...

東北大学大学院国際文化研究科

by user

on
Category: Documents
9

views

Report

Comments

Transcript

東北大学大学院国際文化研究科
東北大学大学院
国際 文化 研 究科
P U B L I C
INFORMATION
MAGAZINE
No.26
http://www.intcul.tohoku.ac.jp
国際文化研究科 広報
No.
26
September 2013
Contents
02
研究科長インタビュー
国際文化研究科20年の歩み
̶これまでとこれから̶
黒田 卓 研究科長
深澤 明利(博士後期課程)
王 蕊(博士前期課程)
06 研究科20年の歩み
06 前期課程・後期課程
修了者からのメッセージ
泉田 悠里
劉 迪
帆北 智子
李 文超
春 花
09 研究紹介
野村 啓介 准教授
10 平成25年度
科学研究費補助金採択一覧
11 最近の著作から
中本 武志 准教授
ナロック ハイコ 准教授
11 着任・退任の挨拶
副島 健作 准教授
布田 勉 教授
竹中 興慈 教授
重野 芳人 教授
鈴木 美津子 教授
14 INFORMATION
国際文化基礎講座(公開講座)
国際文化学会
オープンキャンパス
研究科入試情報
PUBLIC INFORMATION MAGAZINE No.26
研究科長インタビュー
退任の挨拶
国際文化研究科20年の歩み
これまでとこれから
-
-
定年退職して―
定年退職を前に病没した恩師を憶う
こうした流れを受け、
東北大学においても、情報科学研究科
私は、平成元 (1989) 年4月に東
京学芸大学から東北大学 (教養部学
科目・法学) に配置換となり、その
後、
平成5 (1993) 年4月に教養部の
改組・国際文化研究科の発足と同時
に、地域文化論専攻ヨーロッパ文化
論講座に配置換となり、本 (2013)
年3月31日をもって定年退職した。
定
年 退 職を 迎 えてみると 、昭 和 6 2
国際地域文化論専攻
(1987) 年3月25日、定年退職の1週
ヨーロッパ文化論講座 教授
間前に病没した法学研究科の恩師・
布田 勉
小嶋和司博士を憶い感慨深いもの
がある。
予て私は先生の退職記念論文集 『小嶋和司博士東北大学退職
(
記念 憲法と行政法』良書普及会刊) の献呈用特装本を闘病中の
研究科長
先生の下にお届けする役目を任されていたのであるが、その日の早
朝、先生の急変を知らせる連絡があり、通勤客も疎らな飯田橋駅頭
で出版社から出来たばかりの特装本を預かり、当時は上野始発で
深澤 明利さん(アメリカ研究講座 博士後期課程)
あった東北新幹線で先生が闘病する仙台厚生病院の一室に急行し
聞き手
王 蕊さん(国際環境システム論講座 博士前期課程)
た。お届けした特装本を早速奥様が先生の肖像写真、目次と順次
捲って説明されると、
先生は如何にもご満足の様子で、
退室する私に
向って右手を挙げて応えて下さった。
その日の夕刻先生は忽然と黄
国際文化研究科は、
2013年で創立20周年を迎えました。
そ
泉の国へ旅立たれた。
と国際文化研究科という2つの独立研究科が設立されます。
設
こで今回のインタビューでは、本研究科の来し方・行く末につい
材の育成に主眼を置いてきたという点では先見の明があったの
て、黒田 卓 研究科長にお話を伺いました。
ではと自負しています。
私が東京学芸大学に赴任すると、
先生は、東京のご自宅に戻られ
立当初、
本研究科は国際地域文化論専攻と国際文化交流論専
た折にはたびたび私を東京都内のさまざまな美術館に誘われた。先
生は陶磁器の鑑賞と蒐集を趣味にしておられ、自宅の茶碗との区別
論専攻が加わり、
現在の3専攻体制が整いました。
もつかない私を教育しようとしたのであろう。
「良いものを鑑るのが
本研究科の設立目的は、
地域文化と文化交流、
および言語文
眼の肥しになる」
と言われ、
最後にはいつも
「研究も論文も同じだよ」
と付け加えられた。
化に関する教育・研究を学際的かつ総合的に行うことにありま
だが、先生は、私の大学院学生時代、これを読みなさいなどと研究
す。教育目標としては、国内外で活躍し、国際的なプロジェクト
の肥しになる書物を示されることは一度もなかった。レポートや論文
を担いうるような高度な研究能力および専門的知識を有する人
の原稿をお見せすると、
折に触れて
「こんな本もあるよ」
とおっしゃっ
材を養成することを掲げています。
換言すれば、
世界をまたにか
てお持ち下さるだけであった。
先生は、
又、
レポートや論文の原稿をお
見せしても、添削をされることは一切なかった。自立的な研究者の芽
けて活躍する専門的職業人および優れた専門研究者を養成す
を摘んだ若い頃の反省からだと常々おっしゃっておられ、お見せした
ることが本研究科の主要な教育目標です。
レポートや原稿の文中や欄外に疑問を示す「✓」記号を付して再考
近年、
大学関係者や企業の人事担当者などの間で、
「グロー
を促されるのが常であった。
バル人材」
という言葉が頻繁に用いられるようになりました。
直
国際文化研究科において私が教育
・論文指導の範としたのは、
こ
うした先生の信念
・
姿勢であった。
しかしながら、
今、
定年退職までの
接のきっかけとなったのは、2011年1月に中央教育審議会に
20年を振り返ってみるとき、先生と同様の姿勢を貫徹できないこと
よって提出された「グローバル社会の大学院教育」という答申で
があったことに忸怩たるものがある。時として提出期限間近に原稿
す。本研究科は、これより20年早く、国際舞台で活躍する人材
が示される場合など、「✓」記号を付すだけでは間に合わず、添削して
の育成を目指してきました。
「グローバル人材」
とはニュアンスが
返却することがあったからである。
自立的な研究者の芽を摘んではい
ないことを祈るばかりである。 国際的な視野や感性を備えた人
少し異なるかもしれませんが、
攻の2専攻構成でしたが、2001年(平成13年)に国際文化言語
黒田 卓
しかしながら他方で、日本の学生・院生の「内向き志向」がた
定年を迎えて
―国際文化研究科での16年間
びたび指摘されてもいます。たしかに、若手の就職状況は冷え
本研究科はどのような目的に基づいて設立されたのでしょうか?
込んでいます。それゆえ、海外でキャリアを積むよりも、安定し
究費など機会あるごとにすべてを利用して少しずつ充実させてきた
新設された大学院国際文化研究
これまでの足跡を鳥瞰してみますと、
その紆余曲折ぶりに感
科がまだ完成年度を迎えていなかっ
た1997年4月から数えて16年間、
私
慨を抱きます。今日まで歩んで来られたのは、
OB・OG教職員、
はアメリカ研究講座で楽しく教育・研
現役の教員・事務職員の方々、
そして何よりも修了生・在学生の
究をさせていただきました。
就任直後
から研究科を根底から覆しかねない
みなさんが、一所懸命に努力し支えて
くださった結果であると確
波状的に襲いかかる数々の事件、
大
信しております。この点にまず感謝申し上げます。
学自体を大きく変えた法人化、
そして
さて、本研究科設立の経緯からお話します。
設立の背景に
東日本大震災とその後遺症のなか、
国際地域文化論専攻
何とか定年まで勤めあげられたの
は、大学設置基準の大綱化と大学院重点化という二つの流れ
アメリカ研究講座 教授
は、同僚の皆様、事務方の皆様のご
があります。1991年、大学設置に関する規制が緩和されまし
支援の賜物と心より感謝申し上げま
竹中 興慈
す。
そして、
何よりも研究科および講
た。当時、授業科目は一般教育と専門教育の二種類に分かれて
座の院生の皆さんの研究への熱い
いました。その上で、たとえば、一般教育の場合、人文・社会・自
思いこそが私をもっとも叱咤激励してくれていたことに心より感謝申
然といった科目種別に規定されていた履修単位数も弾力化され
し上げます。
英語がよくできる学生がいて、小規模校の良さが活かされ、
何不自
ました。
さらに、一般教育と専門教育を適切に組み合わせて教
由なく、
また楽しく教育・研究をさせていただいていた前任校から、
土
育を行うことになったため、
一般教育のみを扱う教養部が多く
地勘もなく、
まったく教育・研究条件の整っ
ていなかった国際文化研
究科にやってきたのは、
まさに東北地方にアメリカ研究を根づかせ、
の大学において廃止されました。
このとき同時に、大学教育の
発信したいという一念に他なりませんでした。
当初、
私と家族の生活・
重点が大学院に移されたのです。特に旧七帝大と呼ばれる主要
研究条件の悪化は忍ばざるを得ないにしても、
院生たちの研究条件
国立大学では、
この動きが顕著でした。
がほとんど何も整っていないのには本当に参りました。
やむをえず、
学内外や研究科の助成金、
図書館の特別図書費、
科研費、
個人の研
た職や収入を早く得たいという考えが、
とりわけ日本人学生・院
16年ともいえます。
それは講座教員の相互理解と協力の賜物でもあ
りました。
生に強いように思われます。
彼らの焦燥感には一定の理解を示
おかげさまで、
たくさんの立派な修了生を九州、
四国、
関西、
東海、
しますが、
やや保守的に過ぎるようにも思います。
国際的な教養
関東、
東北地方一帯に送り出すことができました。
いま、
研究科およ
び講座の受験生が減ってきて大変な状況になっていますが、
その原
や素養は大切です。
それゆえ、自分の指導する学生には、
海外
因は、
一つには日本の若者がアメリカへのフレッシュな関心を失いか
けているという点、
もう一つには津波のあとの原発被害の風評があ
た、
国際文化研究科では、多様な国際交流の場を設けるため、
るのではないかと考えています。
しかし、
これらは近い将来、
必ずや克
服されると楽観しています。
ただ、
院生が減っ
て
一番おそれるのは、
教
世界の第一線で活躍する研究者の招聘や、大学間学術交流協
員と院生との緊張関係が希薄になることです。
個人的な経験則です
定の締結、
豊富な留学情報の迅速な提供などを行っています。
が、
学会もさることながら、
教育があって初めて研究も進むと思いま
す。
「 教育」が多すぎるのも困りものですが、この緊張感を欠いたと
き、
研究者はたんなる好事家になりさがるのではないかと思います。
発足当時はさまざまな困難や障害があったと思われますが、印象
研究科を去るにあたって、
今なお後ろ髪引かれるのは、
講座教員4
的なエピソードをお聞かせ下さい。
人のうち3人の後任が埋まっていないことです。
協力教員ひとりの全
面的バックアップをいただいてはいますが、
やはり専任教員がたった
ひとりということは、
複数いる場合とはまったく異なった大変さがの
研究科発足当時は、
予算・施設などが非常に貧弱でした。
当
しかかります。
一刻も早く、
研究科の将来計画を確定し、
講座と研究
科の起死回生の試みを前へと進めて欲しいと心より願っ
ています。
時は専用の院生室もなく、現在の教員室1室のスペースを3講
最後になりましたが、
研究科の教員の皆様、
事務方の皆様、
修了生
座ほどで共同使用していました。その後、院生数の増加と比例し
の皆様、
在学生の皆様のご健康とお仕事・研究の発展を心より祈念
て、
院生室数も増加していきました。それでもすべての院生がい
申し上げます。
で学ぶチャンスを積極的に活用するようにと奨励しています。ま
12
02
東北大学大学院
国際文化研究科 広 報
No.
