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キリスト教弁証論文学の成立について

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キリスト教弁証論文学の成立について
キリスト教弁証論文学の成立について
石
原
謙
キリスト教初代の市典的文学, 就r1'l新約聖書経典が, j辻近の様式史的研
究の結果, もはや単純な文字的形式の著作ではなく, その中には種々の様
式類型を示すff\)分から成立していることが明かにされたことは, 今日改め
て解説する必要もない位によく知られている。 もちろん以初まだユダヤ的
教養を背景として固有の教会的団体の形成されつつあった頃にはその文学
的活動も, その端緒の閃かれた限りにおいては極めて単純幼稚なものに留
まっていたに違いないが, 次第に�1jo;教的世界に宣教の範凹が拡大され種々
の階層がその対象とされるに従って, その接触面も複雑に, 文学的活動の
性格も新しくなり, その{乍Jjlも種々の様相を示し活躍になった。 手紙の往
復の頻繁になったのもその頃のことであり, しかもそれは当時の生活を反
映して, 単なる報道, 挨拶, 質疑応答, 談論, 説教, 教訓11等のみでなく,
感情や意志の発露から教会的礼拝の片影を示す頚栄や祈りや儀式文も取り
入れられることが!重々であり, 次第に複雑多様になった。
この磁の手紙はあらゆる種類の文学の萌芽を含み, 独白の教訓書や, 記
録や, 殊に主の言葉や行為を編集した福音書や説教や論,JI,なども現われて
来るのは必然である。 その文学史的発展の過程は初代キリスト教文学史に
主って学ぶことができるが, その問においてわれわれが特に注意を引く一
つの段階は, キリスト教弁â� ,論文学(Apologetik)と呼ばれる様式の文学
の成立したことである。 それは確かに特異な一段階をなしている。 何故な
らそれ以前は何れの稀類のものにせよ教会的雰囲気の枠の中で生れた文学
的活動であって, 教会内の信仰生活なり教養や情緒を反映し, 同信者自身
の言葉と概念とをもって語り合う関係であったのに, この弁証論文学はそ
の枠を破って教会外に出で外界の人々を対象とし, 異教的文化思想信仰の
世界と直面し, 出来れば著者自身にも未知の言葉を用いて語りかける公け
の場での談論であり, 明かに他者を意識しての対話であるからである。 従
来とても異邦人への宣教ということは盛んに行われていたが, それは単に
自己の信ずる福音を説く説教であり, 未知の町に入って語るとき にもし受
け容れられなければ, 足の塵を払って去ればよいのであった。 しかし今は
そうではなく, 進んで未知の世界に入り異教的精神と文化とに接し, そこ
に根ざす異教徒と論弁しなければならない。 そのとき に弁証論が必要とさ
れ弁証論文学が始まるのである。 そこでこの種の文学には種々の新しい特
質が成立する。 たとい自己の信仰を説く福音の教は従来の場合と異らない
にしても, 新しい環境と情勢は在来の方法と様式との襲用を改めて現実の
事態に即応せざるを得ないようにさせ, 新しい論理と表現とを努力させる
に違いない。 その際に彼等説教者の学的素養と才智とが要求されるのであ
る。
その際最も著しいことは説教者自身その置かれた立場と責任とを自覚し
て新しい人物となり, 文学的個性を発揮することである。 今はその師の教
をただ繰り返して説教するのでなく, 自己の確信するところを新しい言葉
と論理とをもって表現し之を異教の人々に理解せしめなければならない。
そこに真実の著作家としての独自の意義を獲得し, 固有の任務を担う文学
的個人となる。 もはや使徒の名の下に隠れて伝来の教を繰り返す代弁者で
はなく, 小さな器であるにせよ自己の責任において自己の信念と才能とを
もって異教的精神と対論しなければならない。 それが弁証論へのモティー
フなのである。
かくして弁証文学が成立したとは言うものの, 直ちにその名に適わしい
固有の様式を備えた文学作品が文学史を飾ることはむずかしい。 最初は一
キリスト教弁証論文学の成立について
般の伝道説教や談話教訓などの中に弁証論的性格を帯びた語句が現われ,
種々の機会に之が適用され, 更に必要に応じて強調されて次第に文学的形
態を整え得るに至るのである。 突如としてではなく, 長い年代を費やし,
多くの説教者の口を通して固有の文学が形を成すのである。
