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現代の父親についての臨床心理学的一考察

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現代の父親についての臨床心理学的一考察
広島文教女子大学紀要 48,2013
【原著】
現代の父親についての臨床心理学的一考察
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no
1. は じ め に
これまで親子関係という際に,そこには母親─子どもが同定され,育児は母親の責任という
両性の結合による創造物に対して偏った育児観が一般論としてあった。父親に関する研究や書
籍はかなり限られているように,母親であることに比して,父親であることはそれだけ世の中
から軽んじられ,興味ももたれない存在であったのではないだろうか。
もちろん,「男社会」という言葉が顕しているように,社会を担い維持し発展さていく使命
を多くの男性が課せられてきたのは事実であるし,それ故,時代・社会・文化・経済の変遷に
応じて,近代であればその主要産業に応じて,男性の職業や生き方は直接影響をうけ大きく変
化してきた。夫は外で働き収入を得て,家事・育児は妻が担い,生活のサイクルを動かしてい
く。このような伝統的性役割観が近代,至極当然に行われてきた。しかし,現代に視点を移す
と,核家族や共働き,そして男女平等観などその家族の形態や夫婦観,親役割は大きく様相を
変えてきている。つまり,神谷(2004)がいうように「人間が次の世代をどのような形態で養
育するかは実に社会文化的な要因に規定され,ある面ではイデオロギー的である。時代の変革
の中で女性の生き方が様変わりしたように,男性の,とくに父親の生き方も変化せざるを得な
い状況におかれたのである」。大和ら(2008)は図1の父親役割の構造的変化を提示し,平成
の父親像として,過去の役割に“世話の担い手”を新たな役割として位置づけている。「協働
型家族形態への移行」(神谷,2004)であろう。
図1 父親役割の構造的変化(大和・斧出・木脇,2008)
家族心理学の領域では,図1のように父親役割の時代変遷が指摘されているが,今回父親に
ついて検討したい理由は,子どもたちのゲル化している精神状態を何らかの形で,掬い上げ生
きる意味やその目標を保持するために,父親としての強さや器,母親とは異なる側面としての
優れた存在意義を見出したいと考えるからである(すでに強さという言葉が筆者の性的偏見や
─ 29─
願望が見られるが)
。もっとも,神谷(2
004)は,戦前型の家父長制家族の特性とされた父親
の権威は父親から発生したものではなく,当時の社会体制の中で,家族も暗黙のうちに幻想的
に合成されたものであると述べているので,その権威は実質的直接的なものではなかったと考
えられるかもしれない。しかし,その時代,地域や母子関係の中での幻像であったとしても,
子どもの情緒の統制や規範形成に役立っていたのではないかと思われる。
個人的には,臨床心理士として出会う家族や事例を通して,母子関係を基盤にする精神分析
的発達理論に異論はないものの,あまりにも父親が子どものままの状態であるために,人や大
人,規範としてあるべき姿を示せない,あるいは子どもたちに情緒的に関わることや何らかの
問題に真剣に立ち向かうことが難しい家庭内状況を多く見てきた。しかし,一方で父親である
ことを大事な生き方として捉える男性も漸増し,面接室に登場し問題に向き合い考える父親も
増え,それが家族の変化や再生に寄与してきていることを実感している。心理療法の関わり方
でいえば,臨床心理士自身の家族観,育児観も大きく面接を左右するであろう。つまり,常に
母子関係のみを想定しているのか,三者関係を含めてイメージしているのかにより,その面接
の方向も自然と異なるものとなるであろう。
働く父親が養育する時間があるのか否か,妻との関係はどうであるのかといった実生活の役
割分担や子どものとの時間,ライフ&ワークバランスも大変重要な家族社会学的要因ではある
が,本論では特に子どもの中で父親の存在の意味がどのようになされていくのか,子どもが母
親と父親をどのようにみて心の組成に取り入れ役立てていくのかを精神分析理論や臨床心理学
的観点から,“不在”といわれてきたその父親像を検討したい。
なお,本論では,最初に家族社会学や育児論からの知見や理論により現代の家族観や父親を
捉えてみたい。その後,精神分析理論や臨床心理学の観点から乳幼児の心の中の「父親」像に