26
えています。
ちどきに入室することができない状態でした。しかも、研究室に
備え付けの机は3人ほどの共用で、椅子も長椅子でした。さら
に、ロッカーや椅子は、中古品でなんとか凌いでいました。研究
黒田先生が本研究科に着任された当時の心境についてお聞かせ
科の教室も最初は2つか3つしかなかったのです。もちろん演習
ください。
室・資料室・印刷室といった、何らかの機能性を持ったスペース
はほぼ皆無でした。パソコンの配備やネット環境も整っていませ
国際地域文化論専攻の設置案を当時の文部省に提出した
んでした。
際、中東やイスラム圏を研究する講座を設けてはどうかという提
なぜ研究科独自の施設整備が遅れたかと言いますと、教養部
案を役所の方からいただいたそうです。この提案には、時代的
解体後も受け入れ先のスペースが未整備だった100人近い教員
な背景が影響しています。当時は、湾岸戦争が終結して間もなく
がそれまでの居室を使用していたのが一因です。ともあれ、歳月
という時期だったこともあるかと推察します。こうした経緯で、
を経るごとに状況は改善されていきました。教員室2部屋分くら
私が現在所属するイスラム圏研究講座が設置されることとなっ
いの大きさの院生室をようやく確保できるようになったのは、い
たようです。
まから10年程前のことです。
しかし、かつての旧教養部には、中東イスラム圏の専任教員が
震災の影響で今年度も耐震補強工事を行います。工事中の
おりませんでした。その結果、当時他大学や研究所に属してい
引っ越しに伴い、ご不便をおかけしますが、竣工後はよりいっそ
た、中東イスラム圏の専門家に声が掛けられることになったので
う快適な教育・研究環境が整いますので、期待していただきた
す。講座に所属する予定の教員は、私を含めて3人でした。当時
いと思います。
の各々の所属組織は、茨城大学、アジア経済研究所、それから
話を戻します。研究科の発足当時は、たしかに予算や設備が
私が香川大学でした。1993年4月10日に入試を行うことが決定
脆弱でした。それにもかかわらず、研究科には熱意が溢れていま
していましたが、3月末時点でわれわれ3人は散在している状態
した。
「国際文化」という新しい研究分野を切り拓いて行こうと
でした。しかしながら、ともかく試験問題を作らなければなりま
いう熱気が、教職員・院生ともに、満ちていたような気がしま
せん。海外におられた研究所の方には事後に見てもらうことに
す。設立当初は研究科の規定やルールもほとんど決まっておら
して、何とか残りの2人で綱渡りのような形で試験問題を作成し
ず、また、教育・研究環境も全く不十分なままでの出発でした。
ました。
そうした混沌たる研究科のもとに、日本全国あるいは海外から、
国際文化という枠組みのなかで研究を行うことには、何の抵
まったく異なる背景を持つ人々が集まってきたのです。さながら
抗もありませんでした。当時所属していた香川大学でも、国際文
人種のるつぼのようでした。
化論という授業を担当していたからです。イスラム文化というの
院生は少数でしたが、前例やしきたりがない分、多くの大学院
は、国際性が豊かな文化であり、東洋にも西洋にも起源を持つ
生が非常にアクティヴでした。本研究科を背負って立つという気
文化が融合して生まれたものです。それゆえ、受講学生たちに
概を持っていたように思えました。かつて、
「院生会」という会合
は、多少無理なところも承知していましたが、イスラム文化は国
がありました。研究科創設の翌年に設立された「東北大学国際
際文化だと教えておりました。
文化学会」の第4回大会のときに、
「院生会」が自らイニシアチ
めまぐるしい日々が続きました。しかし、意欲を持ってこちら
ヴを取り、
「周縁からの文化発信」というシンポジウムを開催しま
した。既存の学問領域の枠を超えて、院生同士で交流や論議を
試みようとする意欲はきわめて強いものがあったと言えます。 最近は、講座の枠に収まってしまいがちであるように思われま
す。もちろん、それが一概に悪いとは言えません。先輩から後輩
へと研究室を継承し、講座を軸にして研究や学問を伝授してい
くことは肝要です。しかし、国際文化研究科の利点は、講座間
の垣根を超えていく点にこそあります。それにもかかわらず、現
在は、敷居が高いような雰囲気になってしまっているのです。そ
れゆえ、私としては、講座間の繋がりを生み出す恒常的な場をで
きるだけ設けたいと思っています。小さな講座にまとまり過ぎ
ず、学際的という言葉により相応しい研究科にしていきたいと考
03
PUBLIC INFORMATION MAGAZINE No.26
20年進んできたなかで見えてきた本研究科の課題とはどのような
平成25年度科学研究費補助金採択一覧
ものでしょうか。
7月9日現在
理念や目標を達成できる組織のあり方・カリキュラム・環境を
氏 名
研究種目名
研究課題名
備 考
山下 博司
基盤研究(B)海外学術
ディアスポラにおける民族宗教の変質と再編-ヒンドゥー教と道教の動態的側面を中心に
プシュパラール ディニル
基盤研究(B)海外学術
新規採択
モンゴル産フライアッシュの有効利用に関する総合的調査
ます。すなわち、学部の初年次から大学院にいたるまでの全体
佐藤 透
基盤研究
(C)
一般
日本的美意識の哲学的基礎づけ-侘び
・寂び・
幽玄を中心に-
にわたって、
教養を持った人材を育成し、
幅広い領域を横断する
山下 博司
基盤研究
(C)
一般
中世タミル語の聖徒列伝
『ぺリヤ豊かな知性を陶冶する教育を実践したいと考えているわけで
・プラーナム』
の批判的翻訳と文学的・思想史的研究
鈴木 美津子
基盤研究
(C)
一般
す。われわれとしてもこの問題を主体的に受け止め、
全学的な
ロマン主義時代における国民小説の誕生と
その変容
石幡 直樹
基盤研究
(C)
一般
メアリ・ウルストンクラフトにおける国家と女性の進歩の概念の研究
小林 文生
基盤研究
(C)
一般
物語とアイデンティティに関する理論的研究
坂巻 康司
基盤研究
(C)
一般
近代日本におけるフランス象徴主義受容に関する総合的研究
吉田 栄人
基盤研究
(C)
一般
ユカタン・マヤ語復興活動における言語学的知見の実践と応用
再考する必要があります。現在、東北大学自体も改革に向けて
邁進しており、なかでも高度な教養教育に力を入れようとしてい
教養教育の充実に向けていかにして連携が可能かということを
模索していく所存です。
に参ったことを覚えています。というのも、私にとって仙台は新
将来的な話を少ししておきます。現在の研究科のスタッフや
天地であり、何よりイスラム研究という自分の専門領域の講座
講座の配置は、さまざまな歴史的な経緯を経て、現在のような
の立ち上げに携わることができたからです。そのような次第で、
体制に至りました。しかし、研究科の体制というのは、学問の進
名誉教授
米山 親能
基盤研究
(C)
一般
Web4uを活用
した初級・中級フラ
ンス語e-ラーニング教育の応用的研究
展や時代の変化を見据えて適宜変更しなければなりません。
言
意気軒昂に本研究科に着任しました。
しかし、
いざ来てみると問
岡田 毅
基盤研究
(C)
一般
日本人科学研究者向け英語学術論文執筆支援用教材システムの開発
い換えれば、現在の枠組みを組み換えることによって、学問の専
題が山積していました。
研究に必要な資料がほとんど何もない
合理的な体制を構築できるのではないか
のです。勝山
とりわけイスラム圏研究講座は新設ですのでひどい状
戦前期において支那愛好者が果た門性により適合した、
した文化受容活動の実証的研究--井上紅梅を中心に
稔
基盤研究
(C)
一般
と考えています。
況にありました。
それゆえ、
予算面で若干の配慮をしていただき
初期近代イギリス劇における視覚的表現手法の演劇空間論的観点か
らの研究
市川 真理子
基盤研究
(C)
一般
ました。しかしそれでも不十分であったため、自分たちの研究費
本研究科スタッフの専門性を俯瞰すると、3つのグループに分
の大半は、講座の今後を考えて基本的な文献・辞書・雑誌類の
類することができます。第一に、地域文化のグループ。第二に、
購入に当てました。
資源・環境・経済・国際政治といった、グローバルな共生社会を
澤入 要仁
基盤研究
(C)
一般
南北戦争と大衆誌の応砲―讃歌・式典詩の社会的機能から音楽・美術への文化的影響まで
佐藤 研一
基盤研究
(C)
一般
十八世紀ヨーロッパの描く異邦人像--ドイツとイギリスの通俗劇を中心にして
藤田 緑
基盤研究
(C)
一般
鈴木 道男
基盤研究
(C)
一般
トポスとしてのアビシニア--近代日欧におけるアフリカ認識の変転
構想するグループ。最後に、地域やグローバル社会をその根底
新世代ディアスポラの系譜書き換え-告発の文学の求心性とダブルバインド
で支える言語現象を研究するグループ。したがって、
「地域」・
先生ご自身が中東イスラム圏の研究をなさっている上で、文化の
文法化と意味図構築の基礎的研究
Narrog Heiko
基盤研究
(C)
一般
「共生社会」・「言語」という3つがこの研究科のキーワードに
多元性を肌で経験されたことはありますか?