弁証論文学がキリスト教文学史上の問題として展開されるに至った過程
は, 新約聖書及びその後の文学の中に比較的に明確に跡づけることができ
る。 もちろん最初から固有の弁証論文学的作品なり断章なりが見出される
というのではなく, 初めはただその態度傾向乃至萌芽とい うべき 章節が
伝道説教などの中に微かに認められるというに留まっているに過ぎなかっ
た。 恐らくは著者自身も特に意識することなしにこの様式を適用したので
あろうが, 後に顧みてその態度の固有の意義を自覚させられるに至ったの
であろう。 使{走行伝におけるパウロの説教のあるもの一-14章15-17及ひ
特に17章22-31の如き 一一ーは之に属する好例である。 之等の説教の記述さ
れた年代を今直ちに推定することは困難であるが, 少くとも使徒行伝その
ものの成立は第一世紀末頃と想定されるので, 恐らくそれに先立って成立
した文書中に散見する種々の用語や概念、の中に弁試論的モティーフに基因
すると認められるものがなくはない。 殊に例えば当時の文書における教会
概念、の理解の中にこの種の態度が微かに看板される。 ベテロ第一の手紙2
章 5に教会は神の「霊的な家J (olKo<;;πνεuμαr:iKÓ<;;) とあるが, それは一方
では教会が地上における固有の存在であると共に, 他方では神に由来し神
のものであり天上の固として特殊性を主張した表現である。 この信仰は当
時一般に存し, 既にパウロはその「国籍(πoÀírεuμα〉を天にもつ」ことを
告白し (ピリピ人への 手紙3 章20), へフ守ル書には「ここには永遠の都は
なく, ただ来らんとするものを求める」と記している(13章14)。 之等の観
念、の根抵には, キリスト者が地上では弱くあってもその力を天上に有し確
乎たる信仰の立場を保っていることの自覚を表明しているので, そこに彼
等の弁証論的動機を告白したものと認められる。 もちろん之等の思想はま
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だ潜在的意識として彼等の信仰の背後に存したに留まるが, 使徒行伝中に
記された説教は明かにユダヤ人かまたは異邦人かの前で、語られた発言で,
意識的に信仰の弁1濯を意図したものであり, 特に注意を要する。 その中で
も代友的なのは第2章におけるベテロの説教とL述した第17章のノζウロの
アテネにおける"児教とである。 之については後述するところに譲りたいっ
続いて新約以後の文学iこ「ベテロの説教� (Kerygma Petri)と呼ばれて
いる著作のX\ド、断片がクレメンスJこより今日成存して, われわれの探究的
関心をそそるこ足るものをもっている。 更に之に続いて 120 "l'-代頃キリス
ト教徒がパドリアスス帝の治下に迫吉を受けたのに対し,
グウドラートス
(Quadratos) という「使徒の弟子」がキリスト教弁護の吉を記して皇帝に
捧呈したという記事がエウセピオスの『教会史』第4巻3章に伝えられ,
且っその話の断片が引用されている。 もちろんこの記事及び断片を確かめ
また補充する池の資料がないために, それ以上に知ることはできないが,
何等かの方法によってキリスト教の真理性と救主キリストの事実とを論託
しようと努めたものであったことは推察するに難くない。
之ちの|官庁片の外にもいわゆる使徒後教父やその他の経典外文苫の巾に,
弁正論均モチfーフlこ基づく思想、や概念が仔したことは言うまでもない。
之等教義史的研究によってある程度われわれにも接近し得るが, 確実にそ
の全;11\が弁l-jrl'J命文'、�f:の成立に役立ったとは認め難いかも矢口れない。 それに
しても之下種廿の経験の積み重ねを経て, ,然る後に第2世紀後半の本格的
な弁�IE論文学:こ進むので、あり, その準備的な段階として殆ど一世紀に亘る
期間の文午的活動を解することができる。 以下に私は, 最初期のキリスト
教弁認論を探究しつつその典型的なテーマをI'{:び, 弁Jil 論文学のI�史的意
義を考えて見たい。
まず第ーに使徒行伝におけるパウロの説教, 中でも特に17章22-31の,
キリスト教弁証論文学の成立について
有名なアテネのアレオパコ、、 ス山上での演説に, 異教哲学に対するキリスト
教的弁止論様式の最初の範例を見ることが で き る が, 之については拙稿
「使徒行伝におけるパウロの説教J(青山学院大学基督教学会編『パウロ研
