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教授法よりも教師である 河野俊之

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教授法よりも教師である 河野俊之
音声教育の発展のために重要なのは,教授法よりも教師である
河野俊之(横浜国立大学教授)
0 はじめに
私は,日本語教育においては,音声教育と教師養成・教師教育を専門にしています。私
が音声教育を専門にしていると言うと,頭のいい人なのだろうとか,変わり者だろうなど
と言われます。日本語教育において,どうも音声教育は特別だと考えられているようです。
しかし,音声教育は特別ではなく,音声教育から日本語教育全体を考えることができると
いう主張を,研修会でもしたつもりです。そして,音声教育の発展のためには,教授法の
開発が必要だと思っていますし,私自身,それなりの研究もしてきたつもりです。しかし,
それだけでは限界があることも感じています。音声教育の発展には,教授法の開発よりも
必要なのは,私のもう1つの専門である教師教育であり,教授法よりも教師が重要である
と考えています。それについてもう一度述べたいと思います。
1 発音矯正の問題点を考えよう
研修会では,発音矯正をする教師が感じる問題点として,以下のことを指摘しました。
1.何が違うか分からない。
授業中に,学習者に文を発話させてみたら,学習者の発音が,日本人の発音と違
っていた。しかし,具体的に何がどう違うか分からなかった。
2.方法が分からない。
学習者の発音が具体的にどう違うかは分かったが,どう発音矯正したらいいか,
分からなかった。
3. 媒介語が分からない。
舌を軟口蓋に付けて発音することを説明したかったが,「軟口蓋」を中国語で何と
言うか分からなかった。
4.媒介語が分からない。
「軟顎」という中国語を学習者に言ってみたが,理解されなかった。
5.理解したけどできない。
図をかいたり,ゼスチャーを使うことで,発音のしかたについての説明は理解し
たようだけれども,正しい発音はできなかった。
6.偉人の方法で,だめ。
発音矯正の方法について書いてある記事を見て,そのとおりにやってみたが,正
しい発音ができるようにはならなかった。
7.学習者による。
学習者 20 名のうち,18 名は正しい発音ができるようになったが,2 名だけはどれ
1
だけ練習しても正しい発音はできなかった。
8.いやがられる。
正しい発音ができるようになるように,一生懸命指導していたら,学習者がいや
そうな態度を見せた。
9.すぐ元に戻る。
発音矯正をしていて,正しい発音ができるようになったと思ったのに,次の日に
は悪い発音に戻ってしまっていた。
10.文中ではできない。
例えば,
「からだ」を「かなだ」と発音してしまう学習者に対して発音矯正を行い,
「からだ」と発音できるようになったが,「分からないらしいです」は何度練習して
も「わかなないなしいです」という発音になってしまった。
2 教師の能力
上のような音声教育の問題が,自分の授業で起こったら,以下のように考えるのが一般
的なようです。
自分は,文法などを教えるのに比べて,発音矯正が苦手だなあ
↓
自分は知らないけど,よい発音矯正の方法があるはずだ
↓
その方法を身につければ発音矯正ができるようになるだろう
しかし,教師のほとんどがこのように考えるのは非常におかしなことだと思います。そ
うではなく,
「発音矯正」という方法自体に問題があると考えるべきだと思います。日本語
教育において,
「矯正」ということばを用いるのは,
「発音矯正」だけではないでしょうか。
「語彙矯正」
「文法矯正」
「聴解矯正」「会話矯正」
「読解矯正」「作文矯正」などということ
ばは存在しません。ということは,
「発音矯正」は日本語教育における常識から外れている
と考えられます。では,なぜ音声教育においてのみ,
「発音矯正」ということばが用いられ,
それが有効な方法だと思われているのでしょうか。
意地悪な見方かもしれませんが,日本語教師がきちんと教えることができないから,「発
音矯正」という魔法のような方法に頼りたいと思っているのではないかと思います。そし
て,音声教育は,カリキュラムに組み込まれているわけではないため,きちんと教えるこ