杉浦 謙介
基盤研究
(C)
一般
移動型多機能端末を活用した外国語教育-実践のための総合的研究-
なります。
その上で、
イランに在住していた時期もあるため、
人種のポリティクス-白人性の解体分析をつ
うじ諸講座の統合ないし新講座の創設を進めていきた
た南北戦争・再建期像の再構築-
小原 豊志
基盤研究
(C)
一般 そのような場面に幾度
いと考えています。たとえば、言語関係の講座は多数存在する
となく出くわしました。
禁農モデルを検証しアイヌ農耕文化の実態を解明する
深澤 百合子
基盤研究
(C)
一般
ので、可能なかぎりグループ化したい。また、環境や資源など、
イランは、現在、世界で最も孤立した国と呼ばれています。し
柳瀬 明彦
基盤研究
(C)
一般
ストック外部性と戦略的相互依存関係の下での国際貿易に関する理論的研究
青木 俊明
基盤研究
(C)
一般
社会基盤整備を活用した協調社会の促進とコミュニティ再生
劉 庭秀
基盤研究
(C)
一般
日中韓における都市鉱山政策の妥当性評価-自動車電装品を事例に-
かし、イランという国民国家に対して、多くの人々が誤解を抱い
活発な対話が常時不可欠なグループも一つにしたいと思ってい
ているように思われます。イランと聞くと直ちに、異端・反米・狂
ます。さらに、より多様な地域文化研究を創出しうる仕組みを構
信的・テロ大国、といった言葉を想起する方も多くいます。もち
築したいと考えています。これは個人的な夢ですが、日本を研究
新規採択
新規採択
晩年のマーク・
トウェイン―新版
『自伝』
(2010)
に見る著者の歴史意識― 日本も相対化して考えうる
井川 眞砂
基盤研究
(C)
一般 ですが大多数のイラン
名誉教授
する講座も設けたいと思っています。
ろんそうした側面が皆無とは言いません。
新規採択
ルーマニア・
ドイツ語文学にみる二つの
「過去の克服」
―ナチズムと社会主義独裁―
藤田 恭子
基盤研究
(C)
一般
ような、
教育・研究の単位を構想したいのです。
の人々は、
我々とさして変わらない感性・常識・夢を持っていま
今年の11月末に、
グ
す。すなわち、
幸福な生活・社会の安定化・円満な外交関係など
新規採択
イランにおける
「近代性」
の意味変容と
「国民」
の創生 研究科創立20周年記念行事を催します。
黒田 卓
基盤研究
(C)
一般
ローバリゼーションと文化の関係、日本と世界の関係といった、
は、イランでも多くの人々が希求してやみません。
しかしながら、
新規採択
フランス第二帝制下の地域権力に関する比較地域史研究
野村 啓介
基盤研究
(C)
一般
非常に大きなテーマで記念講演を行います。さらにシンポジウム
日本文化とは、
共約不可能な特色もあります。
それゆえ、
共通性
新規採択
資本移動、
国際貿易と経済成長:市場開放のタイミングについて
胡 云芳
基盤研究
(C)
一般
と差異のどちらをも睨みながら、可能なかぎり相対的・多元的
では、現在、第一線で活躍している本研究科の一期生や二期生
に文化や地域を理解するための感性を研鑽しなければなりませ
らをパネリストに迎え、研究科のあり方自体を含めて議論したい
ん。たしかに、優れた英語力や、諸外国に数多くの知己を得るこ
と思っています。みなさんも関心があれば、ぜひ参加して、一緒
とも大切ですが、それだけではやや表面的なきらいがあります。
に考えていただきたいと思います。
プシュパラール ディニル
柳 朱燕
スプリング ライアン
挑戦的萌芽研究
ヒューマンセキュリティの観点から考察する大震災後の再定住に関する調査
若手研究(B)
韓国語テンス・アスペクトの第一言語習得過程及び習得データのコーパス構築
特別研究員奨励費
認知類型論による第二言語習得の研究:日本人と中国人による英語移動・変化表現の習得
李 敬淑
戦時下日本・朝鮮
・満州映画における女優表象の比較研究
特別研究員奨励費
言語を駆使し、
友人や知人のネットワークを活用して、
何をする
かが実は一番肝心なのだと思います。
10
04
新規採択
東北大学大学院
国際文化研究科 広 報
26
No.
生起することもあります。しかし、そのようなイノベーションも非
国際文化研究科はどのような学生を求めているのでしょうか?