究』松本卓た教授古稀祝賀論文集〉を参照されたい。 筆者はそこに使徒行
伝中に見出されるパウロの主主:な説教を, その様式に従〉て四煩型に穎別
し, その様式の相違と内容とを比較対照し, f出走行伝若;者の意図乃至同書
のモティーフを明かにしたいと考えた。 そしてこのアレオパゴ ス の 演説
は,lir J.fi:におけるパウロの対県教的対決を意味するもので, 14章15一一17の
Mい論述もI}�'f;: 1..之と性格をいjじくするが, 余りにその容量の小さいため
に思想内特を阪l:げるのには適わしくなく, 構造も明日析ではない故に, ア
レオパゴス説教の研究に主力を用いるのが望ましいことを注意した。 今こ
こでは之を, IC"l� 2章14-3 6の使徒ベテロの長い典理的な伝道品教と比較
して, 使徒行伝における弁証論文学の研究に資したいと思う。
この両使徒の演説においてぎず最初に注意される事情の相違は, 一方が
ユダヤ人の伝統的な宗教に対するイエス信仰の弁疏であ
、 って, 従ってユ夕、
ヤ的環境を背景としているのに対し, 他方は世界宣教者ノミウロが古典文化
と哲学:とのお1\アテネのアレオノtゴスtlH.にて試みた反異教的説教であると
のことである。 ベテロの説教の中核をなす部分は 2章22十24であり, そこ
にイエスが神より遣わされて社に来たり神の業をなそうとしたのにユダヤ
人によって十字架に礁けられたが, しかし神は之を死者の中から匙らせた
との, 歴史的事件, 取りもなおさずキリストの福音の証しがこの説教の中
心思想を形作っている。 そして之念語るためにこの説教はまず現実の事態
を弁明する序を述べ且つ預言者の引用によって読者 の 注 意を求め(1421), かくて22-24節の主題の後に, 旧約聖書からの引用に よって主遁の
論旨を確かめようとし, 殊に詩篇の引照が繰返され強調されている(2531, 33-36)。 その旧約的論証iこ続いて 説教者自身も之と 同じく一人の証
人であることを告げ(32), 終りに悔改めて 救いにあずかるべき ことの勧
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めをもって説教を閉じている (38-39)。 著者は,
その問題が ユダヤ人へ
の福音の教であり, 之を論証するのにユダヤ人の聖典である予言者及び詩
人の証言に頼ろうとする。 之は確かにユダヤ人の聞にのみ通用する論理で
あり, 之以外に恐らく方法は考えられなかったのであろうし, またこの演
説の特質をなしている。
之に対して17章におけるパウロの説教は, もはやユダヤ人とその宗教とを
前提としないで, 古典的なギリシア文化都市アテネにおいて異教的精神を
代表するギリシア人を対象とする論弁であり, むしろ異教的信何と対決し
てキリスト教的信仰を弁証しようとする論争的演説である。 この状況の下
では旧約聖書からの引用は殆ど無意味である許りでなく, キリスト・イエ
スの意義とその復活の信仰も恐らく神話に過ぎないであろうし, 神話とし
てはオリシポスの神々の系譜と余りにも関わりのない, しかもディオニュ
ソス的な迫力も感じられない説話に留まるであろう。 人々は之に何の魅力
も興味も見出さないことは明かであった。 そこで論者は之を避けてむしろ
ギリシア人自身の神々に対する態度とその観念とを批判しつつ, 彼等に取
って「未知の神J (' ArlJゐσ,0すO<;ó'>) として意識される, 言わば「他の神」
の概念、にキリスト教的な神信仰の内容を充たすことによって, その解明に
進もうとした。 もちろんその際論者の説く神概念の内容はキリスト教固有
の信仰であるが, 彼は之を説くのにギリシア哲学者の表現を借用し, 詩人ア
ラトスの語を引いてその印象を鮮明にしようとする。 それは単に当時の通
俗哲学者の教に頼る平板な知識に留まったかも知れない。 それにしても彼
の論述しようとしたのは, キリスト教の神信仰はギリシア人一般の理解を
絶する真理としての神の信仰であり, その神があらゆる被造物の創造者で
あって万有を支配し, 人間もその被造物として創造者を拝肥すべき のみで
ある乙とを強調し, そこから実践的な悔改めの行いへの勧告を導 き 出そう
とするに存したことは確かである。 その意味にてこの演説は明かに異教的
信仰と対決するための論争を意味し, しかももはやユダヤ的思惟方法をす
キリスト教弁証論文学の成立について