とができなくても,教師として責められることはありません。また,責められそうになっ
ても,「時間がないから,発音まで手が回らない」「クラスの学習者数が多くて,指導がで
きない」
「学習者から特に希望がない」など,さまざまな言い訳ができます。
しかし,このように問題にきちんと向き合わないのでは,教師の成長はありません。青
2
木(2001:188)は,教師の仕事についてのよくある誤解として,「教える」という教師の
行為と「学ぶ」という学習者の行為の関係について,以下のように述べています。
「教えたのにできない」とか「教わったけど忘れた」とか言っている人たちは,
「教え
る」という言葉を,おそらく「言う」とか「見せる」とかいう意味で使っているのだと
思われます。教授法の授業で学生に「何か教えてください」と言うと,ほとんどの人が
このどちらかか両方やりますから,それが「教える」の一般的な意味なのでしょう。こ
こには,学習が成立するための認知のプロセスへの視点が欠如しています。学習を引き
起こすためには,まず自分が言ったりやったりしようとしていることが,ある人の学習
にとって今ここで必要か,という判断をする必要もありますし,言ったりやったりした
後では,相手が聞いたか見たかを見届ける必要もあります。さらに,聞いたり見たりし
たことを,相手はどのように理解したのかを知ることも必要です。そして,安心して考
えたり練習したりする時間を作ってあげることも大切です。教えるということが,自分
のもっている知識を口で説明したり,自分のできることをやってみせるというだけのこ
とであるのなら,教師の仕事は教えることではありません。
音声教育では,モデル音声を示したり,発音のしかたを何らかの方法で説明したりして
も正しい音声が習得されないことが多いものです。一方,授業でよく扱う,文法や単語等
を教えることについては,説明したり,手本を見せたりすることと「教える」こととはか
なり近いと考えられます。しかし,逆の見方をすれば,それらは,教師が行わなくても,
適当な教材があれば,学習者が自分で勉強を進めることができるのではないでしょうか。
それと比べて,音声教育では,生身の人間としての教師がいる意義が大きいと言えます。
ただ単にモデル音声を示したり,発音のしかたを何らかの方法で説明したりするだけでな
く,本当の意味で発音を教えられる教師は,発音を教える能力だけでなく,教師として本
当に必要な能力を持っていると言えるのではないでしょうか。
3 発音矯正の問題点を,常識を持って考えよう
「よい発音矯正の方法」があるわけではないのならば,自分がそれを身につけていない
ことを悲観してもしかたありません。そんなことよりも,発音矯正の問題点について,常
識を持って考えていくことが重要です。しかし,常識とは,実は,自分にしか通用しない
常識,言い換えると,固定観念,ステレオタイプ,さらには,偏見である場合もあります。
例えば,
「いい授業」として,教師から学習者への一方通行のものではなく,学習者から教
師へという方向,学習者どうしの活動が多いほうがいいというのは今や常識だと思います。
しかし,音声教育の授業では,教師から学習者への一方通行がほとんどであっても,何の
疑問も感じません。また,発音を教えているのに,発話のほとんどが教師であっても,何
の疑問も感じません。これらは,音声教育の実態,つまり音声教育における常識とも言え
3
るものですが,日本語教育全体における常識とは大きく異なっています。つまり,本当の
常識を持って考えていくことはなかなか難しいものなのです。では,本当の常識を持って
考えるのにはどのようなことが必要なのでしょうか。これについて私は2つのことを提唱
したいと思います。
1 常に,それが唯一絶対の方法ではないと考え,他の方法の可能性を探そうとする。
2 常に,それがよくない方法だと決めつけずに,その方法の改善方法を探そうとする。
これらを意識するだけでもかなり違うと思うのですが,それでもやはり本当の常識を持
って考えていくことはなかなか難しいものです。そこで,1人で考えるのではなく,
「他の
人といっしょにやる」ことを挙げたいと思います。例えば,同じ授業を見ていても,人に
よって観点は異なるし,評価も異なります。発音授業の様子をビデオで見た後に話し合う
と,「拍を教えるときに,指を使っていたけれども,それがよかった」と思う人もいれば,
