡山県
4,450
150,174
7,295,599
8
広島県
6,363
209,183
7,786,582
18
山口県
18,869
(6.8)
2,381
606,902
(7.4)
95,397
26,702,275
(9.0)
6,024,963
53
(10.9)
5
香川県
2,602
67,616
2,159,953
9
愛媛県
3,073
84,532
3,435,178
13
全国計
276,716
8,159,364
295,800,300
486
資料:「工業統計表」および「全国の産地―平成 17 年度産地概況調査結果―」より作成。
主要な工業地帯に比べ,瀬戸内工業地域がやや小規模な工業地域であることが分かる。製
造品出荷額等については,京浜・阪神の両工業地帯のそれに近い数値を示しているが,事
業所数や従業者数については他の工業地帯との間に大きな開きがある。特に,事業所数で
は瀬戸内工業地域が 18,869 事業所であるのに対し,最も事業所数の多い阪神工業地帯は
36,991 事業所と,
2倍近い開きがある。
また,
従業者数についても瀬戸内工業地域の 606,902
人に対し,最も多い中京工業地帯では 1,211,111 人を示しており,こちらも2倍ほどの差が
認められる。
このように,瀬戸内工業地域と主要工業地帯との間には規模の面で開きがあるが,各地
域における地場産業産地の数を見ると,違った傾向が看取される。表1-3から各地域にお
ける地場産業の産地数を比較すると,瀬戸内工業地域には,5県合わせて 53(対全国比
10.9%)もの地場産業産地があるのに対し,京浜工業地帯の産地数は 21(対全国比 4.3%)
,
中京工業地帯では 45(同 9.3%)
,阪神工業地帯では 34(同 7.0%)となっている。このこ
とから,瀬戸内工業地域は,国内の主要な工業地帯・地域の中でも地場産業産地の数が多
い地域であるといえる。
また,表1-3を作成するにあたって用いた中小企業庁編(2006)「全国の産地―平成 17
年度産地概況調査結果―」は,年間出荷額が概ね5億円を超える産地を対象としている。
このことから,出荷額ベースでみた場合,表1-3にある4つの工業地帯・地域のうち,地
域内の製造業全体に占める地場産業の比重が,瀬戸内工業地域において最も高くなってい
- 14 -
る可能性が高い。さらに,その点を踏まえると,事業所数・従業者数が他の工業地帯に比
して少ない瀬戸内工業地域においては,これらの指標に占める地場産業の割合が必然的に
他地域よりも高くなると考えられる。
このように,瀬戸内工業地域は各種の大規模工業が発達した地域である一方,相対的に
小規模な地場産業もまた多く存在する地域である。しかしながら,従来の研究をみると瀬
戸内地域の地場産業産地を対象とした研究が実際の産地数に比べて少ないことが分かる。
地理学における研究成果をまとめた『地理学文献目録 第 12 集』によると,2002~2006 年
にかけての5年間に 38 本の地場産業に関する研究成果が得られているが,このうち瀬戸内
地域の地場産業を扱ったものは3本である。この数値は,全研究数(38 本)のうち 7.9%
を占めるものであるが,全国に占める瀬戸内地域の産地数(53 産地;対全国比 10.9%)に
比べるとやや少ない。また,この3本の研究がいずれも同一の研究者による同一産地を対
象としたものであることを考慮すると,近年の瀬戸内地域の地場産業に関する研究の蓄積
が充分であるとは言い難い。
以上のことから,瀬戸内地域は国内の他地域に比べ,製造業全体に占める地場産業の割
合が相対的に高く,それらが地域経済に果たす役割も小さくないといえる。そのため,当
該地域に位置する地場産業の変化や実態を捉えることは,域内の製造業や地域経済の動向
を分析する上でも重要な意義をもつと考えられるが,現状,そうした研究の蓄積が充分で
あるとは言い難い。本研究の目的は,あくまで「現代型」・「伝統―転換型」地場産業の変
化や実態を分析し,産地維持要因を検討することにあるが,これまでの事例研究の不足を
補うという点からみても,本研究において瀬戸内地域の地場産業産地をとりあげることに
は一定の意義があるものと考える。
注
1) 幸田(1967)によると,「在来工業は,おもに明治以降先進工業国から移植された近代工業に対する
概念で…移植工業の導入前にわが風土に自生し,生活の中で育ち,これらと融合し,いわば環境づけ
られたものとして,より日本的であり,封建的工業の伝統にたつものとして固有工業とか伝統工業と
もいわれる」(p.58)。また,「在来工業は技術的には手工業的で…問屋資本の支配下にたち…地域の
需要に対応すべく…消費財生産に強く傾斜し…資本と労働も郷土性が濃厚で…分散立地性(で)…元
来が農村社会の中で多く生育した」
(pp.58-60;括弧内筆者)とされている。また,辻本(1978)は,
「在来工業は,近代工業に対する概念で,伝統工業とか固有工業・特産品工業などとよばれるものと
- 15 -
ほぼ同義語である」とした上で,「明治前から日本の各地にはいろんな日用必需物資を生産する工業
が手工業とか家内工業といった形で行われてきた。…在来工業は近代的な機械技術というよりも,む
しろ手工的労働集約的な面を強くもっている。多数の同業者・関連業者が地域的に集積して産地を形
成し,その内部で社会的な分業・協業体制をとっている」といった在来工業の主な特徴を指摘してい
る(pp.1-2)
。こられの概念規定について上野(1968)は,
「在来工業の持つ「在来」という歴史的
意味を含んではいるが」
,
「厳密な意味での発展段階上の位置づけがあまり明確でないことは否めない」
としている(p.41)。その一方で,「在来工業の地域的存在形態に着目したことが特色であ」るとし,
「在来工業が局地的に集中して産業集団を形成し,その立地や工業地域の構造が地域的条件と深く拘
わっていることが,経済現象と地域との関係を解明する経済地理学にとって格好の研究対象となった
という点において」
,両者の示した概念が「地理学的である」としている(上野,1968,p.41)
。
2) 南種(1942)は伝統工業について「固有なると外国より伝来したとに拘わらず,我が国に於て長い歴
史を持つものを伝統工業とし幕末頃に境界を置くことは適当な分類といひ得よう」
(p.6)と述べてい
る。また,遠藤(1969)は「伝統産業とは,外来の機械生産による近代的産業…に対して,日本に歴
史的に早くから起こって,日本の風土の中で日本の原料と日本人の技術によって生産されてきた産業
のことである」とし,さらに,
「近代産業としての外来産業・移植産業に対するものであり,機械生
産に対する手工的生産,つまり手工業のことである。したがって,…伝統工芸ということと一致して
くることが多い。ここで問題とする伝統産業も伝統手工業・伝統工芸のこととなってくる」としてい
る(p.10)。こうした概念規定を受けて上野(1968)は,それらの定義が「いずれも産業の歴史的起
源を指標として」おり,「さらに生産手段の近代化の度合,生産形態および資本の性格など」にも言
及していることを指摘したうえで,「伝統産業」という概念が「日本における経済の発展段階を意識
した,言わば産業史的立場からの産業分類であった」と指摘している(p.40)
。
3) 代表的な地域主義論者の一人である玉野井(1979)によると,地域主義とは「地域に生きる生活者た
ちがその自然・歴史・風土を背景に,その地域社会または地域の共同体にたいして一体感を持ち,経
済的自立性をふまえて,みずからの政治的・行政的自律性と文化的独自性を追求すること」(p.19)
と定義されている。
4) なお,中小企業庁編(2006)によると,地場産業に関する各指標の最高値は,事業所数 121,160(1985
年)
,従業者数 1,057,482 人(1981 年)
,生産額 16 兆 4,327 億円(1990 年)である。これらの数値
を 2005 年のものと比較した際の減少率は,事業所数 65.6%,従業者数 63.9%,生産額 58.7%となっ
ており,いずれの指標においても非常に大きな減少が確認される。
5) 上野(2010)
,p.4による。また,上野は地場産業研究全体のピークが 1970~80 年代であったこと
を指摘したうえで,地理学からの研究は 1960~1970 年代に最も多く,1980 年代以降は地理学以外
からの研究が占める割合が大きくなっていることを併せて指摘している。このほか,1990 年代以降
- 16 -
の地場産業研究の減少傾向については,森川(1993)の「地場産業の研究については,…本年の研究
をみる限り比較的少なかった」
(p.283)といった記述や,上野(1994)による「残念ながら地域中小
企業ないし地場産業の構造変化に関する実態調査研究は少なく,地道な調査報告が期待される」
(p.295)といった言葉からも窺い知ることができる。
6) 山崎(1977)は,最も明確な分類を示している研究の一つであり,そこでは後述するように,①歴史,
②市場,③立地,④生産形態,⑤地域的分業の各点からみた類型が示されている。上野(1986)によ
ると,1970 年代を中心に板倉・井出・竹内(1970)
,隅谷(1971)
,杉岡(1973)
,清成(1975)
,山
崎(1977)といった,当時の代表的な地場産業研究者によって様々な類型区分が示された。また,後
年には板倉・北村(1980)
,清成(1981)
,小原(1996)
,下平尾(1996)
,北村(2006)
,竹内(2006)
等においても,産地の立地や歴史,指向する市場,生産(分業)形態等を基準とした類型区分が示さ
れている。
7) 本研究で使用している「伝統型」
・
「現代型」という名称は,山崎(1977)に倣っている。なお,竹内
(2006)では,同様の分類に「伝統型」
・
「近代型」という名称が用いられている。
8) 伝統的工芸品産業振興協会編(2003a)では,
「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」において「伝
統的」と認められる年数について「100 年以上の歴史を有し,現在も継続している」
(pp.7-8)もの
という基準が示されている。これに基づくと,今日における「伝統的」な産地とは,おおよそ明治時
代以前に形成された産地を指すこととなる。また,中小企業庁編(2006)によると,全国 486 産地中,
産地形成期が「江戸時代又はそれ以前」の産地は 199 産地(全体の 40.9%)
,
「明治時代」の産地は
118 産地(同 24.3%)となっており(p.79)
,両者を総合すると「伝統的」と見做せる産地数は 317
産地(全体の 65.2%)となる。この数値に比べ,「伝統的」な地場産業を扱った論文の割合は高い。
『地理学文献目録 第 12 集』によると,2002~2006 年までの5年間に地場産業を扱った地理学の論
文は計 38 本発表されているが(書籍に掲載されているものも含む)
,そのうち江戸時代以前に形成さ
れた産地を扱ったものは 28 本(全体の 73.7%)にのぼる。
9) 竹内(1980)は「中央大資本によらない中小・零細企業による地域的産業集団であり,全国あるいは
世界といった広域市場に依存するもの」(p.23)を広義の地場産業として定義したうえで,以下のよ
うな特徴を指摘している。それは,「第1に,同一製品の生産,あるいは同一工程の作業に関係する
小規模企業が一定地域内に集中立地している地域的産業集団である。第2に,集団内には製品の生産
と流通を通じての社会的分業が存在する。第3に,これらの工場等は,中央巨大資本によってではな
く,地元資本によって運営されている。第4は,その市場が地元だけでなく,全国とか世界とかいっ
た広域市場に依存して成り立っている。
」
(pp.23-24)といったものである。
10)清成(1975)は,地場産業が有する特徴として,以下の5点を指摘している。それは,「第一は,社
会的分業が進展し,外部経済が蓄積され,全体としては有機的な構成体である産地が形成されている
- 17 -
という点である。第二は,一定の歴史的展開の結果,さまざまな経営資源が蓄積されているという点
である。第三は,労働集約的で技能に依存する産業が多いという点である。第四は,生産,流通の担
い手である企業のほとんどが中小企業であるという点である。第五は,システム・オルガナイザーと
しての役割を果たす企業が存在し,産地を組織しているという点である。」(p.129)というものであ
る。また,清成(1978)においは,「地域の特産品である消費財を全国市場ないしは外国市場に供給
する産業」,すなわち「主として地域の資源と地域の労働力を用い,地域的独自性を有する特産品を
供給する産業」が地場産業であるとされており(p.83),これらを総合すると,山崎(1977)が提示
した地場産業概念と清成(1975・1978)によるそれとはほぼ同内容のものといえる。
11)板倉(1980)も李(1991)と同様の見解を示している。そこでは,新潟県燕市の金属製品産地を例に,
「発生は古くとも隆盛になったのは新しいという場合も少なくない」とし,
「地場産業に伝統性を要件
とするのは実態にそぐわないことになるであろう」
(p.5)と述べている。
12)例えば,青野(1980)は「一定地域に集中立地する中小企業群のうち,資本・労働力・技術・原材料
等の地域内での賦存・調達・蓄積に存立の基礎を置く産業を,広義の地場産業と呼ぶことができるの
ではないだろうか」
(p.3)と述べ,資本をはじめ労働力や技術,原材料等の地場性を地場産業の要件
としている。ただし,当時においても既に「原材料の点では,かつては地域内に賦存するものを利用
していたが,今日では他地域から移入しているばあい」が確認されていたが,そうした場合であって
も「資本・労働力・技術等の地域内での集積にその産業の基礎がおかれているばあいには,それをも
地場産業に含めることが適切であろう」としている(青野,1980,p.3)
。
13)なお,このほかにも川喜多(1990)は,地域内における「産業関連の完結性」
,
「伝統産業」であるこ
と,「中小企業」性を地場産業の特性とすることに否定的である(p.81)。このうち,地域内での完結
性を否定する根拠として川喜多(1990)は「実は多く流通経路は全国展開している」
(p.81)と述べて
いるが,この点については他の研究者も広域市場の指向として指摘している。そのため,上述の指摘
....
は,おそらく他の研究者が生産工程の地域内での完結性を指摘しているのに対し,川喜多が流通経路
も含めた完結性として理解したために生じた誤解であると考えられる。また,産地や産業の伝統性・
歴史性について川喜多(1990)は「伝統産業は創業と成長期には現代的な産業であった」
(p.81)と述
べているが,李(1991)が指摘する「発生は古くとも盛んになったのは比較的新しい産地」(p.149)
や板倉(1980)がいう「発生は古くとも隆盛になったのは新しいという場合」
(p.5)等を考慮すると,
川喜多(1990)による指摘は実態を踏まえた的確なものとは言い難い。さらに,
「中小企業」性につい
て川喜多(1990)は,「現に中小企業が多いからといって「中小企業に向く」とはいえない」(p.81)
としているが,実際に産地をみると,中小零細企業によって産業が担われている事例が多いことは否
定しがたい事実である。なお,中小企業基本法の第二条では,製造業の場合,
「資本金の額又は出資の
総額が三億円以下の会社並びに常時使用する従業員の数が三百人以下の会社及び個人」を中小企業と
- 18 -
して定義しているが,たとえこれを超える規模の企業が存在したとしても,地域内の他の中小零細企
業との連関を維持しているならば,そうした企業も地場産業を構成する企業として捉えても大きな支
障はないと考えられる。
14)例えば,石倉(1989)は「地場産業とは地元資本による同一業種に属する多数の中小企業が特定地域
に集積して産地を形成し,地域内に賦存する自然資源・原材料を利用し,もしくはそれらを地域外か
ら移入,あるいは海外から輸入し,地域内の労働力によって産地に集積された技術・技法を駆使して,
いわば経営資源を活用することによって特産品―主として消費財に関する完成品,あるいは中間製
品・半製品―を多分に労働集約的な生産方法に依拠して,当該製品などの販路を地元はもとより,広
く国内市場,あるいは製品によっては海外市場にまで求めているものであるといえよう」(pp.29-30)
としており,1970~1980 年代初頭に示されたものと同様の概念を示している。
15)ただし,近年においても以前と同様,比較的厳密に地場産業の定義を定めている研究者も存在する。
例えば,上野(2007)は「地場産業とは,産業としての歴史性・伝統性をもち,地域内から資本・労
働力・原材料を調達して特産品(あるいは消費財)製品を生産し,これにかかわる企業が社会的分業
形態をとって,特定地域へ集積する(いわゆる「産地」を形成する)という特徴をもつ産業」(p.5)
であると定義している。
16)前項でみたように,山崎(1977)は地場産業の要件として社会的分業の存在を挙げており,「地場産
業の圧倒的多数が,…社会的分業型のタイプのものである」
(p.43)としている。ただし,ここで「工
場一貫生産型」という類型を提示した理由として,
「少数派ではあっても工場一貫生産型地場産業もま
た存在しているという事実を明らかにしておきたかったから」
(p.43)としており,社会的分業が地場
産業の必須要件ではない旨を述べている。
17)山崎(1977)は,1972 年度版の『中小企業白書』に示された輸出型地場産業の定義を用い,輸出比
率(輸出向け出荷額/全出荷額×100)が 10%以上の産地を輸出型の産地として定義している。
18)中小企業庁(2006)では,生産額に占める輸出額の比率が 20%以上の産地を輸出型産地として定義し
ているが,その数は全国 406 産地中 22 産地(全体の 5.4%)である。一方,輸出比率 20%未満の内
需型産地は 384 産地と,全体の 94.6%を占めている。
..
19)前項において,地場産業の要件として歴史性・伝統性をとりあげることは実態にそぐわないと述べた
..
が,地場産業を類型化する際の指標としては,この歴史性・伝統性が一定の有用性を持ち得るものと
考える。
20)ただし,合田ほか(1985)は(a)
「伝統―存続型」産地である飛騨春慶の漆器産地をとりあげ,当該
産地の一部で進行する量産化の動向を分析している。このことから分かるように,
「伝統―存続型」と
「伝統―転換型」を峻別する際の基準には,やや曖昧な部分が存在する。しかしながら,合田ほか(1985)
...
が,
「歴史の長い産地において製品・原料・製造技術が急速かつ全面的に変化し,手工業以来の伝統と
- 19 -
...
現実の実態との関連性が希薄化したばあい」
(p.44;傍点筆者)を「伝統―転換型」として定めている
..
ことを考慮すると,産地の大勢が伝統の「存続」と「転換」のいずれを指向しているかによって,両
者の類型を定めることが妥当と考える。
21)合田ほか(1985)は,このほかに「伝統―転換型」の産地として,新潟県燕市の金属製品産地や合繊
化・超自動化が進展した織物産地を挙げている。その理由として,山中漆器産地では原料の転換によ
る「代替品」化,豊岡かばん産地では「材質の変化」
,燕産地では矢立からハウスウェアへの「同一素
材での転換」が生じたことを指摘している(p.45)
。
22)ここで挙げた備前焼と熊野筆は,いずれも国の伝統的工芸品に指定されているが,このほかにも瀬戸
内地域では勝山竹細工(岡山県),宮島細工・広島仏壇・川尻筆・福山琴(いずれも広島県),萩焼・
大内塗・赤間硯(いずれも山口県)
,香川漆器・丸亀うちわ(いずれも香川県)
,砥部焼・大洲和紙(い
ずれも愛媛県)が,国の伝統的工芸品に指定されている。なお,これらの製品を産出する産地のいく
つかは,内陸部や日本海側の地域に成立しているが,本節では便宜的に岡山・広島・山口・香川・愛
媛の5県を瀬戸内地域としているため,ここでは各県で産地を形成している全ての伝統的工芸品産業
を列挙した。
23)北村(2006)では,伝統的工芸品産業振興協会の調査対象である伝統的工芸品産地と,中小企業庁の
産地概況調査の調査対象地域,そして独自の調査によって明らかになった産地を総合して全国的な地
場産業の分布図が示されている。それによると,甲信越地方から関西地方にかけての中央日本には 494
品目(1都道府県平均 30.9 品目)
,北海道から関東にかけての東北日本には 379 品目(同 27.1 品目)
が分布するのに対し,中国地方以西の西南日本に分布する地場産業の数は 362 品目(同 21.3 品目)で
あるとされている(p.61)
。
24)藤岡(1979)にあるように,中京工業地帯は「名古屋を中核とし,東は東海道本線に沿って豊橋付近
まで,西は四日市,北は岐阜,大垣までに散在する濃尾平野の中小都市」(p.326)をその範囲とする
ことが一般的であり,阪神工業地帯については「大阪・尼崎の臨海地域を中心に西は神戸,南は堺に
及ぶ」
(pp.407-408)地域を指す場合が一般的である。そのため,本稿においても中京工業地帯を愛知
県・三重県・岐阜県の3県に,阪神工業地帯を大阪府・兵庫県の2府県に設定した。また,京浜工業
地帯は「広義には,東京を中心とし,東京湾に沿って川崎・横浜から藤沢に至り,東は市川・船橋を
経て千葉まで延び,内陸部に向かって北は川口・浦和・大宮まで,西は立川・八王子に至る範囲を指
す」が,
「千葉方面は新しく京葉工業地帯とも呼ばれる」
(藤岡,1979,p.140)
。また,近年では川口・
浦和・大宮といった埼玉県の各地は,北関東工業地域に包含されることが多い。以上のことから,本
稿では京浜工業地帯を東京都と神奈川県の2都県に限定した。
- 20 -
第2章 地場産業研究の成果と課題
本章ではまず,第1節においてわが国における地場産業研究の動向を概観する。その際,
1980 年代までの研究動向については,既に李(1991)によって詳細に検討されているほか,
1990 年代までの動向についても須山(2003)によって概観されている。そのため,主に
1990 年代以前の地場産業研究については,これらの先行研究に依拠しつつ動向を把握する。
また,それ以後の近年における研究成果に関しては,研究手法や視角に基づいた類型の別
に,第2節と第3節において詳細な検討を加える。以上を踏まえたうえで,第4節では本
研究における視座と方法を明確にしたい。
第1節 地場産業研究の展開と特徴
前章で述べたように,地場産業と呼ばれる各種の産業が「在来工業」や「伝統工業」と
称され,地理学の研究対象とされるようになったのは 1950 年代以降のことである。当時,
これらの産業は欧米の先進資本主義諸国から移植された近代工業との対比のなかで,その
産業的特徴が把握された。そこでは,零細あるいは中小規模の事業所における手工的生産
や,それらの事業所が特定地域に集積しつつ分業化された各工程を担い,それらが商業資
本によって統括されるという社会的分業構造が前近代的要素として注目された。
しかし,高度経済成長期を迎えると,国内の産業構造が大きく変化するとともに,在来
工業や伝統工業もまた大幅な変容を遂げた。具体的には,伝統的な産地の衰退・縮小傾向
と,新たな産地の拡大・成長といった現象が生じた。そのため,
「従来のような「伝統」
・
「在
来」という歴史的概念に着目した定義ではそうした構造的変化を理解することが困難とな」
り,
「伝統工業・在来工業の変化を中小企業問題として位置づけ,地域産業構造の変動を把
握するための新たな概念」が求められることとなった(李,1990,pp.144-145)
。
また,高度経済成長期を通じて,わが国では社会資本整備や工業の分散立地による国土
の均衡ある発展が図られたが,低成長期に入ると,こうした方策に基づく経済発展には陰
りがみられるようになった。特に,高度経済成長期に資本や労働力が大都市へと流出した
地方部においては,産業基盤整備のための先行投資による経済・財政基盤の脆弱化といっ
た問題も相俟って,都市部との経済的格差が顕在化した(李,1990,pp.144-145)
。さらに
同時期,地方部では,高度経済成長期を通じて発生した公害問題や環境問題,地域社会や
文化の変容,過疎といった各種の地域問題も抱えることとなった。こうした事態を受け,
- 21 -
地方部は従来の中央依存による経済発展から内発的な経済発展への転換,地域問題の解決
といった種々の課題に取り組むこととなり,そのため,地域独自の新たな経済・行政シス
テムの構築が求められるという「地方の時代」を迎えた。
「地場産業」という概念は,上述した産業の構造変化を理解する必要性や,社会・経済
的変化に伴う新たな思潮の興隆といった事態を受けて新たに登場したものであり,以後の
研究もこれら2つの問題意識に根差して展開された。
前者の問題意識に基づく研究では,伝統工業・在来工業と呼ばれてきた産業における構
造変化を中小企業問題として再定位したうえで,産地内の諸要素の関連分析に焦点をあて
た研究が行われた(李,1990,p.146)。こうした研究は,比較的早い段階から地理学を中
心に行われ,1970 年代前半には既に一定量の蓄積がみられた。ただし,そうした一連の研
究は,
「詳細な地域的分析を行ってはいるものの,当該地域における諸要素の関連分析が中
心であり,国全体の工業あるいは中小企業全体との関連や全国的位置づけに力点を置くこ
とはなかった」
(李,1990,p.145)とされる。事実,当時の地場産業研究の多くは個別産
地の実態解明にその力点を置いており,全国的な地場産業の動向や地場産業と国民経済と
の関連性等に関する議論がみられるようになったのは 1980 年代以降のことであった 1)。
一方,後者の問題意識に基づく研究は,
「地域社会,地域経済の重要な担い手としての地
場産業の役割に注目して,地域政策手段の一つとして(地場産業を)捉える立場」
(李,1990,
p.145;括弧内筆者)から,地域主義論者を中心に展開された。そこでは,従来の産業研究
のように現状を解明するだけでなく,地場産業を中心に据えた地域経済の将来的ビジョン
を提示することや,それを達成するための政策の提言などに焦点があてられた 2)。しかしな
がら,これらの研究では,地域主義の理念が先行しがちであったことに加え,実証研究に
おいても「個々の地場産業の「産業」としての特性をとらえることに主眼が置かれ,それ
に対する政策は,その「産業」ないしその分野の「個別企業」の振興を目的とするもの」
であり,そのため「立地ないし地域という点を素通り」する傾向があったことが指摘され
ている(青野,1980,pp.2-3)
。
..
このように,当時の地場産業研究では,総じて地場産業の産業形態が重要視されていた。
そのため,杉岡(1973)が指摘しているように,当時の地場産業研究は「わずかに“産地”
あるいは“地場産業”の問題として特定地域に集中して集積された中小企業群を,とりあ
げるという方法が定着していたにすぎ」ず,「「土地」あるいは「特定地域への集中」が言
われながら,その産業がある地域に立地ないし集中している意味,あるいはその地域経済
とのかかわりあいが,深く究明されることは殆んどなかった」(p.11)3)。
こうした「産業論的アプローチ」と呼ばれる手法に対する批判を受け,地理学における
- 22 -
一部の地場産業研究では,新たに「地域論的アプローチ」と呼ばれる手法が採用されるよ
うになった 4)。これらの研究は,大都市内における零細企業群の分析に際して提唱された「産
業地域社会」5)の概念を地場産業研究に応用したものであり,宮川(1976)や奥野(1977)
,
松井(1979・1984・1986)といった成果が得られた。そこでは,労働力供給や技術伝播の
過程における地縁・血縁関係や,農業をはじめとする従来の主要産業と地場産業との関係
性などに注目した分析が試みられた 6)。また,
「地域論的アプローチ」が地域主義の流れを
汲むものであることから,当時の「地域論的」な研究には,地場産業を地域経済の担い手
とみなす地域主義論者(主に経済学者)による研究も多数確認される
7)。こうして,1970
年代後半には,それまでの産業論に偏重した研究動向とは異なる傾向が認められるように
なり,議論の深化が期待された。
しかし,直後の 1980 年代後半頃から,一転して地場産業研究の減少傾向が目立ちはじめ
た 8)。こうした動きは,円高や海外製品との競争によって,大半の地場産業が衰退し始めた
ことと軌を一にしていた。また,これ以降,地場産業を研究対象とする研究者の数も徐々
に減少してゆき,今日では特定の研究者による成果を中心に僅かな蓄積が確認できる程度
となっている 9)。それら,近年における地場産業研究を概観すると,以下のような傾向が指
摘できる。
まず第一点目として,前章でも指摘したように,伝統的な産地が研究対象としてとりあ
げられることが多いという点である。伝統的工芸品産業振興協会編(2003a)によって示さ
れた「伝統的」と認められる基準―「100 年以上の歴史を有し,現在も継続している」
(pp.