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ててギリシア的発想、に訴え, ギリシア哲学者の神話的信仰への 抗議批判の
方法をさえ用い ようとしている。 そこに論争者としての新しい姿勢が認め
られるのである。
この際パウロのとの演説が実際にどれ程有効であったかは全く問題外の
ことである。 使徒行伝はストア学者やエピグ←ロス派の人々が彼に論争を
挑み, ディオニュシオス一家の外に若干の聴衆が彼に従い信じたとのこと
を告げているのみで, コリントにおけるように, 信徒の団体が生れ教会の
設立されることを望み得なかっだらしい 。 しかしわれわれに取って興味あ
る事実は, キリスト教がここで始めてギリシア固有の精神と触れたのみで、
なく, ギリシア的態度を排撃しつつもその哲学的思惟を摂取して, 一種の
論理を樹立しようとする企図の始まったことであり, そこから最初のキリ
スト教的弁証論が出発したのを知り得ることである。 使徒行伝の記述は極
めて簡単でわれわれの問に応ずるものではないが, そこには後代に成立し
たアポロギア文学の荊芽を認めることができ なくはないのである。
この最初の弁証論としてのノ4ウロの演説は, この事件を記述した使徒行
伝の, アテネにおけるパウロに関する記事全体から切り離して之を理解す
ることはでき ない。 記事全休の示している状況を内容的にも関わりある背
景として読むとき に, 彼の演説をよりよくまたより深く理解することがで
き る。 之については使徒行伝註解書, 殊にへンヒェン(Emst Haenchen,
Die Apostelgeschichte, 195 6)の解説, 特にSS.4 69-474 を参照された
い。 ここでは私はその記述に関する研究には之以上触れない で, 次の問題
に移ろう。
市山
キリスト教弁証文学はかように異教的世界への宣教に伴って始まったと
しても, 単に宣教のための説教の方法として現われた様式であるに官まら
ず, 思想内容の閣明のための手段としての意義が自覚されるに従ってその
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国千イの特1'1を発出するに至る。 それはキリスト教が他者と対立し, 明確な
意義をもって呉教的な哲学宗教その他の�化的思想的努力と対決するに至
って, その目的を達成するのが常である。
予的な(polemisch))jì1; �こ訴えるに至って,
�f\;、換えれば弁試論的態度が論
キリスト教それ白身の_\'[);þjを
より明確にbi.缶、し自覚するのである。 初代数二におし、てこの径のポレミー
ク
その 傾 向は既 に ノ 4 ウ ロ にも 見 られたと し ても
が具体的な活動形
式をi反るようになったのは第二世紀半ば以後、で, ユステfノス(]ustinoゆ
がぶ:初の代友的弁�JU61自主であり
ドリア神学者,
|司世紀から次世紀にかけてのアレクサン
クレメンス及びオリゲネスにおいて故も婦かしい思想的展
開を遂げ, その後多くの卓れた神'下者の苫ffl:の11'1にこの種の文学株式の成
県を践し, 第五位紀のアウグステfーヌスに至っている。
われわれは今ここに之手の弁証家乃至弁証文学の長い列を辿ることはで
きない。 その111には文学としても優れた作品や, 歴史的に注意される人拘
や, また占典として愛読されるに通わしい著述もなくはないが, それ13.は
特に研究に値いするしまた研究されなければならない意義を有っている。
私はその中から比較的に小さいしかし代点的な一作品を取り挙げて初期弁
日正文学の一例を示すに留めたいと思う。
それは紀元第二日1:紀半ば近くに苦わされたと推定されるアリステイデー
ス(Aristeides)のtえ した『アポロギプj(Apologia)である。
この人物に
ついてはエウセピオスのI教会史」第4巻3章に簡略な記述がある。 それ
によると 伎 はク
ヮ
ト ラ ー トス に 続 い て, 皇帝 アン 卜 ニ ヴ ス ・ ピウス に 対
しnεpt ()ε0向井ÎCISと)返する占を献じたが, その書はエウセビオスのJ1Sft
にもなお銭存 して多くの人々に読まれていたという。 それ以上にはこの苦
与の経世も活動のがよìXも矢11るすべがなかったが, ぞれのみでなく その書自
身もfl'SJ1与の頃からか失われて その事情も内容も全くわからなくなって了っ
ていた。
然るに�-:;19liL紀後半になり学術の発達と古典の探求が次第に果を結びつ