「拍を教えるときに,指を使っていたけれども,それでは,高さと誤解してしまう学習者
もいるのでよくない」と思う人もいます。また,指を使っていたことに全く言及しない人
もいます。このようなさまざまな意見が出てくることで,自分では特に意識してないけれ
ども,自分の持っている価値観やいつもやっていることなどが浮かび上がってくるもので
す。改まった場面でなくても,同僚などと話すことは,大きなプラスになると思います。
ではここで,常識を持って,先に述べた発音矯正の問題点について,その原因や改善方
法などについて考えてみましょう。
1.何が違うか分からない。
2.方法が分からない。
文法教育では,授業中に急に学習項目が決まるということはありません。ふつう
は授業の前に決まっており,そのため,教師はその準備ができるのです。音声教育
でも,現在のように,授業中に学習者が正しく発音できなかったときに,モデル音
声をリピートさせてみることはあってもよいと思いますが,効果がないときは,そ
こで切り上げ,違う機会に時間を取って指導するとよいと思います。そうすること
で,教師は心理的な準備や教材などの事前準備ができます。
3. 媒介語が分からない。
教師が学習者の母語等の媒介語が使用できないときは,どうしたらいいでしょう
か。文法教育であれば,中国語などで書かれた文法解説(書)を使用するのではな
いでしょうか。あるいは,中国語ができる教師に説明を担当してもらうことなどが
考えられます。現在のところ,中国語などで書かれた文法解説書にあたるような音
声教育教材が不足していますが,ニーズがあれば変わっていくでしょう。
4.媒介語が分からない。
4
文法説明で,
「受け身」
「使役」などはともかく,「アスペクト」や「エビデンシャ
リティ」などといった専門用語を用いても学習者は理解できないでしょう。言葉に
よる説明以外も含めて,学習者が理解しやすい方法を考えるべきでしょう。また,
音声教育教材にも分かりやすいイラストなどが載っているといいと思います。
5.理解したけどできない。
「理解したけれどもできない」ということは音声教育に限ったことではありませ
んし,さらに,外国語教育に限ったことでもありません。例えば,鉄棒の逆上がり
はどうでしょうか。肘を伸ばさず体を鉄棒から離さないとか,片足で勢いよく蹴る
など,教える人は説明します。子供はそれらの説明が理解できたからといって,す
ぐにできるようになるとは限りません。青木(上掲)が述べているように,音声教
育においても,成果を急がないで,安心して考えたり練習したりする時間を作って
あげることも大切なのではないかと思います。
6.偉人の方法で,だめ。
7.学習者による。
「唯一絶対の教授法はない」ということばは,日本語教育ではかなり使われます。
しかし,音声教育に関してはそれを求めてしまっていないでしょうか。その理由と
して,自分にはお手上げ状態だからという受け身的な考え方がないでしょうか。音
声教育にも「唯一絶対の教授法はない」と考え,教師をはじめてとして,よりよい
方法を考えていくことが必要です。
8.いやがられる。
なぜ学習者がいやがるのでしょうか。他の学習者に注目されてしまい,自分の能
力を低く見られるのではないか,などと思うということもあるでしょうが,それは
音声教育に限ったことではありません。それよりも,何をしたらいいか分からない,
また,どこまでしたら成功となるのか分からない,ということがその理由といえる
のではないでしょうか。
9.すぐ元に戻る。
「元に戻る」とはどういうことでしょうか。まず,「元に戻る」とは教師の判断で
あって,学習者の判断ではありません。この場合の「元に戻る」とは,きちんと習
得できていないということの表れだと考えます。例えば,学習者が誤った発音をし
ていたのに,何度か繰り返させて正しい発音ができたら,教師はOKのフィードバ
ックをします。しかし,もし,それが偶然できたにすぎないとしたらどうでしょう
か。偶然にできたとしたら,学習者自身,どうしてよかったのか分からないわけで
すから,しばらく時間がたったら,できなくなるのは当然です。それを教師が勝手
に「元に戻った」と考えているのです。そうではなく,どうしたからよくなったの
かを学習者が考えて発音したり,聞いたりすることが重要です。これが「自己モニ