7-8)もの,すなわち明治期以前に成立した産地であるという基準―に照らし合わせると,
中小企業庁(2006)が調査対象としている全国 486 産地のうち,「伝統的」な産地の数は
317 産地(全体の 65.2%)となる(p.79)
。しかし,実際の研究成果をみると,伝統的な産
地,なかでも江戸時代以前に形成された織物産地や陶磁器産地,漆器産地などが取り上げ
られる割合が上記の数値を大きく上回っている。
『地理学文献目録 第 12 集』によると,2002
~2006 年までの5年間に地場産業を扱った地理学の論文は計 38 本発表されているが(書
籍に掲載されているものも含む)
,そのうち江戸時代以前に形成された産地を扱ったものは
28 本(全体の 73.7%)にのぼる。
第二の傾向は,特定の研究者による継続的な研究が多く,そこでは従来と同様,産業論
的アプローチが採用されることが多いという点である。これらの研究では,産地の生産・
流通構造や企業の空間的配置が主な分析対象とされることが多いが,一部では,新しい視
角から地場産業を捉えようとする試みもなされている。これら,産業論的アプローチによ
る研究成果については第2節で詳しく言及する。
- 23 -
第三の傾向は,主に 1990 年代後半以降,一部の研究者による新たな視角からの研究が展
開され始めたことである。そうした動向のなかでも主流を占めるのが,産業集積研究の成
果を地場産業研究に応用したものである。これらの研究では,欧米の研究成果が積極的に
取り入れられるとともに,国内の産業集積研究から得られた知見等も援用されている。ま
た,このほかにも地場産業を経済的側面からだけでなく,地域社会や地域文化との関わり
から捉えようとする文化地理学的視点からの研究もみられる。こうした新しい視点からの
研究の動向については,第3節にて詳しく検討する。
第2節 従来的手法による近年の地場産業研究
上述したように,従来の地理学における地場産業研究の特徴は,産業論的アプローチと
呼ばれる手法にあり,その分析の主眼は分業構造を中心とした生産・流通構造や企業の空
間的配置の変化を捉えることに置かれていた。そして,そうした傾向は,近年においても
多くの研究で確認される 10)。
例えば,井出(1997)では,甲府地方の宝飾工業を事例に,宝石・貴石の輸入方法の変
化や一部工程の機械化,需要の変化等を原因とした,産地内における貴金属加工と宝石研
磨業の地位の逆転が明らかにされている。また,業種別,従業者規模別,創業年代別の企
業の空間的配置が併せて分析されており,こうした分析手法は大川家具産地を事例とした
井出(1999)でも認められる。これ以外にも,高柳(2003)では,秋田県角館の樺細工産
業を事例に,主に 1990 年代以降の景気低迷期における産地構造の変化が捉えられているほ
か,福井の合繊織物産地を取り上げた立川(1997)でも 1985 年以降の円高に伴う産地構造
の変化が明らかにされている。
このように,産業論的アプローチと呼ばれる手法の特徴は,景気の変動や,各産地にお
ける製品・製法の転換といった各種の変化に応じて,当該産地の構造がどのように変化し
たかを捉えることに主眼が置かれる点にある。具体的には,地場産業の特徴である産地内
における分業構造や,それを含めた生産・流通構造全体の変化,あるいは企業の空間的配
置の変化といったものが分析される。
また,近年ではこうした産業論的アプローチに拠りつつ,地場産業が産業集積の一形態
であるということを意識した研究も散見される。例えば,上野・立川(2003)では,大島
紬織物を事例に,奄美大島産地と鹿児島産地の間における競合・共存関係が明らかにされ
ており,その過程では生産・流通構造や職工の空間的分布が分析されている。そして,両
産地間における内部的な競合・共存という構造に対し,外部的には中央に従属する構造が
- 24 -
形成されていることも併せて指摘されており,産地存続のためには,
「伝統技術と地域文化
を競争優位とする『産業集積の再生』が喫緊の課題」
(上野・立川,2003,p.59)であると
述べられている。
このほかにも,青木(2008)では,産業集積研究で重要視されている「革新性」を分析
視角の一つとした陶磁器産地の比較研究がなされている。そこでは,固有技術への過度の
依存が革新性を阻害することや,革新性への過度の依存が産地の一体性を喪失させること,
固有技術を基礎とした革新性が新たに創出されないことによる産地の競争力低下が指摘さ
れている。また,山本(2006)では,水沢鋳物産地における工芸品から産業機械部品への
製品転換に伴う産地構造の変化が分析されている。そこでは産業論的アプローチによる分
析に加え,企業間ネットワークや産学連携による企業と大学等の研究機関との間のネット
ワークについても言及されており,クラスター理論(第3節において後述)を意識した分
析も試みられている。
これらの研究は,従来の研究に新たな視角を取り入れようとする試みとして理解される。
ただし,分析の主眼が産地の構造変化を捉えることに置かれているという点では従来的な
産業論的アプローチの色彩が強く,革新性やネットワーク等に関する分析は補足的なもの
にとどまっているといえる。
このほか,上記の研究以外にも産業論的アプローチを基礎としつつ,分業構造や企業の
空間的配置以外の要素に注目した研究がある。その代表的なものが労働力に注目した研究
であり,そこでは主に労働市場の変化や労働力の再生産,技術継承などが分析対象とされ
ている。例えば,須山(1992・1993)では,輪島漆器産地を事例に,徒弟制度を基盤とし
た熟練労働力の再生産過程が分析されている。また,職人の空間移動をライフパスとして
分析することによって,産地中心部における漆器製造業者の集積の維持と,産地の空間的
な拡大過程も併せて明らかにされている。
また,豆本(2006)では,大川家具産地における労働市場や地域雇用の変化が分析され
ている。そこでは,製造工程の機械化に伴い,従来の徒弟制度に代わって一般的な雇用形
態が普及したことと,それによる労働市場の流動性の高まりが明らかにされている。また,
需要の季節変動の大きさから,近年では季節労働者やパートタイム労働者を活用するケー
スが多く,そのことが非正規雇用の増加や従業者の高齢化を招いていることも指摘されて
いる。
このほかにも,初沢(2006)では,備前・旭川の両陶磁器産地における人材養成システ
ムが分析されている。それによると,伝統的産地である備前産地では,弟子入りによる技
術伝承という人材養成システムが確立されているが,高度経済成長期以降に形成された旭
- 25 -
川産地では,そうした弟子入りが可能な窯元が少ないため,それに代わるものとして初心
者を対象とした技術研修が行われている。初沢は,
「産地の人材養成システムはその産地の
特性を反映したものであり,製品の特性や生産構造などと深く結びついている」としたう
えで,
「産地の振興を図るためには産地の特性にあった人材養成システムを検討」すること
が必要であり,そのためには公的試験場等における技術・技能の教育や技術指導が今後,
更に重要性を増してゆくと指摘している(初沢,2006,p.139)
。
これらの研究では,生産要素としての労働力を中心に分析を行っている点で,生産・流
通構造の分析を中心に据えた研究との相違点が見出せる。従来も労働力に着目した研究は
行われてきたが,これらの研究は近年における労働市場の変化を捉えている点や,労働力
の再生産システムを明らかにした点で新たな知見を提供している。また,労働力の再生産
に関しては,技術継承の場面における技術・知識の伝達過程を学習過程として捉えること
が可能である。その点では,後述する産業集積研究における「学習地域」概念の適用可能
性も考えられ,今後はそうした理論の適用可能性の検討を含め,更なる事例分析が期待さ
れる。
以上みたように,産業論的アプローチを用いた研究では,産地の構造変化を捉えること
に主眼が置かれ,そこでは生産・流通構造や企業の空間的配置の変化といったものが主に
分析される。また,近年では産業集積研究を意識しつつ,革新性や主体間のネットワーク
に注目した研究が蓄積されているほか,産地の労働力構造やその再生産過程を分析した研
究も行われている。しかし,産業そのものの分析に偏重し,地域経済と産業との関係性や,
産業がある地域に立地している意味について深く検討されないという従来からの問題点は,
近年の新たな分析視角を取り入れた研究においても依然として解消されておらず,この点
が課題として指摘できる。とはいえ,地場産業研究が大幅に減少している今日においては,
産業論的アプローチを主体とした事例研究を蓄積し,過去との比較検討を通じて産地の変
動を捉えることには大きな意義があるといえる。
第3節 新しい視角からの地場産業研究
1980 年代以降,地場産業研究の絶対量が減少するなかで,一部では新たな視角から地場
産業を捉えようとする試みがなされている。そのうちの一つは,1990 年代以降,わが国の
工業地理学においても盛んに取り上げられてきた「産業集積」の一類型として地場産業を
捉えようとするものである。これらの研究では,国内における産業集積研究の成果だけで
なく,海外における研究成果なども援用されつつ,地場産業の産地維持要因等が検討され
- 26 -
ている。
そして,もう一つの試みとして,地場産業を地域文化や地域の社会構造といったものと
の関わりから今一度捉えなおそうとする研究がある。そこでは,経済的側面だけでなく,
文化や社会構造といった視角からも地場産業と地域や住民(従業者)との関係を検討する
ことで,地域における地場産業の意味や産地の維持要因等が検討されている。以下,本節
では,これら2つの新しい研究動向について検討したい。
(1)集積論の成果を援用した地場産業研究
a.産業集積研究の展開
周知のように,近年における産業集積研究の活性化は,ピオリ・セーブル(1993)によ
って著された『第二の産業分水嶺』をその端緒としている。本書では,マルクス経済学の
考えから,1970 年代に従来のフォーディズムに基づく蓄積体制が危機を迎えたと捉えられ
ている。そのうえで,先進資本主義諸国においては大量生産方式を採用してきた産業部門
の低開発国への移転と,
「クラフト的生産技術にいま一度立ち返ろうとする」(ピオリ・セ
ーブル,1993,p.7)柔軟な専門化(flexible specialization)という,相反する戦略が採用
されるといわれている。柔軟な専門化とは,
「特定の工程に特化した中小企業群が,その時
の状況にあわせて離合集散を繰り返すことで,多様な製品を生産すると同時に,全体とし
て市場の変化に柔軟に対応する生産体制のこと」
(藤川,2002,p.86)をいう。また,それ
は単に手工的生産への回帰を意味するのではなく,
「コンピュータ制御の汎用機を技術的基
盤とし,それを使いこなす熟練技術の伝承を保証する地域産業コミュニティ,すなわち「産
業地域」の再出現をもたらす」
(松原,1999,p.92)ものとされる。そして,ピオリ・セー
ブル(1993)ではサードイタリーと呼ばれる地域がグローバリゼーションのなかで競争優
位を発揮する産業集積地域の典型例として挙げられていたため,日本においてもこれに類
似した産業集積地域―東京都大田区,大阪府東大阪市,長野県諏訪地方など―に対する関
心が高まり,結果,今日までに多数の研究成果がもたらされることとなった 11)。
その後,産業集積に関する研究では,集積内におけるフレキシビリティとそこで生み出
されるイノベーションが主な関心事項とされたが,その過程では,経済学や社会学といっ
た隣接諸分野から様々な理論や概念が導入されていった。以下では,主な研究成果につい
て,それらが主に依拠している理論や視角の別にその成果を概観する。
産業集積に関する海外研究の成果として早くに日本に紹介されたのが,新制度派経済学
の理論に基づく研究であった。その代表的なものとして,スコット(Scott, A.J.,1988)に
よる「新産業空間(new industrial space)
」論がある。新制度派経済学の特徴は,新古典
- 27 -
派経済学が前提とする完全合理性を否定しつつ,個人の合理的行動から事象を説明する限
定合理性の考え方を採用する点にある
12)。こうした前提のもと,スコットはウィリアムソ
ン(Williamson, O. E.,1980)による「取引コスト」の概念を援用し,
「新産業空間」の形
成を説明する。そこではまず,市場の多様化,変化の激しさから生産工程の垂直分割(外
部化)が生じ,それにより発生する取引コストの低減を図るために集積が生じると説明さ
れる。このとき,集積の形成は限定合理性に基づく取引コスト最小化の行動の帰結として
捉えることができる。
スコットと同様,ストーパー(Storper, M.,1997)もまた,取引コストに注目している。
ただし,そこでは個人的な関係や慣習,評判といった取引関係の質的な側面が重視されて
おり,
「関係特殊資産(relational assets)」という観点から「領域化」が取り上げられてい
る。松原(1999)によると,この「関係特殊資産」という考え方は浅沼(1997)による「関
係的技能」13)という概念に着想を得たものと考えられ,生産過程における学習
14)を通じて
集積内の企業や組織が社会的に相互依存した関係(取引されない相互依存性;untraded
interdependency)を持つようになるとされる。そして,企業間関係が「関係特殊資産」に
まで高められることによって「領域化」が生じる,すなわち,あるまとまりをもった産業
集積地域が形成されると説明される。
ストーパーによる関係特殊資産のように,主体間の関係性に注目したものとして,産業
社会学や組織社会学におけるネットワークに着目した研究がある。そこでは,グラノヴェ
ター(Granovetter, M.)による「埋め込み(embeddedness)
」15)概念に依拠しつつ,個人
や企業,組織による経済活動が,それらの属する社会における諸関係に影響されることを
論じている。こうした議論の代表的なものとして,フクヤマ(1996)や千葉(1997)
,Sako
(1992),酒向(1998)といった「信頼(trust)」,「義務(obligation)」,「グッドウィル
(goodwill)
」をキーワードした研究がある。
次に,近年の産業集積研究に対して強い影響力を与えているものとして,マルクス経済
学に基づいた理論がある。先述したピオリ・セーブルもマルクス経済学の視点から,フォ
ーディズムの危機を論の端緒としていたが,マルクス経済学では,資本主義を本来的に不
安定で危機を内包するものとして捉えており,そのうえで歴史的にみられる経済的パター
ンや制度が存在する理由を解明しようとしている。こうしたマルクス経済学における理論
のなかで代表的なものが,レギュラシオン理論である。これは,ボワイエ(1990a・1990b)
やリピエッツ(2002)らを中心に,「調整(レギュラシオン;régulation)」を鍵概念とし
て論じられているもので,
「マクロ的な制度へ注目することにより資本主義の動態的分析を
目指」
(水野,2011,p.12)している。小田(2004)によると,リピエッツはフォーディズ
- 28 -
ムによる空間的組織原理として領域的分散,つまり,テーラー主義的原理の空間的投影と
しての企業内地域間分業を指摘する一方で,ポスト・フォーディズムの産業空間について
は,垂直準統合の重要性とそれに伴う地域的な企業の集積を指摘している 16)。
また,その後,理論が精緻化されてゆくにつれ,
「新しい制度や規範の発生を解明するた
めにミクロレベルの分析が求められるようになった」が,
「レギュラシオン理論はミクロ的
基礎を持たないため…コンヴァンシオン理論を取り入れることでそれを補おうとした」
(立
見,2000,p.553)
。コンヴァンシオン理論は,新しい制度学派による理論であり,その特
徴はマクロな視点から調整様式と蓄積体制を分析するレギュラシオン理論に対し,ミクロ
な視点から個人間の関係と合意・慣行(コンヴァンシオン;conventions)17)に注目する点
にある。こうした理論の導入によって提示された概念が「地域的レギュラシオン(régionale
régulation)
」であり,これが地域経済の内発的な発展を支える調整様式(ガヴァナンス)
として機能することが指摘されている。
一方,コンヴァンシオン理論に基づく研究では,地域的なコンヴァンシオン(合意・慣
行)が地域経済の動向に様々な影響を与えるという見地から,コンヴァンシオンの内容や
それが果たす機能・役割が分析されている。コンヴァンシオンは,戦略的アプローチと解
釈学的アプローチと呼ばれる二つの方法によって探求されている。戦略的アプローチでは,
主に人々の行為を調整する行為規則としての慣行―「慣行的規則」―が探求されているの
に対し,解釈学的アプローチでは,人々の意識(表象)を調整する「集合的表象(世界観
のようなもの)」としての慣行―「評価モデル」―と,「慣行的規則」と「評価モデル」と
の相互関係が探求されている 18)。
以上がレギュラシオン理論とコンヴァンシオン理論に基づく研究の概略であるが,両者
は以下の2点の認識を共有している点で特徴的である。一つは,
「新古典派的な市場メカニ
ズムの自動調整機能を認めず,制度や規範や合意などの非市場的調整のみが不確実性の下
で交換の規則性と安定性を保証しうるという認識」であり,もう一つは,産業社会学と同
様に,
「経済は社会へ埋め込まれているという認識」である(水野,2011,p.13)
。
上述の各理論に加え,近年の産業集積研究に大きな影響を与えているのが,進化経済学
の理論である。外枦保(2012)によると,進化経済学では,収穫逓増と経路依存の存在か
ら新古典派経済学における均衡概念が批判されるとともに,進化論のアナロジーが採り入
れられており,ルーティンと探索が鍵概念とされる。ルーティンとは,企業等における規
則的な行動パターンを指すもので,明示化されていない個人的知識や暗黙知
19)を含む。こ
れは不確実性を低減するというプラスの作用を持つ一方で,ルーティンの硬直化による環
境変化への適応力の低下というマイナスの作用ももたらす(外枦保,2012,p.42)。また,
- 29 -
探索とは「ルーティンに導かれて他のルーティンを変化させる過程」
(外枦保,2012,p.41)
を指す。こうした進化経済学のエッセンスを地理学にとり入れた進化経済地理学では,変
化の過程やメカニズムに注目し,主に経路依存性(path-dependency)20)に注目した研究の
蓄積が厚い。それらの研究では,地域経済の発展経路を域内企業のルーティンが束になっ
たものとして捉えたうえで,
「ロックイン概念を手掛かりとして,地域の発展経路を描く手
法も開発されている」
(外枦保,2012,p.51)21)。
このほか,産業集積研究に影響を及ぼした理論として,ポーターによるクラスター論(ポ
ーター,1990・1998)とクルーグマンらによる空間経済学の視点に基づいた産業集積論(ク
ルーグマン,1994・1997,藤田ほか 2000)がある。ポーターはクラスターを「ある特定の
分野に属し,相互に関連した,企業と機関からなる地理的に近接した集団」
(ポーター,1998,
p.70)とし,競争の地域的な単位としてクラスターを捉えたうえで,競争におけるクラスタ
ーの意義として生産性の上昇やイノベーション・新規創業への影響力を指摘している。こ
のクラスター論は,日本の中小企業政策にも多大な影響を与えており,1997 年版『通商白
書』における記述 22)や,2001 年の経済産業省による「産業クラスター計画」23)の発表など
をみても,その影響の大きさがうかがえる。
また,クルーグマンは「産業集積の発生と持続の根拠を,「複数均衡」という可能性のな
かで「収穫逓増」と「輸送費の最小化」および「金銭的外部性」の相互性に求め」(山本,
2003,p.554)た。クルーグマンによる産業集積への注目は,従来の経済学における空間的・
地理的要素の欠落を見直す契機となった。ただし,クルーグマンは分析のなかで,集積の
利益として技術のスピルオーバーに言及してはいるものの,
「技術革新,したがって知識の
創造メカニズムを明らかにすることには冷淡だった」(山本,2003,p.554)とされる。現
在,産業集積地域が発揮する競争力の源泉は,集積内における知識創造とそれに基づくイ
ノベーション能力にあると考えられているが,クルーグマンによる議論では,そうした動
態的プロセスに十分な注意が払われていないという点で進化経済学等との相違点が指摘で
きる。
b.集積論の成果を援用した地場産業研究
上述のような産業集積研究の展開を受け,地場産業研究においても新たな理論や分析視
角を導入する動きがみられるようになった。ただし,それらを地場産業研究へと採り入れ
る方法は様々であり,すべての分析を新しい理論に立脚して行う研究もあれば,従来的な
手法との併用による研究もある。
このうち,新しい理論に立脚した研究の代表的なものに,立見(2000・2004・2006)に
- 30 -
よるレギュラシオン理論やコンヴァンシオン理論を用いた一連の研究があり,そこでは地
場産業産地の変化をより動態的に捉える試みがなされている。例えば,立見(2000)は岐
阜と信州の寒天産地を対象に,ボワイエによる「地域的レギュラシオン」の概念を援用す
ることで,地場産業産地の変動を動態的に捉えている
24)。そこでは,経路依存性の概念か
ら産地の初期条件(成立・発展過程)が検討されており,岐阜産地では県の政策や企業と
問屋の有機的(互恵的)関係,信州産地については内生的発展過程における組合による品
質・価格に関するコンヴァンシオン(合意)の形成がそれぞれの産地の発展・維持に重要
な役割を果たしてきたことが明らかにされている。ただし,これらの調整様式が当該産業
を取り巻く環境の変化に対して硬直的であったために,近年における産地の衰退が引き起
こされたことも併せて指摘されている。こうした点を踏まえて立見(2000)は,
「産地の発
展と衰退は,従業量や生産量のような量的な把握のみで捉えられるものではなく,地域的
レギュラシオンの生成と崩壊として捉えなければならない」
(p.572)としている。
また,立見(2006)では,コンヴァンシオン理論と「生産の世界」論
25)の地場産業研究
への適用可能性が模索されている。コンヴァンシオン理論については,「評価モデルとして
の慣行」26)に着目し,今治タオル産地における危機とそれへの対応過程において,新しい「評
価モデル」が生成され,旧来の慣行(取引関係や製品)が変化したことが示唆されている。
一方,
「生産の世界」論については,児島アパレル産地を事例に,学生服・ユニフォーム・
デニム・アパレル製品の生産が属する「生産の可能世界」が示され,児島産地における「生
産の世界」の並存状態が示されている。その上で,
「生産の可能世界」の経済論理に対応す
るコンヴァンシオンが形成されていることによって,児島アパレル産地が発展してきたこ
とが説明されている。
ただし,立見(2004・2006)による児島アパレル産地に関する分析では,各種製品の生
産が属する「生産の可能世界」がやや恣意的に判断されている感がある 27)。また,
「生産の
世界」論は,集積の動態的側面(イノベーションの生成過程)を説明しきれないイノベー
ティブ・ミリュウ論を乗り越えるものとして提示されているが,立見(2004・2006)にお
いても集積の成長を促すロジックが明確に示されているとは言い難い。このように,いく
つかの課題は散見されるものの,新たな理論の地場産業研究への適用を試みた点で,立見
による一連の研究は意義深いといえる。
続いて,産業集積研究で用いられてきた理論と従来的な手法との併用による研究につい
てみてゆく。初沢(2005)では,陶磁器産地の革新を捉えることを目的に,新製品開発と
技術・技能の習得システムに焦点が当てられている。具体的には,益子産地における濱田
庄司の来住に伴う民芸運動との接触と技術習得システムの形成,笠間産地における公的機
- 31 -
関による技術習得システムの確立と人材育成が革新につながったことが明らかにされてい
る。このように,初沢(2005)では,産地内における「学習」を分析の中心に据えている
ほか,今後の産地振興の鍵として産地内外のネットワーク化にも言及するなど,地場産業
産地を産業集積の一類型として捉える手法が示されている。
同様に,地場産業研究に産業集積研究の分析視角を採り入れた研究として,秋田県の川
連漆器産地における産地活性化をとり上げた上野(2004)がある。そこでは,需要縮小期
における対応策として高付加価値生産を実現するために結成された研修グループやプロジ
ェクトチームが分析対象とされている。そして,研修グループが産地の「学習」の場とし
て,プロジェクトチームがフレキシブルな企業間ネットワークとしてそれぞれ捉えられて
おり,こうしたグループの結成を主導した個人,すなわち産地を牽引する個人の重要性が
指摘されている。
また,山本(2000・2002・2005)による履物産地を対象とした一連の研究においても,
産業集積研究で注目されている概念を取り入れた分析が試みられている。山本(2000)で
は,阪神・淡路大震災後の神戸ケミカルシューズ産地における早期の生産再開が,震災前
の分業構造を維持することによって可能になったことが明らかにされるとともに,産地内
における「信頼」に基づいた企業間ネットワークの重要性が指摘されている。また,山本
(2002)では,山本(2000)で取り上げられた企業間ネットワークが経済的要素だけでな
く,韓国・朝鮮人コミュニティの存在によっても支えられており,両者が相補的に作用す
ることで企業間ネットワークが形成・維持されていることが明らかにされている。
上記の各研究は,地場産業産地の比較優位の源泉として,産地内における学習活動やそ
れに基づくイノベーション等に注目している点で産業集積論の影響を強く受けている。ま
た,これらの研究では産業論的アプローチによる産地分析も試みられており,その点では
従来の研究に比べてより多角的,動態的に地場産業が捉えられているともいえる。ただし,
..
学習やイノベーションといった概念もまた,地場産業の産業としての側面に焦点を当てた
ものである。そのため,これらの研究においても,地場産業と地域経済との関係性や,地
域に対して地場産業が有する意味については深く検討されておらず,産業論的アプローチ
に対して向けられた批判をこれらの研究が克服しているとは言い難い。
(2)文化地理学的視角からの地場産業研究
近年の地場産業研究におけるもう一つの新たな動向として,文化地理学的視角からの研
究の増加が指摘できる。こうした動向は,
「地場産業を地域的存在たらしめる最大の要素は,
それに従事する人びとが生産者であると同時にその地域に暮らす住民でもある」(須山,
- 32 -
2003,p.191)という事実が再認識されるようになったことを背景としている。これらの研
究では,風土,コミュニティ,家族,個人といったものをキーワードとした分析が試みら
れている。
そうした研究の代表的なものとして,濱田(1998・2002)による伝統的陶磁器産地を対
象とした研究がある。まず,濱田(1998)では福岡県小石原陶業産地の変容を民芸運動と
の関わりにおいて分析している。そこでは,職人重視の思想をもつ民芸運動と小石原産地
内の一人の廻り職人(成形専門の職人)との接触をきっかけに,旧来の産地構造が民芸運
動の思想に合致する形態へと変容してゆく過程が明らかにされている。また,その過程に
おいて,当該の廻り職人が「柳の言説を巧みに取り入れることにより,陶工としてのアイ
デンティティを確立し」
(濱田,1998,p.620)たとされており,そこでは個人に注目する
独特の分析視角が確認される。
また,濱田(2002)では濱田(1998)と同様に民芸運動と陶磁器産地との関わりについ
て,大分県小鹿田陶業産地を事例に,「文化の客体化」論的視点の導入によって分析が行わ
れている。そこでは,民芸運動によって当該産地に付与された伝統的陶磁器産地というイ
メージに対し,産地の窯元らが自覚的であり,そのうえで意識的に産地の伝統が保持され
てきたことが明らかにされている。そのため,当該産地では市場からの増産の要請に対し
ても,短期的な経済合理的な判断に基づく機械導入を行わず,長期的な判断による伝統の
保持という方向性を選択している。
このほか,濱田と同様に民芸運動に注目した研究として,宮川(1996)がある。そこで
は,愛媛県の砥部焼産地と民芸運動との関わりが分析されており,柳宗悦やバーナード・
リーチ,濱田庄司といった民芸運動の同人が逗留した際の,彼らと産地の職人との接触が
砥部産地を民芸産地化してゆくきっかけになったことが指摘されている。また,その後の
産地内における技術伝播については,産地が生み出してきた学校や組合,試験場の果たし
た役割が大きかったことが明らかにされており,このこともまた,砥部産地の民芸産地化
に大きく影響していたことが指摘されている。
また,宮川による地場産業研究の成果として,
「風土」をキーワードとした一連の研究が
ある(宮川,2000・2001・2002・2003)。これらの研究において宮川は,三澤勝衛や和辻
哲郎によって示された「風土」概念を評価・再検討したうえで(宮川,1988),独自の風土
文化産業論を展開している。そこでは,地場産業を単なる産業としてではなく,地域やそ
こに暮らす人々の生活に強く結びついた存在として捉えており,製品の特性や種類といっ
たものが各産地の風土に影響されつつ形成されていったことを論証している。須山(2003)
が指摘するように,
「宮川のいう風土文化には,自然条件や歴史性にとどまらず,きわめて
- 33 -
広範な意味内容が含まれている」
(p.191)。そのため,産地が発展してゆく歴史的な経緯や
産地内の社会構造,対象産地と都市部(京都・京文化)との関係性など,その分析対象は
多岐にわたっている
28)。結果,宮川による一連の研究では地域の変化が包括的に捉えられ
ているが,
「その広範さゆえ,風土文化の構成要素と産業の関わり方についての整理が曖昧」
(須山,2003,pp.191-192)であるとの指摘もなされている 29)。
このほかにも,若干数ではあるが,文化的要素を重視した研究が確認される。例えば,
上野(2007)は,沖縄県大宜味村喜如嘉における芭蕉布生産を取り上げ,一貫生産志向の
産地構造を明らかにしている。上野によると,芭蕉布は他の工芸品などにもみられる希少
性や伝統的・手工業的技術といった要素に加え,沖縄独自の文化的背景,そして「芭蕉布
の復活と工芸的・文化的価値を高めた人間の存在と努力が認知され,いわゆる生産者の人
間性を内包した価値が市場での評価を高めている」
(上野,2007,p.38)工芸品である。そ
のため,繊維・織物類の工芸品のなかでは珍しい一貫生産という産地構造が芭蕉布生産に
とっては合理的な形態であることを指摘している。
また,上野・石田(2010)では沖縄県の久米島紬織物産地を事例に,生産組織と「共生
互助空間」としての地域社会との関係性が分析されている。この共生互助空間とは,地域
の歴史・社会・文化等の非経済的要素が埋め込まれた空間としての地域社会を指すもので,
その存在によって,経済理論が優先される状況(和装需要の激減)での産地の存続が可能
になっていることが指摘されている。
このように,文化地理学的視角からの研究の特徴は,従来の研究で見逃されがちであっ
た地域・産地の独自性が何によってもたらされているのかという点を究明している点にあ
る。そして,それを明らかにするために,個人の動向や考え方,地域の社会・文化的要素
と産業との関係性が分析されている。ただし,このような手法は,地域独自の要素を重視
するために,個別具体的な事例分析には有用であるものの,複数の事例を繋ぐ理論の構築
が難しいという問題点も有しており,その点が課題として指摘できる。
第4節 本研究における視座と方法
本節では,ここまでみてきた近年の地場産業研究における成果を踏まえ,今後の研究に
求められる課題を抽出し,本研究における視座と方法を定めたい。
1990 年代以降,地場産業研究が減少するなかにあって,その分析視角は多様化の傾向を
呈している。具体的には,産業集積研究において得られた知見を援用した研究や,地域の
文化や社会構造といったものに注目しつつ地場産業を捉え直した文化地理学的研究の割合
- 34 -
が増加している。そこで,本章では近年における地場産業研究を①従来の産業論的視角か
らの研究,②産業集積研究の成果を援用した研究,③文化地理学的視角からの研究の3つ
に大別し,それらの成果を検討してきた。
まず,第2節でみた①産業論的視角からの研究では,従来の研究と同じ要素が分析の中
心に据えられることで,各産地の経年変化が明確にされており,その点が最も重要な成果
として指摘できる。特に 1980 年代以降,日本の産業構造は国際化・グローバル化といった
環境変化に伴って大幅な変化を遂げており,それは地場産業も例外ではない。そのため,
生産・流通構造や企業の空間的配置の変化を捉え,その要因分析を行うことは,今後の産
地間比較等を通じた理論化への重要な足がかりになることが期待される。
しかし,①の研究に対しては,かつての産業論的アプローチを用いた研究に対して向け
られたものと同様の批判を加えることができる。すなわち,①の研究においても「「特定地
域への集中」が言われながら,その産業がある地域に立地ないし集中している意味,ある
いはその地域経済とのかかわりあいが,深く究明されること」
(杉岡,1973,p.11)が少な
いという問題点が見受けられる。
また,近年では行政によって地場産業の振興が図られていることから,①の研究のなか
..
にもそうした振興策について言及したものがある。しかしながら,そこでも地場産業にも
たらされる経済的効果についての議論のみに終始する傾向が認められるため,今後は振興
策が講じられることによる地域経済全体への影響や,社会・文化的な意義にまで踏み込ん
だ議論も求められるといえよう。地場産業と地域社会や地域文化との関わりについては③
の研究によって扱われてはいるが,そこでは地域経済のなかで地場産業が占める地位や重
要性といった点について言及されることが少ない。この点については,今後の地場産業研
究において補ってゆくべき点であるといえる。
次に,第3節の前半でみた②産業集積研究の成果を援用した研究による最大の成果は,
従来の地場産業には無かった新たな分析枠組みをもたらしたことにあった。従来の研究に
おいても,産地や産業に独自の商慣行や技術習得の過程に関する言及がみられたが,それ
らはあくまで補足的な要素として扱われていた。②の研究では,これまで中心的に扱われ
てこなかったそれらの要素を新たな理論を用いることによって議論の中心に据え,それら
が産地の形成・維持に果たす役割の重要性を指摘した。
ただし,②の研究に関しては若干の問題点が指摘できる。そのうちの一つは,先述した
ようにこれらの研究においても,対象が地場産業の産業としての側面に限られているとい
う点である。また,いま一つの問題点は,新たに指摘されるようになった商慣行や合意形
成のプロセス,学習過程といったものがどのように形成され,維持されていくのかという
- 35 -
ロジックが未だ判然としていない点である。②に分類される実証研究の多くは,理論の大
枠のなかで分析が行われており,そこでは確かに慣行等の重要性が認識できる。しかしな
がら,それらの具体的内容や形成・維持のロジックにこそ,地理学が明らかにすべき地域
差が存在している。そのため,理論の大枠が地場産業研究に適用可能であることのみが証
明されている現段階では,一見すると海外の産業集積と日本の地場産業産地の間に地域差
が無いかのようにさえ見えてしまうという問題点を孕んでいる。このことから,②の研究
で用いられている理論や概念を援用する際には,慎重を期す必要があるといえよう。
最後に,第3節の後半でみた③文化地理学的視角からの研究の重要性は,上述の①や②
の研究において見逃されがちである地域・産地の独自性が何によってもたらされているの
かという点を究明している点にある。従来の研究では先述したように,あくまでも地場産
..
業の産業としての側面に注目した研究が大半を占めてきた。しかしながら,その産業自体
を形成・維持するためには,そこで生活し,産業に従事している個人の動向や,それらの
人々によって形成された文化―宮川がいう風土―の働きが大きく影響している。その事実
を明らかにした点に,これらの研究の意義がある。
以上のように,1990 年代以降の地理学における地場産業研究では,様々な視角から分析
が試みられてきた。ただし,ここまで見てきたように,いずれの研究もそれぞれに課題を
抱えている。特に②の研究で用いられている新しい理論・概念の多くは,産業の競争力を
分析することには適しているが,産地全体を分析する枠組みとしては不十分であるといえ
る。なぜなら,これまでの研究成果を俯瞰すると,それらの理論・概念を用いた分析では,
あくまで一般的な産業の競争力を創出するために必要な条件が提示されるにとどまってお
り,地域・産地や産業の独自性を考慮した産地の競争力を創出するための条件が明確に導
出されてはいないからである。
また,③の研究でみられたような,地域・産地の独自性を生む要因としての地域文化や
社会構造への注目は,これまでの研究で見逃されがちであった地域と産業との関係性を明
らかにするために必要なことであるといえる。ただし,これらの要素を極端に重視するこ
とは,個別産地の独自性を強調した事例分析に終始してしまう可能性を孕んでおり,ひい
ては,それが地場産業全体を俯瞰する理論を構築する際の妨げになる恐れがある。
このように,いずれの分析視角・手法においてもその長所と短所が指摘できるが,本研
究の目的の一つが高度経済成長期以後の産地の構造変化を捉える点にあることを考慮する
と,産業論的アプローチを分析手法の中心に据えることが妥当といえる。なぜなら,産地
の変動を正確に把握するためには,これまでの研究の蓄積を踏まえることが肝要であり,
そうすることによってはじめて,生産・流通構造や企業の空間的配置を捉え直すことが可
- 36 -
能になるからである。より具体的にいえば,本研究では高度経済成長期を中心とした時期
の分析に際しては,国内外における需要拡大や国内での労賃の高騰,生活様式の変化など
に起因する消費者需要の質的な変化に伴う産地の変化に注目する。また,その後の円高や
国内における長期不況,国際化・グローバル化といった社会・経済的な変化に伴う産地の
変動についても,生産・流通構造や企業の空間的配置といったものに注目して分析を行う。
加えて,本研究では,これまで見逃されがちであった地域と地場産業との関係性につい
ても考察する。具体的には,地域経済全体に占める地場産業の位置や,企業が地域に集積
することの意味,とりわけ,産地を形成することによって生まれる,あるいは生み出すこ
とが可能となる「産地ブランド」や「地域ブランド」と呼ばれるものの働きについて検討
する。このうち,産地ブランドや地域ブランドに関する検討では,②や③の研究において
みられた地域・産地の独自性への注目が必要になると考えられる。なぜなら,一般にブラ
ンドは市場での競争優位をもたらす機能を有しているため,その点で②の研究でみられた
産業としての競争力に注目する視角が必要になるといえる。また,産地ブランドや地域ブ
ランドは,製品の質や企業のイメージ・評判といったものに基づく企業ブランドとは違い,
.. ..