キリスト教弁ぷ論文学の成立につL 、て
つあった頃, 本書についても漸次探求の手がかりができて希望が煽いて来
た。 まず1878年にはヴヱネチア;こて本書のプルメニア語ボの断片が党見さ
れ, 続いて1889年には英国の有名な考古学者レンテ、ル・ ハリス(J. Rendel
Harris)がシナイ山の型カタリナ修道院にて偶然に本t守のシリプ話占勺/本
を発見し, 久しく知られずlこいた本吉ーの概要を推知することができるよう
になった。 更 に また全く忠 、いが :tないこ とで はあ っ たが, "ともれ名な乍考
ロビンソン(J. Armitage Robinson)が中世時ítの修道院文学を研究して
いる聞に, 古くからダマスコのヨハネによって伝えられていた修道士物語
“Bar1aam and ]oasaph" の第26, 7章に, この芹が可IJXりほJ合されてはい
るが, ギリシア語原文のまま利用されているのを探知してHTき, 研究の結
果本書のギリシア語本文を再現することに成功した。 更にその後ギリシア
語パピルス断片二葉が発見され, 之によって少くとも三カ所(;r� 5草4,
第6章1, 2, 及び第15章6乃至第6章1)の原形が確かめられ, その報
告が大英博物館から公けにされた。 かくして本書は殆ど、全体に以ってギリ
シア語本文を回復することができ,一一シリア話ill・写本との問に疑}えがあ
るとのことであるが一一キリ スト教初代文学 史 上 の 重�ー な 党 見 と して 知ら
れるようになった。
このような健俸ともいうべき不思議な発見の連続によってわれわれは長
い間知られなかった典型的な弁語文学を取り戻すことに成功したので、ある
が, われわれに取って重要なまだ矧り得られることはその内容についてで
ある。 本書は僅かに17章より成る小篇に過ぎないが, キリスト教弁日正の方
法及び構造, 思想傾向と論述の態度, 共に明断にして目的;二遭い, 他の同
時代の弁証文学と比較しでも模範的であり, 之によってわれわれは初期の
弁証文学の性格を代表的に知ることができる。
まず本書の内容を分解すると, 第1章は神の自然的認識について論述
し, 世界万有の認識によって神iこ達するとしても之によって理解される神
の概念、の何であるかを明かにし, 全篇の恨木思想、を説く序章である。 それ
10
はキリスト教的世界観を論証するための原理をなすが, そこにストア哲学
の思想が前提されていることは疑w、ない。 第2章以下本文に入り, 諸民族
の宗教を論じているが, 著者によると全人類は4種の族に別たれる。 著者
はここにその中の三種族, すなわちパルパロイ(Barbaroi), ギリシア人,
及びユ夕、、ヤ人の起源、を説明した後にキリスト信徒がイエス ・ キリストに由
来するとして, 之等の人々の宗教を論難することを当面の目的とする。 ま
ずパノレノくロイについては, 第3章乃至第7立に亘って彼等は四元素を 拝
記するが(第4章), 地も水も火も空気も神的ではなく (第5章 ), むしろ
神の創りたもうた業で,
日や月や星も之と異らないとなし (第6章),
更
に人聞を神として認めることの不当な所以を論究し, 却って人聞は神 性を
有せず, 喜ひを求めて悲みに襲われ, 主主いを喜び つつ涙に暮れるのみでな
く, 怒り激し嫉妬し過失に陥ることを指摘し, この迷信に捉われる彼等の
過誤を責める (第7章〉。 次に ギリシア人の 宗教に関しては, 第8章以下
第13章までに彼等の拝加する神々について, 詳かに, 更にエジプト人の信
仰にも論及している(第12 章〉。 第8章にはギリシア人が神々を人間的に思
惟して男女性を区別した結果, その聞に種々の不道徳または不幸な関係を
生じ, 更に相互に冗話することもあり, 之が人間の社会に不幸をもたらす
ことがあることなどを指摘する。 第9章以下神話によって個々の神々の悪
徳欠陥を難責する。 グロノス, ゼウス, へフアイストス, ヘルメス, アス
グレピオス, アレス, ディオニュソス, ヘラグレス, アポロン, アルテミ
ス, アフロディテ, アドニス, レア等。 第12章には古人が聖者と称したエ
ジプト入も決して賢明ではなく, 当時広く流布していたイシス及びオシリ
ス神崇拝の如き, また動物崇拝さえも行われていることを批難している。
第13章には再びギリシア人に戻ってその偶像崇拝を排撃し, 詩人や哲学者
の矛盾を明itり, 彼等の法典の規定と一致しないことを責めている。 第14