ついて,検討していきたい。
2. 個人主義と多様性の中での家族継承の分断と価値規範の問題
21世紀以降,日本の不景気が経済の見通しを悪くし,すでに先進的で便利さに満たされた現
代生活の中で,これ以上の成長文化を望むのは難しいことを人々は痛感しているであろう。ま
た,昭和の教育観である努力し高学歴を目指せば,よい就職先があり,豊かな生活が待ってい
るという単純な人生観も,あまりにも変則的で不安定な状況が容易に起こりうる昨今では,説
得力を持たないであろう。戦後日本人を奮い立たせてきた敗戦や破壊からの復興,理想的にみ
えた欧米的生活,大きな組織や国の制度に頼るという考えも次第に衰退してきていると思われ
る。例えば,妙木(1997)は心理経済学の手法で経済の動向と家族のあり方,父親の存在を精
神分析的に論考している。「父親はほぼ『企業』と運命共同体であり,その『お上』が『社会
の役割』を担っている」とし,これは「抱える社会」であり,「庇護社会 pr
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」
と命名している。
このような「庇護社会」に吸収される父親像は現在でも認めうるが,“寄らば大樹の蔭”と
いう言葉が示すように,人々が大きな集団の中で問題を起こさずに安寧をえる態度や生き方は,
その集団自体が揺らぎ消滅する可能性が昔よりも高くなった昨今,人々はそのような生き方に
懐疑的にならざるを得なくなっているように思われる。その一方で,現代のような個人の気持
ちや生き方が尊重される時代は幸福な時代でもある。だが,多様な考えや生き方,価値観,個
人の欲求が許容されることは,逆に個人の考えを堅持しておかないと,目標がみえず混乱する
ことも予想される。特に厳格な宗教を信奉せず,日々の刹那的な喜びを享受している日本の子
─ 30─
現代の父親についての臨床心理学的一考察
どもたちは,どのように自分の生き方や方向を考えて行くのであろうか。社会規範や個人の思
想,価値観という自分が常に依拠できる心の重心となるものをいかに組成していくのであろう
か。
母系社会といわれるわが国ではこれまで,地域社会や拡大家族の老熟した存在などが日々の
生活や地域のつながりの中で,緩やかな規制を教え伝統的なしきたりを引継いできたであろう。
そして,若い世代や次の世代は,多くの教えや立ち居振る舞い,身の処し方を受け継いできた
ものと思われる。例えば,山田(2005)は,戦前はイエ制度と呼ばれるように「家業の存続の
ために一家総出で働く」というモデル,つまり家業の中で長子を中心にイエが存続するために
その中で規範が発達し家族が形成されたと述べている。しかし,残念なことにこのような存在
は徐々に消え去ってきている。
このようにみてくると,規範や父親の権威が弱体化している日常では,個人,特に子どもた
ちはさまざまな場面における身の処し方をもち判断して行動することが難しくなっているであ
ろう。つまり,山田(2005)は,
「前近代社会においては宗教や地域社会が,人生の意味や社会,
世界とのつながりを保障していた」,「近代化によって,人々は,宗教や共同体の規制から解放
された。その代わり,人生に意味を与える確実なものとして,家族が登場したのである」と述
べている。そして,人々の生きる意味を作っていく重要な役割りとしての家族,伝統的性別役
割分業である「戦後家族モデル」ではない,新たな家族モデルの必要性を論じている(
「誇大
化する個人的機能に対して,このモデルでの対処は限界に来ている」)。
出生家族を離れて核家族が増えるにつれて,祖父母や古い共同体から離れた新家庭は若い夫
婦だけの価値観や生活スタイルに彩られ,そこに乳児が登場することになる。家族の歴史の中
で伝えられてきた文化や価値観,生きる知恵を祖父母から直接継承することが少なくなり,そ
こにはメリットとデメリットがあると思われる。メリットとしては,新しい育児観をもち,同
世代の夫婦関係であることにより家族経営への考えが一致しやすいかもしれない。特に姑─嫁
の問題や葛藤は激減したであろう。そして,夫婦だけの繋がりは強くなり,ひいては二世代だ
けでの関係と生活により,その中だけで時間もエネルギーも共有し楽しむことができている。
デメリットとしては,家や土地を引き継げないことによる資産ゼロからの出発であり,母親の
閉塞的な世界での育児負担とストレスがあり,特にこれは子どもの成長にとってもかなりのマ
イナスとなりうるであろう。そして家族成員の減少により,多様な人々の生き方,考え方,性