歴史的には起こりえません。先人の轍を超え、さらに進んでい
国際的な問題や異文化に対する問題への関心と、それを解明
く、というのが研究という営みなのです。その営みが成立するに
しようとする研究意欲があれば、どなたでも歓迎です。ただ、私
は、先行研究を、たんに非難したりあら探ししたりするのではな
が国際文化研究科の博士論文としてなるほどと思ったエピソー
く、真摯に批判しなければなりません。どこが足りないか、どこ
ドをご紹介しておきます。私の所属講座で数年前に博士号を取
が不十分か、どの手順に誤りがあるかということを学問的な見
得した学生がいます。その学生はもともと国文学の専攻でした。
地から批判するのです。このような批判力は一朝一夕に習得で
卒業後、あるきっかけで、ウズベキスタンで日本語の教師になり、
きるものではありません。何事につけプラス・マイナスの両面を
1、2年、現地に居住しました。そこで強烈な異文化体験をした
思索してみる、という習慣を身につけて欲しいと思います。
のでしょう。帰国後、イスラム圏の研究を志し、本研究科に入学
次に教養力です。批判力を強化するためにも、教養の力は大
してきました。
切です。古典を読んだからといって、即座に自分の研究に役立つ
個々の論文では個別的な事象を扱っていましたが、博士論文
わけではないかもしれません。しかし古典を読むということは、
では、ウズベキスタンを多角的・広域的に捉えようとしていまし
いわば自分の研究を底上げすることなのです。
た。すなわち、中央アジア・ロシア・アメリカ・トルコといった、国
最後が学際力です。実業界では「ニッチ産業」という言葉があ
際的な文脈のなかでウズベキスタンを考察しようと考えていたの
ります。
「ニッチ」というのは、壁の窪んでいる部分のことです。
です。考察年代に関しても、ソ連の成立から連邦解体後の独立
壁の窪んでいるところはなかなか見つけにくいものです。同様
時代までの、およそ80年の時間軸で取り上げることにこだわっ
に、学問と学問が山のように高くそびえ立っている間隙を発見す
ていました。私が専門とする歴史学の観点から言えば、彼の考
るのは、容易ではありません。それを発見し、問いを立て、解明
察範囲および考察年代の射程はあまりに広すぎます。換言すれ
にまで論及する力を意識的に養っていただきたいと思います。
ば、彼の試みは、純然たる歴史学ではありません。また、国家の
これら3つの力はいわば三位一体と言えます。この土台の上に
言語政策や文化政策といった問題も扱っていますが、政治学な
自分の研究を構築することによって、本研究科でこそ可能な研
いし社会学でもないと彼は言いました。さらに、ウズベク語とい
究が実現できるかもしれません。そのような期待を馳せつつ、本
う言語に内在する論理も扱い、そのための調査研究も行ってい
研究科でみなさんをお待ち申し上げます。
ます。つまり社会言語学の領域にも踏み込んでいるわけですが、
言語学でもないと言います。では何学なのだと考えてみると、こ
本日は、ご多忙にもかかわらず、長時間質問にお答えいただき、あり
うしたアプローチこそが国際文化なのだろうと私のほうが認識
がとうございました。貴重なお話を伺うことができ、大変嬉しく思
を新たにしたような思いがしました。おそらく彼は、博士論文を
います。
通し、横断的なアプローチを総合することによって初めて獲得す
ることのできる新知見がある、ということを実証したかったので
こちらこそ、ありがとうございました。学生・教職員が共に手を
しょう。
取り、国際文化研究科に新たな歴史を刻んでいければと思いま
学際 性は、ここの研究科の魅力です。もっとも、
“言うは易
す。
し、行うは難し”ですが。しかし、全体との関連性を可能なかぎ
り意識し、かつ多面的にアプローチすることが重要だと思われ
ます。
最後に、本研究科への進学を考えている方々にアドバイスをお願
いします。
本研究科において、学生がおのずから鍛練してほしい力が3つ
あります。いずれも専門知識や研究方法を体得するための基礎
になる力です。
最初が批判力。森羅万象、先人が研究の先鞭をつけてくれて
います。たしかに、イノベーションによってまったく新しい事象が
05
PUBLIC INFORMATION MAGAZINE No.26
研究科20年の歩み
平成 5(1993)
年4月
国際文化研究科創立。
国際地域文化論専攻
(6講座)
、
国際文化交流論専攻
(7講座)
の2専攻を設置。
平成 6(1994)
年 6月
国際文化研究科を母体とする東北大学国際文化学会を創設。
平成 8(1996)
年 9月
秋季入学試験を導入。
平成13
(2001)
年4月
国際文化言語論専攻
(5講座)
を増設。
平成14
(2002)
年4月
技術協力論講座を科学技術交流論講座へと名称変更。
平成14
(2002)
年10月
本研究科申請の
「言語・認知総合科学戦略研究教育拠点」
が平成14年度~18年度
「21世紀COEプログラム」
に採択される。
平成14
(2002)
年11月
国際文化研究科創立10周年記念フォーラム開催。
研究科同窓会創設。
平成15
(2003)
年 4月
環境科学研究科の設置に伴い、
アジア社会論講座の学生募集停止、
廃止へ。
平成15
(2003)
年 4月
学務部の改組により、
国際文化研究科等事務部から、
国際文化研究科事務部として分離・独立。
留学生センター移転後、
国際文化研究科棟西棟となり、
川北合同棟から国際文化言語論専攻教官が移動。
平成16
(2004)
年 4月
国立大学法人化。
平成19
(2007)
年 4月
言語脳認知総合科学研究センター設置。
平成21
(2009)
年 4月
講座再編により新講座設立。
平成22
(2010)
年 4月
講座再編による新カリキュラムスタート。
平成23
(2011)
年3月11日
東日本大震災。
平成23
(2011)
年 4月
国際化拠点整備事業
(グローバル30)
に基づく言語総合科学コースを開設。
現在に至る
前期課程・後期課程修了者からのメッセージ
国際地域文化論専攻
イスラム圏研究講座
平成25年3月
博士前期課程修了
泉田 悠里
博士前期課程で過ごした3年間は、研究の面白さと
難しさに何度も遭遇し、それを乗り越えなければ次に
は進めない、非常に濃くて貴重な経験をした3年間で
した。
私は学部生の頃イスラムを信仰する世界の国々の
中でも特にサウジアラビアに興味を持ちました。イス
ラムの最も厳格な宗派を王政や国民の生活に適用す
る一方で、それとは対照的な国風のアメリカと親しく
するサウジアラビアを不思議に思ったことがきっかけ
でした。サウジアラビアの国内政治について知れば知
るほどサウジアラビアが好きになったため、イスラム
圏講座への進学を決めました。
私が提出した修士論文のテーマは「サウジアラビア
の近代化改革~ファイサル期前半を中心に~」です。
第一次石油危機の仕掛け人となった第三代国王ファ
イサルが皇太子時代の1960年代前半に行った「10
項目の改革」という近代化改革はどのような背景で、
どのような理由からこの改革を発表したのか。1958
年から1964年までを中心に当時サウジアラビア国内
外で勃発するナーセル主義者による反乱や内戦、アメ
リカとの協力関係などファイサルを取り巻く環境、そ
して「10項目の改革」など近代化改革の内容とその成
果を検証しました。
修士論文を提出するまでの3年で、私は学問の面白
06
さと難しさを実感し、博士前期課程でのスキルを身に
つけました。まず研究の面白さについてです。大学院
入試時に研究したかった問題意識の答えを発見した
とき、また先行研究を読んで当時のファイサル国王な
ど政治の首謀者がどのようなことを考えて次の行動
や改革に踏み切ったのかその舞台裏を文書から想像
するのが楽しかったです。次に研究の難しさについて
です。研究中は仮説と事実が異なることが多々あり、
再度仮説を立てるところから始めなければならなかっ
たこと、書き手の意図が読み手に上手く伝わらないこ
とが大変でした。またアルバイトとの両立と東日本大
震災もまた私の研究生活を濃くしました。このような
二つの研究経験を経て私が個人的に得たスキルは、
自己管理です。基本的に研究は自分で進めるもので
す。そのため、特に修士論文執筆を通じて、定められ
た時間内での計画性とそれを実行する力と忍耐力が
身につきました。
私が3年目にしてようやく修士論文を無事提出でき
たのは、指導教員と講座の先生方の温かくかつ厳し
いご指摘とご協力のおかげです。博士前期課程修了
後は学問の道からは遠ざかることになりますが、講座
で得た経験を生かし新しい道へ進もうと思います。末
筆ながら事務員のみなさま、講座の先生方に深く感
謝申し上げます。
東北大学大学院
国際文化研究科 広 報
No.
26
一歩一歩で目標へ
国際文化交流論専攻
国際経済交流論講座
平成25年3月
博士前期課程修了
劉 迪
東北大学で勉強できるのはすごく楽しかったです。
は
じめの頃は多くの留学生と同じく、学都仙台の静かな
環境がとても気に入り、
森の中で過ごすような日々を送
り、とても楽しかったです。それで、中国の文豪魯迅先
生と同じ大学で勉強できるのはすごく自慢のことであ
り、
友達にも羨ましがられました。
ただし、
勉強を始めま
したら、いろんな問題が浮上してきました。基礎知識
や、
日本語力の不足も、
だんだん分かってきまして、
それ
らに直面しないといけませんでした。
さらに東日本大震
災の影響で入学式も遅れ、
なかなか落ち着かない一年
生でした。
勉強もうまくいかず、
余震も続き…一瞬、
研究を諦め
ようかということも考えました。
しかし、
東北大学から卒
業できるのは今までの夢であり、
夢を叶えるのはいろん
な困難を乗り越えなければならないという先人達の言
葉を思い出し、
研究科の先生にも一緒に頑張っている
仲間にも励まされまして、