章はユダヤ人について, 彼等が真実な神観含有するにかかわらずその宗教
行事の正し くないことを簡略に論じている。
キリスト教弁註論文学の成立について
11
最後に第15章乃至17章に至って第四種の族としてのキリスト信徒に移る。
著者によると, キリスト信徒のみが真理を認識し, 創造者としての神を信
じ, その戒めを守り, 聖書の教を学び, キリストに服従する。 神は之に恵
みを与え,
彼等は永遠の生命にあずかり,
1"新しい民族」となり,
1"その
中には神的な交わり (gðttliche Mischung) があるJ ( 第16章 4 )。 ギリシ
ア人は自己の悪徳をキリスト信徒に帰するが, 信徒は之を憎むことなく却
って敵の悔惜して救われるようにと祈る (第17章 2 - 5)。 著者は最後に
キリスト教を誹諒する者に対して, 真理を尊重し, キリスト教 を 受 け 容
れ, 来らんとする終末審判を免かるべき ことを勧め, 之をもって巻を閉じ
ている(第17章6 )。
以上が本書の内容であるが, 全体の構造から見てキリスト教のための弁
証論の部は, 他種族の宗教についての叙述に比してやや平板且つ簡略に過
ぎたかの感がなくはない。 しかし恐らく他宗教へのポレ ミーグに重点を置
いたためであり, 異教的社会に訴える書として之を必要としたので、もあろ
う。 キリスト教についての解説としては充全だとは言えないが, 第 2 章に
4種族の起源を説いた際, 特にキリスト信徒がイエス・キリストに由来す
ることを述べ , キリストの生涯とその業とを要約し, 使徒たちによって全
世界に拡布したことを語って, この教を信ずる者がキリスト者と呼ばれる
となしている説明は極めて要を得たものと言うべ く, 或いは当時の教会に
おいて既に行われていた信仰告白文を適用したのではないかとも察せられ
る。
ユダヤ人に関する批評は極めて簡略であるが, 本書が異教徒に対する弁
証であるとき にこれは当然のことであろう。 之と共にノ〈ルパロ イ及びギ
リシア人について本書の重点が置かれているのも妥当らしく思われる。 た
だここで前者については 4 元素と天体との信仰を挙げ, 後者については神
話的宗教を論ずるに留まっているのは何の理由に因るか明かでない。 恐ら
く著者のもち合せた資料に因るのではないかと推測される。 何れにしても
12
著者は当時の密儀祭宗教にも触れず, 俗聞の迷信やまた皇帝崇拝その他の
国家的祭儀にも関わっていないのは, 之等に対する関心の乏しかったこと
を物語るものであり, 同時に当時としては幾分教養ある社会の思想傾向を
示す, 古典的な宗教情操の世界を問題としていたのではないか と思わ れ
る。 全体の思想的背景として, ストア哲学的乃至ペリパテテイコス学派的
雰囲気を感ぜしめられるあたりに, 当時のへレニズム期における通{俗谷哲ρ
との思思、想想、的な繋がりを認められるのも, その傾向を暗示するものと考えら
れる。 殊に本書第1章に神の自然的認識を説き, 被造物がすべて神の力に
帰せられ, その中に神的摂理と生命との認められることを述べているとき
に, ストア的な神的ロゴスの思想、の前提されていることは恐らく否定し難
いところであろう。 もちろんこの種の自然的認識の思想はパウロその他の
新約文書中にも認められ, 著者がそこから出発したことも考えら れ得 る
が, 当時の教養世界に流布した通俗哲学にはストア的乃至アカデミア学派
的, 更にキュニコス学派, ベリパテトス学派, ピュタゴラス学派, エピキ
ュロス学派等の影響が折衷的綜合的に摂取されていたで、あろうし, 之を分
析してその中のある特定の立場に帰するのは却って適切妥当を欠く恐れが
ある。 何れにしてもこの種の折衷的な通俗哲学的思想が本書の背景に存し
たことは疑いなく, ここに本書と, 従ってまた当時のキリスト教的教養社
会との思想的傾向を察知することができるであろう。
最後にアリステイデースがわれわれに与える興味ある問題は, 彼の書の
弁証論的文学様式の意義である。 再説するまでもなく彼の「アポロギアJ
の構造は, 第 1章の序説に観点の立場を提示し, 第 2章以下第14章にノミル
パロイ, ギリシア人, ユダヤ人の宗教を論じてその誤謬欠陥もしくは 失敗
を示し, 終りに第15章乃至第17章にキリスト教的態度を説述している。 こ
の形式は極めて示唆的である。 新約聖書に既に, ユダヤ人と異邦人とに対
してキリスト教信徒を区別しキリスト教的信仰の特異性を強調しようとす