格に触れ影響をうける機会はかなり少なくなっている。そのため,年長者の長い歴史に裏打ち
された深い人格や態度を身近で知る,あるいはその威厳ある存在から感銘をうけることにより,
その歴史性への尊敬心をもち,それに照らし合わせた自分の立場を見ることも難しくなるであ
ろう。長く生きた知恵ある人々,物の存在はただそれだけで子どもたちに畏敬の存在感を与え
ているようにも思われる。
3. 精神分析的理論における父親への考え方
精神分析では,理論を神話に例えて説明することが多いが,ギリシャ神話における父親達を
みてみると,ウラノスはガイアとの子どもたちをその奥処に閉じ込め,クロノスは生まれる子
どもたちを次々と飲み込んだ。子どもを愛でる父性には程遠く,父-息子争いは,戦いやライ
バル視といったテーマをみてとれるであろう。精神分析では,エディプス神話があまりにも有
名であり,フロイトは幼児期の親子関係について理論化する際にこの神話を用い,この時期の
子どもの異性の親への性的愛情と同性の親との葛藤をエディプス・コンプレックスと名づけた。
─ 31─
これは,3歳ごろの性的愛情にもとづく父親─母親─子どもという三角関係を設定しているが,
3歳というのは,言葉の発達による意思疎通がかなりできるようになり,また身体の自立と手
足の動作が発達するなど,この時期はヒトから人間へと心身の顕著な基礎ができつつあること
を示す注目すべき発達段階である。また,フロイト以後,より早期のエディプス関係を想定す
る理論も提出されている。
その乳幼児の精神世界における父親の萌芽を近年の精神分析理論ではどのように考えている
のかについて,まず Tr
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n,A.が2002年に編著した TheI
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on から,下記の特に(1),
(2)では主にその理論的考察
を取りあげまとめたい。
(1) エディプス・コンプレックスにおける父親について
Et
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n(2002)は,父親についての精神分析的考えを3つのグループ,①エディプス・
コンプレックス(Oe
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x)における父親の役割,②子どもの精神内界における内な
る父親の形成,③子どもの発達における父親の役割に大別し,著名な精神分析家達の論考をま
とめている。その中で特に,①に関する4名についての論考を下に要約していく。
まず,Loe
wa
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d(1
951)は,子どものエディプス・コンプレックスの解決と去勢への脅威心
をもつことは現実からの自我への要求であり,その概念は父親と結び付けられたものであると
述べ,また,それは母親への肯定的な関係や自己愛的な初期からの発達を示すという。さらに,
エディプス・コンプレックスと最初の未分化な状態の子宮への回帰恐怖,父親への初期の肯定
的同一視,去勢不安への防衛との関係を論じている。そして,それらの要素は去勢への恐れの
結果ではなく,子どもの独立や親子の相互に関係することであると論じている。
また,Kl
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n,M.
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n(1932)の中で,父親の男性器は母親の中に
ある特別なものとして子どもは気づき,それがエディプス・コンプレックスの一部になるとし
ている。子どもの乳房への初期の関係は,最初にエディプス・コンプレックスを作り,乳房へ
の欲求不満(妄想不安)によりそれを攻撃するが,その後,それを気にかけて修復したいと考
える(抑うつ不安)
。そして,その気持ちが次第に父親の男性器への関心をもたらし,エディ
プスの三角関係状態を形作ると考えた。その後,さらに発達が進むにつれて,父親はより分離
した人と意識されるようになるが,敵意のある母親あるいは結合した両親の存在によって,子
どもがもつ攻撃性への最初の不安からの第二の派生物として,男児の去勢不安や女児の愛情喪
失不安は作られると考えている。
一方,Bi
on,W.