それらに加えて産地や地域のイメージにも拠りつつ製品を価値づけるものである。こうし
た点を考慮すると,③の研究にみられたような地域の社会・文化的な要素に注目する視角
もまた,必要になるものと考えられる。ただし,各産地の独自性を強調した事例分析に終
始することを避けるため,本研究においては,産地の独自性やそれらの形成・維持に関す
る社会・文化的な検討は,あくまでも補足的な扱いに止めたい。
最後に,上述した各点を踏まえ,改めて本研究における視座と方法についてまとめてお
きたい。本研究では,高度経済成長期以後の地場産業産地の変化を正確に捉えることを目
的の一つとしていることから,分析を行う際の視角として従来の研究でも多く用いられて
きた産業論的アプローチ採用する。それにより,既存研究の蓄積を活かしつつ,生産・流
通構造や企業の空間的配置等の変化を正確に把握し,今日における産地の実態を明らかに
する。また,従来の産業論的アプローチに欠けていたとされる地域と産業の関わりについ
ては,地域経済と産業の関係性や産地ブランドが有する機能を中心に検討する。そして,
こうした分析・検討を通じて,最終的に地場産業の産地維持要因を明らかにしたい。
注
1)例えば板倉・北村編著(1980)では地場産業と国民経済に関する議論が展開されているが(pp.35-45)
,
その後も,こうした議論が地場産業研究の主要な論点として取り上げられることはほとんどなかった。
- 37 -
なお,このような内容を扱った数少ない研究の一つに,岡山県児島地方における繊維関連産業と地域
経済との関係性について検討した中島(2007)がある。
2)こうした研究の代表的なものとして,杉岡(1973),清成(1975),山崎(1977),清成(1978),玉
野井・清成・中村・益田編(1978)
,山崎(1981)などがある。
3)こうした批判は地域主義思想に基づいた研究だけでなく,産業に関わる諸要素の関連分析に重点を置
く地理学からの研究にも当てはまる。例えば,小口(1980)は地理学からの地場産業研究が「地域を
研究対象にしながら地域を利用するだけで,産業の研究に終始」(p.191)していたことを指摘してい
るほか,松井(1984)も「ある地域に集中立地している意味,地域の経済や社会との関わりの中での
考察や実証分析が必ずしも十分ではなかった」
(p.481)と述べている。
4)上野(1980)は,地場産業―なかでもその地場性―に注目する際の視角を,
「産業論」と「地域論」の
2つに大別した。前者が,地場産業にとって地域がどのような意味をもつのかという点に注目するの
に対し,後者は地域にとって産業がどのような意味を持つのかに注目するものであり,これは地域主
義の流れを汲むものとされる(p.19)
。
5)松井(1986)によると,「「産業地域社会」とは,生産・流通の交錯・結合関係だけでなく,経営者・
従業者とその家族やその他の住民をも含めた詳細な分析によって見い出され,産業を紐帯として生活
が営まれる住工一体の地域社会と定義される」(p.114)ものである。この概念は当初,板倉・井出・
竹内(1973)や井出(1973),竹内(1973・1974),宮川(1974)等において,大都市の零細工業を
分析する際の視角として用いられたものである。
6)福井県の鯖江眼鏡枠産地を対象とした宮川(1976)・奥野(1977)では,産地形成期における当地の
社会経済的条件が後の発展方向を規定したことが指摘されており,そこでは血縁・地縁などの村落共
同体を基礎とした労働力の確保と技術伝播の過程,先行する産業の存在による企業の進出地域の規定,
地区ごとの労働者の出自や労働時間の相違が明らかにされている。また,上野(1980)は群馬県の伊
勢崎機業地域を対象に,縁故に基づいて家内労働力が確保される実態を明らかにしているほか,松井
(1984)は奈良県の製箸業をとりあげ,技術継承者である子の結婚等を契機として既存産業からの転
業が生じ,当該産地が形成されていったことを明らかにしている。このように,地場産業産地を「産
業地域社会」として捉える一連の研究では,多数の零細企業群によって手工的生産が行われている産
地を対象に,特に労働力供給の面で地域の社会構造との関連から産業を捉えることの重要性が示され
た。しかしながら,本研究でとりあげる「伝統―転換型」・
「現代型」の地場産業産地では今日,製造
工程の機械化・一貫化が進展するとともに,多数の零細企業が淘汰され,中堅規模以上の企業による
海外生産が広がりをみせている。そのため,これらの産地を分析する際に,従来の研究と同様に「産
業地域社会」の概念を用いることの可否については,十分な検討を行う必要があるといえよう。
7)代表的な研究として,山崎(1977・1981)や石井ほか(1980a・b・c)などが挙げられる。
- 38 -
8)研究数の減少傾向に加え,須山(2003)は 1980 年代半ば以降,地場産業を取り巻く環境がいっそう
厳しくなったために,産地の「存続」をキーワードとした研究が増加したことを指摘している(p.188)
。
9)上野(2010a)は,地理学文献目録や国立情報学研究所のデータベース等によると,
「5本以上の論文
を公表している(地場産業の)研究者は 28 人」(p.4;括弧内筆者)いるとしている。また,「この
28 人での合計論文数は 286 本で,地場産業研究の 55.6%」を占めており,そのため,
「地場産業研究
は,特定の研究者に集中し,地理学研究の中でも層が薄い」と指摘されている(p.4)
。
10) 近年におけるこうした研究の成果がまとめられたものとして,上野(2007)
,北村(2006)等が挙げ
られる。
11) ただし,橘川(1998)によると,「ピオリとセーブルによってその意味がクローズアップされながら
も,彼ら自身によっては…産業集積に関する濃密な分析」が十分に行われなかったために,当初の産
業集積に関する研究は,
「おもに社会学的アプローチに立つ他の研究者達の手で遂行されることになっ
た」といわれている(pp.305-306)
。
12) ただし,「個人の合理性を重視し,文化・社会構造などを考慮に入れないという点では新古典派経済
学と同様であ」るため,
「新産業空間」論においても,社会・文化的コンテクストは考慮されておらず,
個人の合理性(取引コストの削減)に基づく静態的な理論展開がみられる(水野,2011,p.6)
。その
ため,
「新産業空間」論では,集積の累積的な形成過程については言及されるものの,イノベーション
や知識創造に関する動態的側面については,議論の前面に出されていない。
13) 浅沼(1997)は,「関係的技能とは,基本的に,中核企業のニーズまたは要請に対して効率的に対応
して供給を行うためにサプライヤーの側に要求される技能のことである」
(p.222)としている。
14) 「学習地域(learning region)
」という概念はフロリダ(Florida, R., 1995)によって示された。スト
ーパーがいうところの「関係的資産(relational assets)」や「取引されない相互依存性(untraded
interdependency)」が「学習地域」の基盤をなし,こうした社会基盤を持つ地域は外部環境の変化に
対する適応性に優れるため,それが他地域に対する優位性をもたらす源泉になるとされる。
15) 埋め込み(embeddedness)概念は,カール・ポランニー(Polanyi, K.)によって初めて提示された
もので,先市場社会において経済的行為が非経済的な制度,社会関係に埋め込まれているという主張
がなされた。その後,グラノヴェター(1998)は,近代以降の市場社会においても,経済行為が社会
関係の構造に埋め込まれているとし,「埋め込み」を「経済的行為,経済的結果,そして経済制度が,
行為者の個人的関係,および,諸関係のネットワーク全体の構造に影響されること」(p.283)と定義
した。
16) 小田(2004)によると,リピエッツは垂直準統合の形態として以下の3種類を提示している。①ネオ・
テーラー主義の道:「基本的にはフォーディズムの労働編成,空間組織原理を引き継ぐものであるが,
最底辺において垂直準統合が進展して,東南アジアなどへの進出企業を中心にしてその周囲に下請企
- 39 -
業の密集が生じていくという」もの,②カリフォルニア・モデル:
「シリコンバレーの存在にちなんで
命名されたものであり,主に頭脳労働者の個人的上昇志向を基礎とした労働編成に特色づけられる。
産業組織としては,専門化企業の垂直準統合が卓越」するもの,③サターン・モデル:
「労働者の集団
的参加・交渉を前提にして,産業システムは極地集中型の複合的な企業間ネットワークという形態を
とる」もの(pp.41-42)
。
17) コンヴァンシオン(conventions;合意・慣行)とは,
「諸個人間の合意を通じて形成される協約や必
ずしも明文化されていない慣習的ルール」
(立見,2000,p.553)のことを指す。なお,詳細について
はバティフリエ(2006)を参照されたい。
18) 詳細については,バティフリエ(2006)
,立見(2006)を参照されたい。
19) 暗黙知(tacit knowledge)とはポランニー(2003)が「私たちは言葉にできるより多くのことを知
ることができる」
(p.18)というところのもので,特定の個人に内面化されていて言語等による表出が
困難な知識のことをいう。
20) 「経路依存性(path-dependency)」とは,ある特定の出来事が,将来における技術や組織形態等に
影響を及ぼすことを指すもので,
「過去と現在とを関係付ける概念であるが,決定論を意味するもので
はない」(外枦保,2012,p.45)。別言すれば,それは「歴史的決定主義や過去依存を示唆するもので
はなく」
,
「蓋然的で偶有的な過程を意味する」
(外枦保,2012,p.45)
。
21) なお,こうした進化経済学的視角からの研究として,「イノベーティブ・ミリュウ」に関する研究や
(こうした研究の動向については,友澤(2000),山本(2004a・2005)などに詳しい),サクセニア
ン(1995・2008)によるシリコンバレーとルート 128 を対象とした比較研究などが挙げられる。
22) 第2部第3章「ダイナミックに変化する世界経済地図」において,シリコンバレー(米国)
・新竹(台
湾)
・バンガロール(インド)などの産業集積地域が紹介されている。また,クルーグマンの見解に拠
りながら,産業集積の形成に関する基本的要因や,企業連関の広域化と国境を越えた集積相互の連携,
産業集積と地域経済との関わり等に関する記述が詳細になされている。
23) 産業クラスター計画とそれに対する学術的な議論の展開については,山本(2004b)に詳しい。
24) 通常のレギュラシオン理論によるマクロ分析では賃労働関係が最も重視されるが,そうした労働に関
する調整様式は基本的に国家単位で決定されることが多い。そのため,立見は産地のようなミクロな
スケールにおいては,賃労働関係から地域的レギュラシオンを理解することはできないとし,品質決
定や価格形成に関わる調整様式に焦点を当てている(立見,2000)
。
25) ストーパーとサレによって示された概念であり,市場の製品と生産者が用いる技術・技能・情報の特
性によって①個人間の世界,②市場の世界,③知的資源の世界,④工業の世界という4つの「生産の
可能世界」が提示されている。これら4つの可能世界には,それぞれに適応的なアイデンティティと
参加のコンヴァンシオン(アクターに共有された信念)があり,それによりアクターの行動が調整さ
- 40 -
れることで現実の世界となる。詳細については Storper, M. and Salais, R. (1997)および,立見
(2004・2006)を参照されたい。
26) コンヴァンシオン理論においては,「慣行的規則を含むあらゆる規則は不完全であり,常に解釈の余
地が付きまとう」(立見,2006,p.14)とされる。その際,「不完全性を補填する解釈の準拠点となる
のが「評価モデルとしての慣行」で」あり,
「評価モデルの動員による諸慣行の生成変化の理論は,集
団学習のプロセスからな」る,再帰的な過程であるとされている(立見,2006,p.14)
。
27) 例えば,立見はワーキング・ユニフォームが属する「生産の世界」を大量生産・大量消費が支配的な
「工業の世界」であると判断しており,その根拠として示されているのは,事例企業(1社のみ)が
定番の低価格商品を中心に生産しているという事実である。しかし,こうした産業集積地域(地場産
業産地)には,他社との差別化を図るために別注品や高機能・高価格製品の生産に特化した企業が存
在するというケースも多く,そうした企業がある場合,当該製品の「生産の世界」はどのように判断
すべきなのか,という疑問が生じてくる。
28) 近年では,宮川(2000・2001・2002・2003)において,詳細な事例分析が行われている。なお,こ
れらの研究は,中小零細企業から成る産業集団を「産業地域社会」として捉えた 1970 年代の自身の研
究(宮川,1974・1976)を深化させたものとして捉えることもできよう。
29) このほか,宮川の研究では「風格の経済」や「接遇の環境」といった独自の用語の使用,
「民芸」と
「工芸」,「場」と「所」といった語の独自の使い分けといった特徴がみられ,このことが宮川の論を
難解なものにしている。
- 41 -
第3章 香川県東かがわ市における手袋製造業
第1節 地域概観
本章で分析対象とする東かがわ手袋産地 1)を構成する企業群は,東かがわ市とさぬき市に
広く分布している。両市は香川県東部の沿岸部に位置しており,南部は阿讃山脈を境に徳
島県と接している(図3-1)
。東かがわ市内には馬宿川,湊川,番屋川,さぬき市内には津
田川,鴨部川といった河川があり,その流域に平野が形成されている。そこでは市街地と
田園地域が形成されており,さぬき市の沿岸部には工業団地も形成されている。
東かがわ市の産業のうち,第一次産業では稲作を中心にイチゴやレタス,菊などの施設
園芸型農業が展開されており,高付加価値産品の生産が推進されている。また,穏やかな
瀬戸内海を利用したタイやハマチ,ノリなどの養殖漁業も行われている。第二次産業は手
袋製造業を中心に展開しているが,近年では若年層の定住化を狙った工業団地への工場誘
致が積極的に行われている。そのため,第二次産業の就業者人口比率が 38.7%と県内で最
も高い反面,第三次産業の就業者人口比率は 50.4%と低い(平成 17 年「国勢調査」)。
さぬき市の産業は,東かがわ市に比べ第三次産業の就業者人口比率が 61.7%と高い。こ
れは四国霊場八十八ヶ所の寺や公共温泉などの施設があること,郊外型量販店が進出して
図3-1 調査対象地域概略地図
- 42 -
いるためである。一方,第二次産業は志度地区に臨海工業地帯が形成され,機械製造業な
どが展開しているが,就業者人口比率は 28.6%と低い。
なお,東かがわ市は,平成の大合併により 2003(平成 15)年4月1日に大内町,白鳥町,
引田町の旧大川郡3町が合併して誕生した。この合併により,市の人口は約 3.6 万人,面積
は 153.35 ㎢となった。また,さぬき市は東かがわ市よりも早い 2002 年4月1日に津田町,
大川町,志度町,寒川町,長尾町の旧大川郡5町が合併して誕生した。この合併により,
市の人口は約 5.7 万人,面積は 158.89 ㎢となった。
第2節 東かがわ手袋産地の概要
(1)産地確立までの東かがわ手袋産地の動向
東かがわ手袋産地は,大阪から製造技術が移植されたことによって明治期に誕生した地
場産業産地である。そのため,産地形成後しばらくの間は,大阪商業資本の下請産地とし
て機能していた。その後,1914 年に勃発した第一次世界大戦による特需を契機に,東かが
わ手袋産地は大きく拡大・発展したが,特需の収束とともに生産量は大きく減少した 2)。そ
のため,それまでの大規模な工場経営は困難となり,代わって,製造工程を分業的に担当
する下請工場が増加し,以後,東かがわ手袋産地では,こうした下請工場や家庭内職者を
利用する分業生産が定着した。
その後,第二次世界大戦によって産地は再び縮小したが,戦後は,日本経済の活性化と
ともに,生産量を大きく増加させていった。その際,①戦中の被害が比較的少なく,手袋
製造の機器や技術が集中していたために,大阪に先行して生産を再開することができたこ
と,②戦後,産地内に手袋製造の関連業者が揃ったこと,③銀行の進出整備によって,東
かがわの企業の独力による資本調達が容易になったことが相俟って,産地は従来の大阪資
本の下での下請産地という立場から,独立した地域完結型の産地への脱却に成功した(村
上,1983,pp.964-966)
。
こうして,東かがわ手袋産地は,高度経済成長期を迎える頃には,国内最大規模の手袋
産地へと成長した。
(2)全国的な手袋製造業の動向と東かがわ手袋産地の位置
2005 年版「工業統計表(品目編)
」によると,手袋製品は8品目に分類されており,それ
らの製造品出荷額の推移は図3-2に示したごとくである
3)。これによると,手袋製品全体
の製造品出荷額は,統計調査が開始された 1953 年からピークである 1991 年(出荷額;
- 43 -
図3-2 手袋製品の全国出荷額の推移とその内訳
注:
「衣服用ニット縫手袋」は 1955 年から,
「ゴム手袋」は 1954 年から,
「その他の手袋」は 1994 年から,
「スポーツ用革手袋」は 1985 年から,統計調査が行われている。また,
「ゴム手袋」と「作業用革手
袋」については 1957~1959 年の間,調査が行われていない。
資料:「工業統計表(品目編)
」より作成。
101,240 百万円)までほぼ一貫して増加している。このうち,1980 年代前半までの出荷額
の増加は,作業用ニット手袋の出荷額の増加に,その後の 1991 年までの出荷額増加は,ス
ポーツ用革手袋の出荷額増加に支えられたものであった 4)。これらの出荷額増加は,製造業
の成長に伴う需要増加や,バブル経済期におけるレジャー産業の興隆による需要増加を反
映したものであった。
このように,手袋製造業は 1991 年まで順調に成長を続けてきたが,それ以後は一転して
縮小傾向に陥り,なかでも作業用革手袋とスポーツ用革手袋の出荷額の減少が著しい 5)。こ
うした品目ごとの減少率の違いは,近年の経済的な変化によって生じたものである。作業
用手袋の出荷額減少は,1990 年代から国内製造業の海外進出が加速したことによる需要の
減退と,新興国からの輸入品の増加によって生じた。衣服用手袋と違い,作業用手袋は流
行に左右されることがないため,特殊な製品を除くと,単価の安い海外製品が市場での優
位性を発揮する。また,スポーツ用革手袋は,余暇活動向けの製品であり,その時の景気
によって需要が大きく左右されるため,バブル景気の終息とともに,需要が急速に減少し
- 44 -
てしまった。
一方,衣服用手袋も需要の頭打ちや,より高いデザイン性・ファッション性を求めるよ
うになった消費者ニーズへの対応,製品サイクルの短縮化といった問題に苦しんでいる。
しかし,作業用手袋やスポーツ用革手袋ほどの急激な需要の減退には見舞われていない。
これは,各企業が社内にデザイナーを常駐させ,製品のデザイン性・ファッション性を高
めるなどの企業努力を行ったことで,海外製品に対する市場での優位性を維持することに
成功したためである。
続いて,今日における都道府県別の手袋製品の出荷額とその割合をみると(表3-1)
,香
川県が 43.1%という大きな割合を占めて,全国第1位の出荷額(16,471 百万円)を示して
いる。また,これに続く富山県,兵庫県,広島県,愛知県,大阪府までの上位6府県のみ
が出荷額 10 億円を超えており,これらの府県で全国出荷額の約8割を占めている。このこ
とから,国内の手袋生産が特定の地域に集約されていることがわかる。
また,品目別出荷額と産出府県の内訳をみると(図3-3),各府県の特色がうかがえる。
まず,全国出荷額1位の香川県は,衣服用手袋とスポーツ用革手袋の製造に特化している。
また,2位の富山県と5位の愛知県,6位の大阪府は作業用ニット手袋製造に,3位の兵
庫県は作業用革手袋製造に,4位の広島県はゴム手袋製造にそれぞれ特化している。この
ように,手袋製造業では用途や品目ごとに異なる主要産地が形成されているが,これは品
目別の製品単価の違いとも対応している(表3-2)。
これらのことから,全国の手袋製造業において最大の出荷額を誇る香川県(東かがわ手
袋産地)は,衣服用手袋とスポーツ用手袋という,いずれも単価の高い製品の生産に特化
表3-1 府県別にみた手袋製品の製造品出荷額とその割合(2005 年)
都道府県名
香川県
富山県
兵庫県
広島県
愛知県
大阪府
和歌山県
岡山県
奈良県
静岡県
その他
全国計
製造品出荷額
(百万円)
16,471
4,079
3,417
2,984
1,623
1,362
736
352
218
135
6,827
38,204
割合
(%)
43.1%
10.7%
8.9%
7.8%
4.2%
3.6%
1.9%
0.9%
0.6%
0.4%
17.9%
100.0%
資料:「工業統計表(品目編)
」より作成。
- 45 -
図3-3 各種手袋製品の府県別出荷額割合
注:衣服用手袋は 2005 年の府県別の製造品出荷額が秘匿扱いとされているため,府県別の出荷額が掲載さ
れている 2001 年の数値を使用した(2002~2004 年についても同様に秘匿扱い)
。なお,2005 年の衣
服用手袋の全国出荷額は 2,446 百万円である。この年の全国事業所 11 のうち,10 事業所が香川県にあ
るため,出荷額についても香川県が高い割合を占めていると推察される。
資料:「工業統計表(品目編)
」より作成。
表3-2 手袋製品の品目別単価
用途
衣
服
用
作
業
用
ス
ポ
ー
ツ
用
品目
単価(円)
衣服用ニット縫手袋
431
衣服用ニット編手袋
334
衣服用皮手袋
895
作業用ニット手袋
48
作業用皮手袋
245
ゴム手袋
178
スキー手袋
1,261
ゴルフ手袋
500
バッティング手袋
544
オート手袋
マリン・アウトドア手袋
1,672
941
注:スポーツ用手袋の単価は 2007 年時点,その他の製品の単価は 2005 年時点のものである。
資料:「工業統計表(品目編)
」および,日本手袋工業組合資料より作成。
- 46 -
表3-3 東かがわ市・さぬき市の製造業に占める手袋製造業の割合(2008 年)
事業所数
(事業所)
従業者数
(人)
製造品出荷額
(万円)
市の製造業全体
305
9,474
28,992,055
手袋製造業
84
1,591
3,913,896
27.5%
16.8%
13.5%
手袋製造業が
占める割合
注:市の製造業に関する数値は従業者4人以上の事業所を対象とした数値であるが,手袋製造業に関する
数値は全ての事業所を対象とした数値である。
資料:「工業統計表(市区町村編)
」および,日本手袋工業組合統計資料より作成。
した産地だといえる。また,それらの製品は近年,需要の減少や多様化に苦しんでいるが,
その一方で,デザイン面や機能面での海外製品に対する優位性によって市場の確保を図っ
ている。
なお,表3-3は,今日の東かがわ市・さぬき市両市の製造業において,手袋製造業が占
める割合を示したものである。これをみると,中小零細企業が多数を占める地場産業の特
性を反映し,事業所数において手袋製造業が占める割合が 27.5%と最も高くなっているこ
とが分かる。それに対して,従業者数では 16.8%,製造品出荷額では 13.5%と,手袋製造
業が全製造業に占める割合は低くなっている。しかしながら,いずれも 15%前後の割合を
示しているほか,関連産業(染色,ミシン等の製造機器の製造・修理,包装用の箱物製造
など)の存在なども考慮すると,両市における手袋製造業の重要性は,表中の数値以上に
高くなるものと考えられる。
第3節 東かがわ手袋産地における生産・流通構造の変化とその背景
(1)高度経済成長期前半における輸出ブームと労働力不足
先述したように,1950 年代後半に国内最大規模の手袋産地へと成長した東かがわ手袋産
地であったが,当時は重厚長大型産業や第三次産業での新たな雇用機会が創出されたため
に,労働力が他産業へと流出しはじめた時期でもあった。そのため,1960 年代後半になる
と,生産機器の能力向上等によって生産量・生産額は増加していたものの,産地の生産能
力は次第に伸び悩むようになった。
当時の東かがわ手袋産地の主力製品は,衣服用革手袋のなかでもビニール手袋と呼ばれ
- 47 -
る合皮手袋であった。革手袋に比べ,実用的で安価なビニール手袋はアメリカの中産階級
に好評を博し,1960 年代前半から同製品の対米輸出ブームが起こったのである。この輸出
ブームは,産地内に大きな変化をもたらした。まず,一つ目の変化は,ビニール手袋が革
手袋よりも加工が容易で歩留まり率がよかったため,ビニール手袋製造に乗り出す企業が
増加したことである。二つ目の変化は,輸出面で「かつて地元を支配した大阪商業資本に
かわりアメリカ商業資本(バイヤー,サプライヤーなど)が主導権を握」(小笠原,1969,
p.526)るようになったことである。そして,三つ目の変化は,輸出ブームと従来からの労
働力不足が相俟って,メーカーが「下請企業の系列化を行うとともに下請の広域化に乗り
出し」
,その範囲が「徳島県,高松市さらには坂出,丸亀と西讃地区に」まで拡大したこと
である(小笠原,1969,p.531)
。
しかし,この下請の広域化は労働力を国内の別地域に求めたものであったため,労働力
不足や労賃の上昇といった問題が,じきに顕在化してきた。そのため,さらに安価で豊富
な労働力を得るために,生産機能の海外移転(主に委託生産)がはじめられた。当時の進
出先は,韓国・台湾であり,各工場の従業者規模は 100~200 名程度,主な生産品目はビ
図3-4 高度経済成長期以前の生産・流通構造
注:図内の矢印の実線・点線は,量の多少(実線:多,点線:少)を表している。
資料:村上(1983)
,p.1013,第7図をもとに,聞き取りにより作成。
- 48 -
ニール手袋であった。ただし,1960 年代における海外工場数は,確認できる限りでは4社
5工場であり(手袋百年誌編集委員会,1988,p.60),産地内の大半の事業所は国内生産を
行っていた。
こうした変化に伴い,東かがわ手袋産地の生産・流通構造も大きく変化した。戦後の復
興期には図3-4のような生産・流通構造が形成されており,生産面では製造卸企業や製造
図3-5 生産・流通構造の変遷
注:図内の記号は第4図に対応しており,各時期において変化がみられた主体には網掛けをしている。な
お,(3)・
(4)における OEM・ライセンス契約先からの流通経路は,複雑かつ多様であるため,本
図では割愛している(波線)
。
資料:村上(1983)
,p.1013,第7図をもとに,聞き取りにより作成。
- 49 -
企業を中心とする分業生産が行われていた。そこでは,元請製造卸企業ならびに元請製造
企業が全体の工程を統括する一方,労働集約的な縫製工程を中心に下請企業や家庭内職を
利用することで量産を可能にしていた。また,流通面では,産地内の元請製造卸企業が自
身の統括する分業によって生産された製品や,元請製造企業を中心とする分業によって生
産された製品を出荷する場合と,元請製造企業が自ら産地外へと出荷する場合の2つのパ
ターンがあった。内需向け製品の場合,出荷先は,いずれも産地外の問屋である場合が多
く,小売店などへ直接商品を卸すことは稀であった。一方,外需向け製品の場合は,商社
を通じて海外市場へと製品が流通するという形態が一般的であった。
しかし,高度経済成長期になると,生産・流通構造は図3-5(2)のような形態へと変
化した。まず,生産面では産地外に分工場や下請工場が設置されたほか,少数ではあった
が海外にも生産拠点が設置された。また,流通面では輸出の際に海外バイヤーが主導権を
握るようになった。当時は,東かがわ手袋産地が輸出型産地として活況を呈した時期であ
ったため,多くの商品がこの経路で輸出された。
(2)ドルショック・オイルショックと内需転換
労働力不足という問題を抱えつつも,1960 年代を中心に輸出型産地として活況を呈した
東かがわ手袋産地であったが,図3-6をみても分かるように,1971 年のドルショック,
図3-6 東かがわ手袋産地の事業所数・販売金額(製品別・内外需別)の推移
資料:手袋百年誌編集委員会(1968)および,日本手袋工業組合資料より作成。
- 50 -
1973 年のオイルショックを契機に,輸出額や事業所数が減少に転じた。特に,手袋製品の
輸出額は 1970 年にピークである 717,761 万円を記録した後は減少を続け,1980 年には
309,310 万円にまで減少した。また,事業所数は 1970 年に最大の 245 事業所を記録してお
り,当時は輸出専業の事業所も存在していた。しかし,ドルショック・オイルショック以
降は一時的な増加がみられたものの(これは,後述する関連分野製品の展開によるものと
みられる)
,その後は徐々に減少してゆき,1980 年には 195 事業所となった。
こうした事態を受け,東かがわ手袋産地は,産地をあげて内需転換を図ることとなった。
その際,大きく分けて2種類の方策が採られたが,そのうちの一つが衣服用手袋の高付加
価値化と製品単価の高いスポーツ用手袋の製造拡大であった。当時,手袋は輸出不振に加
え,先述した国内市場における消費者需要の変化(よりデザイン性・ファッション性の高
図3-7 手袋製品および関連分野製品の分化系統
資料:村上(1983)
,p.970,第1図に一部加筆して作成。
- 51 -
い製品への需要の高まり)という問題に直面していた。こうした問題に対処するため,社
内にデザイナーを常駐させる企業,産地外企業(ファッションブランドやスポーツ用品メ
ーカーなど)と OEM 契約やライセンス契約を結び,付加価値の高い製品を生産する企業等
が現れた。
内需転換のもう一つの方策は,手袋の製造技術を活かしたカバン・袋物やニットなど関
連分野製品の展開であった。カバン・袋物の生産にあたっては,同じ革や合皮を原料とす
る革手袋・ビニール手袋の製造技術や機器が応用されたほか,ニット製品の生産には,編
手袋の技術・機器が利用された(図3-7)
。先述した消費者需要の変化によって,手袋製造
業が苦境に立たされていたため,当時の関連分野製品に対する期待は大きく,多数の企業
が生産に乗り出した。こうした様々な試みが奏功したことで東かがわ手袋産地は内需転換
に成功し,それと同時に,産地内では手袋以外の製品の重要性が高まっていった。なお,
このような手袋製品の多様化・高級化や関連分野製品の展開は,以前から試みられてきた
が,上記のような理由から,その流れが加速した。そうした傾向は,図3-6の 1970 年代
における関連分野製品の販売額増加からもうかがえる。
また,この間にも少数ではあったが,生産機能の海外移転が進められ,引き続き韓国・
台湾を中心に工場が設置された 6)。その一方で,かつて設置されていた産地外の国内生産拠
点は,この頃にほぼ全て撤収された。海外での主要な生産品目は,手袋の輸出不振を反映
して,以前のビニール手袋から内需向けのスポーツ用手袋へと変化した。そのほかにも,
衣服用手袋や関連分野製品も製造された。
このような変化を遂げた結果,生産・流通構造は図3-5(3)のような形態へと変化し
た。海外輸出が大きく減少したことで,海外向けの販路は縮小し,代わって国内向けの販
路が拡大した。そこでは,OEM・ライセンス契約先への出荷という新たな販路も出現した。
また,問屋も従来の手袋を扱うものに加えて,関連分野製品を扱う問屋が増加した。生産
面では,産地内での生産が縮小しはじめると同時に,産地外の国内生産拠点が撤収された
が,それに代わって海外での生産が増加しはじめた。ただし,この時点では,海外での生
産量は全生産量のごく一部を占めるに過ぎなかった。
(3)バブル景気と労働力不足の深刻化
1980 年代になると,内需転換の動きは落ち着きはじめたが,同時に新興国からの輸入が
増大し,市場が圧迫されはじめた。そのため,先の図3-6にもあるように,それまで増加
の一途をたどっていた内需向け手袋製品の販売額が,1980 年代中盤には一時,減少に転じ
た。この問題に対しては,先述した手袋製品の高付加価値化と関連分野製品の展開を継続
- 52 -
することで対応が試みられた。これにより両分野において,更なるデザイン性の向上や多
品種・小ロット生産の広がりがみられた。
そのような中,1980 年代後半にバブル景気が訪れたことで,産地は一転して活況を呈し
た。レジャー産業の興隆に伴い,東かがわ手袋産地の主力製品の一つであるスポーツ用手
袋に対する需要が高まったためである。これにより,内需向け手袋の販売額が大きく増加
したが(図3-6)
,この販売額増加を下支えしたのは,1980 年代に活発化した生産機能の
海外移転であった。以前より,産地内の企業は国内での労働力不足と労賃の高騰に悩まさ
れていたが,1980 年代になるとその問題は一層深刻化し,多くの企業が海外進出による安
価な労働力の確保に乗り出した。こうした海外進出が活発化した背景には,取引先企業(商
社等)による仲介や進出先地域における税制面での優遇政策等があった。また,一部の先
発企業による海外生産活動から生まれた現地における多様なコネクションの存在も進出を
加速させた。こうして産地全体の生産能力が向上したことで,バブル期における需要の増
大にも対処できたのである。
なお,当時の海外進出は,進出方法や進出先,生産品目に関して従来との相違点が見受
けられる。先述したように,従来の海外進出の形態は委託生産が中心であったが,この頃
になると海外進出に関するノウハウが蓄積されたことで,独自資本による海外進出(自社
工場の設置)が増加した。また,従来は韓国や台湾に進出していたが,これらの地域が経
済成長を遂げたことによって労賃が高騰しはじめたため,中国へと進出する企業が増加し
はじめた。生産品目については,初期にみられた海外での低級品生産,国内での高級品生
産という棲み分けが薄れはじめ,海外でも高級品・高付加価値製品が製造されるようにな
表3-4 東かがわ手袋産地の企業による海外進出の状況(2008 年3月 31 日時点)
進出先国・
地域名
中国
韓国
台湾
インドネシア
フィリピン
ベトナム
香港
インドネシア
スリランカ
タイ
マレーシア
合計
進出企業数
委託生産,
独資進出
合弁・合資進出
17
33
2
5
1
5
6
2
2
1
3
1
1
1
1
1
1
27
56
資料:日本手袋工業組合資料より作成。
- 53 -
合計
50
7
6
6
4
4
2
1
1
1
1
83
った。これは,委託生産に比べ,独資もしくは合弁・合資による海外進出では品質管理等
が容易であることと,海外拠点の生産能力が向上したことが影響している。ただし,海外