る態度が著しくあり, 之が新約時代のキリスト者における救いの確実性の
13
キリスト教弁証論文学の成立について
信仰に根ざしていたことは疑いないが, そこから出発して初代弁証論者の
特徴的思想のーっとして認められる「第三民族j (-rò -rpl-rÒ<;: réν0<;:
genus
(4)
tritus)の観念、を生じたことはノ、ルナッグの有名な研究によってよく知ら
れている。 しかLアリステイデースにおいては異邦人が更に区分されて, パ
ルパロイとギリシア人とがそれぞれ詳論され, しかもエジプト人について
も特説されている。 そこにヘロドトス以来ギリシアの学界に伝えられた民
族誌的探究の精神的伝統が暗黙の聞に前提されていたのではな いだろ う
か。 何れに してもこの学的関心はヘレニズム期以後に発展したChronicon
の研究の根源をな し, 之が更に!膏史学の重要な動機を形作ったことは確か
・であり, キリスト教的学術の発達史においてもユリウス ・ アフリカーヌス
からエウセピオスの「年代誌』及び「教会史」を経て, アウグスティーヌ
スに至る繰を辿ることができる。 進んで之とギリシア ・ ローマヴ:術史の発
達との関係にまで論及することも可能であるかどうかは更に大きな問題を
なすであろう。 とに角このキリスト教歴史学のそティーフが弁託論文学に
淵源することを学び得ることはわれわれに取っても極めて興味ある問題で
あり, そ してその典型的な形態をアリステイデースに見出 し得るところに
その代表的意義が認められる。
キリスト教弁証論者の代表的人物と しては一般にユスティノスを始めと
し, アテナゴラス,
ミヌキウス, フェリグス等の外にグレメンス, オリゲ
ネス, テリトゥリアヌス等のある作品を挙げ, 更にアウグスティーヌスの
「神国論』のような大著に昂揚された思想、態度を見ることがで き る こ と
に, 異議を挟む者はないであろう。 今はその根源を探り, 初期における典
型的作品について概説するに留める。
註
(1)新約時代の弁託論に関してはReligion in Geschichte und Gegenwart. 3. A.
駁i 1. 1957にE. Kamlahの筆に成る簡潔な叙述があり, ft近め文献も挙
げである。 同じく初期教会時代についてはc. Andresen が示峻に市み阿
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めて有主主な概観を論述している。 殊に弁証論文学の思想
、
史的精神史的更に
教義史的意義の解明は卓れている。 なお初代弁証論文学全般については拙
著了中世キリスト教研究』参照。
(2) 使徒行伝第17章パウロの説教の様式史的研究については,
M. Dibelius,
Aufsätze zur A停泊telgeschichte, 1953. 特にその中 “Die Reden der Apg.
u. die antike Geschichtsschreibung" 及ひ
ua
,、、、。
(3) アリステイデースについては, 原文は正協なギリシア語版本の回復が多く
の学者によtJ._試みられたが, 極めて困難である。 ハリス及びロピンソンの
本文はシリア諮及びギリシア語古写本を対照している。 E. J. Gα由戸ed,
Die ältesten Apologeten, 1914.
近代話ではK. Juliusの独訳(Frühchristliche Apologeten, in BKV, 2.A,
副. 12, 1913)
Joh. Geffcken, Zwei griechische Apologeten, 1907 に詳細な語学 的文献学
的の主
i 解がある。
R. Seeberg, Die Apologie des Aristides, 1893及びJ. Lortz, Das Christen­
tum als Monotheismus in den Apologien des 2. Jhts. 1922の外に,
初代教会史, 教義史等参照。
(4) A.
v.
Harnack, Die Mission und Ausbreitung des Christentums im ersten
drei Jahrhunderten. 4. Aufl. 1924. 副.I.
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