([1959]1961)はエディプス・コンプレックスを二つの方向に広げて,一つ
は,神話のスフィンクスの重要性を自分自身に対する人間の好奇心を表すものとしてとらえ,
精神分析的洞察の先駆者として捉えた。もう一つの方向は,どのような犠牲を払っても真実を
求めるというエディプスのプライドの高さゆえに引き起こした近親姦の問題は,その尊大さが
背後にあると考えた。また,「精神分析における要素」([1963]1977)では,幼児の前─概念
は親の現実であれその代用であれ,両親の姿にコンタクトすることにより実際的なものとなり,
個人のエディプス神話は精神世界の知識の先駆的なものになると考えた。そして,それが一対
である両親への関係を理解していくものとなり,現実に適応することを可能にするという。
最後に La
c
a
nについてであるが,無意識は言語により構造化され,それゆえ,「言語のシス
テムという法則」をもたらすのは父親であり,それは母親と子どもの間の幻想的な繋がりを壊
し,言語は主観を他者から区分するものであると考えた。個人の自己の感覚は初期の内在化さ
れた経験にしっかりとつながったものではなく,それはむしろ永遠に流動的な状態のものであ
─ 32─
現代の父親についての臨床心理学的一考察
り,それはシニフィアン(能記,意味するもの)という他者に依存していると考えた。そして,
La
c
a
nは,エディプス・コンプレックスは性格や人間の欲求を構造化していくために基本をな
す重要なものと考え,去勢は精神が再構築されるという特別な瞬間であり,言語の発達に堅く
結びついていると考えている。さらに,La
c
a
nは精神構造を「父親の名前」あるいは「父親の
メタファー」とよんだが,このメタファーは「父親の法則」であり個人を記号の理法へと結び
つける。いわば,父親の役割は母親─子どもの結合を断ち切り,そして言葉の構造の法則へと
導き,その法則の元で子どもは主体となり文化に入っていくのであると述べている。
また,Et
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n(2002)は,最近のエディプス・コンプレックスについての発達論として,
St
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(1996)を取り上げている。St
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(1996)は,去勢によるエディプス・コンプレック
スの解決に疑問をもち,母親と子どもとの排他的な関係に父親が入ってくることへ子どもが気
づくこと,それが外傷的傷つきとして体験されると示唆した。その結果の一つは,
「妄想的解決」
として,子どもが服従することであり,憎悪や羨望によって力のある姿として体験される父親
に同一視することである。子どもは恐怖から母親への要求を放棄し,親との本質的な関係であ
る現実からは逃れ,万能感的母親やそれへの隠された理想化は優勢になり,父親への不平や憤
りという隠された感情は,精神的に後退することとなる。そして,この過程は真の感情の自律
性の発達を妨げることとなる。しかし,世代のギャップや母親からの分離を受け入れ,親の関
係性の現実を認めることから抑うつ状態での解決が始まるという。St
e
i
ne
r
(1996)は憎しみや
攻撃性は去勢する父親から両親へと移るとし,両親というカップルに集結された殺意や愛情を
ワークスルーすることで,情緒的成長を促すことができると考えた。
(2) 内的世界における父親
Da
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i
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.
(2002)はフロイトの考えは“心と内的文脈との接点”への答えを求めたと述
べ,次のように考察している。「トーテムとタブー」は,優位的で所有欲の強い初期の父親と
息子たちの現実の戦いであり,息子による父親殺しへと帰結するものであった。このことは,
子どもたちに集団の興味の中での行為を強いるものであり,集団心理学を基礎にして,個人の
本能的欲求がより偉大なものとみなされ,それが集団の興味へと昇華されるものであった。そ
して,父親が力と権威をもつことは心理学的構成の固有性の一部と考えた。
さらに,Da
v
i
ds
,M.F
.
(2002)は,
“心と社会的文脈との接点”において,La
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nの去勢の概
念化について次のように論じている。意味は話し手の外側に必ずあり,それは意味する連鎖の
中に位置づけられる。私たちが使用する全ての意味するものに対して,私たちの存在のより重
要な側面は失われるが,これは人間の状態に固有なものであり,La
c
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nは去勢のエッセンスと
してこれを構成した。いくら私たちの経験を明らかにしたとしても,象徴的秩序は避けること
はできない。つまり,それは言葉の順序であり,それが私たちの存在に去勢的影響を持つだろ
うと論述している。
(3) 母子間の複雑な感情や共生からの新鮮な父親像への子どもの思い
子どもにとっての父親の存在や登場を投影同一視の理論から,Da
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ds
(2002)は母親と違い
父親は情緒的にあまり関わりが少ないことにより,子どもが父親に新鮮な見方をもつことで,
悪いものが投影された状況を安らかにすることができると述べている。新鮮な気持ちをもった
新鮮な親が子どもの迫害的状態を打ち破るという。
また,Ma
r
ks
,M.