ふたたび心を整理し、
夢に向
かって歩んでいくと決心しました。効率向上のために、
勉強のタイムテーブルを見直し、それで日本語能力を
アップするにも積極的に日本人の多いサークルに参加、
ボランティアの日本語先生の1対1講座の受講などいろ
んな仕組みで勉強生活を充実させていきました。世の
中のことでは、
できないと言いつつ、
実はもう一歩踏み
出せば、
未来が見えるということが多く、
その頑張る間
にも目標から力がもらえるパターンも多く存在していま
す。
私はこのたび、
そう思いました。
入学してから、
ずっと環境と経済に関する課題に関心
を持ちます。
「この二つのことのつながりは何か」
「研究
の中心は何を設定すれば良いか」
など、
最初、
確かに良
くわかりませんでした。
たくさん先行研究を読む上、
色ん
な細かいところも先生にご相談し、
「環境技術移転を伴
う国際労働移動の経済分析」
という修士論文のタイト
ルが決まり、
書き始めました。
研究科のゼミや、
口頭発
表会で先生方の貴重な意見やアドバイスをいただきな
がら、
論文を修正しました。
発表会の準備はいつもバタ
バタでぎりぎりでしたが、
緊張感を持ちながら、
論文を
少しずつ進めました。
研究結果が少しずつ明らかになっ
てきて本当に嬉しかったです。
研究生段階を含め、ただ二年間半で、本当に短か
かったです。今まで教えていただき、支えていただいた
指導教員に感謝したいと思います。
この短い間で、
辛い
こともありましたが、
今の立場で見るとそれはそれも人生
の大切な宝物と思います。
国際文化研究科で勉強がで
き、
たくさんの友達も作りました。
本当にラッキーでした。
心から
国際地域文化論専攻
ヨーロッパ文化論講座
平成25年3月
博士後期課程修了
(現:専門研究員)
帆北 智子
わたしは、平成24年度3月に博士の学位を取得しま
した。本研究科の末席を汚してきたに過ぎない自分を
振り返ると、修了生として皆さまに何かをお伝えできる
立場にあるとはとても思えませんが、後輩諸氏の反面
教師として何かのお役に立つかもしれないと無理やり
考え直し、
僭越ながら筆を執らせていただきました。
関東生まれ九州育ちのわたしにとって仙台の気候は
とても厳しく、最初の数年間は体を慣らすのに精一杯
でした。こちらの風土、生活文化、人との関わりすべて
に、
小さくも意外な発見と驚きをえていた日々が懐かし
く思い出されます。
東北
(仙台)
での
「異文化交流」
を楽
しみにしていたにもかかわらず、それはわたしの考える
ひとつの日本と同じ日本人のなかで、予定調和的に行
われるものだと高を括っていたことに気づき、
地域性に
繋がる自他の文化や価値観について考える機会を改め
てえることができました。そしてこの経験が、博士課程
の半ばまで続けた研究テーマを変更する大きな後押し
の一つになりました。
博士論文では、
18世紀ロレーヌ=
エ=バール公国
(現在のフランス・ロレーヌ地方に位置)
という地域権力がもつ独自の権力論理を、主としてフ
ランス王国との間に生じた統治問題の分析を通じて提
示できるように努めました。
このような地域史研究への
取り組みは、
今後も継続していく予定です。
07
修士であれ博士であれ、
学位取得までの道のりは誰
にとっても決して楽ではないと思います。学術上の要
請とは別の次元で、なぜ自分はこの研究をしているの
か、
今このテーマを追求する必要がどこにあるのか、
な
どと迷うことがあるかもしれません。そのような時、自
分の立ち位置をいつも教えてくれたのが、
わたしにとっ
ては史料と向き合う時間でした。未熟ながらも史料と
格闘し、ときに耽溺する時間は本当に楽しく、生きて
いる実感がじわりと湧いてくるような、
充実感に満ちた
ものだと心から言えます。
この、
「心から」
と素直に思え
る気持が、非常に素朴で拙いながら、研究を主体的に
継続するための核ではないかと今は感じています。
博論作成の最中には、東日本大震災という未曾有
の災害や体調不良によって、机に向かうことすらまま
ならぬ時期もありましたが、
多くの方々の優しさと強さ
に触れ、自らを再び奮い立たせることができました。と
りわけ学生生活においては、研究室の先生方と学生
諸氏、学生係の方々から、そして私生活においては家
族と友人たちから、
多大なご支援を賜りました。
自分の
研究に向き合う時は一人ですが、独りで研究を続ける
ことは到底できません。
仙台での生活は、
そういった当
たり前の事を実感する日々の連続でした。
いま改めて、
心から感謝の気持ちをお伝えいたします。本当にあり
がとうございました。
PUBLIC INFORMATION MAGAZINE No.26
研究者という道
国際文化交流論専攻
言語コミュニケーション論講座
平成24年9月
博士後期課程修了
李 文超
私が研究者になりたいと思ったのは学部4年生の
再投稿が認められ、最終的に採用された時は自分で
ときでした。当時、日本の航空会社へ就職が決まって
も納得できる論文になっていました。やり終えた達成
いましたが、やはり研究と教育に携わる仕事に就きた
感がまた次のステップに繋がります。博士課程はまさ
いと思い、
東北大学へ留学することを決心しました。
にそれを繰り返しながら、博論の完成を迎えると痛感
最初は言語学に関する知識はほとんどありません
しています。研究という道のりは決して平坦ではない
でした。本格的に理論言語学に関する論文の執筆に
のです。しかし、研究に打ち込みたい気持ちと根性が
取り組んだことがなかったため、先行研究をどのよう
あれば、
道は拓けると思っています。
に批判的に読んだらよいのかなど分からないことだら
日々の学習と目標を立て、
自分なりの研究スタイルを
けでした。
「 No input, no output, 人一倍頑張らな
作ることは就職した今でも肝に銘じています。
研究者と
きゃ。」と思いました。博士前期課程では多くの文献を
いう職業だからこそ勉強しつづけなければならない。
そ
読み、学術の専門用語を日本語と英語で覚えるよう
うすれば、
自分が取り組んでいる分野の研究に貢献で
し、問題点を見つけ、論文を書くスキルを身につけるよ
きる研究課題を切り開くことができると思います。
う心がけました。後期課程に入ると授業が多くないた
月日の流れは早いもので、卒業してから間もなく1
め、気が緩む恐れがありましたが、二年半で修了する
年が経ちます。仕事にも慣れてきました。恩師である言
目標を立て、自分を律し、勉強のスタイルを確立しまし
語コミュニケーション講座の先生方々はいつも激励し
た。特に後期課程では、査読付きの論文の執筆と学
てくださり、本当に感謝しております。また四年半も支
会発表の計画を作り、目標に向かって努力しました。
えていただいた研究科教務係の方々にも心から感謝
提出締め切りに追われたり、思うように執筆が進まな
しています。
これからじっくり教育と研究に取り組んで
かったり、論文が拒否された時は、自分に与えられた
いきたいと思います。
試練だと思って頑張るしかないと思いました。そして、
ことわざとの出会いは人との出会い
国際文化言語論専攻
多元言語文化社会論講座
平成25年3月
博士後期課程修了
(現:専門研究員)
春 花
私は修士課程から国際文化研究科に在籍し、この
ルと日本におけることわざの使用状況について調べ、
3月に博士課程後期を卒業し、長い間夢だった博士
両国とも若年層で「ことわざ離れ」
がもっとも多いこと
の学位をやっと手に入れることができました。子育て
を解明できました。また、アンケートの分析から、男女
をしながら大学院に通っていたため長期履修を利用
の意識に対して男女、年齢の差が出ており、世代間の
させていただき、ゆとりを持って研究を進めることが
変化が見られることが明らかにできました。さらに、男
できました。
女平等化の今日の社会では男尊女卑の思想を強く表
私の研究対象はモンゴル語と日本語の男女につい
すことわざは消えつつある一方、
イデオロギーとしての
てのことわざでしたが、ことわざとの出会いは幼い時
「男らしさ」
「女らしさ」
が現代社会において根強く生き
いつもことわざを口にしていた亡父から始まっていた
残っている一面も明らかにすることができました。
と思います。モンゴル人の家庭ではことわざを頻繁に
アンケート調査に、多くの人に協力していただき、意
使って、ことわざによって子供を教育するのが一般的
見を聞くことができたことが、博論完成につながりま
です。また、学部時代の担任の先生がロシア語の授
した。いつも明るく、励まして下さった指導教員の先
業でよくことわざを教えて下さいました。カードにこと
生と、貴重なアドバイスをくれた講座の先生方に深く
わざを一個ずつ手書きできれいに書いて渡されてい
感謝したいと思います。自分の研究は決して自分一人
た記憶があります。ことわざに含まれた価値観、人生
でできたのではなく、沢山の人と出会い、支えと協力
観は多くの人に共感され、認められてきたものに違い
を得ることができて、はじめて達成できたのだとつく
ないと思われます。逆に言えば、使われていることわざ
づく感じています。
から人々の価値観を探ることもできます。
博士課程を卒業したといっても学問の道はこれで
私の博論のテーマは「モンゴル語と日本語のことわ
終わるわけではありません。これからの道も必ずしも
ざにおける男女の意識とその変化」でした。予備調査
平坦だとは限りませんが、これまでの経験、知識を生
を通じて絞り込んだモンゴル語の116の項目と日本
かし、更なる可能性を探っていきたいと思います。最後
語の104項目の男女に関することわざを選んでアン
に卒業生の一人として、在学生の皆様に実り多い院
ケート調査を行い、比較考察しました。そこで、モンゴ
生生活が送れますよう、
祈念いたします。
08
東北大学大学院
国際文化研究科 広 報
研究紹介
26
No.