ターを活用した音声教育」の目的です。
5
10.文中ではできない。
1音よりも単語,単語よりも文のほうが気を付けるべき部分が増えるため,難し
くなります。そのため,さらに練習が必要なのは当然です。また,教師は,Aがで
きたらBも当然できるはずだと考えがちです。例えば,
「タ-ダ」の言い分けができ
たら,
「カ-ガ」の言い分けもできると考えがちです。しかし,必ずしもそうではあ
りません。それどころか,
「ト-ド」の言い分けもできるとは限らないのです。もち
ろん,
「タ-ダ」の言い分けができれば,それが「ト-ド」の言い分けに役立つ可能
性は高いでしょうが,自動的にできるようになるという考えは危険でしょう。
4 音声教育における教師のあり方
発音矯正の問題点について,その原因や改善方法などについて,私は上のように考えて
います。そして,その改善方法の1つが「自己モニターを活用した音声教育」です。これ
については,河野(2009)に詳しく書いていますし,報告や配布資料にも載っていますの
で省き,教師のあり方について触れたいと思います。
今回の研修会中,また研修後のアンケートで以下のようなコメントをいただきました。
1.自分の担当するクラスは,20 名なので,模擬授業のように,学習者一人ひとりに対
応できない。
2.カリキュラムがいっぱいいっぱいなので,模擬授業のように,発音のみにそんなに時
間を取ることができない。
3.自分の担当するクラスは,模擬授業のように,発音に関心がある学習者ばかりではな
いのでいやがられる恐れがある。
4.自分の担当するクラスは,模擬授業のように,優秀な学習者ばかりではないので,効
果が上がらない恐れがある。
これらについてはもっともだと思う部分もあるし,また,それらを克服する方法を私が
もっと開発していくことが必要だと思っています。例えば 2 ですが,確かに模擬授業では,
学習者が「いてん-いでん」を聞き分けたり,言い分けたりできるようになるのに 30 分ぐ
らいかかりました。これは,模擬授業で,教師,学習者が初対面であることなど,しかた
ない部分もあります。また今度,
「いてん-いでん」が苦手な学習者を指導する際には,今
回得られた「独自の基準」を提示するなどすれば,もっと短時間でできるようになると思
っています。さまざまな音声項目の「独自の基準」を集めることが,私に課されていると
思っています。また,模擬授業では学習者が 5 名しかいませんでした。学習者数が多い場
合は,学習者をグループにする方法が考えられます。聞き分けの練習は学習者数が多くて
も可能ですし,宿題にすることもできます。言い分けの練習は,学習者全員が聞き分けが
できるようになっていたら,学習者同士で行うことができるはずなのです。それは,時間
6
が限られている模擬授業では行うことが難しいのですが,何とか事例を紹介する必要はあ
るのではないかと考えています。
しかし,その一方で,日本語教育が発展しない原因として,教授法の開発が不十分とい
うことではなく,教師が新しい方法について頭で理解するだけで,実行に移せていないこ
とがあるのではないかと思います。さらにその原因として,既に身につけている方法を変
えるのは面倒だということもあるかもしれませんが,ほかに,失敗してはならないと考え
ているからではないかと思います。
しかし,私は,これは間違っていると思います。確かに,誰でも,
「失敗したらどうしよ
う」と思います。では,失敗しないようにするにはどうしたらいいでしょうか。それには
2つ方法があると思います。1つは,完璧な準備をすることです。戸締りを 1 人ではなく
何人もで何度も確認するなどがそれにあたるでしょう。しかし,日本語の授業の場合は,
思いがけないことが起こることもあります。なので,もう1つの方法は,思いがけないこ
とがないように,完全にコントロールすることです。例えば,授業で教師が言うべきこと
を完璧に覚えておいて,それを 50 分や 90 分など,授業時間すべてしゃべっていれば,失
敗することはありません。しかし,これでは,学習者はほとんど何も身に付けることはで
きないでしょうから,やはり失敗してしまうのは間違いないでしょう。さらに,最も失敗
が起こらない方法として「やらない」というのがあります。かなり意地悪な考え方ですが,
そのために,ニーズがない,時間がない,学習者が優秀でない,など言い訳をすることも