(2002)は,父親は子どもと母親に,母親とは違う対象を与えると述べて
いる。それはその母子が融合した共生的関係に同一視しないように働くという。すなわち,父
─ 33─
親は母親とは別の誰かとして子どもが最初に経験する人となる。つまり,子どもにとってあま
りにも強い母親的なものを解毒することでもあると考えている。
このように,情緒的に愛情や憎しみ,といった複雑な関わりを体験している母親との関係に
入ってくる父親の存在は,子どもに新鮮な気持ちや慰安を与えるのではないか。Abe
l
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n(1975)
は,親子の観察研究から父親は子どもの母親へのアンビバレントな気持ちから「汚れていない」
存在として,子どもを惹きつけるとしている。女性が理想の男性の出現を[白馬にのった王子
様]と例えることがあるが,この「白い馬」というのは汚れていないエネルギーの塊とそれを
統制できる男性の存在を表わしているようにも考えられる。
また,Bl
os
(1985/
1990)は,幼児期の特に男児と父親についての精神分析からの知見と理論
を提出している。それによると早期の同性経験が幼児期の息子と父親の関係を支配し,形作る
のみでなく,生涯を通してその男児の自己や対象世界の進展に重大な影響を及ぼすと述べてい
る。「幼い男児は,積極的にせがみつづけることによって父親の是認や承認や肯定をもとめ,
かくて,深い持続するリビドー的きずなを確立する」,「早期の父親経験は,退行の危険に対す
る,あるいはもっと言えば分化以前の一体性,『個体化未生』といっても良いような対象世界
との一体化に向けての実存的漂流に抗する,生涯の保護者として役立つ運命にある」という。
要するに,母親への複雑な感情が母親とは異なる父親の存在により,新鮮さや心の慰安をも
たらし,母子が相互の存在で過剰に密着しないスペースを与えるという考えができるように思
われる。また,特に Bl
osの理論から,エディプス期における父親の脅威的存在が特に息子にお
いて強調されるあまり,軽視されてきた父親の子どもへの情緒的な満足感や応答性が,むしろ
子どもの精神の核を強くし,あるいは理想的な「汚れていない」父親の母親との布置における
重要な役割が理解されるものと思われる。
ただし,父親と子どもの間に介在する母親の存在や機能,母親が父親のイメージや存在をど
のように伝えるのかといった,実際のコミュニケーションやメッセージの問題は大変重要な要
素であろう。現実の父親がいるとしてもそれを媒介する母親の要因が考慮されなければならな
いであろう。例えば,Ma
r
ks
(2002)は母親自身が実父をどう体験したかや実母がどう介在し
たかがその介在役に影響していると述べている。また,佐々木(1984)は,
「父親が社会のルー
ルの体現者として子どもに対面できるためには,母親との関係において,その役割にふさわし
い心理的な資質が要求される。これにより,母親は自分たちの男女としての自然な情緒的関係
を超えた次元において,父親の発する言葉を初めて承認する」,「父親の機能が,実際には中心
にいる母親との情動的な関係を通して,子どものこころのなかに働きかけている面が大きい」
と媒介役としての母親の存在意義について述べている。
4. 父親が教える「怖い世界」
父親の声の低さが怖い本を読む時に母親よりも大変効果的であるという研究結果を正高
(2002)は報告している。一般には,怖いものというと不安や恐怖心を惹起し,否定的にとら
えられるであろう。しかし,子どもたちにとって,恐怖心をいだくものは神経の興奮を呼び覚
まし,心の違う感覚を刺激する。ホラー映画やお化け屋敷,遊園地で急昇降する乗り物も大変
怖いものになるであろう。昔は特に,人気のない古い空き家や様々な汚物が流れていた下水路,
日中何をしているか子どもの頭では不可解な人々に,子どもたちは様々な想像を行い,避けた
り近づいたりしながら,遊び,失敗し痛い目にも遭っていたと思われる。
あるクライエントがよくジェットコースターの夢を見ていた。その女性は父親との問題が大
─ 34─
現代の父親についての臨床心理学的一考察
きく,怖い父親への好悪といったアンビバレントな感情や葛藤を語っていた。ジェットコース
