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阿自岐神社

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阿自岐神社
 阿自岐神社のある豊郷町は、多くの近江商人をう
み出した所として知られている。この庭園は、北海
道との交易や漁場開発に尽力し「あけぼの缶詰」 を
創始した近江商人藤野家の屋敷に残された庭園で、
作者は近世末から近代にかけて活躍した近江を代表
する作庭家の、勝元宗益(鈍穴)である。
地泉鑑賞式の庭園で、豪快に組まれた立石は、鈍
穴の作風をよく示すと共に、北海に立ち向かい財を
なした藤野氏の気概をも表している。
あ
じ
き
阿 自 岐 神社は百済系渡来人アジキ氏が祖先を祀った
ち せん た とう
神社とされ、社殿は、池 泉 多 島 式と呼ばれる古式庭園
●近江鉄道本線豊郷駅下車。徒歩で旧中山道北へ約15
分
●JR琵琶湖線河瀬駅下車、南へ徒歩約15分
の中に鎮座する。この庭園は周辺の田畑を灌漑する用
水池を原型とし、これを荘厳したしたものと考えられる。
人の営みに欠くことのできない水が生まれる水源。
ここには神が宿り、神に豊かな水の恵みを祈念する。
人間の水に対する自然な心象がこの庭園を生み出した。
●石丸正運ほか『滋賀の美 庭』京都新聞社
●滋賀県教育委員会『滋賀県文化財学習シート 史跡名
勝天然記念物編』
阿自岐神社
阿自岐神社は、応神天皇のころ、百済から
の渡来人であるアジキ氏が住んだところに建
立された、氏族の祖先神を祀った神社と伝え
あじ
られている。式内社の一つで、農耕の神「味
すきたかひこねのかみ
みちぬしむちのかみ
耜高彦根神」と道路を守護する「道主貴神」
他3柱の神々を祀る。現在の本殿は江戸時代
初期の建物で、比較的小規模ではあるが、豪
華な彫刻で飾られ、時代の特色を良く表す社
殿である。
庭園の起源と阿自岐神社庭園
近江には多数の優れた古庭園が伝えられて
いる。庭園を構成する要素として不可欠なも
のに水がある。それが枯山水の庭園であって
も、これは、視覚的な水を排除することにより、
心象的な水の姿を強調する技法である。庭園
の起源を見たとき、多くが水源を荘厳したも
のであることに気付かされる。水源を水の命
が生まれる神聖な場所であると意識したとき、
そこを俗界と区別しようとする。その最も簡
し め なわ
単な方法が水源を注連縄で結界する方法であ
り、やがて、水源の水を引き入れた池を掘り、
岩を組み植栽して回りを荘厳するようになる。
まさに庭園である。この心象は神社に遺され
た庭園において顕著であり、その代表的な庭
園が阿自岐神社庭園である。
水源の庭園
阿自岐神社庭園は、広大な池に浮かぶ小島
の数々、そして島を結ぶ石橋により構成され
る池泉多島式と呼ばれる庭園である。現在の
社殿も、かつては、池に浮かぶ島の上に建っ
ていたと考えられている。
この池の水源は池の西南にあり、元々は、
周辺の水田を灌漑する用水の湧水地であった
と考えられる。この水を使い田畑を拓き繁栄
した人々は、
やがて、
水源地そのものを荘厳し、
神を和ませ、
また見る人も水を愛でた。
そして、
この中に、地域の開発を主導した祖先を神と
して祀る社殿を建立した。これが阿自岐神社
であり、
阿自岐神社庭園だったのだろう。
「千
町田を養う神の清水かな」と刻まれた小島に
建つ石碑は、如実にこの経緯を示している。
この庭園の心象的な起源は遠く古代まで遡
るであろうが、造形的な起源に関しては発
掘調査等が行われていないため不明であるが、
那須与一伝説が伝わることから、平安時代ま
で遡る可能性もある。
何れにしても、阿自岐神社庭園は、水の確
保を必須の要件とする水稲栽培を生業とし、
命を継いできた、近江の祖先達の、水の神に
対する敬虔な祈りが生んだ造形である。
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