拠点の生産能力向上は,マイナスの効果も生み出した。委託生産や合弁・合資進出による
現地企業への技術供与の結果,海外企業の製品が日本市場へと流入し,市場を圧迫する一
因となったのである。
海外進出が本格化した結果,現在では表3-4にあるように多数の生産拠点が海外に設置
されている。なかでも,主要な進出先である中国には,独資進出と委託生産,合弁・合資
進出をあわせると,50 もの生産拠点が立地している。このように,多数の海外拠点が設置
されたことで,産地内では試作品や小ロット・短納期製品,一部の高付加価値製品などの
生産,海外生産品を含む各種製品の検品・出荷といった業務が中心を占めることとなった。
そのため,今日では産地全体の出荷額のうち,海外で生産された製品の出荷額が半分ほど
を占める状況にある 7)。
このほか,現在の東かがわ手袋産地の特徴として,前項で述べた関連分野製品が広く展
開されていることがあげられる。2007 年における関連分野製品の販売額は 1,110,567 万円
であり,これは産地の全販売額 3,714,871 万円のうち,およそ3分の1を占める規模である。
このように関連分野製品の製造が拡大した結果,東かがわ手袋産地は,手袋専業の事業所
や手袋と関連分野製品を併せて製造している事業所,さらには関連分野製品専業になった
事業所など,多様な事業所群によって構成された複合的な産地となった(図3-8)。
こうした変化を遂げた結果,現在の生産・流通構造は,図3-5(4)のような形態とな
っている。産地内の下請企業や家庭内職は大きく減少し,代わって海外生産拠点の重要性
が高まった。そのため,海外で完成品がつくられ,それを本社へと輸送し,そこでの検品
を経た後,全国の問屋などへ配送されるというパターンが多くなっている。一方,流通面
では OEM・ライセンス契約先へと出荷される製品が増加したほか,インターネットの普及
によって,一般消費者に直接商品を販売するという,今までに無かった販路もみられるよ
うになった。また,近年では,自社ブランド製品を販売するための直販店を設置する企業
も現れており,流通経路の多様化が進んでいる。
以上のように,高度経済成長期以降の東かがわ手袋産地では,生産機能の海外移転,手
袋製品の高付加価値化(デザイン性・ファッション性の向上やスポーツ用手袋の生産),関
連分野製品の展開という3つの特徴的な変化がみられた。これらは,産地を取り巻く社会
的・経済的環境の変化への対応策としてとられたものであり,その結果として,産地内の
生産・流通構造にも変化が認められた。
- 54 -
図3-8 東かがわ市周辺における手袋製造事業所の立地状況
注:○の色は,各事業所が生産している製品の種別を表しているが,それは各製品の生産量・生産額の割
合を示すものではない。
資料:「日本手袋工業組合 2007~2008 組合員名簿」より作成。
- 55 -
第4節 企業行動の個性化 8)と産地の変化
高度経済成長期以降の東かがわ手袋産地における一連の変化の過程では,生産・流通構
造に変化がみられただけではなく,産地内企業による産地外活動(生産機能の海外移転)
や,産地外企業との結びつき(OEM・ライセンス契約)なども認められた。その結果,近
年では一見すると同種とみられる企業行動であっても,その具体的な内容には企業ごとの
差異が見受けられ,企業行動の個性化が進展している様子がうかがえる 9)。そこで,本節で
は生産機能の海外移転,手袋製品の高付加価値化,関連分野製品の展開という三点に関し
て,特徴的な企業行動をとっている5社(表3-5)をとり上げ 10),具体的な企業行動をみ
てゆく。それにより,企業行動の個性化の実態を明らかにするとともに,その背景・要因
を検討する。
(1)生産機能の海外移転
生産機能の海外移転に関して特徴的な行動をとっている企業は,A・C・E の3社である。
これら3社は,比較的早い段階から生産機能の海外移転を図っており,A 社は 1969 年に韓
国で,C 社は 1967 年に台湾で,そして E 社は 1971 年に台湾でそれぞれ委託生産を開始し
た。また,C 社は 1971 年に韓国でも委託生産を開始した。ただし,これらの委託生産によ
る生産量は少なく,あくまで試験的・補助的な生産であった。
その後,ますます高騰してゆく国内の労賃・生産費に対処するため,各社は本格的に生
産機能を海外に移転させていった。なかでも,いち早く行動をとったのが A 社であった。A
社は 1972 年,韓国・馬山に自社工場を設置したことを皮切りに,1976・78 年には益山に
表3-5 事例企業の概要
資本金
創業年
(万円)
販売高
(万円)
海外生産高 従業者数
(万円)
(人)
手袋
生産品目
手袋以外
海外拠点
特徴
衣服用
ウォーキング
スポーツ用 バッグ
東京
大阪
自社工場:中国×2
合弁工場:中国×2
支社・営業所:中国×2,米国,スイス
衣服用
スポーツバッグ
20 スポーツ用
ノベルティ
作業用
東京
大阪
合弁工場:中国
委託生産:中国×4
・作業用手袋の生産
・スポーツ用手袋の生産
・カバン類等の生産
札幌
東京
大阪
合弁工場:中国×4
・早期の海外移転
・衣服用手袋生産への特化
・自社ブランドの展開
A社
1937
17,400
420,185
297,224
B社
1963
1,000
19,619
3,204
C社
1949
4,600
573,000
268,100
D社
1961
1,000
28,500
0
30
―
E社
1962
9,000
186,575
172,364
70
衣服用
スポーツ用
―
産地内
全社の平均
―
51,499
24,229
21
―
―
―
国内拠点
97
120 衣服用
ニット製品
革小物製品
―
東京
大阪
―
資料:日本手袋工業組合資料および,聞き取りにより作成。
- 56 -
―
自社工場:ベトナム×3,フィリピン
委託生産:中国×5,インドネシア
―
・早期の海外移転
・カバン類の生産
・革小物製品製造への転換
・自社ブランドの展開
・東南アジアへの海外移転
・スポーツ用手袋生産への特化
―
図3-9
A・C・E 社による海外工場および営業所等の設置状況
資料:聞き取りにより作成。
- 57 -
も自社工場を設置した(図3-9)
。この一連の韓国進出は,安価で豊富な労働力を求めて行
われたものであったが,同時に,現地で企業誘致に関する優遇政策がとられていたことも
進出の要因となった。
1980 年代になると,韓国が経済成長を遂げたことによって労賃や生産費の高騰が問題に
なった。そこで A 社は 1984 年に中国・昆山に自社工場を設置し,1988 年には嘉興に合弁
工場,昆山に2つ目の自社工場を,さらに翌年には蘇州に合弁工場を設置した。この一連
の中国進出に伴い,A 社は韓国の自社工場を順次閉鎖し,生産の中心を中国へとシフトして
いった 11)。
一方,C 社の本格的な海外進出は A 社に比べるとやや遅く,1979 年の中国・北京におけ
る技術交流に基づく専属工場での生産からはじまった。当時,東かがわの手袋製造企業が
海外へ進出する際には,A 社のように,まず台湾・韓国へと進出し,その後,上海周辺へと
拠点を移していくというパターンが主流であった。しかし,1970 年代後半の上海周辺では,
先発企業による様々な企業間ネットワーク等が形成されていたため,後発企業が進出しに
くい状況になっていた
12)。そのため,C
社は当時ほとんど手袋製造企業が進出していなか
った北京へと進出した。
その後,C 社は従来の委託生産から進出形態を変化させ,1994 年には北京と昆山に合弁
工場を設置した。これら2工場の設置に際しては,日本国内の大手商社による仲介がきっ
かけとなった。また,昆山工場を設置する際には,当該地域が開発区に指定されていたこ
とも進出を後押しした。
そして,2000 年代になると C 社はさらに進出形態を変化させた。2005 年には産地内の
他企業が所有していた天津の工場を買収し
13),翌年には山東省(棗荘)に自社工場を設置
した。これらの工場を設置した背景には,先に合弁工場を設置した北京・昆山周辺の経済
発展と,それに伴う労働力の確保難があった。そのため,今後はこれら2工場が C 社の主
力工場になってゆくものと考えられ,現在,天津工場では約 300 人,山東工場では約 500
人もの従業者が働いている。
このように,A 社と C 社は現在,中国に主力工場を展開しているが,これとは違う動き
をみせているのが E 社である。E 社は先の台湾における委託生産以降,しばらく新たな海
外進出を行っていなかった。しかし,1985 年のフィリピン・バターンにおけるライン賃借
による生産,1986 年の韓国・釜山における委託生産から海外進出を活発化させた。このう
ち,フィリピン進出の際には,当時取引をしていた大阪の問屋が当地に工場を所有してい
たことがきっかけとなった。このことが大きく影響し,1987 年には同じくバターンに自社
工場を設置した 14)。
- 58 -
その後も,1991 年にはベトナム・ホーチミンに合弁工場を設置
15)したほか,1993
年に
はフィリピン・キャビテに自社工場を設置した。また,2000 年にはベトナム・ハノイにあ
る韓国企業への委託生産を開始したほか,インドネシア・ジャカルタ近郊でも委託生産を
開始した。さらに,2005 年と 2007 年にはベトナム・ダナンにも自社工場を設置し,東南
アジアへの生産機能の移転を進めている。なお,この間に E 社は中国での委託生産も拡大
させており,現在では青島,上海,瀋陽にて主に衣服用手袋を生産している。
以上,生産機能の海外移転についてみてきたが,A 社および C 社は,これ以外にも海外
での企業活動を展開している。まず,A 社は 1980 年にニューヨークに販売子会社を設立し
た。これは,北米市場における販路開拓を狙ったものであり,この販社は現在でも営業活
動や商品配送の拠点として機能している。その後,2004 年には上海と香港に国際事業部の
オフィスを設置(国内にあったものを移管)したほか,スイスにも新たな販社を設置した
16)。スイスに設置された販社は,北米市場に並ぶ大市場であるヨーロッパ市場をターゲット
とした営業拠点として今後,重要性を高めていくものと考えられる。
また,衣服用手袋が主力製品である C 社は,近年,日本国内における需要の頭打ちとい
う問題を抱えている。そこで,2003 年にはイタリア・ナポリに,2008 年には中国・上海に
販売拠点を設置し,商機の拡大を図っている 17)。
(2)手袋製品の高付加価値化
手袋製品の高付加価値化では,各社が様々な方法を採っているが,それらは大きく3種
類に分けることができる。スポーツや特殊作業など特定の用途に特化した高機能製品の生
産,デザイン性の向上(主に衣服用手袋・スポーツ用手袋)
,各種製品の自社ブランド化が
それである。そして,こうした高付加価値化戦略に成功している代表的な企業が B・C・E
の3社である。
まず,B 社は東かがわ手袋産地内では数少ない作業用手袋を主力製品の一つとする企業で
ある。B 社の作業用手袋生産は,1978 年に郵政省の手袋生産を受注したことにはじまる。
そのきっかけは,当時の主要取引先であった東京の企業が,官庁向けのユニフォームを扱
っていたことにあった。その後,1985 年から消防用手袋の生産をはじめたことで B 社の特
殊作業用手袋の生産は拡大し,現在では警察や自衛隊向けの手袋も生産している。この間,
1998 年には特殊作業用手袋の自社ブランドを立ち上げ,通信販売事業を開始したほか,
2001 年からは手袋だけでなく,T シャツや帽子などの関連商品の取扱も開始した 18)。
また,B 社は高付加価値製品であるスポーツ用手袋も生産している。スポーツ用手袋の生
産は 1980 年代半ばからはじめられたが,当初は卸売業者を介した下請生産であった。しか
- 59 -
し,後年,その仲介業者が倒産したことを契機に大手スポーツ用品メーカーと直接取引を
行うようになった。主な製品はサッカーやダイビング用の手袋であり,近年ではプロサッ
カー選手が使用する手袋も生産している。
これらの手袋生産に加えて,B 社では近年,衣服用手袋の生産量も増加している。衣服用
手袋の生産は以前から行われていた(主に下請生産)が,その生産量は作業用手袋やスポ
ーツ用手袋に比べると非常に少なかった。しかし,アパレル業界出身の現在の専務が入社
したことで,以前の業界のネットワークを活用した販路が開拓され,高付加価値製品の出
荷量が徐々に増加している 19)。
続いて,C 社の高付加価値化戦略をみてゆく。近年,関連分野製品の生産を拡大する企業
が多いなかで,C 社は創業以来,一貫して衣服用手袋を主力製品として展開している
20)。
その C 社の高付加価値化戦略は,5年ほど前に立ち上げた高級自社ブランドの衣服用手袋
生産である。
この自社ブランド立ち上げのきっかけとなったのは,前項で触れた天津工場を所有して
いた産地内企業の倒産であった。この企業の倒産理由の一つに,複数の大手ブランドによ
るライセンス契約の解除があり,ライセンス契約への過度の依存が経営面で大きなリスク
になることが認識されたのである。また,自社ブランド製品の展開は,近年,多様化・高
級化する消費者需要に応えるという側面も持ち合わせている。当初,この自社ブランド製
品は国内の百貨店向けの製品として展開されていたが,ブランドのさらなる浸透を狙った C
社は,2008 年に都内の大型商業施設に直販店を設置した 21)。さらに,最近では国内のみな
らず,上海の販社を経由した中国市場での販売も試みられている。
最後に E 社の高付加価値化戦略をみてゆく。創業当初,E 社の主力製品は対米輸出用の
衣服用手袋であった。しかし,ドルショック・オイルショック以降の輸出不振に伴い,内
需転換を図ることとなった。その過程で中心的な役割を果たしたのが,現在の主力製品で
あるスポーツ用手袋であった。E 社は 1971 年にカナダ企業と技術提携を行い,皮革の裁断
や縫製の技術を修得した。このことをきっかけに,E 社はスポーツ用手袋の生産へと乗り出
したが,生産開始後しばらくの間,その生産量は伸び悩んだ。
E 社が発展するきっかけとなったのは,1970 年代半ばにおける海外の大手ファッション
ブランドとのライセンス契約の締結であった。当時,この海外ブランドは日本国内で高い
人気を誇っていたが,手袋製品に関してはいずれのメーカーともライセンス契約を結んで
いなかった。そこに注目した E 社の社長が度重なる営業活動を行った結果,ライセンス契
約の締結に至ったのである。この契約締結は,E 社の技術力やデザイン力の高さを業界内に
示すこととなった。これをきっかけに,E 社は複数の大手スポーツ用品メーカーとの契約に
- 60 -
も成功し,スポーツ用手袋の生産量を大きく増加させた。そして,その過程で E 社は,主
力製品を衣服用手袋からスポーツ用手袋へと転換していった 22)。
(3)関連分野製品の展開
前節で述べたように,東かがわ手袋産地内ではニット製品やカバン・袋物,革小物とい
った関連分野製品の製造が拡大しているが,これは,手袋生産で用いられてきたミシン等
の機器や製造技術の転用・応用が可能であったために進展した。また,これらの製品は布
地や皮革など,手袋と同種の原料を用いるため,それらの入手先が確保しやすかったこと
も生産拡大の要因となった。こうして現在,産地内では広く関連分野製品が生産されてい
るが,そのようななかで特徴的な展開をみせているのが A・B・D の3社である。
まず,A 社は 1990 年代後半から販売を開始したカバン類(ウォーキングバッグ)を広く
展開している。従来,手袋を中心に扱ってきた A 社は,それまで順調に業績を伸ばしてい
たものの,冬場に売り上げが集中してしまうことや,年々進行する世界的な暖冬による販
売額低下に危機感を感じていた。そこで,社長や社員らの海外渡航の経験から着想を得て,
ウォーキングバッグの開発がはじめられた。これは,海外に複数の拠点を設けるとともに,
海外での販路開拓を積極的に行っていた A 社ならではのきっかけであったといえる。
ウォーキングバッグは 1997 年から販売されたが,その販路は手袋のそれとは全く違って
いた。そこで,全国の百貨店やカバン専門店などを中心に新たな販路を開拓し,徐々に売
り上げを伸ばしていった。
続いて,B 社はカバン類を中心に複数の関連分野製品を展開している点に特徴がある。B
社は,1980 年代半ばに大手スポーツブランドのバッグ生産を受注したことを契機に,カバ
ン類の生産を本格化させた。このカバン類の生産は,1994 年に中国・青島に合弁工場を設
置したことと,当時のスキーブームによってスキー用バッグの需要が増大したことが相俟
って,規模が拡大した。現在でもカバン類の大半が中国の契約工場(香港,深圳,東莞)
で生産されている。
なお,B 社は手袋やカバン類のほかに,革を使用したファイルやバインダーなどの文具類
も扱っている。これらの製品は,中国の協力工場が持っていたノウハウを活かして生産さ
れているが,その販売額はごくわずかである。
このように,現在の B 社は先述した衣服用・スポーツ用・特殊作業用手袋に加え,カバ
ン類や文具類の生産を行う企業へと変化している。販売額の内訳をみると,手袋が5割,
カバン類をはじめとする関連分野製品が残りの5割を占めている。そして,手袋のうち約
半数がアパレル用とスポーツ用,残り半分を特殊作業用手袋が占めるという状況である。
- 61 -
最後に,現在,革小物製造専業である D 社の企業行動をみる。D 社は先代の社長が A 社
から独立し,1961 年に衣服用手袋製造の企業として創業した。しかし,A 社の事例でも述
べたように,手袋製造業は製品の特性上,経営面での不安定性を抱えている。そのため,
創業間もない時期の D 社にとっては,こうした不安定性を克服することが大きな課題であ
った。そうした折,1960 年代後半に新しい 100 円硬貨や 50 円硬貨が相次いで発行された
ことを契機に,D 社は硬貨入れの製造に着手した 23)。
硬貨入れやそこから発展した財布等の生産は,OEM 契約を主体に順調に拡大してゆき,
1971 年に D 社は取り扱い品目を全面的に革小物製品へと転換した。その後も大手ファッシ
ョンブランドの革小物製品や,大手自動車メーカーの革小物製品の OEM 生産を行うことで
順調に売り上げを伸ばしていった。
このように,D 社は取り扱い製品を全面的に革小物製品へと転換したという点で特徴的
であるが,そのほかにも近年,デザイン性の高い高付加価値の自社ブランド製品を展開し
ているという特徴を有している。この自社ブランドを立ち上げるきっかけとなったのは,
2003 年から東かがわ市商工会が中心となって参加した中小企業庁による「JAPAN ブラン
ド育成支援事業」24)であった。この事業をきっかけに,D 社は産地外のデザイナーやプロデ
ューサーと共同で製品開発を進め,2006 年に自社ブランドの立ち上げに成功した。また,
2008 年には経済産業省による「生活関連産業ブランド育成事業(通称:sozo_comm)」25)
において,D 社の製品が「sozo_comm 選定商品」26)に選出された 27)。
このほか,D 社は中小企業地域資源活用プログラム
28)の認定,かがわ産業振興クラブへ
の参加,県のアンテナショップへの出品など,様々な活動を通じて情報の収集や販路の拡
大等を図っている。結果,現在の D 社は依然として OEM 契約による革小物製品製造が主
体ではあるものの,2つの自社ブランドを展開し,そうした製品の多くを首都圏のインテ
リアショップで販売するなど,着実に販路を拡大している。
第5節 小括
本章では,香川県の東かがわ手袋産地をとりあげ,主に高度経済成長期以後の生産・流
通構造や企業行動の変化を分析し,産地の変化とその背景・要因を検討してきた。
第3節でみたように,東かがわ手袋産地では高度経済成長期以降,ドルショック・オイ
ルショックを契機として,生産機能の海外移転や手袋製品の高付加価値化,関連分野製品
の展開といった大きな変化がみられた。こうした変化の背景には,高度経済成長の終息や
バブル景気の到来・終息といった社会的・経済的変動,それらに伴う消費者需要の変化が
- 62 -
あった。また,それと同時に,第4節でみたように,産地内の各企業が危機を打開するた
めに海外拠点の設置や産地外企業との分業など,様々な対策を講じたことも産地に大幅な
変化をもたらす要因となった。
それに伴い,近年では,以前のような産地内分業による生産は大きく縮小し,代わって
海外の自社工場や合弁会社,契約工場での生産が大きな比重を占めるようになった。また,
製品の企画・開発段階においては,産地内企業と東京・大阪をはじめとした大都市圏に立
地する大手ファッションブランドやスポーツ用品メーカーとの結びつきが重要性を増して
いる。こうした変化を経た結果,今日の東かがわ手袋産地は,手袋製品とその関連分野製
品を産出する複合的な産地へと変化し,そのうえで海外生産と国内生産のバランスを調整
することにより,変化の激しい消費者需要への対応と生産額の維持・上昇を試みている。
しかし,上述のような変化によって,量的な面では産地が維持されているようにみえる
一方,機能面では,企業内地域間分業や産地外企業との地域間分業,企業行動の個性化が
進展したことによる形骸化が類推される状況にある。従来の地場産業・産業集積研究では,
産地・集積地域内における分業構造や企業間ネットワークには,生産・流通コストを削減
するとともに,景気変動等に伴うリスクを産地・集積内の企業全体で分散・吸収する機能
があるとされ,重要視されてきた。また,集積内における暗黙知の存在や,企業間ネット
ワークを基礎とする濃密な情報交換によって技術・経営面での革新が促進され,それによ
り産地・集積地域が優位性を獲得することも指摘されてきた 29)。
現在の東かがわ手袋産地では,産地内分業が縮小しつつも存在しているため,そこから
得られるメリットが存在しているが
30),多くの企業にとってそれらの重要性は低下してい
ると推察される。そこで,東かがわ地域に継続して立地している要因について,先の A~E
社に対して聞き取り調査を実施したところ,従来の地場産業・産業集積研究においてあま
り指摘されてこなかった立地継続要因が聞かれた。それは,
「手袋産地として歴史のある地
域に立地していることによって,企業に対する信頼(ステータス)が生まれる」というも
のであった。この「信頼」31)は,現在の東かがわ手袋産地で重要性を増している産地外企業
との取引において有利に作用しており,一種の産地ブランドのような役割を果たしている
ことが確認された 32)。
通常,産地ブランドといえば,産地の名前が一般消費者の間で広く認識されているもの
を指すことが多い。そして,その産地ブランドは,当該産地が産出する製品の品質を保証
したり,付加価値を高めたり,消費者に対して製品への安心感や信頼感を与えたりといっ
た役割・機能を果たしている 33)。
一方,東かがわ手袋産地の場合,その産地ブランドは一般消費者に広く認識されていな
- 63 -
..... ..
いため,一般消費者が製品を購入する際に意識し,機能する類のものではない。だが,こ
..
のケースでは,そうした機能に代わって,手袋製品の製造・販売に関わる企業を価値づけ
るものとして産地ブランドが機能しているといえる。本章の事例は,従来あまり指摘され
てこなかった産地ブランドの一側面が,産地維持に繋がっている可能性を示唆するもので
はないかと考える。
注
1)東かがわ手袋産地は,平成の大合併以前には,その中心地が旧白鳥町であったことから「白鳥手袋産
地」と呼ばれてきた。しかし,2003 年に旧大川郡3町(旧白鳥町・旧大内町・旧引田町)が合併し,
当該地域が東かがわ市となったこと,産地を構成する事業所が東かがわ市を中心に隣接するさぬき市
など付近一帯に広く立地していることを鑑みて,本研究では「東かがわ手袋産地」という名称を用い
ている。
2)当時のピークであった 1918 年には,26 社で約 76 万ダースが出荷され,その額は 1,642,786 円に達し
た(手袋百年誌編集委員会,1988,p.17)
。
3)
「工業統計表」は従業者4人以上の事業所を対象としているが,製造品出荷額の大半はそれらの事業所
によるもので占められている(
「日本手袋工業組合統計資料」によれば,2008 年の香川県においては,
全販売額のうち約 98%が従業者4人以上の事業所によるものである)
。そのため,
「工業統計表」の数
値を用いて全国的な手袋製造業の情勢を概観することは可能であると考える。また,
「工業統計表」に
は都道府県別の数値が記載されているが,
「日本手袋工業組合統計資料」によると,香川県内の手袋製
造業者(従業者4人以上)52 社のうち,46 社が東かがわ市に,5社が隣接するさぬき市に立地してい
るため,ここでは「工業統計表」における香川県の数値を東かがわ手袋産地の近似値と捉える。なお,
全事業所を対象とした場合,香川県内の 77 事業所のうち,76 社が東かがわ市(68 社)およびさぬき
市(8社)に立地している。
4)スポーツ用革手袋に関する統計調査が 1985 年に開始されたため判断しづらいが,スポーツ用革手袋の
出荷額は,1991 年時点で約 27,500 百万円と全出荷額の3割弱を占めており,これは作業用ニット手
袋に次ぐ出荷額規模である。また,1991 年時点での出荷額が,調査開始年である 1985 年の約 1.7 倍
(16,317 百万円から 27,449 百万円)に増加していることからも,この間の全出荷額の増加は,スポ
ーツ用革手袋製造の拡大に支えられたものであったといえる。
5)手袋製造業全体の出荷額は,1991 年から 2005 年の間に 64%(101,240 百万円から 36,407 百万円へ)
減少している。このうち,作業用革手袋は 87.4%,スポーツ用革手袋は 80.3%と,8割以上の減少を
- 64 -
示している。一方,同期間に衣服用ニット縫手袋は 59.8%,衣服用ニット編手袋は 42.3%,作業用ニ
ット手袋は 69.3%,ゴム手袋は 24.5%,衣服用革手袋は 66.5%の減少幅を示している。
6)1970 年代には,新たに4社が6工場を設立した。また,1960 年代に海外工場を設立していた企業が
新たに1工場を設立した。これらの工場の従業者規模は 100~400 人ほどであった(手袋百年誌編集
委員会,1988,p.60)
。
7)日本手袋工業組合の統計資料によると,2007 年度の販売高 3,511,520 万円のうち,海外生産高が
1,613,493 万円を占めている。
8)高度経済成長期以降,産地内では手袋製品の高付加価値化や関連分野製品の展開,海外進出といった
変化が生じたが,初期段階におけるそれらの変化は,先発企業とそれを模倣した後発企業群の追随に
よって引き起こされたものであった。そのため,当時の各社の企業行動(主に,展開する製品や進出
先地域等)には多くの類似性が認められた。しかし,近年では他社との差異化によって優位性の獲得
を図る企業が増加したため,各社の企業行動はかつての類似性の強いものから,独自性の強いものへ
と変化している。ここでは,こうした企業行動における独自性の強まりを表現する意図から,
「企業行
動の個性化」という語を用いた。
9)こうした企業行動の個性化の兆候は,細川(2008)でも報告されている。
10) 産地全体の平均販売高からみたとき,それを上回る比較的大規模な企業だけでなく,それを下回る小
規模な企業においても特徴的な企業戦略が採られていることを示すために,これら5社を選定した。
11) この中国進出の際には,日本人従業者とともに,韓国人従業者も中国工場での技術・マネジメント指
導を行った。
12) インフォーマントはこうしたネットワーク等を「しがらみ」と称していた。
13) 以前,産地内の他企業が設置していた天津工場では,ライセンス契約に基づく衣服用手袋の生産が行
われていた。しかし,その企業が 2005 年初頭に倒産したために,C 社が工場を買収し,設備や従業者
を引き継いで生産を開始した。
14) この自社工場設置に際しては,バターン半島が輸出加工区に指定されていたことも進出要因となった。
15) この合弁相手は現地企業ではなく,先の台湾における委託生産先の企業である。
16) 手袋の場合,人口や GNP,スキー人口などを基準にターゲットとする国が選定されるため,欧州の場
合はフランス,ドイツ,イタリアが主な対象市場となる。そこで,これらの国へのアクセスを考慮し
た結果,スイスに販社が設置されることとなった。
17) イタリアへの販売拠点の設置に際しては,以前から取引を行っていたタンナー(革問屋)の土地やコ
ネクションが利用された。
18) 現在,この通信販売事業は,全国 3,000 近くの消防署等に向けて行われている。
19) 扱う製品は革手袋や合皮手袋が中心であり,その価格帯は数千円のものから数万円のものまでと幅広
- 65 -
い。また,衣服用手袋の注文はいずれも小ロットであるため(1件当り 300 双程度)
,全て国内で生産
されており,生産の際には家庭内職者が多く利用されている。
20) 手袋が企業の全売上げのうち約8割を占める。なかでも革手袋,ナイロン(合皮)手袋,編手袋,縫
手袋が中心であり,金額では革手袋が占める割合が最も高く(手袋全体の約4割)
,それに縫手袋,編
手袋が続いている。
21) 自社ブランド製品の生産は,主に中国工場で行われているが,一部の国内消費者には中国製品への抵
抗感があるため,ハンガリーなどで若干数の委託生産も行われている。
22) このほか,E 社は自転車用品メーカーや釣具メーカーなどとも OEM 契約を締結しており,これもス
ポーツ用手袋が占めるウェイトの上昇に寄与している。なお,これらの契約には従来のものと相違点
があり,それはこれらの契約が E 社の営業活動をきっかけとして締結されたのではなく,先方からの
オファーがきっかけとなり締結されたという点である。こうした変化も業界内で E 社の存在が広く認
知されたことを反映しているといえる。
23) 硬貨入れの製造には,革手袋製造の技術を利用できたうえ,手袋製造に比べて直線的な縫い目が多い
ために高い熟練技術を求められることもなく,比較的簡単に製造することができた。
24) 中小企業庁からの委託により,全国商工会連合会・日本商工会議所が各地域のブランド確立事業の選
定・支援を行う。支援は各地の商工会・商工会議所を通じて行われ,その支援内容は(1)戦略策定
支援,
(2)ブランド確立支援,
(3)先進的ブランド展開支援の3つから成る。
(1)戦略策定支援で
は,専門家の招聘やマーケットリサーチ,セミナーの開催などに対する支援が,
(2)ブランド確立支
援では,最大3ヵ年にわたってデザイナー・アドバイザーの招聘,新商品・デザイン開発,国内外の
展示会出展などに対する支援が,(3)先進的ブランド展開支援では,「先進的プロジェクト」を選定
した上での重点的な支援が図られる。
25) 事業主体は社団法人国際家具産業振興会。
26) 今回(平成 20 年度)は全国 23 社の製品が選定商品に選ばれた。選定商品の分野は家具,照明器具,
テーブルウェア,ハウスウェア,文具,インテリア用品,ファブリックス,厨房器具,バストイレタ
リーなどである。
27) こうした各種の育成・支援事業において,モデル企業(代表企業)に選ばれるためには,競争率 10 倍
超の選考を勝ち抜かなくてはならない。しかし,モデル企業に選定されることによって企業が得るメ
リットは非常に大きい。例えば,
「生活関連産業ブランド育成事業」で選定商品に選ばれたことで,D
社の製品は 2009 年1月にフランスのパリで開催されたインテリア総合見本市「メゾン・エ・オブジェ」
(2009 年1月 23 日~27 日に開催された。
前回は出展者数 3,001 社,
来場者数 86,085 人を記録した。
)
の「日本展」に出品された。こうした海外見本市への出品を中小企業が自力で行うことは難しく,育
成・支援事業への参加はそれを可能にする数少ない方法の一つといえる。また,こうした事業を通じ
- 66 -
て参加する見本市では,好条件の展示場所が確保しやすい上,出品にかかる多くの手間や費用が事業
主体によって賄われるなど,多数のメリットがある。
28) 2007 年6月 29 日に施行された「中小企業による地域産業資源を活用した事業活動の促進に関する法
律(中小企業地域資源活用促進法)
」に基づき,独立行政法人中小企業基盤整備機構が中心となって推
進している事業。地域資源とは,
(1)地域の特産物として相当程度認識されている農林水産物または
鉱工業品,(2)特産物となる鉱工業品の生産にかかわる技術,(3)地域の観光資源として相当程度
認識されているもの,とされている。各都道府県によって基本構想の認定(地域資源の指定)が行わ
れた後,中小企業の地域資源活用事業計画の認定が行われる。認定された中小企業は専門家によるア
ドバイスや試作品開発等に対する補助金,設備投資減税,政府系金融機関による低金利融資,信用保
証枠の拡大などの支援措置を受けることができる。
29) 近年の産業集積研究におけるネットワークに関する議論については,水野(2005)
,水野(2007)
,與
倉(2008)等に詳しい。
30) A~E 社への聞き取り調査では,東かがわ手袋産地に立地することによって得られるメリットとして,
①産地内における技術の蓄積と熟練労働者の存在,②原料の入手が容易,③産地内企業からの仕事の
紹介,④地域・組合からの支援,⑤同一業種の企業が集積しているため,バイヤー側が産地に訪れる
(分散立地していると,メーカー側から営業活動を行わなくてはならない)
,といったものが聞かれた。
31) 既存研究においても,
「信頼」は取引先企業を選定する際に重視されるものとして指摘されてきた。し
かし,そこでは集積内部の企業間で醸成される「信頼」が主に扱われており,その「信頼」を相互に
構築するために集積が形成されるといわれている(例えば,半澤,2001)
。
32) こうした特定の産地・集積地域に立地することによって得られる外部からの「信頼」については,金
井・松原・丹羽(2006)や松岡(2007)において,若干の言及がみられる。
33) ただし,業種は異なるが,高柳(2007)では,ブランドが必ずしも品質を保証するものではないこと
が指摘されている。
- 67 -
第4章 愛媛県今治市におけるタオル製造業
第1節 地域概観
本章の対象地域である今治市は愛媛県の北東部にあり,本土部は瀬戸内海に突き出した
高縄半島に位置している(図4-1)
。また,芸予諸島南部の伯方島,大島,大三島といった
島々も市域に含まれる。本土部は南東部において西条市と,南部においては東温市と,南
西部においては県庁所在地である松山市と接している。中央部は山がちであり,市の中心
地は蒼社川が瀬戸内海に流れ込む今治平野に形成されている。
今治市の産業のうち,第一次産業では柑橘類の栽培が,第三次産業ではしまなみ海道を
活用した観光業が盛んである。2005 年時点の産業別就業者数をみると,第一次産業と第三