国際地域文化論専攻
ヨーロッパ文化論講座 准教授
野村 啓介
私は、フランス第二帝政という体制の歴史的特質を明らかにする
ことをめざして、帝政権力と地域権力の関係を分析している。これ
は、帝政権力の伝達回路たる地方行政機構がいかに機能したのか、
またそれに対して地方レベルでの対抗権力はいかに作用したのか、
という問題を中心とする。したがって、分析の場は、上からの帝政権
力と下からの地域権力という両ヴェクトルの攻防が展開される界面
ともいうべき領域である。
以上の目的のため、現在は、仏南西部の貿易都市ボルドーという
地域的枠組において、帝政の万国博覧会政策の展開と、ボルドーワ
インのいわゆる1855年格付(ワインの商業的ヒエラルキー)をめぐ
る諸問題にとりくんでいるところである。ここには、ワイン業利害や
ワイン文化の問題系がリンクし
(さらにブルゴーニュ地方との地域比
【写真3】シャトー・ラフィット
較史的研究へと拡大し)、そこから派生して、同時期の日仏交渉やワ
車でボルドー市内からガロンヌ河下流方面に
「ワイン街道」
を北上
イン文化に関心がむくようにもなった。
してまもなく、眼前に広大な葡萄畑が広がりはじめる〔写真3〕。運が
良ければ、シャトーの私蔵文書を目にすることもできる。ある時など
は、
私の訪問がよほど珍しかったのか、
地元新聞に
「日本の大学研究
者、
来たる」
といった記事が掲載される始末だった
〔写真4〕
。
なんとも
大げさで、
うすら恥ずかしささえ覚えた。
葡萄栽培地域では、昔ながらの風景が眼前に広がる。道路こそ舗
装され交通標識もあちこちにみえるが、それさえ無視すれば、それは
19世紀と変わらないであろう風景だ。
時間は、
ボルドー市街から離れ
るほどゆっくりと流れはじめる。
そしてついに葡萄栽培地域では、19
世紀世界に身をおくかのような感覚さえ覚える。このような感覚を時
【写真1】仕事場のひとつボルドー市立文書館
【写真1】第二帝政期のボルドー市会議事録
として呼びおこし、歴史的想像力に滋養を与えることこそ歴史研究
者には不可欠だ。
【写真2】ボルドー商業会議所
フランスでの研究活動は、
主としてボルドーやパリにおいて史料を
調査・収集することである。それは、一方でボルドー大商人層を中心
とする地域権力の社会的構成を分析し、
他方で帝政の万博政策をめ
ぐる動向を追うための史料である。
滞在中は、
もっぱら古文書館にこ
もって黙々と史料の調査・収集にあたる〔写真1、2〕。これはかなりの
重労働で、
腰痛もちには辛く、
かつ忍耐力の必要な作業でもある。
しかし、いくら書物や資料から情報を集めても、それだけではイ
メージ(歴史的想像力)はふくらまない。そこで、現地調査(気分転換
を兼ねる)の一環として外に飛びだし、たとえばボルドーのシャトー
【写真4】2010.8 Sud-Ouest紙
(=ワイン生産者)
を訪問することもある。
09
PUBLIC INFORMATION MAGAZINE No.26
平成25年度科学研究費補助金採択一覧
7月9日現在
氏 名
研究種目名
研究課題名
山下 博司
基盤研究(B)海外学術
ディアスポラにおける民族宗教の変質と再編-ヒンドゥー教と道教の動態的側面を中心に
プシュパラール ディニル
基盤研究(B)海外学術
モンゴル産フライアッシュの有効利用に関する総合的調査
佐藤 透
基盤研究
(C)
一般
日本的美意識の哲学的基礎づけ-侘び・寂び・幽玄を中心に-
山下 博司
基盤研究
(C)
一般
中世タミル語の聖徒列伝
『ぺリヤ・プラーナム』
の批判的翻訳と文学的・思想史的研究
鈴木 美津子
基盤研究
(C)
一般
ロマン主義時代における国民小説の誕生とその変容
石幡 直樹
基盤研究
(C)
一般
メアリ・ウルストンクラフトにおける国家と女性の進歩の概念の研究
小林 文生
基盤研究
(C)
一般
物語とアイデンティティに関する理論的研究
坂巻 康司
基盤研究
(C)
一般
近代日本におけるフランス象徴主義受容に関する総合的研究
吉田 栄人
基盤研究
(C)
一般
ユカタン・マヤ語復興活動における言語学的知見の実践と応用
米山 親能
基盤研究
(C)
一般
Web4uを活用した初級・中級フランス語e-ラーニング教育の応用的研究
岡田 毅
基盤研究
(C)
一般
日本人科学研究者向け英語学術論文執筆支援用教材システムの開発
勝山 稔
基盤研究
(C)
一般
戦前期において支那愛好者が果たした文化受容活動の実証的研究--井上紅梅を中心に
市川 真理子
基盤研究
(C)
一般
初期近代イギリス劇における視覚的表現手法の演劇空間論的観点からの研究
澤入 要仁
基盤研究
(C)
一般
南北戦争と大衆誌の応砲―讃歌・式典詩の社会的機能から音楽・美術への文化的影響まで
佐藤 研一
基盤研究
(C)
一般
十八世紀ヨーロッパの描く異邦人像--ドイツとイギリスの通俗劇を中心にして
藤田 緑
基盤研究
(C)
一般
鈴木 道男
基盤研究
(C)
一般
新世代ディアスポラの系譜書き換え-告発の文学の求心性とダブルバインド
Narrog Heiko
基盤研究
(C)
一般
文法化と意味図構築の基礎的研究
杉浦 謙介
基盤研究
(C)
一般
移動型多機能端末を活用した外国語教育-実践のための総合的研究-
小原 豊志
基盤研究
(C)
一般
人種のポリティクス-白人性の解体分析をつうじた南北戦争・再建期像の再構築-
深澤 百合子
基盤研究
(C)
一般
禁農モデルを検証しアイヌ農耕文化の実態を解明する
柳瀬 明彦
基盤研究
(C)
一般
ストック外部性と戦略的相互依存関係の下での国際貿易に関する理論的研究
青木 俊明
基盤研究
(C)
一般
社会基盤整備を活用した協調社会の促進とコミュニティ再生
劉 庭秀
基盤研究
(C)
一般
日中韓における都市鉱山政策の妥当性評価-自動車電装品を事例に-
新規採択
井川 眞砂
基盤研究
(C)
一般
晩年のマーク・
トウェイン―新版
『自伝』
(2010)
に見る著者の歴史意識―
新規採択
名誉教授
藤田 恭子
基盤研究
(C)
一般
ルーマニア・
ドイツ語文学にみる二つの
「過去の克服」
―ナチズムと社会主義独裁―
新規採択
黒田 卓
基盤研究
(C)
一般
イランにおける
「近代性」
の意味変容と
「国民」
の創生
新規採択
野村 啓介
基盤研究
(C)
一般
フランス第二帝制下の地域権力に関する比較地域史研究
新規採択
胡 云芳
基盤研究
(C)
一般
資本移動、
国際貿易と経済成長:市場開放のタイミングについて
新規採択
挑戦的萌芽研究
ヒューマンセキュリティの観点から考察する大震災後の再定住に関する調査
若手研究(B)
韓国語テンス・アスペクトの第一言語習得過程及び習得データのコーパス構築
スプリング ライアン
特別研究員奨励費
認知類型論による第二言語習得の研究:日本人と中国人による英語移動・変化表現の習得
李 敬淑
特別研究員奨励費
戦時下日本・朝鮮・満州映画における女優表象の比較研究
プシュパラール ディニル
柳 朱燕
備 考
新規採択
名誉教授
トポスとしてのアビシニア--近代日欧におけるアフリカ認識の変転
10
新規採択
東北大学大学院
国際文化研究科 広 報
26
No.
最近の著作から
中本 武志
東京外国語大学グループ
《セメイオン》著
『フランス語をとらえる フランス語学の諸問題Ⅳ』
三修社 全312頁 2013年1月30日刊
定価:4,410円
(本体:4,200円+税)
ISBN:978-4-384-04533-8
ナロック ハイコ
准教授
『フランス語学の諸問題』
シリーズの第4巻です。
第1巻から27年、
第3巻から7年を
経て、
研究分野も多様化させつつ世に問うことができました。
内容は
「統辞論Ⅰ」
「統辞
論Ⅱ」
「統辞論Ⅲ」
「形態論・語彙論」
「音声学・音韻論」
「古仏学・方言学」
で構成されてい
ます。
参考文献はできるだけ点数をしぼり、
簡単な解説を付して各章の終わりに掲載し
ました。
単なる研究論文集にとどまらず、
フランス語を学ぶ人々にフランス語という言語
をより深く考えるきっかけを提供する一冊となることを祈っています。
准教授
本書は筆者のモダリティについての長年の理論的・通時的研究の成果をまとめたものであ
る。
モダリティというのは、
事実かどうか定かではない可能世界を表す文法範疇であり、
1990
Narrog, Heiko: Modality,
年辺りから一般言語学でも日本語学でも盛んに論じられるようになった。
本書の2つの大き
なテーマは、
モダリティの定義と絡んで、
モダリティと主体性
(主観性)
との関わり、
そして、
モ
Change: A Cross-Linguistic
Subjectivity, and Semantic
Perspective.