あるのではないかと思います。
ここで,失敗とは何なのかを考えてみる必要があると思います。例えば,野球で言うと,
バッターにとっては,最も失敗でないのは,全てがホームランということだと思います。
他にも,全てヒットというのもあります。しかし,そんなことはまずありません。例えば,
4打席のうち,1打席アウトになっただけで,それを「失敗したからだめだ」とはならな
いと思います。ピッチャーにとっては,1試合27アウトを全て,3球三振に取ることで
すが,これもまずありえません。他にも,ランナーを1人も出さないことですが,例えば,
ヒットを2本打たれただけで「失敗したからだめだ」とはならないと思います。確かに,
致命的な大きな失敗はだめかもしれませんが,上のような小さな失敗はするのが当たり前
なのではないでしょうか。当たり前の失敗を恐れていては,教師の成長,ひいては,日本
語教育の発展はないと思っています。授業を改善するためには変化が必要だし,変化には
失敗は絶対に付き物です。
失敗しないためには,他人が作ったものをそのまま他人が考えた方法で教えていけば安
心だし,失敗しても自分を責める人は誰もいません。しかし,それでは,ただのティーチ
ングマシーンであって,自分の存在意義がなくなってしまうのではないでしょうか。それ
はとても残念なことだと思います。
先日亡くなった,アップルコンピュータ創業者のスティーブ・ジョブズ氏は,母校スタ
ンフォード大学の卒業式で,後輩に贈ることばとして,以下のように語っています。
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Your time is limited, so don't waste it living someone else's life.
(君の時間には限りがある。だから他人の人生を生きて時間をムダにするな。)
失敗しないためには,他人が作ったものをそのまま他人が考えた方法で教えていけば安
心です。また,失敗しても自分は悪くありません。しかし,それでは,他人の人生をなぞ
るだけになってしまいます。既存の方法を大いに参考にすることは絶対に必要ですが,よ
りよい方法を自分で考え,それをさらに高めるのが教師としての楽しみだと私は思います。
例えば,学習者が 20 名いる自分の授業では自己モニターを活用した音声教育をそのまま行
うことが無理だと思えば,できるだけ独学しやすいように,自作教材を与えることも考え
られます。また,音声教育の時間がなかなか取れないならば,他に無駄な時間がないかな
ど,カリキュラムを再検討するということもあってもよいのではないでしょうか。
第 1 次南極越冬隊隊長の西堀栄三郎氏は,以下のように言っています(西堀(2009))
。
とにかくやってみなはれ。やる前から駄目だと諦める奴は,一番つまらん人間だ。一
番大事なのは,まずやってみる勇気なのだ!失敗したら,またやり直せばいい・・・
より効果的,効率で,より短時間ででき,より簡単な方法を提供することで,多くの方
に尐しでも「自己モニターを活用した音声教育」を実践してみようと思っていただき,そ
れによって,日本語教育が発展するよう,私自身も失敗を恐れずにがんばっていきたいと
思います。
参考文献
青木直子(2001)「教師の役割」
『日本語教育学を学ぶ人のために』世界思想社.
池田玲子(2009)「教室の管理者から学習の支援者へ
―ピア・ラーニングの教師の学び―」
(河野・金田(2009)所収)
小河原義朗(1997)「発音矯正場面における学習者の発音と聞き取りの関係について」
『日本
語教育』92,日本語教育学会,83-94
河野俊之(2009)
「音声教育に必要な教師の能力―教育実習をもとにして-」
(河野・小河
原編著(2009)所収)
河野俊之・金田智子編著(2009)『日本語教育の過去・現在・未来 第2巻 教師』凡人社
河野俊之・小河原義朗編著(2009)『日本語教育の過去・現在・未来 第4巻
社
西堀岳夫(2009)『とにかく,やってみなはれ』PHP研究所
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音声』凡人
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