次産業が占める割合はそれぞれ 8.2%,58.4%となっている。これらの数値を県平均と比較
すると,第一次産業は県平均 8.3%とほぼ同水準であるが,第三次産業は県平均 63.3%をや
や下回っている。これに対し,第二次産業の割合は 33.2%であり,これは県平均 25.7%を
図4-1 調査対象地域概略地図
- 68 -
上回っている。このように,今治市の中心産業は第二次産業(製造業)であり,そのなか
でもタオル製造業や造船業が中心的な産業となっている。
なお,現在の今治市は,平成の大合併によって 2005 年1月 16 日に旧今治市と越智郡 11
町村(朝倉村・玉川町・波方町・大西町・菊間町・吉海町・宮窪町・伯方町・上浦町・大
三島町・関前村)が合併することで誕生した。この合併により,市の人口は 173,983 人(2005
年時点)
,面積は 419.85 ㎢となった。
第2節 わが国におけるタオル製造業の展開
わが国におけるタオル製品の出荷額の推移を示したものが図4-2である。これによると,
1991 年に 212,288 百万円を記録するまで,全国のタオル製造業はほぼ一貫して右肩上がり
の成長を続けてきた 1)。また,1983 年までの数値しか得られなかったが,製品単価も乱高
図4-2 全国的なタオル関連製品の製造品出荷額の推移
注:1953・1954 年の品目名は「タオル」
,1955~1959 年は「綿タオル」
,1960~1984 年は「タオル」で
ある。また,1985~1997 年は「タオル地」および「タオル」の合計値,1998~2009 年は「タオル地」
および「タオル(ハンカチーフを除く)」の合計値を示している。なお,1985 年以降は「タオル地」
のみ数量が記されているため,単価については,それ以前のもののみを示している。
資料:「工業統計表(品目編)
」より作成。
- 69 -
図4-3 全国的なタオル関連製品の単価の推移
注:1957~1959 年は「綿タオル」
,1960~1983 年は「タオル」についての単価を示している。
資料:「工業統計表(品目編)
」より作成。
下を繰り返しながらも,全体としては上昇してきた(図4-3)。しかし,1992 年以降は出
荷額が急激に減少しはじめ,2009 年には全国出荷額が 49,211 百万円と,ピーク時の4分の
1以下にまで落ち込んでしまった。
これらの動向を主要産出地域別にみると,それぞれやや異なった傾向がうかがえる。図
4-2にあるように,日本のタオル製造業における主要産地は大阪府(泉州タオル産地)と
愛媛県(今治タオル産地)の2地域である 2)。このうち,大阪府は 1950 年代から 1980 年
代前半の期間には,比較的順調に生産額を伸ばしており,その間,常時3割強のシェアを
保ってきた 3)。しかし,1990 年代以降は出荷額が減少し,それとともにシェアも2割台に
落ち込んだ。
一方,愛媛県は 1960 年代以降,大阪府を上回る勢いで生産額を増加させ 4),大阪府より
もやや遅い 1992 年にピーク(117,982 百万円)を迎えた。この間,愛媛県のシェアは5割
前後で推移していたが,1980 年代後半から徐々に増加してゆき,2000 年代のシェアは 55
~60%ほどを示している
5)。しかしながら,この間,出荷額自体は大幅に減少しており,
2009 年には 24,552 百万円と,ピーク時の4分の1以下にまで減少している。なお,ピー
- 70 -
ク時から 2009 年までの減少幅は,大阪が約 72.6%,愛媛県が約 79.2%と,両者ともに大
幅な産地の縮小傾向がうかがえる。
このように,両産地の出荷額やシェアの動向が若干異なっている背景には,それぞれの
産地における製法の違いと,それによる主力製品の違いがある。大阪府の泉州タオル産地
では,「後晒後染」6)と呼ばれる製法が用いられており,これにより生産される製品は,白
タオルや企業の名入れタオルが多い。そのため,図4-3にある製品単価をみても,大阪府
の数値はおおむね愛媛県の数値を下回っている。
一方,愛媛県の今治タオル産地では,「先晒先染」と呼ばれる細かい模様を織るのに適し
た製法が用いられている。そのため,今治タオル産地の製品には高付加価値のものが多く,
それらはタオル需要の中でも大きなウェイトを占めるファッション・スポーツブランドの
タオル(その多くはギフト需要である)として生産されてきた。このことが,バブル期ま
での出荷額の増加率や製品単価,近年における出荷額シェアに関する愛媛県の優位性を生
んだものと推察される。
以上のように,わが国のタオル製造業は,主に大阪府(泉州タオル産地)と愛媛県(今
治タオル産地)の二大産地によって支えられ,1990 年代前半まで大きく成長してきた。そ
して,これら両産地がともにバブル期まで成長し続けることができた背景には,双方の産
地における製法・製品の違いと,それによる市場での棲み分けがあった。しかし,その後
は両者とも,急速に出荷額を減少させている。これは,両産地が輸入品によって国内市場
でのシェアを急速に奪われていることを意味している。
現在,泉州・今治の両産地には,それぞれ大阪タオル工業組合・四国タオル工業組合と
いう組合組織が存在している。これらの組合には,それぞれ 100 社強のタオルメーカーが
加盟しており,そのほかにも関連企業が産地内に立地していることから,両者は産地とし
ての形態を維持していると考えられる。
しかし,同様の組合が組織されていたその他の国内産地では,近年の厳しい経営環境に
よって,組合組織を維持できない水準にまで企業数が減少してしまった。結果,中部タオ
ル工業組合(三重県四日市市)は 2004 年に,九州タオル工業組合(福岡県久留米市)は
2008 年に,そして東京タオル工業組合(東京都中央区)は 2009 年にそれぞれ解散し,現
在,これらの地域ではごく少数の企業のみが操業を続けている。そのため,今後,国内の
タオル製造業は,以前にも増して泉州・今治の両産地へと集約化されていくことが予想さ
れる。
- 71 -
第3節 今治タオル産地の歴史的展開と近年における産地縮小
(1)今治タオル産地の発展過程
今治地域におけるタオル製造業は,1894 年に阿部平助氏が綿ネル用織機を改造すること
によってタオル製織を開始したこが嚆矢とされる。当初,今治のタオル製造業は産業とし
にちょう
て振るわなかったが,1910 年の麓常三郎氏による「二挺バッタン 7)」の考案,1913 年頃の
中村忠左衛門氏による先晒タオルの発明によって,当地のタオル製造業は大きく成長した。
また,タオル製造業は「一般の織物業に比べて加工が複雑で,織機一台当たりの付加価値
が高」く,
「多品種少量生産,季節・流行による好みの変化が激しく,一品種の製織期間が
短い」ために,小規模資本での参入が比較的容易であった(今治郷土史編さん会,1990,
p.504)
。そのため,明治後期以降,今治地域では従来の主要産業であった綿織物産業から
タオル製造業への転業者が相次いだ。
また,この間の技術的な進歩も大きく,手織から足踏機,そして力織機へと機器が変化
したことによって,生産性が著しく向上した 8)。これにより,従来,生産額で今治よりも上
位にあった静岡県・愛知県・兵庫県を追い越し,さらに 1921 年にはそれまで全国第2位の
産地であった三重県の生産額をも上回ることとなった。また,この時期にはタオル専用の
図4-4 今治タオル産地における企業数・従業者数の推移
資料:四国タオル工業組合統計資料より作成。
- 72 -
図4-5 今治タオル産地における生産量・生産額の推移
資料:四国タオル工業組合統計資料より作成。
ドビー機やジャカード機も導入され,製品の高級化・多様化も進んだ。
その後,第二次世界大戦時には,今治市域にあったタオル工場の多くが空襲によって焼
失してしまったが,このことがかえって設備更新や合理化のきっかけとなり,比較的早い
段階で産地の生産力は回復した。そして,高度経済成長期には,輸出向けの高級品やタオ
ルケットを主力製品 9)として生産量を急増させ,1955 年には泉州産地(大阪府)を抜き,
全国1位の出荷額を誇る産地となった。こうした産地の拡大は 1970 年頃まで続き,図44にあるように,企業数は 1976 年に 504 社を,従業者数は 1966 年に 11,048 人を記録し
た。
1970 年代になると,生産量・生産額の増加とは裏腹に,企業数・従業者数の減少がみら
れるようになった。これは,革新織機の導入による生産性のさらなる向上と省力化を反映
したものである。その一方で,革新織機の導入が急速に進んだために供給過剰傾向となり,
さらに,市場が成熟段階を迎えたことによる消費者ニーズの多様化(タオルにも高いデザ
イン性が求められるようになった)も相俟って,タオルメーカー間の競争が激化すること
となった。
こうした厳しい状況にありながらも,バブル期までの間,今治タオル産地の生産量・生
- 73 -
産額は前年を上回り続けた(図4-5)
。この成長を支えたのは,主力製品であるタオルケッ
トの生産とファッション・スポーツブランドタオルの OEM 生産,そして堅調な需要に支え
られた企業の名入れタオルの生産であった。なかでも,1970 年代からはじめられたブラン
ドタオルの OEM 生産は,拡大するギフト需要に支えられて年々その規模を拡大させ,結果
として,多数の産地内企業がこの OEM 生産に携わることとなった。こうして,今治タオル
産地はバブル期に全盛を迎え,生産量では 1991 年に最大の 50,456tを記録した。また,
生産額では 1985 年にピーク(816 億円)を迎えた後も 1991 年まで 700 億円以上の生産額
を維持し続けた。
(2)縮小する今治タオル産地
近年,今治タオル産地をはじめとする全国のタオル産地では,大幅な産地の縮小傾向が
うかがえる。こうした産地縮小を生んだ最大の要因は,新興国からの輸入品であり,これ
が大量に国内市場に流入したことで各産地は国内市場でのシェアを奪われてしまったので
ある。新興国からのタオル製品の輸入は,1980 年代から徐々に増加していたが,1990 年代
に入るとその勢いが加速した。そして,図4-6にあるように,1990 年代後半には輸入量が
図4-6 国内市場における輸入製品の浸透率の推移
注:「国内生産」は,四国タオル工業組合が全国の生産量を独自に集計したものである。
資料:四国タオル工業組合統計資料より作成。
- 74 -
国内生産量に肉薄するようになり,ついに 2000 年には輸入量が国内生産量を逆転した。
こうした輸入品の氾濫への対応策として,今治をはじめとする国内のタオル産地(日本
タオル工業組合連合会 10))は,2001 年に経済産業省に対して繊維セーフガード(緊急輸入
制限措置)の発動を要請した。しかし,その後,セーフガードに関する調査が 2004 年まで
継続的に行われたものの,最終的には発動水準に達していないとの判断が下され,セーフ
ガードの発動は見送られた。結果,セーフガードの発動を要請した 2001 年に 60%強であ
った輸入浸透率は,2003 年には 70%,そして 2007 年には 80%を突破し,2010 年時点で
81.5%となっている。
また,財務省貿易統計を用いて 2010 年におけるタオル製品の輸入相手国・地域の内訳を
みると,数量シェア 75.9%,金額シェア 81.3%を占める中国が最大の輸入相手国であるこ
とが分かる。それに続くのが,数量シェア 2.5%,金額シェア 13.9%を占めるベトナムであ
り,そのほか,インドネシア・タイ・インド等,近隣アジア諸国からの輸入も確認される。
近年,中国からの輸入量は高止まりの傾向をみせているが,それに代わってベトナムや,
量的には遥かに少ないものの,インドやタイからの輸入量が増加傾向にある 11)。
これらの輸入製品が,急速に日本での市場シェアを伸ばすことができた最大の理由は,
価格の安さにある。2010 年時点で最大の輸出国である中国の製品価格は 100 匁当たり 256
円,それに続くベトナムの製品価格は同 161 円となっている。これに対し,国内製品の価
格は,四国タオル工業組合資料によると同 5,700 円であり,これは中国製品の約 22 倍,ベ
トナム製品の約 34 倍に相当する 12)。また,当初はやや難があった輸入品の品質も年を追う
ごとに向上してゆき,90 年代後半には早くも日本市場における普及品として十分耐えうる
ものとなった。
こうした輸入品の価格の安さと品質向上によって,今治タオル産地は窮地に追いやられ
た。先述したように,従来,今治産地はブランドタオルの OEM 生産を一つの柱として成長
してきた。しかし,その OEM 生産においてブランドの版権を有しているのは,今治のタオ
ルメーカーではなく,大都市圏の商社・問屋である。そのため,海外製品の品質向上に伴
い,これらの商社・問屋が生産の委託先をコストの安い海外企業へとシフトし始めたので
ある。
また,これと同時に消費者需要にも変化がみられるようになった。従来,OEM 生産によ
るブランドタオルは,価格に比して見栄えがすることを強みに,ギフト市場で重宝されて
きた。しかし,バブル崩壊後の長引く景気低迷によってギフト市場自体が縮小したうえ,
近年ではギフト市場におけるタオル以外の選択肢も大幅に増加している。さらに,最近で
は消費者が大量に流通する有名ブランド品を敬遠する「ブランド離れ」といわれる現象も
- 75 -
生じており,今治産地の主力製品であるブランドタオルの需要が大きく減退している。こ
のほか,今治産地のもう一つの主力製品である法人向けの名入れタオルの需要も,バブル
期以降の景気低迷を主な要因として減衰している。
こうした事態を受け,今治タオル産地は先の図4-5にあるように,生産量・生産額の大
幅な減少に見舞われた。そのため,各指標についてピーク時と 2010 年時点の数値を比較す
ると,
企業数は 1976 年の 504 社から 129 社へと約 74%の減少,従業者数は 1966 年の 11,048
人から 2,508 人へと約 77%の減少,生産量は 1991 年の 50,456tから 9,851tへと約 80%
の減少,生産額は 1985 年の 816 億円から 150 億円へと約 82%の減少がそれぞれ確認され
る。
なお,表4-1は,今日の今治市の製造業全体に占めるタオル製造業の割合を示している。
これをみると,事業所数では 28.4%,従業者数では 23.0%と,双方とも 20%以上を占めて
いることが分かる。これは,地場産業に中小零細企業が多いことに加えて,タオル製造業
が他の繊維関連産業と同様に労働集約的な産業であることを反映している。そのため,地
域の雇用という点に関してタオル製造業が担う役割は依然として大きいといえる。
これに対し,製造品出荷額においては,タオル製造業が占める割合が 1.3%と非常に小さ
い。これは,タオル製品の価格が他の製造業で産出される製品に比べて安価であることを
反映している。また,今治市ではタオル製造業のほかに造船業が地域経済を支える一大産
業として成立している。造船業の出荷額はタオル製造業に比べ非常に大きいため
13),その
こともまた,タオル製造業が全製造業に対して占める割合の低さに影響していると考えら
れる。
表4-1 今治市の製造業に占めるタオル製造業の割合(2008 年)
事業所数 従業者数 製造品出荷額
(事業所) (人)
(万円)
市の製造業全体
493
11,844
109,550,837
タオル製造業
140
2,730
1,460,000
タオル製造業が
占める割合
28.4%
23.0%
1.3%
注:市の製造業に関する数値は従業者4人以上の事業所を対象とした数値であるが,タオル製造業に関す
る数値は全ての事業所を対象とした数値である。
資料:「工業統計表(市区町村編)
」および,四国タオル工業組合統計資料より作成。
- 76 -
第4節 ブランドの構築とその他の戦略の関係性
輸入品の増大や需要の減退といった問題への対応策の一つとして,今治産地で打ち出さ
れたのが,産地ブランド・企業ブランドの構築であった。これは,従来の主力製品であっ
たブランド品の OEM 委託先が海外へとシフトしはじめたことへの対応策であると同時に,
スポーツ・ファッションブランドに代わる新たなブランドを確立しようとするものでもあ
った。また,この新ブランド構築は,OEM 主体の企業体制からの脱却だけでなく,そうし
た体制の要因となっていた長年の問屋・商社への依存構造
14)からも脱しようという意図も
併せ持っていた。以下では,産地ブランド・企業ブランドの構築と,それに伴う産地・企
業の変化についてみてゆく。
(1)産地ブランドの構築
今治タオル産地における産地ブランドの構築は,2001 年の「タオル業界構造改善ビジョ
ン」の策定をきっかけに本格化していった。具体的には,産地ブランドタオル「ふわり」
の展開や,タオルマフラーなどの新製品の開発,産地のアンテナショップ
15)や企業の直販
店の設置,市場開拓を目指した展示会の開催や国内外の見本市への出展などが行われた。
こうした動向のなかで,中核的な機能を果たしたのが,
「今治タオルプロジェクト」であ
る。このプロジェクトは経済産業省が主催する「JAPAN ブランド育成事業」を利用したも
ので,
「今治タオルプロジェクト」は 2006 年度の対象事業の一つとして採択された。この
プロジェクトの方針は,素材・製法にこだわった高付加価値製品を商品化し,それらを国
....
内・欧米の富裕層をはじめとする本物志向を持った消費者層へと販売することで,彼・彼
女らを「ロイヤルユーザー」として獲得するとともに,ブランドイメージの確立・定着を
図るというものである(中小企業庁,2011)。このような方針の下,2006 年度から 2008 年
度にかけて表4-2に示したような事業が展開された。表からも分かるように,これらの事
業はブランドマークの導入・新商品開発・展示会・産地づくり・メディアプロモーション
の5つに大別される。それぞれの概略については,以下の通りである。
まず,ブランドマーク・ロゴの作成・導入に際しては,著名なデザイナーを招聘し,併
せて,そのマーク・ロゴが使用できる(
「今治タオル 16)」として販売できる)製品の品質基
準が厳格に定められた。そして,2007 年に「今治タオル」を地域団体商標として登録した
うえで,この商標(ブランド)を冠した「今治タオル」を市場に流通させ,一般消費者へ
の「今治タオル」
・
「今治タオル産地」の浸透が図られた。
新商品開発では,先のデザイナーとのコラボレーション商品が発売されたほか,敢えて
- 77 -
表4-2 「今治タオルプロジェクト」の概要
年次
●ブランドマーク
2006年度 ●新商品開発
(1年目)
●展示会
2007年度
●新商品開発
(2年目)
●世界一の
産地づくり
●展示会
2008年度
(3年目)
●新商品開発
事業内容
●世界一の
産地づくり
ブランドマーク・ロゴの作成・導入
独自の認定基準の策定・運用
コンセプトレポートの作成
今治生まれの白いタオル
3つのモデル商品の開発
展示会出展
●メディア
プロモーション
インテリアライフスタイル2007(6/6~8)
今治タオルメッセ2007(10/19)
JAPANブランドエキジビジョン
in Tokyo Designer's Week(10/31~11/4)
JAPANブランドエキジビジョン
in ギフトショー(2/5~8)
地域団体商標(今治タオル)の登録(7/6)
デザイナー商品の開発
品質基準の見直し
今治タオルライブラリーの発表
タオルソムリエ資格認定制度の実施
名誉タオルソムリエの認定
タオルマイスター制度の構築に向けた検討
インテリアライフスタイル2008
in Tokyo(6/11~13)
今治タオルメッセ2008 in Imabari(10/17)
JAPANブランドエキジビジョン
in Tokyo(10/30~11/4)
JAPANブランドエキジビジョン
in Paris(1/22~24)
JAPANブランドエキジビジョン
in New York(1/25~2/7)
デザイナー商品の開発
●メディア
プロモーション
●世界一の
産地づくり
●メディア
プロモーション
今治基準
今治見本帳の制作検討
タオルソムリエ資格認定制度の導入検討
マイスター(技術者認定)制度の導入検討
「今治タオルプロジェクト」プレス発表会
/懇談会の開催
ホームページ/ブログの制作
タオルマイスター制度の構築に向けた検討
伊勢丹新宿店での今治タオルコーナーの
常設販売スタート(9/12~)
伊勢丹新宿店での名誉タオルソムリエ
×今治タオル商品の拡張(9/25~)
国立新美術館で「今治タオル」の
販売開始(1月~)
名誉タオルソムリエによるキャラバン活動
産地今治へのメディア誘致活動
テレビ・雑誌・新聞等への掲載
ホームページ・ビデオ製作
伊勢丹新宿店のタオル売場リニューアルにより
今治タオルコーナーをさらに拡張(3/5~)
タオルソムリエ資格試験制度の実施
名誉タオルソムリエの認定
タオルマイスター制度の構築に向けた検討
伊勢丹新宿店での今治タオルコーナーの常設販売
伊勢丹新宿店での名誉タオルソムリエ
×今治タオル商品の拡張(9/25~)
名誉タオルソムリエによるキャラバン活動
産地今治へのメディア誘致活動
テレビ・雑誌・新聞等への掲載
ホームページ・ビデオ製作
資料:今治タオルオフィシャルサイト(http://www.imabaritowel.jp/)より作成。
デザイン性を排し,吸水性や安全性といった品質をアピールすることを目的に開発された
「白いタオル」と呼ばれる製品も発売された。これらの製品は産地の名前とともに,製品
の質や機能をアピールする役割を果たした。そして,これらの新商品は国内外の展示会に
出品され,一層の「今治タオル」
・「今治タオル産地」の浸透が図られた。なお,展示会に
ついては,既存のものに出展するだけでなく,産地が自ら主宰したものもあった。
また,こうした産地や製品のアピールは,メディアを通じても積極的に行われ(メディ
アプロモーション)
,「今治タオル」の存在は一般消費者にも広く知られることとなった。
こうしたメディアプロモーションが成功した背景の一つには,デザイナー個人の知名度の
高さがあった。また,
「今治タオル」は安心・安全な製品であることをアピールポイントと
していたが,当時,世間では食の安全性が問題になっていた時期であり,消費者は食品以
外の日用品についても安心・安全を求めはじめていた。偶発的ではあったが,こうした時
流に乗るかたちで「今治タオル」は,いっそう消費者の間に浸透していった。
こうしたブランドマークや新商品の開発,展示会への出展,メディアプロモーションに
よる産地外へのアピールと並行して,産地の基盤を固めるための取り組みも進められた(産
地づくり)
。その中心的事業が「タオルソムリエ資格試験制度」と「タオルマイスター制度」
であった。タオルソムリエ資格試験制度は,タオルに関する様々な知識の習熟度を計るも
のであり,生産者・消費者の双方を対象としている。そして,タオルソムリエに認定され
- 78 -
表4-3 産地に関する認知度の変化
2006年
2008年
今治・泉州ともに知っている
8.5
11.6
今治は知っているが泉州は知らない
9.0
18.5
泉州は知っているが今治は知らない
5.1
4.9
聞いたことはあるような気がする
19.1
20.1
両産地とも全く知らない
58.3
44.9
注:調査時期は 2006 年 10 月と 2008 年 10 月。サンプル数は 2006 年:20,565 人,2008 年:12,053 人で
ある。
資料:四国経済産業局(2005)および,四国タオル工業組合資料より作成。
た人々を介して,タオル文化を広く正確に伝えてもらうとともに,多くの人々にタオルへ
の興味・関心を持ってもらうことを目指している。
一方,タオルマイスター制度は産地内の技術者を対象としたものであり,実務経験 20 年
以上であることや,職業訓練指導員免許の所持といった条件を満たす者がマイスターとし
て認定される。マイスターとなった技術者には,後進の指導・育成や技術・技能の継承に
よる産地および地域社会への貢献が期待されている。
こうした「今治タオルプロジェクト」の展開によって,今治タオル産地の認知度は高ま
っている。表4-3はプロジェクトを開始した 2006 年とブランド確立支援事業の最終年で
ある 2008 年におけるタオル産地の認知度を示したものである。これによると,2006 年時
点で今治タオル産地を明確に認識している人の割合は 17.5%であったが,2008 年にはその
割合が 30.1%に上昇している。
(2)事例企業にみるブランドの構築とその他の戦略の関係性
本項では具体的な企業の事例を通じて,上述の産地ブランド構築と同時期に取り組まれ
た,各企業における企業ブランドの構築,さらには生産面における工程の見直しなど,各
種の企業戦略の内容とそれらの関係性についてみてゆく。表4-4は,今治タオル産地にお
ける主要なタオル製造業企業の一覧であるが,これをみると,事例企業の6社は,いずれ
も産地内において大手と見做される企業であることが分かる。今日の今治タオル産地では,
大手企業による売上高が産地全体の売上高の大部分を占めており
17),また,そうした企業
が中心となってブランド構築などの新たな戦略を推し進めている。
表4-5は,事例企業の今日における概要を示したものである。ここで注目すべき点は,
程度の差はあるものの,すべての事例企業において自社ブランド製品が展開されているこ
- 79 -
表4-4 今治産地における主要なタオル製造業企業
企業
資本金 従業員数
(万年) (人)
売上高
(千円)
創業年 設立年
海外工場
1
8,000
150
8,900,000 1972
1974
中国・ベトナム
②
2,000
120
2,744,000 1919
1967
―
3
3,026
110
2,215,360 1930
1951
中国
④
1,000
85
NA
1899
1951
―
⑤
2,047
80
NA
NA
1965
中国
⑥
3,000
78
約1,600,000 1956
1967
―
7
1,000
65
920,254 1934
1952
―
⑧
5,000
60
2,639,000 1931
1951
中国
⑨
2,200
56
1,338,143 1923
1967
中国
10
3,000
50
861,296 1932
1946
―
11
2,000
50
約700,000 1914
1948
―
12
1,000
50
1954
―
NA
1950
注:企業番号のうち,○囲みのものは聞き取り調査対象企業。
資料:『会社年鑑:えひめの地場・出先』
,各社 HP,および聞き取り調査により作成。
表4-5 事例企業の概要
企業
主力製品
自社ブランド
製品の比率
国内の
従業員数
海外工場
(従業員数/
織機台数)
ごく僅か
120名
―
―
27名
海外生産 外国人技能
比率
実習生受入数
②
ギフト用タオル
④
タオルケット
10%
65名
―
―
18名
⑤
業務用タオル
ごく僅か
80名
中国 天津市
(130名/39台)
100%
―
⑥
バス・フェイス・
ウォッシュ
30%
78名
―
―
―
⑧
バス・フェイス・
ハンカチ
10%
60名
中国 南通市
(700名/48台)
80%
21名
⑨
タオルハンカチ
ごく僅か
56名
中国 南通市
( NA )
70%
―
注:企業番号は第2表・第3表と対応している。
資料:聞き取り調査により作成。
とである。今治産地では,産地ブランドの構築と並行して,個別企業による企業ブランド
も広く展開されてきた。ただし,各社の全製品に占める自社ブランド製品の比率には差異
が認められる。その理由は,各社の主力製品や戦略の違いに求めることができ,特に生産
- 80 -
面・流通面のいずれに重点を置いた戦略を採用してきたかということが大きく影響してい
る。そこで,以下では企業戦略の中心が流通面に置かれてきた企業群と,生産面に置かれ
てきた企業群に分け,両者の展開の相違をみてゆく。
a. 流通面の戦略に重点を置く企業
現時点で,自社ブランド製品の比率が 10%以上である④・⑥・⑧の3社は,主に 2000
年代以降,流通面における戦略を積極的に展開してきた企業群である。各社の具体的な動
向は以下のとおりである。
④社は,以前はタオルケットの生産を柱とする企業であったが,既存ブランド品の需要
減退などを受け,2003 年に自社ブランドを立ち上げた。この自社ブランドでは,従来から
の主力製品であるタオルケットではなく,フェイスタオルやハンドタオルなど日常生活で
の使用頻度が高い小さなサイズの商品,あるいはタオル生地を用いた雑貨類などが中心商
品として展開されている。また,④社は,ブランドの立ち上げにあわせて首都圏に直販店
を設置したり,ウェブショップを開設したりするなど,流通面でも意欲的な動きをみせて
いる。こうした直販経路は,自社ブランド製品の浸透を企図して構築されたが,現在では
自社ブランド品のリピーターを獲得するなど,当初の目的がある程度達成されている。
ただし,こうした新たな戦略を展開する一方で,④社は従来から取引のある問屋や商社
との関係も重視している。その理由は,問屋や商社が依然として重要な位置を占めている
タオル業界では,これらの流通先との関係を維持することが需要の安定化や業界での存在
感を示すことに直結するからである。
このほか,④社は生産面でも外国人労働者の受け入れという新たな動向をみせている。
これは 20 年ほど前から ODA の一環として始められたもので,現在では外国人技能実習生
制度に基づいた受け入れが行われている。事例企業のうち,④社以外にも②社と⑧社が現
在,外国人研修生・技能実習生を受け入れている
18)。研修生や技能実習生の賃金は日本人
労働者と同等であるほか,研修生の残業は認められていないなど,就労時間に関する取り
決めも多い。それにもかかわらず,各社が研修生や実習生を受け入れている理由は,彼ら
を慢性的に不足している日本人労働者に代わる貴重な労働力と見做しているからである。
⑥社は現在,自社ブランド製品の比率が 30%に達しており,自社ブランドの構築に成功
している企業の一つといえる。表4-6は,事例企業における製品の構成割合など,主要な
項目について,バブル経済期の終盤である 1990 年と今日との違いをまとめたものである。
これをみると,約 20 年の間に⑥社が自社ブランド製品の比率を上昇させると同時に,OEM
製品の比率を低下させてきたことが分かる。こうした変化の背景には,販売子会社の設立
- 81 -
表4-6 事例企業にみる各種の変化(1990 年と 2012 年の比較)
⑤社
自社ブランド
製品の構成
(金額ベース)
国内における
取引先企業数
OEM
70% → 5%
(ギフト用)
⑥社
⑧社
10% → 30%
0% → 10%
90% → 70%
95% → 50%
別注(企業等)
30% → 95%
―
5% → 40%
仕入れ・
原料調達
2~3社 → 4社
3~4社 → 3~4社
7社 → 4~5社
(12 社 → 7~9社)
生産
(協力企業)
3~4社 → 3~4社
20社 → 15社
25社 → 10社
流通
(問屋・商社等)
1,000社 → 120社
国内工場の生産能力
(織機台数)
NA → 0台
20社 →
10社
(販売子会社1社)
20社 → 70~80社
38台 → 38台
180台 → 20台
(協力工場含む)
資料:聞き取り調査により作成。
を中心とした,流通面での積極的な戦略展開があった。1990 年代後半に設立されたこの子
会社は,主に自社ブランド製品の流通を担うものとして,雑貨店を中心とした新たな販路
の開拓を進めていった。その結果,今日ではこの子会社を経由した自社ブランド製品の流
通先は,100~200 社にも及んでいる。
こうして自社ブランド製品の流通量を拡大させた⑥社は,一方で,従来から取引関係に
あった問屋・商社の数を 20 社から 10 社へと半減させた(表4-6)。これは,既存ブラン
ド品の需要が減退したことによる OEM 製品の受注量の減少と,自社ブランド製品の占める
割合が上昇したことを反映している。ただし,先の販売子会社を経由した受注の大半が小
口のものであるのに対し,これら問屋・商社からの注文には大口のものが多く,その取引
の重要性は依然として高いといえる。なお,⑥社はこのほかにも,インターネット上のウ
ェブショップにおいて,一般消費者への直接販売も行っており,これら新しい流通経路の
確立によって,販路拡大と自社ブランドの浸透が図られている。
以上のような流通面での変化のほか,⑥社は生産面においても協同組合の設立という変
化を起こしている。これは,従来から分業関係にあった企業を中心に 1992 年に組織された
もので,組合の結成にあわせて一貫生産のための工場も設立された。現在,当該工場は染
色工程を担う工場として機能しているが,高機能設備を備えているこの工場は,品質の高
さをアピールポイントとしている⑥社にとって,重要な役割を果たすものである。なお,
⑥社は品質維持の観点から,現在でも国内のみで生産を行っているため,生産能力に関し
ては変化が認められない(表4-6)
。
⑧社は,表4-6にあるように,1990 年頃までは既存ブランドの OEM 生産を主体(95%)
- 82 -
とする企業であったが,その後は消費者のブランド離れを受け,その割合を低下させてい
った。それに代わって,⑧社は自社ブランド製品と別注品の生産割合を高めることで,消
費者需要への対応と安定的な販売量の確保を図った。このうち,別注品については,企業
の販促用製品だけでなく,プロスポーツやコンサートで用いられる製品なども生産してい
る。また,自社ブランド製品については,バブル期以前にもごく少量ながら生産を行って
いたが,1990 年代になると,新たなブランドラインを展開させるとともに,その生産を本
格化させた。さらに,現在では④社や⑥社と同様,⑧社もウェブショップを開設しており,
そこでも多様な自社ブランド製品が販売されている。このように製品構成が変化した結果,
⑧社の流通にかかわる取引先企業数にも変化が生じている。かつては大口の OEM 生産が主
体であったため,取引先企業数は 20 社ほどであったが,現在では OEM よりも小口の別注
品や自社ブランド品の流通が増加したため,その数が 70~80 社へと大幅に増加した(表4
-6)
。
このほか,⑧社に関して注目すべき点は,資本金額や売上高が大きく,事例企業の中で
も企業体力の高い企業の一つであるということである(表4-4)。そのため,流通面だけで
なく生産面においても,海外工場の設置や外国人研修生・技能実習生の受け入れといった
戦略が積極的に展開されている。このうち,海外展開は日本市場における輸入品の増加が
本格化し始めた 1980 年代後半から始められた。当初は東南アジアに合弁による工場を設置
していたが,コスト削減の要請が強まったことを受け,1990 年代には独自資本による工場
を設置し,海外生産を一層本格化させた。その結果,国内生産に関わる協力企業の数は,