ターは激しい上下により強い恐怖や興奮をもたらすが,一方でレールから外れないという信
頼・安心感があるからこそ,乗れるわけである。この乗り物は,この信頼・安心感を基にした
中での怖さという矛盾する状態を同時に体験できる遊具であるが,優しい母親と興奮を与える
父親というイメージにより,このクライエントはこの夢を見ていたのではないかと思われる。
また,正高(2002)は,発達初期に養育者との生活圏が秩序ある環境,コスモスであり,そ
の中で「無償」の愛をうけるが,そのルールが応用できない領域という意味で,外部の自然界
は「闇」という。この「闇」を畏怖することで,みずからの行為を倫理的に律する基本的枠組
みが与えられていると論じている。さらに,「人間は『野生のもの』すなわち畏怖の対象とし
ての自然・闇・野性との密な交流を,本来求める資質を与えられている。その交流を可能にす
ることこそ,父親の重要な役割である」と子どもの世界観を創世していく上での,父親の強さ
や外界の怖さへの導き手の重要さを説いている。そして,それが子ども自身の身体を通じた言
葉として表現されていくと述べている。楽しさ,良いものの裏側にある恐ろしさ,危険性を知
ることのみではなく,未知なる世界への興味や好奇心をもとに,異界へ臨んでいく勇気を父親
は与えてくれるのかもしれない。
5. ま と め
家族社会学からは,家族の大きな変遷が指摘され新しいモデルが求められているが,一方,
特定のモデル形成は困難さが伴うであろう。妙木(1
997)も述べているように,家族の危機は,
家族の崩壊ではなく,「家族のアイデンティティ」の崩壊と考え,現代は個々の家族が家族の
構成員とともに,そのアイデンティティを見出していくしかないのかもしれない。
ただし,その方向を見出す上でも,家族と社会をつなぐであろう父親については特に精神分
析理論から検討を試みた。もちろん,図1にあるように新しい父親の役割として,「世話の担
い手」が求められているが,意識的な面だけではなく,子どもの空想や精神内界での心の組成
を考察した。両親は身体的外見差が明確であり,それに声の質が明瞭に異なっている。敏感さ
が重要な生きる手段の一つである乳児にとって,ある時期から容易にそれらを認識するものと
思われる。多くの社会で母親が第一次的な世話をする人であることからも,父親はおのずと第
二次的立場にならざるを得ない。しかし,その第二次的立場であるが故の子どもにとっての必
要欠くべからざる意味があるのではないか。子どもにとっての母親との好悪のアンビバレント
な感情関係,明示的,暗示的な関係を経てきた上で,母親とは異なる大きな存在としての父親
は,乳幼児の心が組成していく過程で,新鮮な汚れていない対象として機能し,前エディプス
期からの情緒的関与の重要性も示唆されたと思われる。エディプス期では子どもにとっては脅
威となるものの,三者関係の中にいて,その複雑な過程を経ていく中で,子どもは現実感覚を
身につけ母親から呑み込まれることなく離脱を行い,成長のステップを登ることになると思わ
れる。
引用・参考文献
Abel
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神谷育司 2
004 「現代社会における父性の問題」
比較家族史学会監修 黒柳晴夫・山本正和・岩尾祐司
(編) 父親と家族 pp.
110–
135 早稲田大学出版部
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正高信男 2002 父親力 中公新書
妙木浩之 1997 父親崩壊 新書館
佐々木孝次 1984 「父親シンボルの不在」 馬場謙一・福島 章・小川捷之・山中康裕(編) 父親の深層
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219–
262 有斐閣
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2002による)
山田昌弘 2005 迷走する家族 有斐閣
大和礼子・斧出節子・木脇奈智子 2008 男の育児・女の育児─家族社会学からのアプローチ 昭和堂
─平成25年10月15日 受理─
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