Oxford: Oxford University Press,
ダリティを表す言語形式の通時的な変化である。
前者に関しては、
モダリティは主体性
(ある
2012. 352pp. £ 65,いは
「話し手態度」
)
そのものではないことを論じた上、
言語表現の主体性についての新しい
複合的モデルを提案した。
後者については、
先行研究に提示された78の言語のデータサンプ
ルや、
筆者独自の200の言語のデータサンプルに基づいて、
内的再建、
そして英語やドイツ語、
日本語などの実際の歴史的観察から、
どのような変化が起こ
るかを分析し、
すべての変化が意味的には
「発語行為性」
への傾向、
そして、
統語論的にはより高い階層への傾向を示していることを論じた。
なお、
筆者は本書を以って3年連続同じ出版社から本を出したが、
これでしばらく最後となりそう。
これから研究の再出発だ。
着任の挨拶
この4月から国際文化研究科の一員
となりました副島健作と申します。この
場をお借りして、着任のご挨拶をさせて
いただきます。
仙台へは昨年4月に参りまして、東北
大学高等教育開発推進センターに赴
任し、留学生教育に携わっております。
熱心に日本語学習に取り組む留学生の
皆さんに囲まれ、とても楽しく充実した
国際文化交流論専攻
毎日を過ごしております。私が主に担当
言語文化交流論講座 准教授
している「外国人留学生等特別課程
(日
副島 健作
本語)」は大学院生、学部留学生、研究
生のほか、日本語研修コース、日韓共同
理工系学部留学プログラムなどの国費留学生予備教育プログラム
の研修生、短期交換留学生など、いろいろな国々から多様な目的を
もって留学してきた方々が多く集まっています。やる気にあふれてい
て、教え甲斐のあるいいクラスで、いろいろなことを学ばせていただ
いています。今年度からは大学院の授業も担当することになります
が、研究指導をとおして私自身も人間的に成長できればと、期待して
おります。
出身は佐賀県佐賀市で、広島大学教育学部で日本語教育を専攻
し、その後はずっと、常々、人間にとって言語とは、あるいは、言語教
育とはいったいいかなるものか、という問題に関心をもって、研究教
育活動に携わってきました。これについては、九州大学大学院比較
社会文化研究科へ進学してからも日本語及び日本語教育を中心に
研究を続け、
現在に至っております。
とりわけ動詞の形態論的カテゴ
リーとしてのアスペクトのあり方に焦点を当てて検討し、学位論文
や他の研究論文等にまとめました。
教育活動としては、1999年9月から2002年3月までロシアのユジ
ノ-サハリンスク経済法律情報大学で日本語教師として教鞭をとり、
約2年半にわたって海外生活を経験いたしました。その後、2002年
4月に沖縄の琉球大学留学生センターに赴任し、留学生教育に携
わってきました。琉球大学では日本語学専攻の研究生の指導教員と
して専門教育にも携わり、大学院の授業も担当しておりました。南
国のゆったりした環境で10年間も生活しておりましたので、時間を
厳格に守るこちらの生活に適応するのに若干時間がかかりそうで
すが、以上の経験をこれからの大学院教育に多少なりとも活かして
いければと考えております。
国際文化研究科ですばらしい先生方に囲まれ、優秀な大学院生
のみなさんに教育できる環境に身を置くことができ、本当にうれしく
思います。ここでの教育、研究活動をとおして自分自身を少しでも成
長させ、これまで得た知識と経験を大学院に還元し、社会に貢献し
ていけるよう、
がんばっていこうと思っています。
今後ともご指導、
ご鞭撻のほど、
どうぞよろしくお願い申し上げます。
11
PUBLIC INFORMATION MAGAZINE No.26
退任の挨拶
定年退職して― 定年退職を前に病没した恩師を憶う
私は、平成元 (1989) 年4月に東
京学芸大学から東北大学 (教養部学
科目・法学) に配置換となり、その
後、
平成5 (1993) 年4月に教養部の
改組・国際文化研究科の発足と同時
に、地域文化論専攻ヨーロッパ文化
論講座に配置換となり、本 (2013)
年3月31日をもって定年退職した。
定
年 退 職を 迎 えてみると 、昭 和 6 2
国際地域文化論専攻
(1987) 年3月25日、定年退職の1週
ヨーロッパ文化論講座 教授
間前に病没した法学研究科の恩師・
布田 勉
小嶋和司博士を憶い感慨深いもの
がある。
予て私は先生の退職記念論文集 『小嶋和司博士東北大学退職
(
記念 憲法と行政法』良書普及会刊) の献呈用特装本を闘病中の
先生の下にお届けする役目を任されていたのであるが、その日の早
朝、先生の急変を知らせる連絡があり、通勤客も疎らな飯田橋駅頭
で出版社から出来たばかりの特装本を預かり、当時は上野始発で
あった東北新幹線で先生が闘病する仙台厚生病院の一室に急行し
た。お届けした特装本を早速奥様が先生の肖像写真、目次と順次
捲って説明されると、
先生は如何にもご満足の様子で、
退室する私に
向って右手を挙げて応えて下さった。その日の夕刻先生は忽然と黄
泉の国へ旅立たれた。
私が東京学芸大学に赴任すると、先生は、東京のご自宅に戻られ
た折にはたびたび私を東京都内のさまざまな美術館に誘われた。先
生は陶磁器の鑑賞と蒐集を趣味にしておられ、自宅の茶碗との区別
もつかない私を教育しようとしたのであろう。「良いものを鑑るのが
眼の肥しになる」
と言われ、
最後にはいつも
「研究も論文も同じだよ」
と付け加えられた。
だが、先生は、私の大学院学生時代、これを読みなさいなどと研究
の肥しになる書物を示されることは一度もなかった。レポートや論文
の原稿をお見せすると、
折に触れて
「こんな本もあるよ」
とおっしゃっ
てお持ち下さるだけであった。
先生は、
又、
レポートや論文の原稿をお
見せしても、添削をされることは一切なかった。自立的な研究者の芽
を摘んだ若い頃の反省からだと常々おっしゃっておられ、お見せした
レポートや原稿の文中や欄外に疑問を示す「✓」記号を付して再考
を促されるのが常であった。
国際文化研究科において私が教育・論文指導の範としたのは、こ
うした先生の信念・姿勢であった。
しかしながら、
今、
定年退職までの
20年を振り返ってみるとき、先生と同様の姿勢を貫徹できないこと
があったことに忸怩たるものがある。時として提出期限間近に原稿
が示される場合など、「✓」記号を付すだけでは間に合わず、添削して
返却することがあったからである。
自立的な研究者の芽を摘んではい
ないことを祈るばかりである。
定年を迎えて―国際文化研究科での16年間
究費など機会あるごとにすべてを利用して少しずつ充実させてきた
16年ともいえます。
それは講座教員の相互理解と協力の賜物でもあ
りました。
おかげさまで、
たくさんの立派な修了生を九州、
四国、
関西、
東海、
関東、
東北地方一帯に送り出すことができました。
いま、
研究科およ
び講座の受験生が減ってきて大変な状況になっていますが、
その原
因は、
一つには日本の若者がアメリカへのフレッシュな関心を失いか
けているという点、
もう一つには津波のあとの原発被害の風評があ
るのではないかと考えています。
しかし、
これらは近い将来、
必ずや克
服されると楽観しています。
ただ、
院生が減って一番おそれるのは、
教
員と院生との緊張関係が希薄になることです。
個人的な経験則です
が、
学会もさることながら、
教育があって初めて研究も進むと思いま
す。
「 教育」が多すぎるのも困りものですが、この緊張感を欠いたと
き、
研究者はたんなる好事家になりさがるのではないかと思います。
研究科を去るにあたって、
今なお後ろ髪引かれるのは、
講座教員4
人のうち3人の後任が埋まっていないことです。
協力教員ひとりの全
面的バックアップをいただいてはいますが、
やはり専任教員がたった
ひとりということは、
複数いる場合とはまったく異なった大変さがの
しかかります。
一刻も早く、
研究科の将来計画を確定し、
講座と研究
科の起死回生の試みを前へと進めて欲しいと心より願っています。
最後になりましたが、
研究科の教員の皆様、
事務方の皆様、
修了生
の皆様、
在学生の皆様のご健康とお仕事・研究の発展を心より祈念
申し上げます。
新設された大学院国際文化研究
科がまだ完成年度を迎えていなかっ
た1997年4月から数えて16年間、
私
はアメリカ研究講座で楽しく教育・研
究をさせていただきました。
就任直後
から研究科を根底から覆しかねない
波状的に襲いかかる数々の事件、
大
学自体を大きく変えた法人化、
そして
東日本大震災とその後遺症のなか、
国際地域文化論専攻
何とか定年まで勤めあげられたの
アメリカ研究講座 教授
は、同僚の皆様、事務方の皆様のご
支援の賜物と心より感謝申し上げま
竹中 興慈
す。
そして、
何よりも研究科および講
座の院生の皆さんの研究への熱い
思いこそが私をもっとも叱咤激励してくれていたことに心より感謝申
し上げます。
英語がよくできる学生がいて、小規模校の良さが活かされ、
何不自
由なく、
また楽しく教育・研究をさせていただいていた前任校から、
土
地勘もなく、
まったく教育・研究条件の整っていなかった国際文化研
究科にやってきたのは、
まさに東北地方にアメリカ研究を根づかせ、
発信したいという一念に他なりませんでした。
当初、
私と家族の生活・
研究条件の悪化は忍ばざるを得ないにしても、
院生たちの研究条件
がほとんど何も整っていないのには本当に参りました。
やむをえず、
学内外や研究科の助成金、
図書館の特別図書費、
科研費、
個人の研
12
東北大学大学院
国際文化研究科 広 報
26
No.