かつての 25 社から 10 社へと減少し,協力企業のものを含む全体の織機台数も 180 台から
20 台へと大幅に減少した(表4-6)
。
現在,中国工場の従業者数は 700 人,織機台数は 48 台と,国内の生産能力を大きく上回
っており,その生産能力の大きさは海外生産比率の高さ(80%)にも表れている(表4-5)
。
また,⑧社は中国工場の設置と同時に,幹部候補として外国人研修生・技能実習生の受け
入れを開始した。これにより,社内では本社と中国工場の間での意思疎通―特に中国工場
での品質管理や製品に関する情報交換―がより円滑化した。
以上が,流通面の戦略に重点を置く企業群の主要な動向である。各社の企業ブランド製
品の展開方法は様々であるが,社外デザイナーの登用や,原料・製法の転換による他社製
品との差別化などがブランド構築の主な手法となっている。また,そうした差別化と同時
に,自社ブランド製品を産地ブランドの品質基準に合わせて製造することによって,自社
ブランド製品に今治タオルブランドであることを示すタグを表示するというケースも確認
される。こうした方法を採る背景には,製品の質の高さをアピールすると同時に,自社ブ
- 83 -
ランドを効果的に浸透させようとする狙いがある。
このほか,産地内(主に自社の近郊)におけるファクトリーショップの設置や,東京を
はじめとする大都市圏への直販店の設置,インターネット上でのウェブショップの開設と
いった販路の拡大・多様化の方策は,各社に概ね共通してみられる動きである。なお,こ
うした自社ブランドの構築に取り組んでいる企業は,現在 30 社ほどある。ただし,このよ
うな事業には比較的多額の初期投資が必要となるため,必然的に中堅規模以上の企業によ
る取り組みが多くなっている。しかしながら,小規模企業であっても,資金面での問題に
関しては,中小繊維製造事業者自立支援事業などの支援事業を活用することで対処してい
るケースが確認された。
b. 生産面の戦略に重点を置く企業
次に,生産面における戦略を中心に展開してきた②・⑤・⑨社の動向をみてゆく。これ
らの企業における自社ブランド製品の比率は非常に小さいが(表4-5)
,それは各社の生産
工程における特徴や主力製品の違いに起因している。
②社では従来から取引のある問屋との関係性を維持する方針が採られており,今日でも
OEM によるギフト用タオルの生産が全体の 95%を占めている。そのため,流通面におけ
る大幅な変化はみられないが,OEM 生産の絶対量は,バブル期以後の需要の縮小や委託先
の海外シフト等に伴い減少している。そのため,②社は生産面における対策を積極的に展
開することで対応を図っている。具体的には,1970 年代に新繊維法(繊維工業構造改善臨
時措置法)に基づく構造改善事業の一環として,②社を中心に当時,分業関係にあった企
業群から構成される協同組合を組織した。そして,1980 年代には染色工程を担っていた企
業の系列化,1990 年代には設備の拡充を行い,現在では自社系列内での一貫生産を行って
いる。このように,②社は生産面における各種の対策により,生産コストの低減や品質管
理の徹底を図っている。
⑤社は,主にホテルや病院,介護施設で用いられる業務用製品を主力製品とする,産地
内でも数少ない企業の一つである。⑤社は,表4-6にあるように,かつてはギフト用タオ
ルを主力製品とする企業であったが,取引先企業の需要変化をきっかけに,2000 年頃から
現在の業務用製品主体の業態へと変化した。また,このような変化に伴い,⑤社の流通面
での取引先企業数にも大きな変化が生じている。かつて⑤社は,ギフト用商品を直接小売
店へと出荷する形態をとっていたために,全国に 1,000 社もの取引先を有していたが,主
力製品の転換によって,その流通先が大幅に変化すると同時に,その数も 120 社ほどに集
約された(表4-6)
。
- 84 -
このように,⑤社では流通面において大きな変化が生じたが,こうした業務用製品を中
心に生産する企業では,流通面よりも生産面における戦略の重要性が高く,そのため,産
地ブランドや企業ブランドが有する意義も必然的に小さくなる。なぜなら,業務用製品の
場合,通常は消費者である事業者との商談を通じて製品の規格や品質等が決定されるが,
そこでは,産地ブランドや自社ブランドといったものよりも,企業の持つ技術力や製品開
発力の方が重要視されるからである。そのため,近年における⑤社の企業戦略は生産面を
中心に展開されており,その動向は産地ブランドの構築事業とはほとんどリンクしていな
い。
⑤社で展開されている戦略の中心は,中国とパキスタンにおける海外生産である。業務
用製品に対しては,一般消費者向けの製品と同様,あるいはそれ以上に消費者からのコス
ト低減の要請が強い。そのため,⑤社は 1992 年に中国工場を設立し,海外生産比率を高め
ていった。また,2011 年までは,外国人技能実習生制度を利用しつつ,国内でも短納期製
品などが生産されていたが,現在では国内での生産活動は行われていない。代わって,⑤
社は 2012 年からパキスタンでの委託生産を開始しており,現在では中国とパキスタン両国
の工場で全ての製品が生産されている。
⑨社も②社と同様,従来からの OEM 生産を企業戦略の中心に据えており,今後も同じ問
屋・商社との取引関係を重視する方針を採っている。そのため,流通面での目立った変化
は確認できず,企業戦略も生産面を中心に展開されている。そのうち最も大きな変化は海
外工場の設置であり,この海外工場は問屋からのコスト低減の要請に応えるために 1995 年
に設置された。近年,⑨社の海外生産比率は 70%ほどで推移しているが,一方で小口の注
文や短納期品を中心に3割ほどの製品は,依然として国内で生産されている。しかし,今
後,問屋からのコスト低減の要請が強まれば,海外での生産量を増やすことによって対応
する方針である。
以上のように,生産面の戦略に重点を置く企業群では,組合組織の設立に伴う従前の分
業関係の見直しや,外国人研修生・技能実習生制度の利用,海外工場の設置による労働力
の確保と生産コストの低減といった戦略が積極的に採用されていた。その一方で,流通面
に関しては保守的な戦略が採用されているケースが多く,結果として産地ブランド製品・
自社ブランド製品の比率が総じて低いという傾向が見出された。
こうした流通面における保守的な態度は,生産面での各種の対策が産地ブランド化事業
に先んじて講じられたことと,後に定められたブランドの品質基準が⑤・⑧・⑨社にとっ
て適合的でないことに起因している。今治タオルブランドは,その品質基準のなかで対象
となる製品を国内生産品のみに限定しており,海外生産品はたとえその他の品質基準を満
- 85 -
たすものであっても,今治タオルブランドを使用することができない。これに対し,⑤・
⑧・⑨社は先にみたように大半の製品を海外で生産しているため,今治タオルブランドを
活用する余地が他社に比べて少ない。また,いったん海外に生産の中心を移してしまうと,
国内での生産に回帰することはコストや労働力の確保といった点を考慮すると非常に難し
く,国内生産の拡大による産地ブランドの積極的な活用は現実的な販売戦略とはなりにく
い。そのため,上記3社のように海外生産比率の高い企業は,現行の品質基準に対して少
なからず違和感や不満を抱いている。
第5節 変化する産地の生産・流通構造と産地維持要因
前節でみたように,近年の今治タオル産地では,輸入品の増大や需要の減退を受けて,
流通面では産地ブランド・企業ブランドの構築と,それによる流通経路の拡大・多様化と
いった変化が生じている。また,生産面では生産機能の海外移転や外国人技能実習制度の
利用,一貫生産の指向,分業関係の見直しといった動きが確認された。そこで本節では,
こうした動向よって生じた産地全体の生産・流通構造の変化を確認するとともに,どのよ
うな要因によって企業が立地を継続し産地が維持されているのか,そして産地ブランドの
存在が産地維持要因となり得ているのか否かについて検討する。
(1)生産・流通構造の変化
生産・流通に関する様々な対策が講じられる前の 1980 年代後半まで,今治タオル産地で
は図4-7の白色部分のような生産・流通構造が形成されていた。生産面に関しては,当時
は 400 社以上のタオル製造業者のほか,捺染や刺繍といった工程を担当する中小零細企業
群によって,複雑な分業構造が形成されていた。また,流通面では,主にタオル専業問屋
や寝具問屋,商社を経由して,そこから各種小売,そして消費者へと商品が流通していた。
なかでも,OEM によるブランド品が産地の主力製品であったため,その主な流通先であっ
たデパートへの流通量が非常に多かった。
しかし,1990 年代以降,産地の生産・流通構造は網掛け部分を含む図4-7全体のような
形態へと変化していった。以前のものと比較した際の生産面における主な変化として,ま
ず,海外生産がはじめられたことがあげられる。企業の海外進出方法は3通りあり,周辺
工程を担当する現地企業との新たな分業関係の構築,従来から分業関係にあった国内企業
を伴っての海外進出,一貫生産が可能な工場の新設という方法がとられた。また,原料の
仕入れに関しても,国内で購入したものを輸送する方法,現地調達,第三国から現地へと
- 86 -
図4-7 今治タオル産地における生産・流通構造の変化
注:図内の白色部分は 1980 年代前半までに形成されていた生産・流通構造を,網掛け部分は 1980 年代半
ば以降に登場した生産・流通構造,ならびに 1980 年代半ば以降に顕著な変化が確認されたものを示し
ている。
資料:越智(1987)
,愛媛銀行(1989)および,聞き取り調査より作成。
- 87 -
輸入する方法の3つが確認された。なお,これらの海外工場では現地の労働者が大量に雇
用されているが,先述した⑧社のように,そのうちの一部の労働者が外国人研修生・技能
実習生として日本国内の本社工場へ派遣されているケースもある。
一方,国内における生産構造は,一見すると変化が生じていないようにも見える。しか
しこの間,需要の減少によって産地内の企業数は大幅に減少しており,特に生産工程にお
けるコンピュータ技術の普及に伴う,意匠紙や紋紙を作製する企業の減少が著しかった。
こうした企業数の減少に伴い,特に企業の結びつきという点において分業関係が大きく変
化した。また,産地内の大手企業が海外生産(⑤・⑧・⑨社)や系列内での一貫生産(②
社)を開始したことも,企業の結びつきを大きく変化させる原因となった。このほか,海
外生産を行う企業が,生産の中心を海外工場へとシフトさせてしまったため,これらの企
業を中心に形成されていた分業構造は,大幅に衰微してしまった。そうした変化は,事例
企業の生産工程における協力企業数の減少からも窺い知ることができる(表4-6)。
続いて,流通面について 1980 年代後半までの構造(白色部分)と現在の構造(白色部分
と網掛け部分)を比較すると,依然として問屋や商社等を介した既存の流通経路が根強く
残っていることが分かる。今日では,⑥社の販売子会社を介した流通のように,新たな経
路が一部で開拓されてはいるものの,依然として問屋や商社が商品流通における重要性を
保っている。こうした流通経路が維持されている理由は,各企業が問屋・商社との関係性
を保つことで,需要の安定的な確保や業界における存在感の維持を図っているためである。
しかしながら,その先の流通経路に関してはいくつかの変化が認められる。まず,有名
ブランドタオルの需要が減少したために,それまでブランドタオルの主な流通先であった
デパートへの流通量が減少した。その一方で,雑貨店への流通量が増加しており,ここへ
は低価格帯の商品から,今治タオルブランドや各社の企業ブランドを冠した高価格帯の商
品まで,多様な商品が流通している。この雑貨店への流通量の増加傾向は,ギフトとして
のタオル需要の減少に伴い,消費者が自ら使用するためのタオルを購入するケースが増え
たことに起因している。
また,流通面におけるその他の変化として,問屋や商社,小売等を介さない直販店やウ
ェブショップでの販売量が増加していることが指摘できる。これは,上述の雑貨店などで
商品を購入し,今治の産地ブランドや企業ブランドを認知した消費者の一部が,その後,
直接商品を買い求めるようになるためである。
(2)今日の今治タオル産地における産地維持要因
前項までに見た近年の今治タオル産地が抱える各種の課題とそれらへの対応策,そして
- 88 -
対応策が講じられた結果生じた産地の変化について整理したものが図4-8である。この図
に沿ってここまで見てきたことをまとめると,近年の今治タオル産地は,①既存ブランド
の市場における有効性とその使用権,②輸入品の増大,③労働力の減少と労賃の高騰とい
う3つの問題を抱えてきた。このうち,①のブランドに関する問題については,産地ブラ
ンドや企業ブランドの構築による事態の打開が図られ,③の労働力に関する問題に対して
は,海外生産や一貫生産への転換といった対策が講じられた。また,②の輸入品に関する
問題は,高付加価値化戦略の一つであるブランド構築による差別化や,海外生産などの生
産工程の見直しによるコストの削減によって対応が試みられた。その結果として生じた変
化の一つに,前項でみた生産・流通構造の変化があるが,その詳細をみることで今日にお
ける今治タオル産地の維持要因を抽出することができる。
まず,生産面での最大の変化である海外工場の設置によって,国内では不可能となった
低コスト生産が実現されており,このことが市場における輸入品との価格競争を可能にし
ている。そのため,海外工場の設置は,企業の存続とそれに伴う企業数の維持に繋がって
いるといえるが,産業の核である生産機能を産地から独立させることは,既存の分業構造
を衰微させる一因にもなるため,その産地維持に果たす効果は限定的である。
ただし,海外工場を有する企業は,産地内でも比較的大規模な少数の企業に限られてお
り,その他大多数の企業は,依然として産地内で分業に基づいた生産を行っている。また,
海外工場を設置した企業であっても,納期等の関係から一定量の製品は国内で生産する必
要がある。そのため,タオル製造関連企業が集積し,技術や生産能力が産地内に維持され
ていることは,国内だけで生産を行っている企業のみならず,海外工場を有する企業にと
図4-8 今治タオル産地における諸要素の連関
- 89 -
っても立地継続の大きな要因となっている。なお,今日では,事業所数・従業者数が大幅
に減少してしまったため,産地内における技術や生産能力の維持にとって,外国人研修生・
技能実習生の存在が重要性を増している。このことから,外国人研修生・技能実習生の存
在もまた,産地の維持に結びついているといえる。
一方,流通面では産地ブランドや企業ブランドが構築されたことによる流通経路の多様
化や,最終流通先の変化が生じた。今治タオルという産地ブランドが消費者に認知された
こと,そして,産地ブランドとともに各社の企業ブランドが認知されたことによって,従
来の問屋や商社への依存傾向も弱まりつつある。そのため,今治タオル産地というブラン
ドの存在もまた,産地内企業の立地継続要因,あるいは産地維持要因として作用している
と判断できる。
以上が,産地全体をみたときの企業の立地継続要因,産地維持要因である。ただし,個
別の企業に注目すると,各社の戦略やそれに伴う生産・流通構造の変化の度合い等が,近
年ますます多様化する傾向にある。そのため,すべての産地維持要因が,等しく各企業の
立地継続に寄与しているわけではない。なかでも,産地ブランドの存在が企業の積極的な
立地継続要因になるか否かは,各企業の戦略によって大きく左右される。
例えば,第4節でみた⑤社のように,一般消費者ではなく事業者を対象とした製品を生
産している企業にとっては,ブランドよりも自社の技術力や商品開発力の方が企業の存続
にとって重要である。また,今治タオルブランドが海外生産品に使用できないことに対し
て違和感や不満を抱いている企業もある。このほか,一般消費者向けの製品を生産してい
る企業や国内生産の企業をみても,産地ブランドが自社ブランドの浸透を後押ししている
と感じている企業がある一方で,産地ブランドが自社ブランドに先行して消費者に浸透し
たために,自社ブランドの浸透が妨げられるのではないかと危惧する企業もある。
本来,産地ブランド化や地域ブランド化というものは,「(Ⅰ)地域発の商品・サービス
のブランド化と,
(Ⅱ)地域イメージのブランド化を結び付け,好循環を生み出し,地域外
の資金・人材を呼び込むという持続的な地域経済の活性化を図ること」(中小企業基盤整備
機構,2006,p.2)を目的としたものである。確かに,今治タオル産地においても,今治
という産地イメージと高品質製品をうまく結びつけることで好循環を生み出し,成長の兆
しをみせている企業が確認できる。
しかし,その一方では,上述のように産地ブランドと企業ブランドが競合することへの
懸念や,産地ブランドの定義自体が一部の企業の実情に不向きなものであることへの不満
が存在する。そのため,
「今治タオル」という産地ブランドが,必ずしもすべての産地内企
業に好循環を生み出しているとは言い難く,場合によっては,その存在が企業の立地継続
- 90 -
にとって積極的な要因になっていないケースもある。
このように,産地維持に対して両義的に作用する今治ブランドの特性について,以下で
は既存研究―地理学における地場産業製品の消費に関する研究や,農産物の地域ブランド
に関する研究―の成果を踏まえつつ,若干の考察を加えたい。
まず,地場産業製品の消費という視点からみると,伝統的工芸品やそれに類する製品は,
消費者に郷愁を掻き立てることで消費を促進しているケースが多いとされている
19)。これ
に対し,今治タオルブランドは,製品の品質の高さや安全性をアピールするためのブラン
ドとして機能しており,いわゆる「伝統マーク」や「伝統証紙」20)とは異なった役割を果た
しているといえる。
続いて,農産物の地域ブランドと今治タオルブランドを比較してみる。高柳(2007)は
牛肉の地域ブランドが必ずしも品質を保証しないこと,それに伴い商品に付随する地域性
が希薄なものであることを指摘している。こうした現象を招いた主な要因は,ブランド牛
の生産・流通構造が持つ独自性―繁殖と肥育が地域分業で行われることや,子牛生産が均
一化していることなど―にあった。その点,今治タオルブランドは産地独自の品質基準を
満たすものにのみ使用が許されており,そのなかでも今治産地内(国内)で生産された製
品にのみブランドの使用が許されている。また,国内で流通するタオル製品は,大きく分
けて今治産,泉州産,海外産の3種類と少ないため,今後,牛肉のように多数のブランド
が乱立することによって消費者が混乱するという現象も起こりにくいと考えられる。さら
に,今治産地は泉州産地に先行してブランドを確立したため,消費者へのブランドの浸透
という点で先行優位性を得ていると推察される。
第6節 小括
本章では,近年における海外製品との競合や産地ブランド化事業によって大幅な変化が
生じている今治タオル産地をとりあげた。そして,生産・流通構造の変化を分析するとと
もに,産地ブランド・地域ブランドが地場産業産地の維持・発展に寄与するか否かについ
ても検討した。また,生産工程の見直しなど,その他の企業戦略とブランド化事業との関
係性にも注目しつつ,具体的な企業行動を分析することによって,産地維持要因を検討し
てきた。
第4節でみたように,今治タオル産地では 2000 年代以降,産地ブランドや企業ブランド
が構築された。こうしたブランド化の動きは,従来の問屋依存的で,有名ブランド品の OEM
生産を基軸とした企業体制からの脱却を意図したものであったが,産地の認知度の高まり
- 91 -
を見る限り,こうしたブランド化事業は一定の成果を上げたといえる。そのため,従来の
商品流通では,贈答用の既存ブランドのタオルが百貨店へと流通するケースが多かったの
に対し,今日では産地ブランド・企業ブランドを冠した商品が雑貨店へと流通するケース
が増加するなど,流通経路の拡大・多様化が進行している。また,今治の産地ブランドや
企業ブランドを認知した消費者の中には,その後リピーターとなり,産地や企業が運営す
る直販店やウェブショップで直接商品を買い求める人たちも存在する。
こうした変化によって,流通面では,従来の問屋依存の傾向がやや弱まったといえる。
そのため,産地ブランドを冠した製品を生産している企業や,産地ブランド化の動きと連
動しながら自社ブランド製品を展開している企業にとっては,今治タオル産地という産地
ブランドの存在が,今治地域に立地し続ける要因の一つとなっている。ただし,企業によ
ってはブランドを必要としていない場合があるほか,産地ブランドの品質基準(日本製で
あること)に対する不満や,産地ブランドと自社ブランドが競合することへの懸念を抱く
企業も確認された。
また,
今治産地ではブランド化事業に先行して,1980 年代頃から主に生産面において様々
な変化が生じていた。具体的には,産地内の大手企業によって海外(主に中国)に生産拠
点が設置されたほか,国内生産についても,一部では企業の系列化による一貫生産が行わ
れるようになった。また,系列化までに至っていない場合でも,品質向上やコスト低減を
目的とした企業間関係の見直しが進められたことも分かった。このほかにも,多数の企業
が外国人研修生・技能実習生制度を利用することで,若年労働力を確保している実態が確
認された。
その結果,今治産地内では,海外生産を行う企業がかつて形成していた分業構造が大幅
に衰微したほか,企業数の減少や企業間関係の見直しが進んだために企業間の結びつきが
変化したという点で,分業構造が大幅に変化したといえる。ただし,ほぼ全ての企業が国
内生産を行っているため,一定数の企業が産地に立地し,それらの企業が分業関係を形成
していることが企業の立地継続要因,ひいては産地維持要因となっていた。また,産地内
における分業構造や生産力の維持にとって,外国人研修生・技能実習生の存在が大きく貢
献していることも確認された。なお,こうした生産面における変化は,いずれも製品の高
品質化に寄与しており―分業の見直しによる品質の維持・向上,外国人研修生・技能実習
生制度を活用した国内と海外での意思疎通の円滑化など―,その点において近年における
ブランド化事業との関連性が見出された。
以上のように,今日の今治タオル産地においては,多くの場合,産地内分業の存在や産
地ブランドとそれに後押しされる形で形成された企業ブランドが産地維持に貢献している。
- 92 -
ただし,特定の企業についてみてみると,必ずしも上記のすべての産地維持要因がプラス
に作用しているわけではない。特に,産地ブランドが各企業に及ぼす影響にはプラスとマ
イナスの両面があることから,産地ブランドが産地維持に果たす役割は限定的であるとい
える。そのため,主力製品の種類や企業戦略が産地ブランドの持つ効力と相容れない企業
にとっては,従来の地場産業研究において指摘されてきた産地の自然的条件
21)や地域内に
おける技術・ノウハウ等の蓄積が立地継続の最大の要因となっている。
注
1) 1981~1984 年の4年間については,一時的に数値の急激な減少がみられる。このうち,1984 年と
1985 年における大きな数値の違いは,1984 年に標準産業分類が改定され,タオルに関する項目が従
来の「204121 タオル」から,
「144121 タオル地」と「159911 タオル(ハンカチーフを除く)
」に変
更されたことに伴う集計方法の変化に起因したものと考えられる。しかしながら,1980 年と 1981 年
の間にみられる数値の大きな違いが生じた理由は判然としない。ただし,後出の図4-5をみると,こ
の時期既に全国シェアの約 50%を占めていた今治タオル産地の生産額がこの間,増加を続けていたこ
となどから,1980 年から 1981 年にかけての数値の急落も集計方法等の変化によって生じた可能性が
高い。
2) このほか,三重県や福岡県,東京都でも一定程度の出荷額が確認されるが,その金額規模は先の2府
県に比べると非常に小さいため,図4-2では「その他の都道府県」に含めている。なお,本章では詳
述していないが,大阪府におけるタオル産業の発展過程については,中島(2001)に詳しい。そこで
は,明治・大正期を中心に,タオル産業を含む綿工業全体の発展過程に関する詳細な分析・検討が行
われている。
3) 生産額のピークは 1989 年の 58,058 百万円,シェアのピークは 1984 年の 43.9%であった。
4) 1960 年からピーク時までの生産額の年平均増加率は,大阪府の約 9.5%(~1989 年)に対して,愛
媛県は約 12.7%(~1992 年)であった。
5) 2009 年時点では 49.9%とやや低下している。
6) タオルの製織後に晒し,染色をするのが後晒後染,製織前の糸を染晒しておくのが先晒先染である。
一般に,吸水性では前者,デザイン性(柄の細かさなど)では後者の製法によるものが優れていると
される。
7) 2列同時にタオルを織ることができる織機。
8) こうした機器の革新に関しては,1921 年に創立された愛媛県立工業講習所(現在の愛媛県産業技術
- 93 -
研究所繊維産業技術センター)が大きな役割を果たしたとされる。なお,近年の今治タオル産地にお
ける,公設試験機関が産地に与える効果・影響については植田・本多(2006)に詳しい。
9) 1956 年時点では,全国の輸出タオルのうち愛媛県産のものが 89.7%を占めていた。また,同年にお
けるタオル製品の品目の内訳をみると,タオルケットは全体の 32.6%を占めていたが,そのうち 91%
が愛媛県で生産されたものであった(森,1975,p.251)
。
10) 今治タオル産地における四国タオル工業組合や,泉州タオル産地における大阪タオル工業組合の上部
組織にあたる。セーフガード申請時には,中部タオル工業組合,九州タオル工業組合,東京タオル工
業組合も加盟していた。
11) 中国からの輸入量の対前年比は,2007 年:98.6%,2008 年:93.7%,2009 年:91.9%,2010 年:
100.9%と,高止まりの傾向にある。一方,インドからの輸入量の対前年比は,2007 年:203.5%,
2008 年:460.5%,2009 年:164.1%,2010 年:53.0 と推移しており,タイについても 2007 年:82.2%,
2008 年:111.1%,2009 年:234.2%,2010 年:90.7%と,概ね増加傾向にある(いずれも数量ベー
ス,財務省貿易統計より)
。
12) 財務省貿易統計では,数量単位に㎏が用いられているが,四国タオル工業組合が公表している国産タ
オル製品の単価は,数量単位に匁が用いられている。そのため,ここでは輸入品の数量単位を匁に換
算したうえで製品単価を算出した。
13) 「工業統計表(市区町村編)
」によると,2008 年の今治市における輸送用機械器具製造業の事業所数
は 53(市の製造業に占める割合は 10.8%)
,従業者数は 2,664 人(同,22.5%)
,製造品出荷額等は
37,823,472 万円(同,34.5%)となっている。
14) ブランド化事業が始められる以前の,いよぎん地域経済研究センター(2001)によるアンケート調査
では,製品の主要販売先を問屋と回答した企業が全体の 88%を占めていた。
15) 2001 年5月,今治市内に「タオルショップ STIA」
(現在は移転・改称し,
「今治タオルブティック」
として「テクスポート今治」
(四国タオル工業組合施設)内にある)を,2003 年3月には「いまばり
タオルブティック」
(東京・銀座,2006 年1月閉鎖)を設置した。
16) 今治タオルブランドは,四国タオル工業組合の組合員企業が製造したタオルとその関連製品のうち,
組合が独自に定めた品質基準に合格した製品にのみ与えられる商標であり,吸水性・安全性の高さを
最大の特徴としている。
17) 2008 年の段階で,
今治産地において売上高 10 億円を超える企業は9社,
5~10 億円の企業が 14 社,
3~5億円の企業が 15 社ある。このうち,売上高 10 億円超の9社による合計売上高は 23,909 百万
円であり,これは産地全体の売上高 47,593 百万円の 50.2%を占めるものである。同様に,5~10 億
円の 14 社による合計売上高は 10,245 百万円(対産地 21.5%)
,3~5億円の 15 社による合計売上
高は 5,936 百万円(同,12.5%)である。これらを踏まえると,表4-4に示した企業群とその動向が
- 94 -
産地全体に多大な影響を及ぼしているものと考えられる。
18) このほかにも多数のタオル製造企業において外国人研修生・技能実習生を受け入れている。法務省入
国管理局編「在留外国人統計」によると,2008 年時点で愛媛県内において在留資格「研修」・「特定
活動」で在留している外国人は 9,728 人であり,これは愛媛県内の全在留外国人の 47.9%にあたる。
同年の今治市には 2,177 人の在留外国人がいたが,県と同じ割合で「研修」
・
「特定活動」の在留外国
人が市内にいたと仮定すると,その数は 1,044 人となる。同年,今治市内において繊維産業が占める
割合は事業所数で約 42%,従業者数で約 26%であった。これを踏まえると,今治市内の繊維産業で
は 260~420 名の研修生・実習生が働いていると考えられ,さらに市内の繊維産業に占めるタオル製
造業の割合が約 50%であることから,130~210 名程度の研修生・実習生がタオル製造業に従事して
いると考えられる。この数値は,
「JITCO 白書」を基にした数値とはやや異なってはいるものの,両
者を踏まえると 200 名前後の研修生・実習生が今治市のタオル製造業に関わっていると推測される。
19) 間々田(2007)によると,近年における消費の多様化は様々な要因によってもたらされているが,そ
のうちの一つとして,ローカルな消費文化の活性化があるとされる。そして,そのような在来の消費
文化が活性化する契機には,「在来の文化が過去のものになっているがゆえにノスタルジー(郷愁)
の対象となり,著しく衰退したがゆえに希少価値をもつ」場合と,「ナショナリズム(ないしは民族
意識)が供給側にも需要側にも自然に発生してきて,在来の消費財が見直されるという場合」の2つ
がある(間々田,2007,pp.128-129)。地場産業製品についても,1960~1970 年代にかけての「民
芸ブーム」の際に,焼物をはじめとする工芸品が「都市的心性を持った人々のノスタルジーを満たす
対象として位置づけられ」
(濱田,2002b,p.114)
,消費されていったことが濱田(2002b)によって
明らかにされている。
20) 「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」で定められた要件―伝統的な原料や製法によって生産され
たものであることなど―を満たす製品には,当該製品が伝統的工芸品であることを示す意匠(「伝統
マーク」あるいは「伝統証紙」呼ばれる)が添付される。
21) タオル製造業では,染色工程で大量の水を使用するため,水質の良い河川水の存在が産地形成の重要
な条件の一つとなる。
- 95 -
第5章 香川県丸亀市におけるうちわ製造業
第1節 地域概観
本章の調査対象地域である丸亀市は,香川県の中部沿岸部に位置し,県庁所在地である
高松市からは西に約 25km 離れている(図5-1)
。丸亀市は,讃岐平野の一角を為す本土部
と沖合の瀬戸内海上の島嶼部から構成されている。島嶼部には本島・広島・手島・小手島・
牛島などの島々が点在しており,これら島嶼部が市の面積の2割以上を占めている。本土
部は大部分が低平な沖積平野であり,土地利用は南部が肥沃な水田地帯,北部が軽工業及
び商業地帯となっている。また,海岸部はかつて塩田として利用されていたが,1971 年ま
でに全て廃止された。この塩田の跡地と,これとは別に新たに埋め立てた土地に造船業や
機械製造業の工場等が立地し,海岸部は重工業を含む臨海工業地帯を形成している。気候
は温暖少雨の瀬戸内式気候であり,年平均気温は約 16℃,年間降水量は約 1,000mm であ
る。
丸亀市は早くから政治の要衝として開けたところであり,645 年には郡司庁が置かれ,条
図5-1 調査対象地域概略地図
注:現在の丸亀市は網掛け部分全体であり,対象地域である旧丸亀市は一段濃い網掛けで示している。
- 96 -
里制が敷かれた。また,海上交通の要地・物資の集散地として発展し,特に金刀比羅宮の
参詣港として大いに賑わった。1602 年,生駒氏が亀山に築城し,丸亀城と名付けたのが丸
亀の名の起こりである。その後,廃藩置県までは京極家の城下町として栄えた。1875 年に
は歩兵第 12 連隊が創設され,軍事・交通・通信の中心地となり,1890 年に町制,1899 年
には市制を施行した。その後,昭和 20~30 年代にかけての近隣地域の編入,及び,その後
の公有水面の埋め立てによって旧丸亀市の市域を構成していった。また,丸亀市は平成の
大合併により,2005 年 3 月 22 日に旧丸亀市・旧綾歌町・旧飯山町が合併し,新たな丸亀
市として発足した。これにより人口は約 11 万人,面積は 111.79 ㎞ 2 となった。
戦後は商業機能を中心に発展してきた丸亀市であるが,臨海工業用地の造成とそれに伴
う企業の誘致により,現在では工業都市としての比重が大きくなっている。
なお,本研究では統計資料の整合性を図るため合併以前の旧丸亀市を対象とする。
第2節 丸亀うちわ産地の概要
(1)全国的なうちわ製造業の動向と丸亀うちわ産地の位置づけ
ここでは全国的なうちわ製造業を概観することで,丸亀うちわ産地が全国に占める地位
や各産地の性格を明らかにする。なお,ここでは『工業統計表(品目編)
』を資料として用
いているために,数値がうちわ製造業と扇子製造業の合計値となっているが,主要産地が
2つしかないうえ,両産地の性格が明瞭であることから,全国的な動向を概観するには問
題ないものと考える。
うちわ・扇子製造業者は全国各地に存在しているが,近年の「工業統計表(品目編)
」に
表5-1 府県別のうちわ・扇子の出荷額の推移
単位:百万円
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
京都府
5,261
5,613
5,126
4,946
4,586
4,702
4,455
4,062
3,670
3,437
香川県
3,785
3,328
3,519
3,161
3,089
2,734
2,976
2,679
2,908
3,290
滋賀県
900
1,025
886
730
627
484
450
350
363
333
愛知県
498
386
340
426
353
318
340
345
309
その他
780
1,028
939
842
1,153
957
885
520
615
739
全国計
11,224
11,380
10,810
10,105
9,808
9,195
9,106
7,956
7,865
7,799
―*
注:品目名は『うちわ,扇子(骨を含む)
』
,対象事業所は従業者4人以上の事業所である。また,*は秘
匿扱いのため「その他」に算入している。
資料:「工業統計表(品目編)
」より作成。
- 97 -
数値が示されているのは表5-1に示した4府県のみであり,これら4府県で全国出荷額の
9割以上を占めている。その中でも,うちわ・扇子製造業がある程度の規模にあるのは京
都府と香川県の2府県のみである。京都府は高級な伝統的工芸品産地として発展し,香川
県は安価な製品を求める一般消費者や企業の需要に応えることで発展してきた 1)。しかし,
全国的な出荷額は 1995 年から 2004 年までの 10 年間におよそ 30%減少しており,その中
でも出荷額1位の京都府はこの 10 年間に約 35%もの減少を示している。また,第2位の香
川県の出荷額も,同じ期間に約 13%減少している。このことから,近年,全国のうちわ・
扇子製造業は衰退傾向にあるといわざるを得ない。
このように,全国的なうちわ・扇子製造業が厳しい状況にある中で,京都府(京都市)
と香川県(丸亀市)が主要産地として維持されてきた要因は,互いの産地の性格の違いに
あるといえる。今日,香川県では主に企業向けの安価な製品(販促うちわとしてのポリう
ちわ 2))が大量に製造されているのに対し,京都府では数量は少ないが,一般消費者向けの
付加価値が大きく高級な(いわゆる伝統的工芸品としての)うちわや扇子が主に製造され
ている。
香川県の場合には扇子製造業の存在が非常に少ない
3)ことから,表5-1に示された数値
は,うちわ製造業のみの数値に近似していると判断できる。また,出荷額を他府県と比較
した際に,香川県の出荷額がその大きな数量シェア(数量ベースでの全国シェアは約9割)
とは対照的に非常に少なくなっているが,これは丸亀産地の主力製品であるポリうちわの
単価が非常に安いためである。この単価の低さが,他産地の本格的なポリうちわ製造への
参入を阻んでいるといえる。一方,京都府は香川県の場合とは逆に扇子製造業が盛ん 4)であ
るため,表内に示された数値の中に占めるうちわ製造業の割合は,香川県のそれに比べて
低くなるものと考えられる。
(2)丸亀うちわ産地の年次変化
丸亀うちわ産地では 1630 年代からうちわの生産がはじめられたといわれており,産地内
企業のほとんどが香川県の中部沿岸部に位置する旧丸亀市内に位置している。なかでもそ
の中心は市の北西部の塩屋地区であり,この立地傾向は喜多(1953)においても指摘され
ている(図5-2)
。丸亀うちわ産地では従来,竹と和紙を主な原料とする「竹うちわ 5)」の
製造が行われていたが,高度経済成長期に他産地に先駆けてプラスチック製うちわ骨を用
いた「ポリうちわ」と呼ばれる製品を開発し,製造工程の簡略化・機械化に成功した。そ
の結果,以前に比べて産地内の事業所数・従業者数は減少したものの,販売数量は増加し,
今日では数量ベースで全国シェアの約9割を占める産地としてその地位を確固たるものと
- 98 -
図5-2
2006 年時点のうちわ製造業事業所等の立地状況(所属組合別)
注:このほか,市外に京極団扇所属のポリ骨製造事業所(4ヶ所)
,貼製造事業所(4ヶ所)
,香川団扇所属の
貼製造事業所(1ヶ所)がある。また,上記以外に連合会非加盟の一貫製造メーカーが存在する。
資料:
「香川県うちわ協同組合連合会会員名簿」より作成。
- 99 -
図5-3 丸亀うちわ産地における販売総数量・事業所数の推移
資料:丸亀市統計資料より作成。
図5-4 丸亀うちわ産地における従業者数の推移
資料:丸亀市統計資料より作成。
- 100 -
している。こうした原料転換や,それに伴う製法・工程の変化,そして後述する生産・流
通構造の変化が発生したことを以って,本研究では丸亀うちわ産地を「伝統―転換型」産
地として分類している。
続いて,統計調査が始められた 1963 年から今日に至る丸亀うちわ製造業の状況を,定量
的なデータから分析する。図5-3・図5-4によると,1963 年には事業所数が 451 事業所,
従業者数が 3,110 人であり,丸亀市のうちわ製造業は現在と比べて,事業所数・従業者数に
おいて高い数値を示していた。ただし,販売総数量は生産性が向上した今日では1億本を
超えており,1963 年の販売総数量(約 8,691.5 万本)を上回っている。
しかしながらその後,1960 年代後半から 1970 年頃にかけて,丸亀うちわ産地の事業所
数・従業者数・販売総数量は軒並み大きく減少した。これは,高度経済成長に伴って他の
工業やサービス業を中心に大量に雇用機会が創出されたことや,扇風機などのうちわの代
替品が広く普及したことに起因している。
このように産地規模が縮小し,家庭用うちわへの需要が減退した一方で,市場では企業
の好景気に伴う販促うちわへの需要が相対的に増加するという需要構造の変化が生じはじ
めていた。そのため,少なくなった事業所・従業者でもって,労働集約的生産が求められ
る竹うちわを製造し,大口の販促うちわの注文に対処していくことが困難になった。この
ような,需要量と生産力とのギャップに対処するために,プラスチック製うちわ骨が考案
されたのである。以後,1967 年から本格的なポリうちわの製造・販売が開始されたことで,
1970 年代前半から販売総数量は徐々に増加していった。その後も,一時的な増減はみられ
たものの,全体としては増加し続け,2005 年にはかつての最盛期を上回る 10,849.1 万本
の販売総数量を記録した。
しかし,事業所数はポリうちわの登場後も減少傾向が続き,2005 年の時点で 51 事業所
となった。この数は 1963 年の 451 事業所と比較すると9分の1ほどである。また,従業者
数は,1972~1973 年にかけて 875 人から 1,236 人に増加 6)するなど,これまでに何度か一
時的な増加傾向がみられた。しかし,1980 年代以後はほぼ一貫して減少傾向が続き,2005
年の時点で 507 人となっており,1963 年の 3,110 人と比較すると6分の1以下に減少して
いる。
このように,生産量の増大にも関わらず事業所数・従業者数が減少した要因は,ポリう
ちわの登場とその製造の拡大であった。竹うちわ製造が主流であった時期には,うちわ製
造に多数の事業所が関わる分業構造が形成されており,産地内に家内工業的な零細事業所
が多数立地していた。しかし,ポリうちわ製造では,工場での機械を用いた大量生産を指
向しており,1人当り・1企業当りの生産性が非常に高い反面,少数の従業者・事業所で
- 101 -
多くの需要をまかなうことができる。そのため,ポリうちわの登場とその製造拡大にとも
なって零細事業所が継続的に減少し,後述するように,分業構造も以前のように多くの事
業所が関わらない単純な形態へと変化していった。このように,販売総数量に関しては復
調の要因となったポリうちわ製造であったが,事業所数・従業者数の増加には繋がらなか
った。
なお,以前より丸亀から出荷されるうちわの中には,完成品のほかに,貼立 7)を行ってい
ないうちわ骨が含まれている。香川県うちわ協同組合連合会(以下,連合会)での聞き取
り調査によると,それらうちわ骨の出荷量は,近年の丸亀うちわ産地の年間販売総数量約
1億本のうち,約 1,500 万本と1割強を占める。それらのうちわ骨は,熊本や岐阜といっ
た他のうちわ産地に出荷されているが,そのうちプラスチック製うちわ骨が約9割を占め,
残りの1割が竹製うちわ骨である。一方,完成品として出荷されるうちわもポリうちわが
全体の9割を占めており,残りの1割が竹うちわである。ただし,それら竹うちわのうち
9割以上が中国製竹骨を使用したものであり,国産材を使用し,産地内で製造されたいわ
ゆる「純国産」の竹うちわが占める割合は1割にも満たない。
以上が丸亀うちわ産地の年次変化と今日における概況であるが,ここで現在の丸亀市の
製造業全体に占めるうちわ製造業の割合をみると,表5-2のようになっている。うちわ製
造業も他の地場産業と同様に,中小零細企業群によって構成されているため,事業所数に
おいて占める割合が 26.8%と非常に高い。これに対し,従業者数では 7.9%,製造品出荷額
では 1.0%と,うちわ製造業が全体に占める割合は非常に低くなっている。これは,うちわ
表5-2 丸亀市の製造業に占めるうちわ製造業の割合(2005 年)
事業所数
(事業所)
従業者数
(人)
製造品出荷額等
(万円)
市の製造業全体
190
6,424
19,895,662
うちわ製造業
51
507
206,647
26.8%
7.9%
1.0%
うちわ製造業が
占める割合
注:市の製造業に関する数値は従業者4人以上の事業所を対象とした数値であるが,うちわ製造業に関す
る数値は全ての事業所を対象とした数値である。また,うちわ製造業の製造品出荷額等は香川県商工
労働部経営支援課(2007)の調査に対して回答のあった 20 事業所の合計値である。
資料:「工業統計表(市区町村編)」,丸亀市統計資料,香川県商工労働部経営支援課(2007)『香川の地場
産業』より作成。
- 102 -
製造業に中小零細企業が多いことに加え,丸亀市の臨海部に重化学工業が発達しており,
造船や電気機器製造,化学工業の企業・工場が立地していることが影響していると考えら
れる。そのため,うちわ製造業の地域経済への寄与は,限定的なものであると言わざるを
得ない。
第3節 産地構造の変化とその背景
(1)時期別にみた産地構造の変化
a. 原料転換期
前節で明らかにしたように,丸亀うちわ産地では 1967 年から本格的なポリうちわの製造
販売が開始され,竹からプラスチックへの原料転換が急速に進んだが,それによる産地構
造への影響は非常に大きかった。図5-5をみると,原料転換の翌年である 1968 年では竹
うちわの生産量が 54,900 千本,これに対してポリうちわの生産量が 6,500 千本と圧倒的に
竹うちわの生産量が多かった。しかし,その3年後の 1971 年には竹うちわの生産量が
24,000 千本と3分の1ほどに激減したのに対し,ポリうちわの生産量は 26,000 千本と4倍
近く生産量を伸ばし,わずかではあるがポリうちわの生産量が竹うちわのそれを上回るま
でになった。
図5-5 原料転換期における竹・ポリうちわの生産量の推移
資料:日本経済研究所(1973)より作成。
- 103 -
図5-6 原料転換期における工程別の事業所数・従業者数の推移
資料:日本経済研究所(1973)より作成。
図5-7 原料転換期における男女別従業者数・平均年齢の推移
注:2004 年時点での平均年齢は男性:46.8 歳,女性:51.3 歳。
資料:日本経済研究所(1973)より作成。
- 104 -
図5-8 原料転換期における1企業当りの従業者数・販売数量の推移
資料:日本経済研究所(1973)より作成。
また,先述した事業所数・従業者数の減少傾向は,特に骨製造工程において強く表れて
おり,1963~1972 年にかけて事業所数は 272 事業所から 96 事業所へ,従業者数は 1,461
人から 228 人へと大きく減少した(図5-6)
。また,男女別の従業者数の推移をみると,
特に女性従業者の減少幅が大きく,同期間に 2,281 人から 610 人へと減少した(図5-7)
。
これは原料転換によって,女性従業者が多く携わっていた貼工程や竹骨製造工程での一部
の内職的作業 8)において,以前ほど労働力を必要としなくなったことが主要因である。さら
に,図5-8では1企業当りの従業者数の減少がみられる一方,1企業当りの販売量につい
ては微増傾向がうかがえる。これは,プラスチック骨の製造工程が機械化されたことで,
以前のように多くの人手を必要としなくなったことと,生産性が向上したことを反映して
いる。
このように,丸亀市のうちわ製造業は竹からプラスチックへと原料が転換されたことで,
以前のように労働力,特に骨製造工程における高い技術を備えた熟練労働力を必要としな
い産業へと変化した。またそれと同時に,家庭用竹うちわの需要減退,販促うちわの竹う
ちわからポリうちわへの転換によって,多くの竹うちわ製造の零細事業所が淘汰され,比
較的規模の大きなポリうちわ製造事業所群に生産が集約されていった。
- 105 -
b. 原料転換期以降
a.で述べたように,原料転換期には事業所数や従業者数が減少した反面,生産性は大き
く上昇した。その後,竹うちわに対する需要量と従業者の減少に伴う産地内での竹うちわ
製造のさらなる衰退によって,二度目の産地構造の変化が引き起こされた。その内容は主
に,総事業所数と個人経営事業所の大幅な減少や,竹うちわ製造に関わる従業者の減少と
高齢化,ポリうちわ製造に関わる従業者の若返り,組合の加盟事業所数の減少といったも
のであった。
まず,表5-3・表5-4で 1974 年度 9)から 2005 年度にかけての変化をみると,丸亀うち
わ産地の総事業所数は,この約 30 年間に 182 事業所から 51 事業所へと3分の1以下に減
少し,なかでも個人経営の事業所が約7分の1(144 事業所から 21 事業所へ)へと際立っ
表5-3 経営形態別・所属組合別のうちわ製造事業所数(1974 年度)
単位:事業所
経営形態別
業態
所属別
株式会社
有限会社
協同組合
その他の
法人
骨製造
0
0
0
0
71
71
48
3
14
1
5
71
貼製造
4
23
0
0
9
36
33
0
1
0
2
36
下請貼
0
4
0
0
51
55
27
17
11
0
0
55
地紙
1
2
0
0
7
10
10
0
0
0
0
10
販売
1
0
3
0
1
5
2
1
1
1
0
5
骨焼他
0
0
0
0
2
2
0
0
1
0
1
2
附帯加工
0
0
0
0
3
3
2
0
0
0
1
3
計
6
29
3
0
144
182
122
21
28
2
9
182
工程
個人
計
京極団扇
香川県団扇
丸亀団扇
塩屋団扇
未加入
計
資料:多田(1977)より転載。
表5-4 経営形態別・所属組合別のうちわ製造事業所数(2005 年度)
単位:事業所
経営形態別
業態
所属別
株式会社
有限会社
協同組合
その他の
法人
骨製造
2
0
0
0
3
5
5
0
0
0
0
5
貼製造
11
9
1
0
8
29
24
1
0
1
3
29
下請貼
0
2
0
0
10
12
6
5
0
0
1
12
地紙
1
2
0
0
0
3
3
0
0
0
0
3
販売
0
2
0
0
0
2
2
0
0
0
0
2
骨焼他
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
附帯加工
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
計
14
15
1
0
21
51
40
6
0
1
4
51
工程
個人
計
京極団扇
資料:丸亀市統計資料より転載。
- 106 -
香川県団扇
丸亀団扇
塩屋団扇
未加入
計
表5-5 製造工程別にみた従業者数(1974 年度)
工場内(人)
男
工程
工場外(人)
女
男
家族(人)
女
男
小計(人)
女
男
合計(人)
女
平均年齢(歳)
男
女
骨製造
29 ( 13)
28 ( 11)
17 (
7)
99 ( 62)
61 ( 21)
55 ( 12)
107 ( 41)
182 ( 85)
289 (126)
57.4
55.8
貼製造
43 (
6)
115 ( 16)
1(
1)
131 ( 44)
39 (
4)
48 ( 6)
83 ( 11)
294 ( 66)
377 ( 77)
53.3
51.4
下請貼
24 ( 14)
118 ( 12)
4(
1)
103 ( 64)
40 (
9)
69 (
6)
68 ( 24)
290 ( 82)
358 (106)
50.6
49.6
地紙
16 ( 13)
8 ( 6)
10 (
2)
4(
4)
10 (
4)
11 (
7)
36 ( 19)
23 ( 17)
59 ( 36)
39.1
41.7
販売
17 (
0)
11 (
0)
0(
0)
0(
0)
3(
1)
2(
1)
20 (
1)
13 (
1)
33 (
2)
53.9
37.3
骨焼他
0 (
0)
0 (
0)
0(
0)
0(
0)
2(
1)
2(
0)
2(
1)
2(
0)
4(
1)
55.0
55.0
附帯加工
0 (
0)
0 (
0)
0(
0)
0(
0)
2(
0)
3(
0)
2(
0)
3(
0)
5(
0)
55.0
48.3
1,125 (348)
52.5
51.2
129 ( 46)
計
280 ( 45)
32 ( 11)
337 (174)
157 ( 40)
190 ( 32)
318 ( 97)
807 (251)
注:各項の人数は,専・兼業者の総数であり,( )内は兼業者数を示している。なお,「工場外」
は内職的形態,
「家族」は家族経営を意味している。
資料:多田(1977)より転載。
表5-6 製造工程別にみた従業者数(2005 年度)
工場内(人)
男
工程
15 (
骨製造
貼製造
工場外(人)
女
男
6)
16 ( 12)
107 ( 24)
153 ( 44)
0(
家族(人)
女
男
小計(人)
女
男
0)
4(
3)
3(
0)
2(
0)
59 ( 55)
15 (
6)
14 (
2)
21 (
5)
18 (
合計(人)
女
平均年齢(歳)
男
女
6)
22 ( 15)
40 ( 21)
57.3
54.9
180 ( 81)
189 ( 55)
369 (136)
43.6
45.0
下請貼
1 (
0)
22 (
7)
0(
0)
8(
3)
6(
1)
11 (
5)
7(
1)
41 ( 15)
48 ( 16)
66.1
62.8
地紙
21 (
0)
10 (
6)
0(
0)
6(
0)
4(
0)
4(
0)
25 (
0)
20 (
6)
45 (
6)
44.8
45.0
販売
0 (
0)
2(
0)
0(
0)
0(
0)
2(
0)
1(
0)
2(
0)
3(
0)
5(
0)
55.0
69.0
骨焼他
0 (
0)
0 (
0)
0(
0)
0(
0)
0(
0)
0(
0)
0(
0)
0(
0)
0(
0)
―
―
附帯加工
0 (
0)
0 (
0)
0(
0)
0(
0)
0(
0)
0(
0)
0(
0)
0(
0)
0(
0)
―
―
33 ( 12)
29 (
3)
45.7
49.4
計
144 ( 30)
203 ( 69)
59 ( 55)
39 ( 10)
232 ( 88)
275 ( 91)
507 (179)
注:各項の人数は,専・兼業者の総数であり,( )内は兼業者数を示している。なお,「工場外」
は内職的形態,
「家族」は家族経営を意味している。
資料:丸亀市統計資料より転載。
て大きな減少幅を示している。また,事業所を経営形態別にみると,株式会社の形態をと
る事業所数が6事業所から 14 事業所へと増加している。こうした変化の要因として,まず
竹うちわ製造では,零細事業所群による家内工業的生産が主流であったのに対して,ポリ
うちわ製造では大量生産を指向した工場生産が主流であることが挙げられる。また,その
ような比較的規模の大きな事業所が,設備投資のための資金調達などの観点から株式会社
という経営形態をとっているということも考えられる。
次いで,表5-5・表5-6をみると,工場外(これは家内工業的・内職的な形態を指す)
における女性従業者数がこの間 337 人から 33 人へと大きく減少しているほか,家族経営の
- 107 -
事業所における従業者数も 347 人から 68 人へと大きく減少している。また,現在の工程別
の従業者数をみると,貼製造工程の従業者数が 369 人と他の工程に比べて非常に多くなっ
ているが,これは大半のポリうちわ製造の事業所が貼製造工程のみを行っているためであ
る。現在の丸亀うちわ産地では,うちわ骨を自ら製造している事業所は少なく,プラスチ
ック骨は主に県内のプラスチック製品製造企業
10)によって供給されており,竹骨は中国か
らの輸入が大半を占めている。このため,産地内では貼工程に分類される事業所数が多く
なっている。また,ポリうちわを製造している事業所では,機械による貼立作業が大部分
を占めているものの,一部では依然として手作業で貼立作業を行う場合もあり,このこと
も貼製造工程における従業者数が多くなる要因の一つとなっている。
その一方で,現在,骨焼や附帯加工に従事する従業者は存在しない。これらの工程は,
うちわに付加価値をつけるための工程であり,主に高付加価値の竹うちわを製造する際に
行われていた。しかし,現在では高付加価値の竹うちわのほとんどが同一の職人または事
業所によって一貫製造されるため,骨焼や附帯加工といった工程を専門に行う職人が必要
とされなくなってしまったのである。
また,下請貼における従業者の平均年齢が,同じく 1974 年度から 2005 年度の間に,男
性では 50.6 歳から 66.1 歳に,女性では 49.6 歳から 62.8 歳にそれぞれ大きく上昇している
ことも,この期間における変化の特徴である。これは,下請貼工程の生産性の低さに加え
て,竹うちわ製造が衰退したことで下請貼に対する需要が低下し,新たな従業者を必要と
しなくなったことがその要因である。
その反面,骨製造(これは現在ではプラスチック骨製造を指す)では,男性従業者の平
均年齢が 57.4 歳から 57.3 歳に,女性従業者の平均年齢が 55.8 歳から 54.9 歳にという微少
な変化にとどまっている。さらに,先に述べた貼製造では男性従業者の平均年齢が 53.3 歳
から 43.6 歳へ,女性従業者の平均年齢が 51.4 歳から 45.0 歳へと若返っている。これらの
工程に分類されている事業所の多くは,うちわ製造の事業所の中でも比較的生産性が高く,
今後も経営を維持できるであろうと考えられる。そのため,他工程の事業所に比べて従業
者の確保を進めることができ,結果として若返りに繋がったのである。
丸亀うちわ産地には現在,京極団扇商工業協同組合(以下,京極団扇)・香川県団扇商工
業協同組合(以下,香川県団扇)
・塩屋団扇商工業協同組合(以下,塩屋団扇)の3組合が
あり,それらの上部組織として連合会が存在している。このように組合が複数存在してい
る要因は,組合設立の経緯にある。香川県団扇は,竹うちわ製造が主流であった時期に貼
製造事業所を中心に組織された組合であり,それとほぼ同時期に骨製造事業所を中心に丸
亀団扇商工業協同組合(以下,丸亀団扇)が組織された。また,そうした既存の組合に所
- 108 -
属していない事業所群が後年になり,京極団扇を組織した 11)のである。
各組合への所属状況をみると,個人業者の集まりである京極団扇の所属事業所数が,1974
年度から 2005 年度の間に 122 事業所から 40 事業所へと大きく減少している(表5-3・5
-4)
。ただし,減少率をみると,他の組合に関しても京極団扇とほぼ同程度の減少が確認さ
れる。これは,先にみた竹うちわ製造工程における従業者数の減少が事業所数の減少へと
つながり,その影響が各組合に一様に及んだ結果だといえる。
また,丸亀団扇は,1974 年度の時点では加盟事業所数でみると 28 事業所と,香川県団
扇の 21 事業所をやや上回る規模であったが,その後の事業所数・従業者数の減少によって
組合組織を維持できなくなり,2001 年に解散した 12)。丸亀団扇は骨製造業事業所を中心に
組織された組合であったため,竹うちわ製造のさらなる衰退による影響が他の組合よりも
顕著にあらわれたといえる。
その一方で,貼製造事業所を中心に組織された香川県団扇は,加盟事業所数は少ないも
のの,今日まで存続している。この存続の要因は,貼製造工程が骨製造工程と違って,ポ
リうちわ製造の際にも人手を必要とすることにある。竹うちわ製造が衰退したことで,従
来の骨製造工程は機械によるプラスチック骨製造にその立場を奪われてしまったが,貼製
造工程はポリうちわ製造においても人の手による貼立作業を必要とする場面があり,それ
までの竹うちわ製造のノウハウを生かす形で操業を継続することができたのである。
(2)分業構造からみた産地構造の変化
a. 産地全体の分業構造
原料転換後の 1970~1980 年代,丸亀うちわ産地には図5-9中段のような分業構造が形
成されていた。当時,すでに産地全体の生産量のうち,ポリうちわの占める割合が圧倒的
に大きかったが,一方で竹うちわも2~3割ほどを占めており,産地内では現在よりも多
くの竹うちわが製造されていた。
当時の分業構造の特徴は,各組合本部の持つ機能の違いと,それによる組合内での分業
構造の違い,および事業所(主に貼製造事業所)の持つ機能の違いである。こうした各組
合の持つ機能の違いもまた,先に述べたような組合設立の経緯にある。香川県団扇は骨製
造事業所,丸亀団扇は貼製造事業所を中心にそれぞれ設立されたが,その目的は骨製造・
貼製造・販売までの一貫作業を自らまかなうことであった。そのため,香川県団扇・丸亀
団扇では,組合本部が加盟事業所を統括するオルガナイザーとして産地問屋的機能を果た
し,組合本部が中心となって受注後の所属事業所への指示や,出来上がった製品の回収・
納品等を行うという分業構造を形成していた。
- 109 -
図5-9 丸亀うちわ産地における産地内構造の変化
注:上記以外に大手一貫メーカーがある。また,上・中段時期にも塩屋団扇は存在していたが,資料不足
のため図内では割愛している。
資料:香川県経済研究所(1983)
,聞き取り調査より作成。
- 110 -
一方,京極団扇は後年になって既存組合に非加盟であった事業所群によって組織された
ため,その事業所群のなかに問屋機能をもつ事業所が含まれていた。そのため,京極団扇
では組合本部ではなく,問屋機能をもつ貼製造事業所がオルガナイザーの役割を果たして
いた。その結果,京極団扇内には複数のオルガナイザーが存在することとなり,それぞれ
が分業構造を形成していた。また,この時期の香川県団扇・丸亀団扇には地紙業者がいな
かったため,京極団扇の地紙業者が香川県団扇・丸亀団扇へと地紙の供給を行うという組
合の枠を越えた柔軟な対応が行われていた。ほかにも,ポリ骨を供給するメーカーが連合
会に非加盟であった。
原料転換以前の分業構造については十分な資料が得られなかったため,連合会や各組合
への聞き取りによっている。それによると,原料転換以前の分業構造は,おおよそ図5-9
中段に示されている構造から,ポリ骨メーカーを除いた構造であったようである(図5-9
上段)
。そのことから,原料転換の前後では分業構造にそれほど大きな変化は起こらなかっ
たといえる。確かに新たな原料供給ルートが生まれたり,事業所の減少によって分業構造
内における各事業所の繋がり方が変わったりといった変化は生じたが,依然として産地内
で一定量の竹うちわが生産されていたために,それまでの分業構造を大きく変化させず,
以前からの構造を可能な限り踏襲し,変化を最小限にとどめたまま丸亀うちわ産地は生産
活動を続けていった。このことが竹・ポリ双方のうちわ製造を続けていくことを可能にし
た要因の一つであったといえる。
続いて,現在の分業構造(図5-9下段)を分析する。現在の分業構造の特徴は,以前の
ような分業構造(図5-9上・中段)が大きく崩壊しつつあるということである。以前のよ
うに,組合本部が産地問屋的機能を持つオルガナイザーとして機能しているのは,加盟事
業所が全て貼製造事業所である香川県団扇のみである。この貼製造事業所の存在によって,
香川県団扇では竹うちわや手作業での貼立作業を必要とするポリうちわの生産量が,他の
事業所・組合に比べて多いという特徴がある。なお,うちわ骨は組合外の事業所から供給
されている。
塩屋団扇は,1970~1980 年代(図5-9中段の時期)には一時,連合会を脱退していた
が,現在は連合会に復帰している。しかしながら所属事業所は皆無であり,組合と称して
いるものの,ひとつの貼製造事業所として機能しているというのが実情である。
産地内で最も加盟事業所数の多い京極団扇は,先述したように,既存の組合に所属して
いない事業所群によって後年になり組織された組合である。そのため,様々なタイプの事
業所が所属しているが,それらの事業所のうち,原料転換以前のような分業構造を維持し
ているものは少ない。現在,丸亀うちわ産地内において従来通り竹骨製造のみを行ってい
- 111 -
るのは1事業所(1名,京極団扇所属)しかおらず,以前のような分業構造が維持されて
いるのは,この竹骨製造者が関わる部分だけといえる。
現在の竹うちわ製造は,貼製造業者に納入される竹骨の9割以上が中国からの輸入品で
まかなわれているために,産地内に以前のような分業構造はほとんど存在しない。このほ
かにも竹骨を製造している事業所は存在するが,そこでは自ら貼工程をも行い,高付加価
値製品(芸術作品や伝統工芸品としての竹うちわ)を一貫製造している。そのため,こち
らの場合も以前のような分業構造は存在しない。
一方,ポリうちわ製造にも以前と比べて変化した部分がある。1970~80 年代(図5-9中
段の時期)にはプラスチック骨を供給している主要な事業所は,連合会に非加盟であった
が,現在のプラスチック骨供給業者の大半は後発企業であり,それら後発企業は連合会に
加盟(同時にその全てが京極団扇に加盟)している。そしてこれらの事業所で製造された
プラスチック骨は,京極団扇内の貼製造事業所だけではなく,香川県団扇・塩屋団扇にも
供給されている。
また,貼製造事業所は図5-2にあるように塩屋地区にその多くが立地しているが,プラ
スチック骨製造事業所は輸送手段の発達後に参入した後発企業であるために,かつての事
業所群のような近接性を必要とせず,旧丸亀市外に立地している。そのため,竹うちわ製
造の場合とは違って,分業構造を形成することによる骨製造事業所と貼製造事業所の近接
性はあまりみられない。したがって,丸亀うちわ産地では骨製造と貼製造の間や,貼製造
と印刷業者との間で取引が行われているが,これは近接性を生かしたものでないという点
で従来の分業とは異なっている。
地図上の分布を取り上げると,塩屋地区には依然として事業所の集積がみられ(図5-2),
一見すると事業所同士が近接性を活かした分業構造を維持しているかのようにみえる。し
かし,実際にはそれらの事業所の大半が貼工程の事業所であるために,以前のような異な
った工程の事業所群による近接性を活かした骨・貼工程間の社会的分業は皆無に等しい。
現在では,事業所や組合がそれぞれの仕入れ・販売ルートを持ち,以前の分業構造にとら
われることなく,それぞれが個々に事業を行っているケースが大半である。このような現
象は,多くの事業所がポリうちわ製造か竹うちわ製造のいずれかに特化したことや,ポリ
うちわ製造の拡大に伴って産地内事業所が減少したことで効率的な分業を形成することが
難しくなり,一貫製造を指向する事業所が増加したことなどに起因している。
このような状況であるため,近年の産業集積研究のなかで指摘されているイノベーショ
ンのための企業間での情報交流といったものは,以前よりも減少しているようである。ま
た,丸亀うちわ産地では以前から産地が一体となって行う活動が少なく,現在でもその傾
- 112 -
向がうかがえる。例えば,原料の共同購入などは行われておらず,初沢(2005)で指摘さ
れているような技術開発のための試験場のようなものも存在しない。なお,現在,産地が
一体となって行っている数少ない事業のなかに後継者育成事業がある。これは 1997 年に丸
亀うちわが国の伝統的工芸品に指定されたことを契機に,翌 1998 年から連合会の主導では
じめられたものであるが,その目的はあくまで竹うちわ製造の技術伝承であり,活動もそ
の域を出るものではないため,イノベーションのきっかけとなる可能性は低いといえる。
b. 事業所・組合ごとの産地構造
1970 年代初頭の原料転換が進行する以前の丸亀うちわ産地の製造パターンを,オルガナ
イザー別(組合/貼製造業者)にみると,図5-10 上段に示した2種類に分類できる。また,
現在の製造パターンを製品と生産形態を合わせてみると,図5-10 下段に示した6種類に分
類することができる。1970 年代初頭は,竹・ポリうちわ共に図5-10 上段①または②のパ
ターン,もしくはこれらに類似したパターンで生産されていた。しかし,ポリうちわ製造
の拡大,事業所・従業者の減少等によって,製造パターンは図5-10 下段に示したような6
種類へと分化し,今日では各事業所がそれらの製造パターンを受注内容に応じて適宜選択
している。
まず,1970 年代における2つの製造パターンについて概説する。①は主に京極団扇内の
貼製造事業所が採っていた製造パターンである。この場合,貼製造事業所が貼工程を行う
とともに,産地問屋としての販売機能も有することで,分業構造を統括するオルガナイザ
ーとして機能していた。②は香川県団扇・丸亀団扇の両組合が採っていた製造パターンで
ある。この場合は,組合本部が産地問屋としての機能を有することで,分業構造を統括す
るオルガナイザーとして機能していた。そのため,この両組合に所属する貼製造事業所は
京極団扇の場合とは違って,産地問屋的機能を有するものではなかった。
次に,現在の①~⑥の製造パターンについて概説する。①は,国内産の竹材を使用した
竹うちわを製造する場合に用いられる。しかし,現在では図中の竹骨生産者が産地内に1
人しか存在しないため,この製造パターンはほとんどみられなくなってしまい,その生産
量も非常に少ない。この製造パターンは,以前からの型で竹うちわ製造を行っているため
に,1970 年代の2つの製造パターンに類似している。
②の竹うちわ一貫製造のパターンは,主に近年の若手後継者育成事業に参加した人によ
って行われている。このパターンでは,伝統的な工法による労働集約的な生産が行われて
おり,高付加価値製品を製造している場合が多い。なお,この製造パターンを採っている
事業所の特徴として,以前からの竹うちわ製造者が育成事業を利用して一貫製造の技術を
- 113 -
図5-10 丸亀うちわ産地における製造パターンの変化
注:現在,香川県団扇・塩屋団扇においては,図中の貼業者の役割を組合本部が担っている。
資料:山野(1976)および,聞き取り調査より作成。
- 114 -
修得したというケースが存在することが挙げられる。
③は,中国製の竹骨を使用して竹うちわを製造する場合に用いられる。現在,産地内で
製造されている竹うちわのほとんどが,このパターンで生産されている。
④は,ポリうちわを製造する場合に用いられる。ポリうちわ製造を行っている事業所・
組合の多くがこのパターンを採っており,なかでも中堅事業所がこのパターンを採用して
いる場合が多い。また,このパターンは①と同様に,1970 年代における2つの製造パター
ンに類似している。
⑤は,ポリうちわが一貫製造される場合に用いられる。以前はポリうちわ製造でも竹う
ちわ製造と同様に,骨工程と貼工程を別々の事業所が担当する場合がほとんどであったが,