国際文化研究科と共に
「定年の一日前でも自分はここを
去るという実感が湧かない」というの
が数年前に聞いた停年を迎える先生
の最終講義での言葉であった。また
他の先生からは「10年を切ると、
速い」
とも聞いていた。
私自身も意識はして
いたが、確かに、あっという間にそれ
は近づいてきて、
あっという間に過ぎ
去った。思えば平成5年に国際文化
国際文化交流論専攻
研究科助教授として、更に、平成14
国際資源政策論講座 教授
年に国際交流センター教授として勤
重野 芳人
務したが、この間、国際文化研究科
の協力教員としても当研究科に勤め
たので、合計20年に渡り国際文化研究科にお世話になった。過ぎて
しまえば一瞬であるが、
時々、
川内に来たときからの記憶が走馬燈の
ように脳裏に浮かぶ。
私は、
研究科の創設と同時に片平の素材工学研究所(現在の多元
研)から移ってきた。
当時の講座名は技術協力論
(現在の科学技術交
流論と国際環境システム論)という、聞き慣れない名称であった。本
研究科の特徴である、理工系と文系の文理融合研究を担うというこ
とで、工学部出身の3名と理学部出身の1名の理工系の教員のみで
構成されていた。私は専門が鉄鋼プロセスの化学工学研究であり、
片平では実験に明け暮れる毎日であったため、技術と社会科学の融
合分野には新鮮な学問の臭いがして、強い興味を覚えた。技術を社
会問題としてとらえることが私の新しい研究の目標とした。そのため
には工学全般と経済、経営、環境等の社会科学を融合する必要があ
る。
新しい学問領域に集中するために、
持参した実験設備をしばらく
してから、全て工学部に譲り、設備に頼らない研究スタイルに変えて
いった。ただそれまでの研究から新しい研究領域に移行するのは、
思ったよりも難しく、
長い間暗中模索の状況が続き、
実際にはようや
く教授になってから、自分の思ったような研究が出来はじめたように
思える。
国際交流センターに移ってからは少し戸惑った。
センターでの仕事
は国際文化研究科とは異なり、留学生あるいはこれから留学する東
北大学生対象の様々な仕事を毎日こなさなければならず、
かなりタフ
な精神力が要求された。ただ、研究教育以外の様々な仕事に従事す
ることが出来たおかげで、
諸外国の大学の事情もよく分かり、
また人
的ネットワークが出来たことは非常にプラスだったように思う。
現在は国際文化研究科非常勤講師として学生の研究教育に協力
し、研究科棟に居室を貸していただいているが、まだまだやり残した
仕事もあり、最後の目標を達成した後で私自身の本当の定年を迎え
たいと願っている。
「定年は忘れた頃にやって来る・
・
・」
研究室引っ越し
2003年4月に国際文化研究科に
着任以来、10年間で3つの研究室に
居住した。最初の研究室は川北合同
棟の5階の大友義勝先生がお使いに
なっていた部屋である。窓際には、大
友先生が吉良松夫先生から引き継い
だという木製のいかにも重そうな年
代物の机が鎮座していた。吉良先生
は昭和40年代に旧教養部にいらし
国際文化言語論専攻
た英語の先生で、お習いしたことは
言語応用論講座 教授
なかったがお名前は存じ上げていた。
鈴木 美津子
なにか不思議な縁を感じた。
早速、
書
籍の詰まった段ボール箱を運び入れ
たのはいいが、早ければ夏休み前、遅くとも夏休みの後には、合同棟
から留学生センター
(現在の国際文化研究科西棟)
に移る予定である
と教えられた。
ならば、
少々不便でも荷物は解かずにそのままにしてお
こうと決め、
研究室に段ボール箱を立方体状に積み上げた。
室内はほ
とんど身動きがとれない混沌たる状態になり、
無理にすり抜けようと
して、
つまずいてつんのめったり、
肘に青あざを作ったりと、
さんざんで
あった。何にもまして不便だったのは、必要な本をすぐ手に取れない
ことである。
3ヶ月くらい辛抱するはずが、
9ヶ月近く堪え忍んだ。
本格
的な引っ越しが始まったのは冬休みに入ってからであった。
引っ越した先は、
合同棟のちょうど真向かいで、
静かな部屋だった。
もちろん吉良先生の机は、以前同様窓のそばに丁重に据えた。残念
だったのは、この部屋は他の研究室よりも少々手狭だったことであ
る。
数年後、
お隣の藤原先生が定年でお辞めになった。
すかさず願い
出て移動することにした。今回は私的な引っ越しなので、暇を見つけ
ては台車などに本を積んで少しずつ運んだ。
吉良先生の木製の机は、
さすがに私一人の手には負えず、力のある方々に担いでいただいた。
藤原先生は大きな安楽椅子を残していかれた。
気がついて見ると、
由
緒あるどっしりした机を前に重厚な椅子に腰掛ける我が身がいた。
2011年3月11日、
研究室の書棚に収めていた本はすべて落下した。
窓際にある吉良先生の机にたどり着こうにもまさに足の踏み場もな
い有様。
入り口から机までの通路を作るべく、
しばし本の回収作業に
専念した。
震災前よりも研究室は美しくなったと一人悦に入っていたの
もつかの間、
一ヶ月後の4月7日の余震で、
元の木阿弥に。
ふたたび研
究室は本の山。さすがに二度目となると、後片付けにまったく力が入
らず、
片付け始めたのは夏休みなってからである。
そして2012年秋。
震災後の西棟修復のため、
書棚の本を一時的に
段ボールに収納するようにというお達しがあった。
10年前に赴任して
きた時よりは小規模であったが、ふたたび段ボール箱を部屋の中央
に積みあげた。修復はまもなく終了したが、段ボール箱から本をだす
気力がまったく出てこず、かくして研究室は着任時と同じような段
ボール部屋となった。
10年という時のサイクルがぐるりと一巡し、
振り
出しに戻った気がした。
研究室の引っ越しや修復作業の際には、
事務の皆様にはいつも大
変お世話になった。
記して感謝申しあげる。
13
東北大学大学院
国際文化基礎講座(公開講座)
国際文化研究科
INFORMATION
第20回 東北大学国際文化学会の大会が開催されました
去る平成25年6月29日
(土)
、
東北大学川内北キャンパス
マルチメディア棟6階にて、東北大学国際文化学会の第20
回大会が開催されました。今年度は、通常通りの準備期間
が確保され、例年通りの開催となりました。当日は、10名の
研究者が日々の研究成果について発表いたしました。今年
は、例年以上に発表時間と質疑の時間を長く設定したため
(発表15分、質疑10分)、時間を持て余すことが懸念されま
したが、多くの発表で質疑の時間が不足となり、盛況な発
活動のあり方について検討を進めていくことになりました。
多くの皆様からのご意見・ご要望をお待ちしております。
いヴィジョンの構築のために」と題して平成24年10月13
25年度オープンキャンパス報告
日、20日、27日の三回に亘って開催されました。震災からす
オープンキャンパスが7月30日、31日の両日開催されま
でに1年以上を経た昨年も、そして現在でも、「復興」のため
した。
の様々なプランが出され、果てしない議論が続いています。
今年はあいにく雨に祟られ、昨年ほど出足はよくありませ
しかし復興の前提として私たちが必要としているのは、机
んでしたが、それでも601名の参加者がありました。スタッ
上の空論ではなく、足下を見つめたヴィジョンです。これを
フは、新しくなった研究科のロゴを胸につけた揃いのポロ
考える一助となることが今回の公開講座の目的でした。初
シャツを着て行事を盛り上げました。今年も参加者が本研
回「共生社会としての再生―環境共生社会と地域共生社
究科の留学生たちと様々な文化やことばについて語り合う
会の実現に向けて―」は青木俊明准教授、第2回「異文化間
コーナーを設けましたが、大変好評でした。参加者には楽し
コミュニケーション入門―円滑な意思疎通を阻むもの―」
みながら国際文化研究科の内容を知ってもらう機会になっ
は北原良夫准教授、第3回「災害と再建:持続可能な経済
たと思います。
成長につなげるために」は胡雲芳准教授が担当なさいまし
来年もさらに新しい企画を考えてオープンキャンパスを
た。各講義は、それぞれ環境心理学・都市論、コミュニケー
盛り上げていきたいと思います。
(小野尚之)
ション論、マクロ経済学という清新な異なった視点から行
なわれ、震災からの再生復興を巡る様々な提案をもとに、
多面的に状況を考えることの出来る格好の機会を提供で
きたと思われます。時節柄受講者の関心も高く、講義後の
質疑応答では多くの質問が寄せられました。また、最終日
の講義後には、講師と受講者との談話の場である恒例のラ
ウンドテーブルが行なわれました。講師ごとに三グループに
分けて実施したことで、各テーマに関する討議が集中的に
行われ、活発な意見交換が行なわれました。 (鈴木 道男)
入学を希望される皆様へ
次の入学試験(春季入試)
は、
平成26年2月13日
(木)、
14日
(金)
に行われます。
本研究科は、柔軟な思考力と広い視野および一定の語学力を有して、国際舞
台で活躍できる創造的研究者または高度専門職業人になろうという明確な目的
意識を持った学生を求めています。
詳しい入試情報については、本研究科ホームページ
http://www.intcul.tohoku.ac.jp/?num=100521151426をご覧ください。
お問い合わせは、本研究科教務係において受け付けています。
連絡先
東北大学国際文化研究科教務係
TEL: 022-795-7556 / FAX: 022-795-7583
E-mail: [email protected]
編 集 後 記
今年度、国際文化研究科は創立20周
年の節目を迎えました。今号では、
これを
記念して多くの修了生や退職された教員
から記事やお言葉をお寄せいただきまし
た。
また、研究科長インタビューでは、研究
科20年の歩みのみならず、研究科の今
後の方向性や学徒としての心構えまでお
話しいただきました。原稿執筆、
およびイン
タビューにご協力くださったすべての方々
に深く感謝いたします。 (編集担当)
○東北大学大学院 国際文化研究科 広報 No.26 /平成 25 年9 月
○編集/東北大学大学院 国際文化研究科 広報委員会 〒980-8576 仙台市青葉区川内41 TEL:022-795-7556
第19回国際文化研究科公開講座は、
「 復興の今 新し
26
学会の参加者は年々減少していることを受け、今後は学会
No.
表会となりました。ただし、残念ですが、東北大学国際文化
Fly UP