近年ではこのような一貫製造を指向する事業所が僅かではあるが増加傾向にある。そうい
った事業所の以前の事業内容は,ポリ骨製造や貼製造の場合もあれば,印刷というケース
もあるなど多様である。この製造パターンは,主に生産機器の設備投資が可能な大手企業
で採用されており,他の製造パターンとは併用されていない。
⑥は,産地内事業所が持つ中国製竹うちわの輸入代理店的機能を示したものである。こ
の場合,他の5つの製造パターンとは違い,産地内の事業所は問屋や企業から注文を受け
るだけで生産は一切行わず,全ての生産を中国の事業所に委託している。このパターンは
大口の竹うちわの注文があった場合にみられる。
今日,うちわ製造業者は,注文内容に応じて最適な製造パターンを選択するために,多
くの事業所が複数の製造パターンを併用している。そこで,うちわ製造の事業所が先述し
た製造パターンを実際にどのように併用させて生産活動を行っているかについて,A 社
13)
(図5-11)を事例として,原料転換以前の分業構造と比較しながら考察する。A 社は原料
転換以前には,図5-10 上段の①の製造パターンを使用して生産活動を行う竹うちわ製造事
業所であったが,原料転換によって図5-10 下段の④の製造パターンを導入し,さらに産地
内での竹骨製造の衰退に伴って③の製造パターンを導入するようになった。以下では,そ
の製造パターンの詳細をみていく。
原料転換以前,A 社は骨・貼両工程の職人を抱える事業所であった。当時は労働集約的生
産が求められる竹うちわを製造していたため,最盛期には自社で抱える職人だけでは全て
の注文に対応できなかった。そのため,対応できない分を外部の仲介業者に外注し,その
仲介業者が統括している下請専門の各事業所に製造を指示し,A 社に納品させていた。この
ように,当時の丸亀うちわ産地内には,A 社のような産地問屋的機能を持つ事業所(中小事
業所)と,そのような機能を全く持たない事業所(零細事業所)の2種類の事業所が存在
していた。
- 115 -
図5-11 事例企業における生産構造の変化(京極団扇所属事業所 A 社)
資料:聞き取り調査より作成。
現在 A 社では,プラスチック骨は専門の製造業者から供給されるものを使用し(図5-10
下段④)
,竹骨は東京の商社を通じて中国から仕入れたものを使用している(図5-10 下段
③)
。また,今日のうちわのデザインは多様かつ高度な印刷技術を必要とするため,自前の
技術で対応できない場合には,印刷業者に外注する方式を採っている。また,受注・納品
のパターンは図5-11 下段に示したように,企業から直接注文を受けて製造し納品するパタ
ーンと,問屋を介して注文を受けて製造し納品するパターンの2種類が存在する。割合と
しては,後者の問屋を仲介するケースが大半を占める。なお,この問屋(消費地問屋)機
能についても,以前から取引を行っている問屋が存在する一方で,現在では企業の広告宣
伝活動を行う広告代理店が問屋に代わって発注を行う場合も多い。
第4節 小括
本章では,需要の変化や従業者不足といった問題に直面した丸亀うちわ産地の産地維持
要因を,生産・流通構造の変化と企業の空間的配置を中心に分析することで検討してきた。
丸亀うちわ産地の産地構造の変化は,以下の二度に大別できた。まず,一度目の産地構
- 116 -
造の変化は,原料転換によってポリうちわが開発されたことを契機に発生した。この原料・
製品の転換は,従業者不足と販促うちわの需要増大という同時期に発生した2つの問題へ
の対応策として講じられたものであった。当時は高度経済成長期における生活様式の変化
から,従来の家庭用うちわの需要が減少する一方で,好調な景気を背景に企業の販促うち
わの需要が増加した時期であった。そのため,少ない労働力で大量・安価に生産できるポ
リうちわが販促うちわとして生産量を伸ばしていった一方で,製造に時間と労働力が必要
なうえに単価もそれほど高くない竹うちわの生産量は落ち込んでいった。その結果,ポリ
うちわは主に販促うちわの需要を満たし,竹うちわは従来どおり家庭用うちわの需要を満
たすという,市場での棲み分けが明確になっていった。
この時期における産地構造の変化の特徴は,全体的な事業所数・従業者数の減少による
産地の縮小と,ポリうちわの登場による生産性の大幅な向上であった。ただし,その際の
社会的分業の変化は,以前からの構造をできる限り踏襲したもので,例えば,ポリ骨製造
事業所が組み込まれたり,事業所の減少によって欠けた部分を残った事業所間で補ったり
といった程度の変化にとどまるものであった。このように,分業構造を大きく変化させな
かったことが,当時の丸亀うちわ産地を工芸品・日用消費財の両産地として存続させるこ
とを可能にしたといえる。
二度目の産地構造の変化は,近年における従業者数のさらなる減少,それに伴う貼製造
工程の機械化と竹うちわ製造のさらなる縮小,及び長期不況や消費者需要の高級化・多様
化によって引き起こされた。これにより,産地内では大手・中堅事業所へのポリうちわ製
造の集約化や,竹うちわ製品のさらなる高付加価値化,および竹・ポリうちわ製造双方に
おける一貫製造事業所の登場といった変化がみられた。またそれと同時に,事業所数の減
少は,それまで多くの産地内事業所を統括していた組合の存在感を希薄なものとした。そ
れにより,個々に製造・販売を行う事業所が以前にも増して目立つようになった。こうし
た現象が相俟って,それまでの分業構造は衰退・消滅していった。
以上のように,丸亀うちわ産地の産地維持要因は,様々な環境変化に応じた原料や生産
パターンの転換と,それにともなう産地構造の変化にあった。この産地構造の変化は,事
業所群が意図的に起こした部分(原料転換,新たな需要に対応するための製造パターンの
採用)と,それらの結果として生じたもの(事業所・従業者の減少,工程ごとの従業者の
人数・年齢の変化など)の両者が相俟ったものであった。
なお,こうした産地構造の変化は,かつての竹うちわ製造を主体とする「伝統―存続型」
産地から,ポリうちわ製造を主体とする「伝統―転換型」産地への転換の過程として捉え
ることも可能である。原料転換に伴う主力製品の変化は,従来の分業に基づいた手工的か
- 117 -
つ労働集約的な生産形態の重要性を徐々に希薄化させ,一方で,機械を用いた資本集約的
な生産の存在感を高めた。これにより,「伝統―転換型」産地としての色彩が強まったが,
さらに,近年における二度目の産地構造の変化によって,その変化は決定的なものとなっ
た。すなわち,竹うちわ生産の一層の縮小と竹・ポリうちわ双方における一貫生産の拡大
により,分業に基づく伝統的な生産形態がほとんど見られなくなってしまったのである。
こうして産地を維持してきた丸亀うちわ産地では,現在,竹うちわ・ポリうちわ両者と
もに,需要の減少や利益率の低さといった問題を抱えている。加えて,現在の丸亀うちわ
産地は,環境変化に柔軟に対応しながら産地を維持・発展させていくために重要とされる
要素―高度な熟練技術や社会的分業を基礎としたイノベーションを起こす機会や能力―を
大きく欠いている。例えば,竹うちわの製造技術やポリうちわの製造機械は,うちわ製造
に特化したものであるために汎用性が低く,イノベーションのための新製品開発や他産業
との連携等が行いづらいという課題が浮上している。通常,こうした問題に対しては産地
が一体となって取り組むことが求められるが,分業構造の衰退・消滅によって以前にも増
して産地意識が希薄化している丸亀うちわ産地ではそれも困難であるといえる。
注
1)丸亀うちわ産地が特に企業向け製品の産地として発展した要因として,完成品に簡単に印刷が施せる
印刷機の開発(1930 年代前半)や,丸亀うちわの主力製品である「男竹平柄うちわ」と呼ばれるうち
わが,他の種類のうちわに比べて安価に製造できる製品であったことなどが挙げられる。
2)うちわ骨の部分が樹脂製・プラスチック製のもの。その製造技術は丸亀産地で初めて開発された。1967
年の製造・販売の開始とともに広く普及した。その製造工程は,竹うちわのそれとは大きく異なって
いる。最も製造工程が簡略化された種類のポリうちわの場合,型抜き・成型されたうちわ骨の両面に
うちわ紙を貼り合わせるだけで製品が完成する。このため,少ない労働力で大量・安価な製品を供給
できることがポリうちわの最大の特徴である。
3)この要因の一つとして,香川県(丸亀市)におけるうちわ製造の導入・拡大が,扇子製造と比較した
際のうちわ製造技術習得の容易性に基づいたものであったことが挙げられる。江戸時代,京極藩(丸
亀市)は財政窮乏の危機にあり,その打開策として江戸屋敷で京極藩の隣であった豊前中津藩の足軽
達が行っていたうちわ製造を見習い,導入した。また,1884 年の高潮被害の際に塩屋地区での代替産
業としてうちわ製造業が拡大した際も,その拡大要因は技術習得の容易性にあったといわれている(多
田,1977,p.20)
。
- 118 -
4)伝統的工芸品産業振興協会編(2003b)によると,京扇子の年生産額が 4,800 百万円であるのに対し,
京うちわの年生産額は 1,100 百万円である。さらに伝統的工芸品産業振興協会編(2007)では,京扇
子の年生産額は 4,000 百万円,京うちわの年生産額は 600 百万円となっている。
5)うちわ骨の部分が竹製のもの。製造工程は骨工程と貼工程の2つに大別されるが,それらを細分する
と全工程は 47 以上にも及ぶ。かつては主に骨工程・貼工程の別に分業が行われており,骨工程は男性
が,貼工程は女性が担当することが多かった。しかし,今日では従来のような分業形態で竹うちわ製
造を行っているケースはわずかであり,一貫製造が行われているケースもある。一貫製造の場合には,
高付加価値製品(芸術作品や伝統的工芸品としての竹うちわ)が主に製造されている。
6)これは,価格が高騰する国内産の竹材の代用品として台湾産の竹材の導入を試みた際に,労働力を雇
い入れたことを反映したものである。しかし,台湾からの竹材の輸入は,輸送中に日焼けやカビとい
った品質面での問題が発生したこと,輸送費以外にも多額の経費がかかることなどから,早々に中止
された。
7)うちわ骨にうちわ紙を貼り付ける工程の名称。
8)竹うちわ製造では,基本的に男性は骨工程,女性は貼工程を担当するという性別間での分業がみられ
たが,骨工程のなかでも力を必要としない細かい作業には内職的女性従業者が多かった。原料転換以
前,男性従業者の大半はうちわ専業であったが,女性従業者は副業・内職としてうちわ製造に従事し
ているケースが多かった。
9)1974 年はポリうちわが登場して 7 年後にあたり,この年のポリ・竹うちわの生産量の比率は約7:3
であった。この時期は,現在の比率が約1:9であるのに比べ,竹うちわがまだ勢力をいくらか保っ
ていた時期であった。
10) これらの企業では,うちわ骨以外にもビーズ製品やビニール製の袋物等が生産されている。
11) 香川県団扇は 1947 年,丸亀団扇は 1948 年,塩屋団扇は 1957 年にそれぞれ結成された。また,京極
団扇は 1966 年に結成され,それを契機に同年には業界協調の目的から連合会が結成された。
12) 組合解散時には2つの事業所が残っていたが,それらの事業所はその後,京極団扇に加盟している。
13) A 社は,産地問屋的機能を併せ持つ京極団扇内の中堅規模の貼製造事業所である。また,他の多くの
事業所と同様に一貫製造を行っていないこと,原料転換後も竹うちわ製造を行っていることなどから
事例として選定した。
- 119 -
第6章 おわりに
本研究では,
「現代型」の地場産業産地である香川県の東かがわ手袋産地と愛媛県の今治
タオル産地,そして「伝統―転換型」の地場産業産地である香川県の丸亀うちわ産地の3
事例をとりあげ,それぞれに調査・分析を行った。本章では,本研究における目的や問題
意識を見直したうえで,上記3事例の分析から得られた知見をまとめるとともに,今後の
課題について言及したい。
第1節 本研究の概要
1950 年代の伝統産業研究や在来工業研究を端緒とする地場産業研究は,その後,日本の
高度経済成長にともなう大幅な産業構造の変化のなかで,地理学や経済学における格好の
研究対象とされた。そこでは,欧米諸国から移殖された近代工業との対比によって産業の
特性が把握されるとともに,地理学・経済学独自の視点からそれぞれ分析が試みられた。
そのうち,地理学における研究では,産業の地場性や企業の空間的な集積に注目しつつ,
産地の生産・流通構造などが詳細に分析された。一方,経済学からの研究では,地場産業
を地域経済の主要な担い手とみなしたうえで,企業や産業の振興策を提示することに力点
が置かれた。また,これらの研究が蓄積されてゆく過程では,多数の研究者によって地場
産業の概念規定や類型区分が示され,研究のさらなる深化が図られた。
このように,地場産業研究は 1960~70 年代を中心に非常に厚い蓄積をみたが,1980 年
代半ば以降,地場産業自体の衰退傾向が明らかになると,研究数の減少が顕著になった。
そのため,近年では国際化やグローバル化といった大幅な社会・経済的変化が生じている
にもかかわらず,それに伴う地場産業産地の変化が充分に捉えられていないという状況に
ある。
また,地場産業産地はその歴史性・伝統性に基づいて分類した場合,
「伝統―存続型」,
「伝
統―転換型」
,
「現代型」の3つに大別することができるが,従来の研究ではこのうちの「伝
統―存続型」産地が対象とされることが多かった。しかしながら,近年の地場産業を取り
巻く環境変化を考慮すると,
「伝統―存続型」よりも「伝統―転換型」や「現代型」の産地
において,より大きな変化が生じている可能性が予想された。その理由として,
「伝統―転
換型」や「現代型」の産地で主に生産されている日用消費財の製品特性があげられる。こ
れらの産地で産出される製品の多くは,基本的な製法が確立・成熟しているうえ,その工
- 120 -
程において手工的技術が占める割合が総じて低い。そのため,技術移転による他地域での
生産が比較的容易であり,近年ではこうした製品を扱う産地の多くが,海外製品との競合
に苦しんでいる。また同様の理由から,これらの製品の多くは,いわゆる伝統的工芸品と
は違い,産地の歴史性や伝統性に基づいた高付加価値化を図ることも難しい。こうした点
を踏まえると,近年の「現代型」
・「伝統―転換型」産地では様々な問題への対応策が講じ
られ,その結果として,産地の構造が大きく変化していることが予想されたのである。
さらに言えば,本研究でとりあげた3つの産地は,大幅な変化が生じていると予想され
る「現代型」
・「伝統―転換型」の産地であると同時に,国内の主要な工業地域のなかでも
地場産業が稠密に分布する瀬戸内工業地域に位置している。そのため,本研究において地
場産業の構造変化を捉えることは,域内の製造業や地域経済の動向を分析する上でも重要
な意義をもつと考えられた。また,既存研究には当該地域の地場産業を扱ったものが少な
いため,これまでの事例研究の不足を補うという点からみても,本研究において瀬戸内地
域の地場産業産地をとりあげることには一定の意義があるものと考えた。
これらの各点を踏まえ,本研究では「現代型」の産地として香川県の東かがわ手袋産地
(第3章)と愛媛県の今治タオル産地(第4章)を,「伝統―転換型」の産地として,香川
県の丸亀うちわ産地(第5章)をとりあげた。そして,従来の研究で十分に把握されてこ
なかった高度経済成長期から今日にかけての各産地における生産・流通構造の変化とその
要因を,産業論的アプローチに基づきつつ分析した。この産業論的アプローチと呼ばれる
手法は,従来の地理学における地場産業研究でしばしば採用されてきたものであるが,こ
の手法を用いることによって,既存の研究成果を踏まえることが可能となり,より正確に
産地の変動を捉えることができたと考える。また,生産・流通構造の変化に加え,各産地
の今日における実態を明らかにすることで,
「現代型」・
「伝統―転換型」産地における企業
の立地継続要因,そして産地維持要因について検討してきた。
なお,本研究の主要な分析手法として採用した産業論的アプローチに対しては,かねて
より問題点が指摘されてきた。それは,地域経済と地場産業との関係性や,特定の地域で
産地が形成されることの意味に関する分析や検討が不十分であるというものであった。そ
こで,本研究ではそうした問題点への対応の一つとして,地域と地場産業との関係性―具
体的には,地域経済全体に占める地場産業の位置や,産地が形成されることによって生じ
る,あるいは利用可能となる産地ブランドの機能など―についても検討した。このうち,
前者については既存研究においても少なからず分析されてきたが,後者に関しては,現時
点では議論の対象が農業や漁業といった第一次産業に限られているため,本研究において
検討する意義が大きいと考えられた。次節ではこれらの成果についてまとめるとともに,
- 121 -
残された課題について述べる。
第2節 本研究の成果と今後の課題
(1)各事例研究から得られた成果
a. 東かがわ手袋産地の事例
東かがわ手袋産地では高度経済成長期以降,ドルショック・オイルショックを契機に,
生産機能の海外移転や手袋製品の高付加価値化,関連分野製品の展開という大幅な変化が
生じた。その背景には,高度経済成長の終息やバブル景気の到来・終息といった社会・経
済的変動と,それに伴う消費者需要の変化があった。また,それと同時に,産地内の企業
が独自に産地外企業との分業を開始するといった変化も確認された。それに伴い,生産に
関しては産地内での分業に基づく生産よりも,海外工場における生産が大きな比重を占め
ることとなった。また,企画・開発段階においては,大都市圏に立地する大手ファッショ
ンブランドやスポーツ用品メーカーとの結びつきが重要性を増していた。
その結果,今日の東かがわ手袋産地は,海外生産と国内生産のバランスを調整しつつ,
手袋製品とその関連分野製品を産出する複合的な産地へと変化した。そして,そうした変
化の過程においては,企業内地域間分業や産地外企業との地域間分業,企業行動の個性化
が進展した。そのため,今日の東かがわ手袋産地は産地機能の形骸化が類推される状況に
あり,当該産地に企業が継続的に立地することによって得られるメリットについても減衰
傾向にあると推察された。
しかしながら,事例企業への聞き取り調査の結果,
「手袋産地として歴史のある地域に立
地していることによって,企業に対する信頼(ステータス)が生まれる」という,一種の
産地ブランドのようなものの存在が示唆された。通常,産地ブランドは一般消費者を対象
..
に,製品を価値づける機能をもつものとして捉えられることが多いが,東かがわ手袋産地
..
の場合には,産地外企業に対して産地内の企業を価値づけるものとして機能していた。そ
して,こうした産地ブランドの一側面が,東かがわ手袋産地の維持に繋がっている可能性
が見出された。
b. 今治タオル産地の事例
今治タオル産地では 2000 年代以降,産地ブランドや企業ブランドの構築が積極的に図ら
れた。その結果,製品の流通経路に変化が生じ,従来の既存ブランド製品の百貨店へ向け
た流通の減少と,産地ブランド・企業ブランドを冠した商品の雑貨店へ向けた流通の増加
- 122 -
が確認された。そのため,流通面では従来の問屋依存の傾向がやや弱まったといえ,産地
ブランド・企業ブランドを冠した製品を展開している企業にとって,今治タオル産地とい
う産地ブランドの存在が,立地継続要因の一つになっていると判断された。
また,今治タオル産地ではブランド化事業に先行して,1980 年代頃から生産面において
も変化が生じていた。具体的には,海外工場の設置,企業間関係の見直し(一部では系列
化による一貫生産化)
,外国人研修生・技能実習生制度を利用した若年労働力の確保といっ
た変化である。その結果,一部で分業構造の衰微がみられたが,大半の企業が依然として
国内生産を継続しているため,一定数の企業が産地に立地し,分業関係が維持されている
ことが企業の立地継続要因,ひいては産地維持要因の一つとなっていた。また,産地内に
おける分業構造や生産力の維持にとって,外国人研修生・技能実習生の存在が大きく貢献
していることも確認された。
このように,今日の今治タオル産地では,産地内分業の存在や産地ブランドとそれに後
押しされる形で形成された企業ブランドが産地維持に貢献している。ただし,業務用製品
を扱う企業や,保守的な流通戦略を採用している企業,海外生産比率の高い企業などでは,
産地ブランドの存在が企業の立地継続に対して必ずしもプラスに作用していないことも確
認された。
c. 丸亀うちわ産地の事例
丸亀うちわ産地では,高度経済成長期以後,二度にわたる産地構造の変化が確認された。
一度目の変化は,従業者不足と販促うちわの需要増大に対処するためにポリうちわが開発
されたことによって生じた。この原料転換に伴い,生産量が増加したポリうちわは主に販
促うちわの需要を満たし,生産量が減少した竹うちわは従来どおり家庭向け需要を満たす
という,市場での棲み分けが明確化していった。また,産地に目を移すと,全体的な事業
所数・従業者数の減少による産地の縮小が確認されたが,この時点では分業構造にそれほ
ど大きな変化は確認されなかった。そのため,以前からの分業構造を踏襲したことが当時
の丸亀うちわ産地を工芸品と日用消費財の双方を産出する産地として存続させることに繋
がったと判断された。
二度目の変化は,近年における従業者数のさらなる減少と,それに伴う貼製造工程の機
械化と竹うちわ製造のさらなる縮小,および長期不況や消費者需要の高級化・多様化によ
って引き起こされた。これにより,産地内では大手・中堅事業所へのポリうちわ製造の集
約化や竹うちわ製品のさらなる高付加価値化,および竹・ポリうちわ製造双方における一
貫製造事業所の登場といった変化がみられた。こうした変化に伴い,オルガナイザーとし
- 123 -
ての組合の存在感が希薄化したほか,企業の個別化,分業構造の衰微・消滅といった現象
が発生した。そのため,今日の丸亀うちわ産地では,ポリうちわが主力製品になると同時
に,伝統的な技術を用いた分業による労働集約的な生産がほとんどみられなくなってしま
い(「伝統―存続型」から「伝統―転換型」への転換),今後の産地存続も危惧される状況
となっている。
(2)本研究で得られた成果と今後の課題
本項では,本研究の目的である「現代型」・「伝統―転換型」産地における①生産・流通
構造を中心とした産地の変化を捉え,その要因を分析すること,②今日における産地の実
態を捉えること,③産地維持要因を検討すること,という3点に沿って各事例分析の結果
を比較検討し,本研究で得られた成果をまとめたい。
まず,①については,いずれの産地においても生産・流通構造の大幅な変化が確認され
た。そのうち,生産面での変化は,高度経済成長期における労働力不足や労賃の高騰を契
機としたものであった。具体的には,東かがわ手袋産地と今治タオル産地では,労働力を
海外に求めたことによる海外生産の拡大と,国内での分業による生産の縮小といった変化
が看取された。また,丸亀うちわ産地では原料転換による省力化が図られ,その結果とし
て一貫製造を指向する企業の登場等とともに,分業による生産の著しい縮小が確認された。
一方,流通面では,高度経済成長期以降の消費者需要の変化に対応することで,各種の
変化が引き起こされていた。東かがわ手袋産地では,手袋製品の高付加価値化が図られる
とともに,手袋製品の製造技術を活用した関連分野製品の製造が開始されたことで,スポ
ーツ用品メーカーやファッションブランド,関連分野製品を扱う新たな問屋・商社への流
通が増加していった。また,今治タオル産地では近年における産地ブランド化事業に伴い,
従来の問屋依存的で OEM 製品が主に百貨店へと流通する形態から,産地ブランド・企業ブ
ランド製品が雑貨店等を中心に流通する形態へと変化し始めている。そして,丸亀うちわ
産地では,販促うちわの需要拡大とともに,広告代理店や企業への流通が大きな比重を占
めるようになった。
このように,3つの事例地域のすべてで生産・流通構造を中心とする産地の構造に大幅
な変化が生じていたが,これらは多様化・高級化してゆく消費者需要に対応するために,
産地あるいは各企業が対応策を講じたことによって引き起こされたものであった。こうし
た変化のうち,特に海外生産や製品の多様化といった対応策は,
「伝統―存続型」産地より
も「伝統―転換型」や「現代型」の産地において有効性を発揮しやすいと考えられる。そ
の根拠となるのは,製品の性質に関する需給の整合性である。一般に,「伝統―存続型」産
- 124 -
地に対して消費者が求めるものは,従来からの産地内において,伝統的な原料や製法を用
いて製品を産出することである。そのため,海外生産や製品特性の変化を伴う方策が講じ
られることは,そうした消費者需要と製品の性質との間に乖離を生み出す結果を招いてし
まう。それに対し,
「伝統―転換型」や「現代型」の産地に消費者が求めるものは,主に高
機能な製品や高品質の製品を産出することである。そのため,それらを損なわない範囲内
であれば,産地や企業は生産・流通の様々な場面において多様な対応策を講じることが可
能になる。
続いて,②今日における産地の実態については,東かがわ・今治の両産地と丸亀うちわ
産地の間で大きな違いが見受けられた。東かがわ手袋産地では,製品の多様化や企業の海
外進出といった変化に伴い,産地内企業が個性化 1)している実態が明らかとなった。また,
今治タオル産地においても,企業ブランドの展開や海外進出といった変化に象徴されるよ
うに,各企業の戦略に多様性が生じていることが確認された。ただし,これら両産地では,
一定量の製品が従来からの分業によって生産されていることによって,今日においても産
地としての一体性がある程度確保されていた。
これに対し,丸亀うちわ産地では,原料転換に伴って一貫製造を指向する企業が生まれ
たり,従来からの竹骨を加工する従業者が減少し始めたりしたことを契機に,各企業が個
別化してゆく様子が見受けられた。その結果,今日では分業による生産がほとんど確認さ
れず,産地としての一体性が失われつつあるといえる。
こうした今日的状況の違いをもたらしたものが何であるか,という点を検討することで,
③地場産業の産地維持要因を導き出すことができるであろう。まず,第一点目の産地維持
要因として指摘できるのは,消費者需要の質的な変化に対応することの重要性である。い
ずれの産地においても高度経済成長期以後,製品の質や種類に大きな変化が生じていたが,
東かがわ手袋産地と今治タオル産地では,製品の高品質化・高付加価値化や新製品の開発
といった対策が,消費者需要の変化に沿うかたちで講じられた。
これに対し,丸亀うちわ産地では伝統的な竹うちわから,加工が容易なポリうちわへと
主力製品を転換することによって,量的な面での消費者需要への対応が図られた。丸亀産
地におけるこのような対応策は,一時的には生産量や販売額の維持・拡大という成果をも
たらしたが,近年では産地内企業に薄利多売を強いる結果を招いている。これらの点を踏
まえると,消費者需要の量的な変化よりも質的な変化に対応することと,それによって製
品の高品質化・高付加価値化を進め,利益率の向上を図ることが産地維持に大きく関わっ
てくるといえる。
続いて,産地維持のために重要な第二の要素として,産地内において分業構造を存続さ
- 125 -
せることと,それを基礎として産地の一体性を確保することの重要性が指摘できる。上述
したように,高度経済成長期以後,いずれの産地においても生産・流通構造に大幅な変化
が生じており,それに伴い,各産地の分業構造は以前に比べ大幅に衰微した。しかしなが
ら,東かがわ・今治の両産地においては,海外生産の比重が増す一方で,一部の高品質製
品や短納期品を国内で生産する必要性があるために,産地内には依然として分業構造が維
持されている。そのため,今日においても企業間の結びつきが一定程度確保され,そのこ
とが産地としての一体性を維持することに繋がっている。このことは,組合主導による行
事の開催や企業間での情報交換等を可能にしており,今治産地における産地ブランド化事
業もこうした産地の一体性に基づく企業間の協調が無ければ実現することは不可能であっ
た。
これに対し,丸亀うちわ産地では一貫生産を行う企業の増加や従業者数の減少に伴い,
分業による生産がほぼ消滅してしまった。そのため,企業の個別化とともに産地の一体性
も失われつつあり,産地が一体となった活動が非常に少なくなっている。地場産業に関わ
る企業の大半は中小零細規模であるため,何らかの窮状に陥った際,企業が単独で事態の
打開を図ることは非常に困難である。そのため,地場産業産地では通常,組合等を中心に
産地内企業が協力・協調しつつ対策を講じるケースが多いが,丸亀産地のように産地の一
体性が失われると,こうした環境変化等への対応力の低下を招く危険性が生じてくる。
産地維持にとって重要な要素の三点目として,一般消費者や外部の企業に対して産地の
認知度を高めることの重要性が指摘できる。この産地外部における認知度の重要性が最も
顕著に確認できるのは,今治タオル産地における産地ブランド化事業であろう。今治タオ
ル産地では,この産地ブランド化事業が一定程度の進展をみせたことによって,つまり一
般の消費者にある程度,今治タオル産地の存在が認識されたことによって,流通経路の多
様化が実現された。
また,東かがわ手袋産地では今治タオル産地のようなブランド化事業が行われてはいな
いが,業界内の商社や問屋等の間で「手袋生産=東かがわ」という認識が確立されている
様子が窺えた。東かがわの企業は,産地外企業によるこうした認識を足がかりとして,フ
ァッションブランドや各種スポーツ用品メーカーとの契約を成立させてゆき,そのことが
結果的に流通経路の多様化につながった。そのため,産地が一般消費者や主要な取引先企
業等に認識されることが流通経路の多様化をもたらし,結果として産地の維持につながっ
ているといえる。
これと同様のことが,丸亀うちわ産地においても指摘できる。すなわち,うちわ産地と
しての存在が,外部の主な取引先企業に認知されることによって,多くの注文がもたらさ
- 126 -
れているという実態が確認されたのである。そのため,丸亀うちわ産地においても原料転
換後には,販促うちわの需要増大とともに,広告代理店や販促うちわを利用する個別企業
への新たな流通経路が発生した。
しかしながら,現在の丸亀うちわ産地の状況をみると,外部における産地の認識という
ものが産地維持に及ぼす影響が,他の2産地ほど大きくないといえる。確かに,量的な側
面からみると,企業や広告代理店に産地の存在が認識されることによって,販促うちわの
注文が大量にもたらされ,そのことが産地維持に結びついていると捉えることができる。
ただし,先述したように,そうした経路で流通する販促うちわは量産による低価格品であ
るため,産地内企業はそこから十分な利益を得られてはいない。その結果,薄利多売であ
っても経営の維持が可能な,比較的大規模な企業のみが残存するという現在の状況が生み
出されている。このことから,産地の主力製品が高付加価値化の可能な製品であるか否か
という点が,産地維持のための第四の要素として指摘できる。
以上を踏まえると,
「現代型」・
「伝統転換型」地場産業の産地維持に必要な要素として,
㋐消費者需要の質的な変化への対応,㋑産地内における分業構造の存続と,それを基礎と
した産地の一体性の確保,㋒産地の外部に対する認知度の高さ,㋓㋐と関連したものとし
て,産地の主力製品に高付加価値化の余地があること,という4点が指摘できる。ただし,
本研究は瀬戸内地域の3事例のみを扱ったものであるため,これらの要素が他産地や他地
域においても普遍的な重要性を持ち得るか否かについて,更なる事例調査を重ね,分析す
る必要がある。
なお,本研究では地場産業が地域経済に占める位置についても触れたが,いずれの産地
も事業所数や従業者数といった点で,各地域の製造業全体の2~3割ほどを占めており,
雇用吸収力という点で地域経済に一定程度の貢献を果たしているものと推察された。その
一方で,出荷額に占める地場産業の割合は相対的に低く,その点については地域経済への
貢献度が限定的であると言わざるを得ない。特に,今治市や丸亀市などのように,重化学
工業が発達している地域では,地場産業が地域にもたらす経済的な貢献度は限られたもの
となっていた。
しかし,そうした限定的な経済的貢献にもかかわらず,各地の行政は地場産業に対して
様々な振興策を講じている。また,地域の公共施設に地場産業に関連したコーナーが設置
されたり,地場産業製品を意匠化したものが建造物に誂えられていたり,あるいは地域学
習の教材として地場産業がとりあげられるケースなどもある。こうした点を鑑みると,地
場産業が地域に与える影響力については,社会・文化的要素―例えば,地域の歴史や文化,
教育,住民の意識など―をより重視した分析を行う必要があるとも考えられる。こうした
- 127 -
地場産業の社会・文化的側面に関する分析の進展,ならびにそれと経済的要素に関する分
析をいかに架橋するかといった点についても今後の課題としたい。
注
1)本研究では,「個性化」と「個別化」という言葉を意図的に使い分けている。「個性化」は,各企業の
戦略が多様化してゆく一方で,既存の企業間関係や産地の一体性がある程度維持されている状況を指
している。それに対し,
「個別化」は,企業戦略の多様化とともに,企業間関係や産地の一体性が希薄
化している状況を指している。
- 128 -
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謝辞
本研究の調査にあたり,日本手袋工業組合・四国タオル工業組合・香川県うちわ協同組
合連合会の皆様,そして聞き取り調査に快く応じてくださった各企業の皆様から多大なる
ご協力を賜りました。
また,岡山大学大学院社会文化科学研究科の北川博史先生,岡山大学名誉教授の内田和
子先生には,本論文の作成についてはもちろんのこと,学部生の頃より長きに亘って,き
め細かいご指導をいただいてまいりました。大学院進学後は,岡山大学大学院社会文化科
学研究科の藤井和佐先生,戸前壽夫先生からもご指導いただくとともに,各先生のご専門
である社会学や経済学・経営学的な視点からのご助言を多数賜りました。また,同研究科
の髙野宏先生からは,かつては研究室の先輩として,現在は先生として多くのご助言をい
ただいてまいりました。そして,愛知県立大学の中島茂先生には,本論文の審査委員とし
てお骨折りいただくとともに,今後の研究において心掛けるべき点について,多くの貴重
なご意見を賜りました。
このほかにも,岡山大学文学部地理学研究室の先輩をはじめ,同輩・後輩からも暖かい
お言葉とともに,本当に沢山の刺激を与えていただきました。
これら多くの方々に,記して厚く御礼申し上げます。
2013(平成 25)年3月
塚本 僚平
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